二十四話【落】
「あ゙あ゙あ゙あぁぁぁあああ…………」
現実を受け止めきれないヒメが叫ぶ。その胸の内の全てを吐き出すように。
(死んだ、死んだ?サネが?あれで?
あのまま、地面に落ちて、死んだ?)
(あの時、あの時私がサネの手を掴めていれば……いやそれよりももっと前に……もっともっともっと、なにかなにかなにか————)
(私が。もっとなにかできたはずなのに)
「私はっ……!何を、やって……!」
「もう一人の姫のことは……残念だった。まさかあのような形で散ってしまうとはな」
「ッ!バカなこと言わないでっ!!サネは……サネは生きてる!サネが私を置いて死ぬはずがないっ!!」
「お前……そうか。お前たちは友だったのだな。そう思いたいのも無理はない」
タケミカヅキは憐れむような顔でヒメを見た。そこにはただ、純粋な憐憫が見て取れる。
対するヒメは、今にもタケミカヅキに嚙みつきそうな目で彼女をにらみつけていた。
だが、その眼はとても希望を抱いているようには見えない。
その溢れた感情が頬を伝う。
「私はお前に真摯でありたいと思っている。その上で言わせてもらうが……あいつはもうこの世にはいない」
「うそ、うそよそんなの……」
「私には四方の主神としての権能がある。民草を統べる神として、私は四方に生きとし生ける全ての存在を余すところなく認知できるのだ。そして、それは移世から来たお前たちも例外ではない」
タケミカヅキは再び目を閉じる。それは権能の力によって、生命の、その魂のありかを見ているのだ。
「彼女の灯は、あの時私の化身の足元で儚くも消えたんだ。跡形もなく……な」
「そんな……そんなっ、いやぁ!!」
「御言葉さまめ……魂さえあればどうとでもできたものを。どうして大総に還してしまったんだ」
タケミカヅキが苦々しく顔を歪める。
「カグヤの時もシノノメの時も……全く、我が御神は悪戯にすぎる。あの方は私をおちょくっておられるのだ。……すまないな」
「そんなことっ……どうだっていい……!」
そんなタケミカヅキの謝意などどうでもいいと、ヒメは頭をかきむしった。
今、彼女の脳裏に巡っているのはただ一つの思考だけだった。
「まぁ……お前だけでも助かってよかったよ」
「ッ————!」
それは明確な失言だった。この状況に対しての。そして、今のヒメに対しての。
なんの慰めにもならない神としての放言は、ヒメの最後のスイッチを押し込んだ。
「返せ……返してよ!サネを!私の友達を!」
「————サネをよみがえらせろ!タケミカヅキっ!!」
それは決死の覚悟、不退転の決意。
ヒメの心は今、燃え上がったのだ。
「そ、それは……」
「懇願よ。私からの。嫁にでも神にでもなってやるから、サネを私のところに返して。神様なんでしょ?人の一人や二人、蘇らせなさいよ」
「サネをサネのまま!五体満足で!私の目の前に!私の元に!返して!」
「それができないってんなら……お前を道連れにして私も死んでやる」
「ま、待て待て待て!そう結論を急くな」
それが冗談でも脅しでもないことを、ヒメの目が如実に現わしている。
タケミカヅキもかつて幾度となく相対してきた、確固たる意志による激情の眼光。
ヒメの瞳はまるで赤熱する鋼のように、赤く、どろどろと燻り燃えていた。
「じゃあなに!?無理難題でも吹っ掛けてくる!?いいわよやってみなさいよ!でも私は必ずやり遂げるわ」
「だって、神が求める対価は!実現不可能な事は要求できないんでしょ!?」
「む……」
古き盟約において、神と生命とは対等とされる。
だが、それは全体としての話である。部分的に見れば、神は生命の懇願を一度は受けねばならず、求める対価もその対象が可能なものでなくてはならない。
神は神賭けの場に引きずり出されてしまうと、対象が賭けを取り下げてこない限り、必ず可能な範囲での対価を示す必要があった。
ここに至るまで、タケミカヅキはその態度をもって神賭けそのものを避けてきた。神賭けは懇願する対象が己の意志をもって神に相対しなければ生じえない。
