電話が鳴る 第16話
「零を守るためなら、僕は何人でも殺す」
駅の構内放送から流れた自分の声を、透は呆然と聞いていた。にわかには信じられない。
──殺す。
その言葉だけが、やけに現実的だった。
「……水城零は、一体誰なんだ」
透が尋ねると、澪は視線を下に向けた。澪は何も答えなかった。
透の視線が三枝に向き、代わりに三枝が、ため息を吐きながら静かに言った。
「それは……あなたが、一番忘れたかった人です」
「俺が……忘れたかった?」
「はい、そうです」
三枝はロッカーに手を伸ばし、茶色い封筒を取り出した。何回も使っているのかたくさんのシワがあり、破れている箇所もあった。その中から三枝は一枚の写真を取り出した。
その写真に写っていたのは、とある病院の古い病室だった。
窓際にベッドがあり、その上に若い女性が眠っている。ベッドの脇には、澪。そして透。その二人の間に、小さな女の子が立っていた。
顔には見覚えがない。けれど、透の指は震えていた。
「……この子」
写真の少女が持っている黒い傘。傘の柄には、小さく数字が書かれている。
──0。
「零です」
澪が言った。
「私たちの妹」
「じゃあ、どうして今まで……」
「消したからです」
澪の声は、ひどく静かだった。
「戸籍から。学校から。病院から。全部消した」
「誰が?」
三枝が透を見る。
「それは……あなたです。あなたがこの世から全て消し去りました」
また、その答えだった。けれど今回は、透は怒れなかった。
写真の中の自分が、少女を見ている。その目が、今まで見たどの写真よりも優しかったからだ。
「……俺が、零を消した?」
「違います」
澪が首を振る。
「あなたは、零を死んだことにしたんです」
その瞬間、透の頭の奥で、何かがつながった。
雨の降る地下通路。その奥で泣いている少女。そして、自分の声。
──この子の名前を、誰にも言わないで。
──死んだことにする。
──そうすれば、誰もこの子を探さない。
「……殺されたんじゃない」
透は呟いた。
「零は、生きてる」
三枝が目を伏せた。
「はい。その通り」
「どこにいるんだ?」
答えは、すぐには返ってこなかった。
やがて澪が、透の胸元を指差した。
「ここです」
「……俺の中?」
「違う」
澪は首を振る。
「あなたがずっと探していた『もう一人の榊原透』」
そこで言葉を切った。
「それが、零を守るために作られた名前です」
時計が、十九時三十二分を指した。
すると駅の照明が一斉に消えた。真っ暗な構内で、誰かが笑った。
それは、女の子の声だった。
「お兄ちゃん。もう、思い出していいよ」
透は息を呑んだ。
その声を透は──知っていた。
暗闇の中で、その声だけがはっきり聞こえた。
透は動けなかった。知っている。ずっと昔から知っている。けれど、いつ知ったのかが分からない。
「……零?」
返事はなかった。代わりに、足音がした。
コツ。
コツ。
コツ。
暗闇の向こうから、誰かが近づいてくる。やがて構内の非常灯が点いた。
オレンジ色の照明が照らす、そこにいたのは、少女だった。
写真の中の少女と同じ顔。ただし、写真よりずっと大人になっている。
十代後半くらいに見えた。
「初めまして」
少女は言った。
「水城零です」
透は息を止めた。
「……生きてたのか」
「うん」
零は笑った。
「ずっと生きてたよ」
澪が一歩前へ出る。
「零。どうしてここに?」
「お姉ちゃんが呼んだんじゃない」
零は透を見た。
「お兄ちゃんが私を呼んだの」
「俺が?」
「そう」
零は小さな封筒を取り出した。
表には、透の字でこう書かれていた。
──十一月六日、十九時三十二分になったら渡すこと。
「これ……いつ書いた?」
「去年」
「誰に頼まれた?」
零は少し考えてから答えた。
「お兄ちゃんに」
透の背筋が冷たくなった。
去年の自分が、今の自分に手紙を残した。それだけならまだ理解できる。だが、問題は封筒の裏だった。そこには、名前が四つ書かれている。
榊原透。
水城澪。
三枝恒一。
そして──水城零。
その四人の名前を一本の線が囲んでいた。
その下には、一文。
──この四人のうち、本当に生きている人間を一人だけ残せ。
「……何だよ、これ」
透が顔を上げる。
三枝の表情が変わった。
「開けないでください」
「どうして?」
「そこに答えがあるからです」
「だったら、なおのこと知りたい。俺が何をしたのか、何をしなかったのか」
透が封筒を開こうとした瞬間、零が手を掴んだ。
「待って、お兄ちゃん」
少女の顔から笑みが消えていた。幼い顔には似合わない真剣な眼差しだった。
「その中身を読んだら、お兄ちゃんはたぶん、私を殺す」
「……何?」
「去年もそうだった」
零は震える声で続けた。
「お兄ちゃんは私を守るために、私を殺したことにした」
「でも、それは嘘だった」
「うん」
零は頷く。
「だから今度は、本当に殺すことになる」
その瞬間、封筒の中から、振動しながら着信音が鳴った。聞き覚えのある着信音。それは──透の携帯だった。
透はあわてて封筒から取り出し、画面を見る。
画面に表示された名前は──“榊原透。”
自分自身の名前だった。
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