二十八話【相】
実秋は風魔忍で宇宙空間を通過後、そのまま月の大気圏へ再突入した。
目指すは一路、帝の屋敷へと。
風が渦巻いて後ろへと流れていく。
それはここに至るまでにほとんどのエネルギーを使い果たした末の、最後の加速であった。
風魔忍はまるでブレーキの壊れた暴走車のように実秋をトップスピードで運んでいき————
「グワーッ!?」
「ああっ!ごめん減速が!」
————神婚直前のタケミカヅキを、蹴り飛ばしたのであった。
停止の為に最後の風力を振り絞った後、風魔忍はその役目を終えて霧散した。
(……あっぶなかったぁ!ヒメに当たってなくて良かった!)
「ヒメごめん!大丈夫だった?」
「うん……だいじょぶ」
「ほ、ホントに?なんか顔赤いけど……」
私の腕の中に大人しく収まってるヒメの顔は、なんだか真っ赤だった。目元もちょっと腫れてるし……どうやら泣かせてしまったらしい。
「柔らかい、あったかい、生きてる……本物よね?私の幻覚じゃなくて」
「ほんもにょほんもにょ……ぷは、私は夢でも幻でもないよ!」
ヒメは夢うつつって感じで、ぐにぐにと私のほっぺをむについてくる。
というか私、死んだって思われてたのか……まぁそうだよね普通。実際事主さまに助けてもらわなかったら死んでたわけだし。
「もう大丈夫だよヒメ!この私が来たからには、帝と神婚なんてさせないんだから!」
「……わざわざ助けに来てくれたの?サネにしてみれば、そのままほっといてもよかったのに……」
「何言ってんのさ!よかないよそんなの。ヒメを見捨てるなんて選択肢は私には無かったからね!」
「ぐにゅ……そ、そっか」
私が真っすぐ目を見てそう言うと、聞いたことのない声を出しながらヒメは目をそらした。
ありゃりゃ、耳まで真っ赤じゃんか。
「どしたのさヒメ。なんか変だよ?」
「い、いま私っ!色んな感情が溢れてめちゃくちゃだから!そのせいよ!」
「ふむ、なるほど?」
どうやら感極まってるらしい。ヒメは顔を手で覆いながら、私の胸に身を預けた。
うーん、かなりいいタイミングで登場できたとはいえ、あの気丈なヒメがここまでなるなんて……
「おのれ竹帝め!ヒメにいったい何をしたんだ!」
「私は何もしてないし、それはどちらかと言えばお前のせいだぞ」
突き抜けていった襖の奥から、背の高い女の人がのっそりと歩いてくる。
しなやかな、でもちゃんと芯のある凛とした声だ。
「あ!良かった生きてた!」
「勝手に殺すな!……まったく、こんな風に足蹴にされたのなんていったい何百年ぶりのことか」
この人が、この四方を総べる竹帝その神か。
いや、状況証拠的には間違いないんだろうけど……ちょっと気になりすぎる。
その顔が、ガタイが、綺麗な新緑をした髪色が。
「バネさん!?なんで!?」
「そのくだりはもうやった!ツクバネは私の遠縁だ!」
「おぉーなるほど!今明かされる衝撃の真実!」
「……やけに手際がよすぎると思ったら、これは一体どういうことなのですか?御言葉さま」
竹帝が私たちじゃなくて、その少し後ろを睨む。
その中空が光でゆがむと、ぬるりと回りながら小っちゃなお月様が現れた。
「あ、事主さまだ」
「あれが……?」
『どうもこうもないよミカ。かくかくしかじか紆余紆余曲折、しっちゃかめっちゃかのポンポコピーなだったんだからさぁ~』
「なんて?」
いま意味のある言葉が一つもなかったように思うんだけど……
それを聞いた竹帝は首を振ってため息をつくと……諦めたように腕を組んだ。
うわぁすごい。めっちゃ呆れてる。
「……それで?生きていたお前はわざわざこの月くんだりまで何をしに来たんだ?ここは私の屋敷で、今まさに神婚の真っ最中なんだが」
「む!まさにその神婚を阻止しにやってきたんだよ!やい竹帝!私と神賭けで勝負だ!」
「そうか。じゃあ懇願と対価を整理するぞ」
……あ、あれ?なんか拍子抜けするぐらいあっさりと勝負に乗ってきたぞ?