「それじゃあ願いを追加するわね。私のところにサネが帰ってこないなら私も死ぬ!そして、死んだその魂は誰にも触れられないまま、輪廻に還してもらうわ」
「神願不義の場合をあらかじめ盛り込んでおくなど前代未聞だぞ……」
そして、今のヒメは神賭けにおいて最悪の相手であった。
周囲はおろか己の命さえもくべて燃え盛る炎。
それを鎮める術を、神側は持たないのだから。
「願いを叶えられなかったらアンタは死ぬし私も死ぬ!私は誰のものにもなってやるもんですか!」
「わ、わかった!わかったから……そこまでしなくていい!神賭けも受けてやる!」
「こちらの対価はお前との神婚成立だ!それだけでいい。そちらの懇願は、あの姫を蘇らせることでいいんだな?」
「一時的じゃダメよ。恒久的に、元の通りサネがサネの人生を歩めないとダメ」
「無論わかっている……めんどうだからその先の帰還うんぬんは一旦置いておくぞ。今回の神賭けはその二点にのみ焦点を当てる」
「それで問題がないなら……私に名を名乗れ。神賭けを成立させる」
「それじゃあ……可能なのね?」
「やってやれんことはないはずだ。ただし!即座には無理だし、場合によってはお前にも手伝ってもらうことにもなる。それでもいいな?」
「もちろん」
ヒメにはもう、迷いはなかった。
「サネが帰ってくるなら……それでいい」
「……ハッ!全く妬けるじゃないか。それが友を救わんとする者のする表情か?」
「……」
「まっこと美しいものよなぁ————女の情念というものは」
タケミカヅキはその長い指先でヒメの唇を、顎先を、首筋を順に撫でた。
ヒメはそれを、微動だにせず受け入れる。
「奴妻姫妃。私の名前は奴妻姫妃よ」
「よかろう————ここに!竹箕下月の名において!奴妻姫妃との神賭けの成立を宣言する!!」
その叫びに合わせて、どこからともなく太鼓が打ち鳴らされる。
今ここに、神賭けは成立した。
「————さあ!それでは婚儀を始めようではないか!」
タケミカヅキが仰々しく腕を振ると、物一つない殺風景な月の表面に一筋のカーペットが敷かれてゆく。
その左右にはその道を彩る様に種々様々な灯籠が立ち並び、そこを中心として月の大地を埋め尽くすような竹林が生え広がっていく。
それはまさしくヴァージンロード。
あるいは人から神へと至るための解脱の歩み。
そして、その果てには豪華絢爛たる竹帝の館がその姿を露にしていた。
(あれが、あんなのがサネの最後であっていいはずがない)
情念の炎は時として己の身をも焦がす。
彼女が火にくべ燃え上がったのは、果たして友情だけだったのか。
果たしてそれは、誰のためだったのか。
彼女は歩き出す。己の全てを燃やしながら。
一度でも立ち止まってしまうと、このオモイが燃え尽きてしまいそうだったから。
奴妻姫妃は自分への愛が失われるのを許さない。
そしてそれは————逆もまた然りなのだ。
(私がサネを、取り戻す)
どんな手を使ってでも————
必ず。
* * *
『————君はさぁ、もうちょっと後先を考えた方がいいと思うよ』
誰かの声が聞こえる。
誰かが耳元で囁いている。
その鈴のような声はとたんに耳鳴りがするほどの静謐さに塗りつぶされて、かき消えていった。
『オン、ソワカー!』
聞き覚えのある言葉。
聞きなじみのある言葉。
私はそれを、どこで聞いたのか。
私は一体、何をしていたのか。
あたまがぼんやりとしている。どこかから楽しそうな喧騒が聞こえてくる。
私はそのまま白い光の中をぐんぐんと進んで行って————
「————っは!?……ここは?」
目を覚ますと、そこは林の中だった。
「わ、私……生きてる!」
私は確か……宇宙からバンジージャンプ(綱なし)を敢行するなんて無謀をやって、風の勢いで目を開けてらんなくって目をつぶって、それで……
身体を起こす……問題なし。
手をにぎにぎする……大丈夫そうだ。
鬼紅煉丹・全力全身!……でガードしたから無事に着陸できたってことなのかな?
