電話が鳴る 第10話
「……この人は、誰だ?」
俺が写真を差し出すと、澪はすぐには答えなかった。顔を上げずに、写真だけを見つめている。
「水城さん?」
「……姉です」
「姉?」
「はい」
その返事を聞いた瞬間、妙な違和感があった。さっきまで彼女は、自分たちは双子だと言っていた。
姉と妹。どちらも水城澪。なら、この写真の中で倒れているのは──姉。
俺がこれまで会っていた澪も姉。では、今ここにいる澪は妹。そこまでは分かる。
問題は……
「どうして姉が、俺の隣で死んでる?」
澪は答えなかった。
俺は写真を裏返した。そこには新しい文字があった。
『死体は、撮影されてから死んだ。』
意味が分からない。
写真を撮った時点では、生きていたということか?それなら、写真に写っている倒れた姿は──
「写真の中で時間が違う」
澪が呟いた。
「何?」
「この写真には、二つの時間が写っています」
彼女は写真の左端を指差した。
駅の時計。19時32分。
次に、倒れている姉を指す。
「でも、この人が死んだのは19時32分じゃありません」
「何時だ?」
「19時23分です」
ハッとした。
最初の写真では、駅の時計が19時23分だった。その写真には、三枝が立っていた。そして裏側には──
『午後七時二十三分、三枝は死んだ。』
「……三枝が19時23分に死んだ」
「はい」
「姉が19時32分に死んだ」
「はい」
「じゃあ、その間の九分間に何があった?」
澪は静かに俺を見た。
「榊原さんが、三枝さんを運びました」
「俺が?」
「正確には、あなたではありません」
まただ。またこの言い方。
「じゃあ誰なんだ?」
澪は写真の右端を指差した。そこには、黒い傘を持った人物が立っている。
顔は写っていない。だが、服装は俺と同じ。靴も俺と同じ。そして右手には、三本の傷がある傘。
「この人です」
「誰?」
「榊原さんです」
「……俺じゃない」
「はい」
「だったら誰なんだ」
澪はしばらく黙っていた。やがて、写真を裏返す。そこに、今までなかった一文が浮かび上がった。
『榊原透は一人ではない。』
俺は笑いそうになった。
もう何度目だ。俺が二人。澪が二人。三枝は生きているのに死んでいる。写真の時間まで二重になっている。何もかもが二つある。
「じゃあ、三枝は?」
俺は尋ねた。
「三枝は一人なのか?」
澪の顔から、初めて明確な恐怖が消えた。代わりに、諦めたような表情が浮かぶ。
「……いいえ」
「まさか」
「三枝さんも、二人います」
その瞬間、地下通路の向こうから、足音が聞こえた。
一人ではない。二人分の足音。同じ歩幅で同じ速度で、そして、二人とも同じ声で言った。
「榊原さん」
暗闇の奥から、三枝恒一が二人、歩いてきた。
二人の三枝は、まったく同じ顔をしていた。服装まで同じだった。灰色のジャケットに濡れた黒い髪。右手に持った古い革鞄。違うところを探そうとして、俺は二人の靴を見た。
左の三枝は黒い革靴。
右の三枝は──裸足だった。
「……何なんだよ」
思わず後ずさる。
二人の三枝は、俺を見ていた。しかし、どちらも俺ではなく、その後ろにいる澪を警戒しているようだった。
「榊原さん」
左の三枝が言った。
「その人から離れてください」
「どうして?」
「彼女は、あなたをここへ連れてきた」
右の三枝が続けた。
「違う。連れてきたのはあなたです」
二人の声が重なる。
「俺が?」
「はい」
左の三枝が頷く。
「あなたは去年、私たちをここへ呼びました」
「私たち?」
「僕たちは、もともと二人だったんです」
右の三枝が言った。
その瞬間、澪が小さく息を呑んだ。
「嘘……」
「嘘ではありません」
「あなたたちは、一人だった」
「そう思うようにしたんです」
俺は二人を見比べた。
何かがおかしい。二人いること自体ではない。二人とも、自分こそが本物だと言わない。
むしろ──互いを本物だと認めている。
「じゃあ、どっちが死んだ三枝なんだ?」
質問すると、左の三枝が答えた。
「僕です」
右の三枝も同時に答えた。
「僕です」
「……」
「死んだのは、二人ともです」
俺は言葉を失った。
右の三枝が続ける。
「ただし、死んだ時間が違います」
「いつ?」
「19時23分」
左の三枝が答える。
「19時32分」
右の三枝が答える。
俺の脳裏に、あの写真が浮かんだ。
19時23分。
19時32分。
九分の差。そして、二人の澪。二人の俺。何か一つの出来事が、二つに分かれている。
そう考えた瞬間、左の三枝が笑った。
「ようやく気づきましたね。この事件では、人間が二人になったんじゃありません」
彼は足元を見た。
「時間が二つになったんです」
地下通路の照明が、一つずつ消えていく。
奥から順番に。
ぱち。
ぱち。
ぱち。
「十一月六日の19時23分から19時32分まで」
右の三枝が言った。
「この九分間だけ、時間が二重になった」
「だから……」
澪が呟く。
「同じ人間が二人ずつ存在した」
俺は写真を見た。
三枝。澪。俺。そして、もう一人ずつ。
「でも、どうしてそんなことが起きた?」
二人の三枝は、同時に俺を見た。
そして同じ言葉を口にした。
「あなたが、二つにしたからです」
「俺が?」
「はい」
左の三枝が頷く。
「あなたは、その九分間に──」
右の三枝が続けた。
「一人を救って、一人を殺した」
「誰を?」
二人は答えなかった。
代わりに、裸足の三枝が革鞄を開いた。中から、一枚の古い切符を取り出す。
日付は──2025年11月6日。
行き先は一つ。
『帰らない駅』
「これを持っていた人間が、二つの時間を作ったんです」
そして俺は、その切符を見た瞬間、自分が去年の十一月六日に、何をしようとして駅へ来たのかを思い出した。
──俺は、三枝を助けに来たんじゃない。
誰か一人を、消すために来たのだ。
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