もっとこう、その辺でひと悶着あると思ってたんだけど……地上でいた時とは大違いだ。
『おーいミカー?僕とは楽しくおしゃべりしてくれないのかい?』
「さしあたっては、誰のどんな神賭けに対しての懇願なのかを明確にしろ。なんどもやり取りをするのは面倒だ」
『おーい僕の可愛いミカちゃーん?無視しないでおくれよーぅ』
「は、話す時間をやるから、姫妃から私との神賭けの内容を聞いておけ。間違っても私は知らんぞ……」
『おいおい反抗期はもう終わったんじゃないのかい?無視なんてのは子どものすることだよ?』
「お前にやる機会は一度きりだ!!そう何度も神賭けには付き合ってはやらんからな!!」
『……あーだめだねこりゃ。完全にへそ曲げてる時の反応だ』
「みことはさまっ!!横から口を挟まないでください!」
おぉ、口撃に耐えかねた帝がついに反応した。竹帝の顔もヒメみたいに真っ赤になってる。
確かに反抗期の娘みたいだね。娘なんていたことないけど。私は別に反抗期とかなかったしなぁ。
『せっかく僕が進行しに来たんだよ?もっと僕に構ってよね』
「今回の件に貴女がかんでいるなら、ここでぐだぐだと言ってもしょうががないでしょうに」
『素直なのは良いことだけどさぁ。ちょーっと面白みに欠けない?その反応は』
「他の奴らも私たちを見ているんでしょう?どうせこの状況そのものを面白がってますよ」
(……なーんか仲いいねこの二人。
どういう関係なんだろ?)
「ひゃっ!?う、うん!そうね!」
「?」
ヒメにこそこそと耳打ちすると、なんだか変な反応をされた。くすぐったかったのかな?そんなに耳弱かったっけ。
「……サネ。私はタケミカヅキと神婚する代わりに、サネを蘇らせてもらうつもりだったの。私たちの神賭けの内容はその二点だけよ」
「なるほどなるほど……ん?私の蘇生?元の世界に帰るとかじゃなくって?」
「な、なによ!私の辞書にだってサネを見捨てるなんて選択肢は無かったの!……死んじゃったと思ったんだから」
私に抱きつくヒメの力が強くなる。
そのままヒメは私の身体に顔をうずめた。ちょっとだけこそばゆい。
「……死ぬときは私の隣で死んでね」
「そ、そもそも死なないように気を付けます……」
「それはあたり前よ!」
なんというか……ヒメがそこまでしてくれてるなんて思ってもみなかった。
いや別に、ヒメのことを薄情だとか思ってるわけじゃないんだけど……
————なんだか胸の奥がむずがゆくって、でもちょっとだけ気分がいい。
私も、『親友』のこのオモイに応えないとね。
「事主さま!この場合って無効試合になったりはしないの?」
『もちろんしないね!賭けが成立した時点で、神賭け以外で懇願していたことが成就したとしても、結んだ誓約は消えて無くならない』
『無論、対価を差し出せないことをミカが許せばその限りではないけど?』
「無論、そんなことは有り得ないですね。その場合は遠慮なく命令権を行使させてもらおう」
つまり、私のやるべきことはもとより一つってことだ。
「私たちは戦う定めにあるってことだね……!」
「そもそも、私にはお前の神賭けをまともに受けてやる義理などないんだが……」
竹帝は事主さまを一瞥する。
「————受けるに値する『見栄』はできた。御言葉さまの、林の神々の面前で、堂々とお前たちを嫁に貰うとしよう」
竹帝が私たちの前に仁王立つ。
そしてその腰を曲げて、私の顔を覗き込んできた。
「お前もそうだろう?……わざわざここに戻ってきたのは」
竹帝の黄緑色の瞳が私を射抜く。