「……あれ?でも気が出ない」
正確には妖力は練れるんだけど、それを外に持ってこれてない。
まさか……また術封じの洞窟みたいな霊場に入っちゃったのかな?
まずい。早く月まで戻んないとなのに……
「ヒメは大丈夫かな————えっ?」
立ち上がろうと地面に手をついて……私はそこにあった"それ"に気が付いた。
それは竹だった。私は今、竹をおしりにひいている。
それには見覚えがあった。私はそれに……いや『この場所』に見覚えがあった。ありすぎた。
だってこれは————
「祠……」
それは祠だった。私たちが祠トリップと名付けた現象を引き起こす、事主さまの祠。
ここは林だった。私たちが肝試しに来て、そのまま異世界に旅立ったときの、合宿場隣に広がる小さな竹林。
「私……え?なんで……どうして!?」
私は今、祠トリップをしたあの場所に立っている。
私はどうやら帰ってきたらしい。あの不思議な異世界から、元いた世界に。
————ヒメを置いて。
一人で。
…
…
…
「待て待て落ち着け……一旦冷静になろう」
何度確認してもここはあの始まりの場所だった。
じめじめと濡れた地面に落ち葉。祠を取り囲む若竹とタケノコ。
やっぱり祠の中には鏡が安置されてたみたいで、私達のボディーアタックにより鏡は無残にも割れてしまっていた。
散らばった鏡は月あかりに照らされてキラキラときらめいている。
私はそれをつまみ上げて……声を呼びかけた。
「お願いします事主さま!私をヒメの所に返してください!このまま……私だけ帰っても意味が無いんです!」
もう私が縋れるのはこれだけだ。
これが事主さまの祠なら。この鏡が事主さまのナニカなら。
繋がるはずだ。届くはずだ。私の声が————
向こうの世界に。
『……んもー五月蝿いなぁ。そう軽々しく僕の名前を呼ぶんじゃないよ』
「!!」
鏡のカケラから声が聞こえる。
ひどく気怠そうな、でも鈴を転がすような可愛らしい声が。
そのカケラに私は映っていない。
鏡は何も反射せずに独りでに光りだした。その白い輝きの向こう側に……歯茎が見える。
それは、私が抱きかかえられそうなミニマムサイズのお月様だった。
その滑らかな表面に、たった一つだけ大きな口が付いている。
そして、そのお月様が口を曲げながらくるくると回っていた。
ま、まさか……
「貴方が……事主さま?」
『あーあー、そうだよそうだともそうだよね普通。この状況でそれ以外に何があるって言うんだい?』
「お、お願いします!私をヒメのところに返してください!」
『……君さあ、もう少し周りの話は聞こうよ。そもそもその前に君は僕に感謝しないといけないんだよ?』
「えっ?」
『君の命を救ったのはこの僕だ。まずは平身低頭、感謝カンゲキ雨アラレって感じでお礼を言うべきなんじゃないのかなぁ』
事主さまはそう言ってくるくるくるくると……ああ!目が回る!
口をへの字にしてるのか笑ってるのか、上下がくるくる入れ替わるからその表情もわかったもんじゃない。
なんか物言いにもとげがあるし、もしかしたら不躾だったのかもしれない。言っていることにも一理あるし。
確かにお礼はちゃんとしないとね。
「あの、助けていただいてありがとうございます!前に崖から落ちた時に助けてくれたのも事主さまなんですよね?重ね重ねありがとうございます」
『……さぁてねー、そっちについては身に覚えがないなぁ』
「あ、あれ?そうなんですか?」
『僕はそんな、ずっと一人の人間を四六時中眺めているような暇神じゃないんでねー』
そ、そうなんだ。てっきりあれも事主さまが助けてくれたんだと思ってたんだけど……わかんなくなってきた。
モミジさんが言うには神道術っていう神さま系統の術だったって話だけど、じゃああれはなんだったんだ?