なるほど、確かにこれは見栄の話なのかもしれない。
事主さまにも大見得切っちゃったし……何より、ヒメが私を見てるから。
「ねぇヒメ。ヒメの人生を預かってもいい?……全部私に、ベットしてくれる?」
「……サネ、一旦降ろして?」
「あ、うん」
私がヒメを降ろしてあげると、ヒメは胸に手を当てて一度深呼吸をする。
————そして、ヒメはそのまま私のほっぺにキスをした。
『おおお?』「……」
「勝利のおまじない。……私の人生、全部サネにあげる」
「だから、絶対勝ってね。……私、タケミカヅキ『の』お嫁さんになるのはイヤなんだから」
「……へへ、もちろんっ!任されたよ!」
ゆでだこみたいにさらに赤くなった顔のまま、ヒメが抱き着いてくる。
私はヒメの肩を抱いて、改めて竹帝と相対した。
「ヒメが言ってたよ。この神賭けってのは、神様側が不利だって」
「む……」
「だって、絶対に懇願は受けないといけないから。それが嫌なら、無理難題を押し付けるしかない。でも、それでも了承されて、その願いを叶えてあげられなかったら……」
「————神様は死んじゃう。そうでしょ?」
【神はしかし、対価を求めた生命の懇願を叶えられなかった場合は神避する】
「……その通りだ。無理難題を押し付けるのは、何もこちら側だけではない。その神には難しいことを願われ請われ、そして失敗し、神避していった神を私は見たことがある」
「だから、私はそんなことはしない。これは私とあなたの、正当な『勝負』なんだから!」
「!!」
「私は引かない。どんな無理難題だろうと、私はヒメを諦めない」
「サネ……!」
「その代わり、私はあなたを脅かさない。それでようやく対等な勝負になる」
「……」
ここで一つ深呼吸をして……ちゃんと言い切る。真っすぐに!
「私の懇願は!タケミカヅキと奴妻姫妃の間に交わされた神賭けの取り消しだよ!」
「……それだけでいいのか?こんな機会はまたとないぞ?」
「……じゃああと一つだけ。勝負の方法は私に決めさせて」
「それは当然の権利だな。それだけか?」
「他は必要ない」
私は竹帝を見上げる。臆さず、堂々とした態度で。
「ここまでお膳立てされて……真っ向から立ち向かわれて!それにノってこない神様なんかにっ!」
「————ヒメはお嫁にやれないよっ!!」
びしりと、私は竹帝の面前に突きつける。
私からの宣戦布告を。
「……では、その懇願はこの勝負で勝った場合に与えるものとする」
「っ!それって……」
「ぬかっていた……侮っていた。腑抜けていたよ!この私がっ!」
「————神賭けとは!ヒトと神との対等なる『勝負』である!神側がそれを、無理難題で避けようとするなど……あまつさえ!それを譲歩してもらったあげくに、勝負から逃げ出すなどとは神の名折れ!」
「私から姫妃を奪い返すというのなら!この私に挑んでくるというのなら!喜んでその勝負を受けてやろう!」
……よし!乗ってきた!
「さぁ!名乗りをあげよ!神に挑まんとする、叢の勇者よ!」
「私は……サネ!武者転ばしのサネだっ!」
私が威勢よく名乗りをあげると……あれ?なんか場がシンとなった。
なんだなんだ?今が一番盛り上がるところじゃんか。
『実秋ー、そっちじゃないよー』
「へ?」
「……必要なのは本名だ。通り名では神賭けは成立しない」
「あ、あらっ?そ、そっか」
「ぶふっ!」
コントみたいなやり取りにヒメが噴き出す。わ、笑うこたないじゃんか……
ちょっと……いや!かなり恥ずかしい。でも、こんなことで燃え上がった私のハートは鎮火しないもんね!
それでは気を取り直しまして……
「私は綾小路実秋!和賀忍がひとり!【武者転ばせ】のサネにして奴妻姫妃の唯一無二の親友だ!」
「いいぞ!では我が竹箕下月の名において、ここに綾小路実秋との神賭けの成立を宣言するッ!!」
ドコドンと太鼓が打ち鳴らされる。事主さまの時にも聞いた、神賭け成立の音だ。
「そして!私たちの勝負の内容はぁ~……『お相撲』だっ!」
『あ、実秋それは……』
「……くっくっく。それは私を神前相撲の初代横綱と知っての言葉か?」
「むっ!」
……横綱?どうやら相撲は大得意らしい。事主さまがはじめてガチ目の反応をしてるから、多分ホントなんだろう。
でも、私に二言はあんまりないとはいえ……ここで取り下げるのはあんまり格好がつかない。
それに……いや、むしろこれは好都合かもしれない。
「神前相撲?初代横綱?じょーとーじゃんか!なんたってこっちには勝利の女神さまがついてるんだからね!」
私を見上げるヒメの目に不安はなかった。
本当に、私に自分の人生を賭けてくれてるんだ……
——大丈夫。できるできる!私なら!
「これは受け売りだけど、得意の勝負で負けたら諦めがつくでしょ?」
「くはははは!この私に!相撲勝負を挑んでくるとは……愚か!」
「だがその意気やよし!いいだろう!相撲で勝負だ!綾小路実秋!」
竹帝が腕を振ると、部屋の中身ががらりと変わっていく。
畳が土に、広げられた部屋の中心に現れたのはちゃんとした土俵だった。その周りには試合を見るための観客席まである。
そして、土俵全体を見下ろせる中央位置に、事主さまを乗せた仰々しい台座が備え付けられている。
あ、あれヒメが異彩喝祭の時に乗せられてたやつだ……神前相撲ってのはそういうことなんだね。
ヒメなんか相撲の審判……行司だっけ?の格好をさせられてるし。用意がいいな。
「わざわざそちらが指定したんだ。相撲は知っているな?」
「土俵の外に出るか、足の裏以外が土俵についたら負けでいいんだよね?」
「他にもあるが……内容を決めるのはお前だ実秋。その二つでいいならそれでいい」
「そして!お前はそれ以外ならなんでもありでいいぞ。術でも武器でもなんでもありだ」
「えっ」
「対するこちらは……この身一つで戦う」
竹帝はそう言うと、婚儀用に着込んでいた服を脱ぎ捨てた!?
その中から現れたのは、大きな胸をサラシで巻いて、下はふんどし姿の女の人だった。
「……帝って女だったのぉ!?」
「そのくだりはもうやったわ!」
さっきも聞いたツッコミが竹帝から入る。確かに女の人っぽい声だなーって思ってたけど……マジで?
慌ててヒメの方を見ると、なんかうんうんと頷いているし。い、いま明かされる衝撃の真実……
あ、あれ?じゃあ神婚って……いや!今は余計なことは考えない!勝負に集中だ!
「なんでもありなら、こっちはこのままの格好で土俵に上がらせてもらうよ?」
「無論だ……実秋。お前は樹霊具を持っているだろう?それを額に当てるんだ」
「……?こ、こう?」
言われた通りに樹霊さんクナイの丸いとこを額に当ててみる。
すると、私の全身から赤色のオーラが噴き出してきた。
「おおおおお!?」
「それが鬼紅練丹の正しい形だ。未熟なお前の鬼紅煉丹を、そいつが肩代わりしてくれる」
「じゅ、樹霊さんっ……!」
私は今、エネルギー出力の調整をしていない。ただ鬼力をまとっている感覚があるだけだ。
なんというか……操作性が段違いだ!すごい!これなら戦闘中にいろいろできそうかも……
今までは維持するだけでいっぱいいっぱいだったから。
ありがとう樹霊さん……ありがとう竹帝。
「というかいいの?こんな敵に塩を送るような真似しちゃって」
「ハッハッハ!塩どころか胸も貸してやるさ」
竹帝はどすんと一発四股を踏むと、軽快におしりを叩いてその両腕を広げた。
ただでさえ私より大きいその姿が、なんだかさらに大きくなったように思える。
ともすれば、間抜けにも思われるさらしとふんどしだけの姿が、今はむしろ神々しさすら感じた。
これが……畏敬の念?
「かかってくるがいい綾小路実秋。今度は前戯ではない————私とお前との、真剣勝負だ!」
* * *
(鬼紅練丹と月の雫を加えた奴の膂力は、私の素の肉体とほぼ互角といったところか……)
実秋の肉体から迸る瑞々しき力の奔流が、それを如実に表している。
これで文字通り奴は土俵に立ったわけだ。むしろ、互角だからこそ丁度いい。
ここで私が下手に力を使って一瞬で勝負がついてしまっては興ざめだからな。
これはまさしく神前相撲にして御前試合。
私は実秋の挑戦を受け止め、その上でねじ伏せる立場にある。
相撲に固辞したあたり、当然私に勝つための策があるのだろう。
背丈を除けば膂力は同じ。あちらは無差別何でもありで、対するこちらはこの身一つ。
その上で魅せるのが、初代横綱としての矜持だ。
「それじゃあ……いくよ?」
「律儀だな。別に不意打ちして来てもかまわんぞ?」
「だめだよ、ちゃんとした試合にしないと……ヒメー!開始の掛け声おねがーい!」
「わ、わかった!」
『お、それじゃあ名乗り上げはこの僕が直々にやってあげようじゃないか』
『……ひがぁ~~しぃのやまぁ~~、タケぇ~ミカぁ~ヅキぃ~~!』
『にしぃ~~のぉたにぃ~~、あやのこうじぃ、さねぇ~~あきぃ~~』
『いざ!見合って見合って見合ってぇ~~……』
実秋は片足を引いて肩を突き出し、その身を低く構えた。
……ふむ、相撲の型ではないな。
姫妃が軍配を上げる。それが下げられた時が、試合開始の合図だ。
どちらにせよ私は動かない。実秋が向かってくるのを、ただ迎え撃つのみ。
「はっけよい————のこったぁ!」
「先手必勝っ!!」
実秋はその体勢のまま、真っすぐ私に向かって飛び込んできた。
(愚直!だが鋭い!さぁ、そこからどう展開する!?)
まだ、まだだ、まだこない……まさか!?
「ロケットタックルだっ!!」
クナイの角を突き刺す気か!?いや!ちゃんと後ろに倒してある!
となると……そのまま押し出すつもりか。
「甘いわぁああああ!!!」
実秋の体当たりを身体で受け止める。
身体が吹っ飛ばないように大地を足裏で掴みこみ、土俵際で持ちこたえる。
なるほど。肩、腕、頭の三点を面とする体当たりか。なかなか理にかなっているな。
狙いも威力も良い一撃だった……が、私は生身で熊の突進を受けたこともある。
「さぁ!これでがっぷりよっつだ!」
「ぐっ!」
私の全身で実秋を包み込む。
その華奢な腰を両手で掴めば、実秋は私の胸の中にうずもれてしまった。
もちろん他意は無い。真面目に相撲を取った結果として、私がおいしい思いをしているだけである。
が、このまま窒息で勝負がついてしまってはおもしろく無い。
「そぉーーおれっ!」
「っ!?」
【奥義・木の葉めくり】。
掴んだ腰から抱き上げて、私はそのままひっくり返すように実秋を天高く投げた。
もちろん、土俵外に向かって。
「っ!樹霊さん!」
実秋が咄嗟にクナイを使う。
地面に墜落するその前に、クナイにまとわせた鬼力を伸ばして土俵に突き刺し……それを縮めて、ゆるりと土俵の中まで戻ってきた。
「ほぉ、器用なマネをする。そして良い判断だ」
「……追撃してこないなんて余裕だね」
「そんなつまらないことをするものか。むしろ、これで終わらなかったことを喜んでさえいる」
「これで私がお前に塩を送った理由がわかったか?例えどれだけ身体を強化しようとも、足元をすくわれてはどうしようもない。これが相撲である」
「せめて膂力だけでも伴わなければ、勝負にもならんのだよ」
「ぐぬぬぬぬぅ……」
さぁ乗ってくるがいい実秋。私が示したこの『勝ち筋』に!
術が使えない私なら、一度ひっくり返せば勝てるとふんで私を投げにこい!
その時がお前の最後……【秘義・天地返し】を魅せてやろうじゃないか!
「ふっ、ふっ、ふー……」
「こないのか?……なら、私の方から抱いてやろう!」
「っ!」
私にとって、土俵とは自分の庭どころか身体の一部である。
どこでどう腕を広げ、どこにどう足を運べば相手を追い詰めれるかなど考えなくてもわかることだ。
じりじりと実秋を土俵際に追い詰める。さぁどうだ?なすすべもなくこのまま私に優しく抱かれるのか?それとも……
「どりゃぁああああ!」
実秋は反撃に出た。
拳に集中した鬼力が、深い藍色に————
零れた輝きが周囲で弾けた。
(これはっ、まさか神性を引き出したのか!?)
その藍に染まった一撃は、確かに私の想像を超えてきた……だが。
————刹那。私が取った行動は、受けではなく『流し』だった。
振りぬく実秋の拳を掴んで、そのまま後ろに流してくれよう!
【流義・河童流し】!
私の手のひらと実秋の拳が触れ合う。
……だが、いつまでたってもその衝撃が響いてこない。なぜか時間がゆっくりと流れている。
(なんだ?これは、この感覚は一体……)
瞑想をした時のように現実の景色が遠のいていく。
私の意識はそのまま白い光に包まれていき————
「……ここは?」
「ここは私の生まれ育った町!潮凪町だよ!」
————私は、実秋と共に見知らぬ土地に立っていた。
…
…
…
「潮凪の海は年がら年中穏やかでね、素潜り漁が盛んなんだよ?特産品はアワビの干物」
「ほぉ、いいじゃないか。アワビは私も好きだぞ。生だがな」
「干物も案外いけるよ?」
実秋に導かれるがままに海岸を歩く。
浜の砂を踏むのは果たしていつぶりだろうか……
「まさか、移世の景色を拝めようとはな」
「入り込んできたのはそっちだけどね。なんか混線しちゃったのかな?」
「さもありなん。神性の輝きとは元来、他者と交わる為のものだからな」
海の反対、砂浜の向こうにはちらちらと石造りの建物が並び立っている。これが移世……こちらとは大違いだ。
「しかし、木が全然生えてないぞ。建物ばかりで自然が感じられないじゃないか」
「ここらへんは住宅地だからねぇ。山とかにいったら自然はあるよ?でも目的地はこっちだから」
「……ほら、ここだよ。これが私の通ってた潮凪小学校」
場面が変わる。私たちの目の前には、周囲の建物よりも一際大きな白い城が聳え立っていた。
実秋は慣れた手つきで、その金属製の門を横に引く。
「実秋、お前は城勤めだったのか?」
「あはは!違うよぉ。ここは教育機関!子どもたちが通ってるんだよ」
「なに……?」
実秋がそう言うと、黄色い土の庭に子供らが現れた。みな、めいめいに駆け回ったり玉を投げつけ合ったりして遊んでいる。
「子は親や共同体が教え導くのではないのか?」
「ここがその共同体みたいなものかな。んー、なんだろ?いかめしく言えば軍隊的な?」
「ふむ、それならわかるぞ。何せ私は軍神でもあるのだからな」
そう言われれば、この広場に備え付けられたいくつかの構造物の説明もつく。
「なるほど。となるとここは軍隊の訓練場のようなものなのか」
「まぁ……うん。そんな感じかな。
————で、私はここで浮いてたんだよね」
遊びながら訓練をしていた子どもたちが消えたかと思うと、別の姿が浮かび上がってくる。
『回れー、右!』
『ハイ!センセイ!』
『そこの組ぃ!遅れているぞ!隊列を乱すな!』
『す、すいません!』
『ハイは一回だ!』
『ハイ!センセイ!』
見たこともない格好をした子どもたちが、指導者らしき大人の言葉に従い規則正しく動いている。
その中で、やけに輪郭のはっきりしている一人の少女だけは、その流れについていけていなかった。
「どんくさかったんだよねー、私」
『お前トロいんだよ!お前のせいでセンセイに怒られたじゃんか!』
場面が変わる。幼い少女が壁に追いやられて、仲間たちに詰められている場面だ。
なるほど、部隊訓練もあるわけだ。そして実秋は仲間たちの足を引っ張っていたと。
「ままある話だな。どれだけ訓練を施そうとも、ヒトを均等にならすことはできない。格差が生まれて『底』が生じるのは世の常だな」
「まぁ、そんなわけで馴染めてなかった私は、一人でいることが多かったんだよね」
視点が変わる。恐らく、あの白い建物の中に。
奇妙な机と椅子が等間隔に並べられた部屋の一角で、一人の少女が物憂げに頬杖をついていた。
「こんな感じでさ」
少女が口を開く。それは実秋だった。
実秋の姿が幼いころに戻っている。
私はいつの間にかその椅子に座っていて、小さな実秋と相対していた。
「でも、こっちの世界に来てからは楽しかったんだ。こんな落ちこぼれの私でも、忍者になれて活躍が出来て……みんなに、認めてもらえたんだよ!」
光景が光の玉となって浮かび上がってくる。実秋の、この世界での記憶の数々が。
思い出の光に照らされて、色褪せていた部屋が輝かしくその色彩を取り戻していく。
「……ズルしたみたいなものだけどね。何もしていないのに、力だけ手に入れたわけだから」
「そう自分を卑下するものではない。月の雫で身体能力は強化されても、身体さばきといった技術は向上する訳ではないのだから」
「そうなの?」
「思うに、お前に本当に必要なものがこちらにあった。お前はこちら側でこそ輝く人材だった……それだけのことだ」
これまでのことを見るに、本当に愚鈍だったわけではあるまい。
ヒトには向き不向きがある。環境が変われば生きていけぬ生命があるように、ところ変われば輝き出す人間もいるだろう。
「……では、なぜその最たる名誉である神婚を拒絶するんだ?話を聞くに、お前はこちらに未練はなさそうだが」
「……ヒメが、帰りたがってる」
いくつかの記憶が光を放つ。
浮かびあがってきた記憶たちの、そのどれもに姫妃がいた。
『ヒメちゃんすごーい!』
部屋に子どもが現れる。隅で小さくなっている実秋と違って、皆に囲まれて輝いている一人の少女が。
なるほど、姫妃は実秋の真逆だったのか。
訓練でも華々しい成果を叩き出し、皆からも慕われている、一線級の中心人物。
「ヒメは私にとっては遠い世界の人だった。そんなヒメに認められて……私は嬉しかったんだよ」
「まるで、物語の主人公になったみたいで……」
「私が主人公なら、お姫様を連れ帰って物語をハッピーエンドに導かなくちゃならない。私は……ヒメの信頼に、応えないとなんだ」
「……」
なるほど理解した。
これは、この空間は……実秋の『未練』なのだ。
未来に向けて清算すべき、現在の名残なのだろう。
「今の姫妃はお前に一目を置いて……そして好いている。例え神婚をしようとも、私の下でお前たちの関係は続いていくんだ」
「そして、姫妃だけでなく実秋。お前もまた、私が幸せにしてみせよう」
「……いいのかな、そんなに恵まれてて」
「こっちに来れたのも、来てからのことも、そしてこれからのことも。私は色んな意味で恵まれてるっていうのに……」
「————そんなことまで願っても、良いのかなぁ?」
実秋は……泣いていた。
私は、このいじらしい娘を抱きしめたくなった。
ここは実秋の迷いが作り出した。さすれば、私はこの娘を輝かしい場所へと導いてやらねばならない。
————私にとっての御言葉さまが、そうであったように。
「いい、それでいいんだ実秋。運命とはそういうものだ。可能性の広がりの行く末は、誰にも制御できない」
「だが、そう全てが運命の流れに身を任せた結果ではないだろう?これまでの道筋で、そして今ここで!私の手を取り共に歩むという選択をするのは、他ならないお前自身なのだから」
「私の手を取れ綾小路実秋!神賭けで強制されるのではなく、自らの意志で!」
「ッ!」
私は実秋に手を差し伸べる。
重要なのは誓約を結ぶことではなく、その精神がどこへ向かうかだ。
「お前がその力を振るう場を求めるなら、私がその舞台を整えよう。お前はいい戦士だ実秋。なんなら、これから私がちゃんとした相撲を教えてやったっていい。神相撲番付にお前の名が載るのも夢じゃない」
俯いて涙をぬぐっていた実秋は、ゆっくりと顔を上げ私を見上げる。
その瞳には光が宿っていた。姫妃のものとは違う、澄んだ意志が。
これだから花は美しい。
燃え盛るように苛烈に咲き誇る花もあれば、このようにひっそりと、だか確実に凛として咲く花もあるのだから。
実秋はゆっくりと私に手を伸ばし……
————そして確かに、神の手を取った。
一瞬、現実の肉体に意識が戻る。その視界には、私の目の前で実秋が空を舞っている姿が映っていた。
勝負あり……だな。
「中々に楽しめたぞ実秋。ここでお前と話せて良かった」
「聞いてくれてありがとう。見てくれてありがとう。私を知ってくれて……手を差し伸べてくれて、ありがとう」
移世の景色が溶けていく。
すべてが白に飲まれていくその中で、私たちは二人、手を結んだまま残された。
「……ねぇタケミカヅキさま。最後に一つだけ、私のお願いを聞いてくれる?」
「ミカでいい」
「えっ」
「これから妻となる相手にそのように呼ばれたのでは、こちらも面映ゆいからな」
「……ふふ、じゃあミカさんに、お願いがあります」
「なんだ?なんでも言ってみろ。妻を幸せにするのは、亭主の務めだからな」
「ありがとう……じゃあ言うね?」
ちょいちょいと手招きをされて、私は腰を曲げ実秋の口元に耳を傾けた。
ここは精神世界だというのに、確かな実秋の吐息を耳に感じて————
「————まわれー、右っ!」
「……は?」
視界が戻る。現実に。
実秋は私の目の前から消えていた。
「は、は?今のは————」
「ひぃ~ざぁ~うぅ~……」
「ッ!?殺気————」
「らぁあああああああ!!!」
膝裏に衝撃が走る。
足が九の字に曲がる。
上体が仰け反る。
私が何かを対応する間もなく————
「あだぁ!?」
私の後頭部が、地面に打ち付けられた。
実秋が私を見下ろしている……バカな。
「さ、さっきのやり取りは……私が見ていた光景は!?」
「私の術!触れた時にかけさせてもらったよ」
「わ、私の手をとったのは!?神婚を受け入れたのは!?」
「この作戦のためだね。この一手がバレないように、結構遠回りしたけど……上手くいってよかった」
「正直賭けだったからね!この作戦が通るかどうかは!」
「……つ、つまり私が見たお前の過去は……お前のオモイは!あそこで語ったことの全てが————」
「————ぜーんぶ私の妄想っ!作り話でした!」
タケミカヅキの問いかけに、実秋は笑顔でブイサインを返す。
そんな彼女に姫妃が飛びつく。その目からキラキラと涙をこぼしながら。
タケミカヅキは呆然と、膝を折った体勢のまま起き上がれないでいた。
『っ~~勝者ぁ!綾小路実秋ぃぃぃぃぃ!!』
事主の高らかな宣言が勝負の終わりを告げる。
どこからともなく、ドコドコと太鼓の音が打ち鳴らされて、神賭けの精算が完了した。
————ここに、祠トリップにまつわる神賭けは終結を迎えたのであった。