『まぁそんなことはどっちでもいいじゃんか。それよりも僕ぁ、君にもう一言ぐらい言っときたいことがあるんだけどいいかな?聞いてくれる?』
「あ、はい。なんでしょうか?」
『うんうん素直なのはいいことだよ——僕はね、君があんっな高いところから落ちてくるもんだからこっちに飛ばすしかなくなっちゃったわけなんだよ。せっかく君らをこっちに連れてこれたっていうのにさ。普通友達を助けるにしてももうちょっと策を練ってから実行しない?それか二人で一緒に落ちてくるとかサァ。そもそもあの状況でお姫様を月に向かって投げたら自分が大地に真っ逆さまになるってちょっとは考えなかったわけ?勇敢なことはいいことだけれどそれで死んじゃったら元も子もないっていうかそこんところどう思ってるのかを君に聞いてみたかったってわけなんだけどもどうなのどうなのさどういうことなんだい?』
め……めっちゃまくし立ててくるじゃん!耳の痛い言葉を!
なんか思ってた以上に饒舌だなこの神!
「ご、ごもっともな意見だと思います……」
『だろうねだろうね。……ま、これに懲りたら冒険はこれっきりにして、そっちで穏やかに暮らすといいさ』
「はい、そうしま……ん?」
『そんじゃ元気でね~、ばいならほい~』
「ちょっ、ちょちょちょ!待ってください!」
言いたいことだけ言い捨てて、なんか無理やり話終わらせようとしてる!?
全然こっちの話は終わってないんですけど!
『んもー、なんだよなんだよ。もう十分に楽しんだんだろ?異世界せ・い・か・つ!……ってやつをサァ。じゃあもういいじゃん』
「ひ、ヒメがまだ……ヒメはいまどうなってるんですか!?私はヒメを置いたまま帰るわけにはいかないんです!」
『……』
このままおちおちと日常に帰るわけにはいかない、いかないのだ。
私はまだ、ヒメに答えを返せてないんだから……
それを聞いた事主さまは口を閉じて……一瞬、ニヤリと笑ったような気がした。
それはそのままくるりと回ってへの字に変わる。
『ヒメぇ?ヒメって誰のこと?』
「えっ」
『おかしいなぁ変だなぁ。僕は君しか向こうに飛ばしてないんだけど……さっきから一体、誰の話をしてるんだい?』
事主さまはそう言った。表情なんて全くないのに、至極真面目くさった『口』をしながら。
ヒメがいない?そんなわけ……じゃあ今までのは……全部、私の妄想だった————?
『……プッ』
事主さまが唇をとがらせて吹き出す。
『アヒャははは!もう!こんなしょうもない噓を信じるなよぉ』
「え……ええっ!?」
『素直なのはいいことだけどサァ、それは時として愚かだよ実秋。そして僕の最初の言葉に繋がるってわけだ』
『君はもうちょっと後先を考えた方がいいと思うよー』
な……なんかよくわかんないけどからかわれたってことだけはわかる!
っ……ふー。でも事主さまの言うとおりだ。
私は今、焦ってる。
焦っては事を仕損じるともいうし、地に足つけてちゃんと現状を把握しないといけない。
「事主さま。私と一緒に向こうにいたもう一人の姫は……奴妻姫妃はどうなっていますか?」
『……それを聞いて君はどうするわけ?』
「どんな状況だろうと私の答えは変わりません!私はヒメをこっちに帰してあげるために行動します!」
『ふぅ~ん……君のだーいすきなヒメちゃんは今頃ミカとよろしくやってるさ。仲良くにゃんにゃん神婚生活だよ』
『つまり、これはもう君には関係のない話で、君の出る幕じゃないってことサ』
『君の冒険は終わったんだよ実秋。無事に元の世界に帰れてちゃんちゃん!ここで物語はお終いってわけだ』
「そんな……そんなのっ!」
納得できるはずがない!
————なんで?
なんで、私はこんなに……
「じゃ、じゃあ神賭けをしましょう!私と神賭けをしてください事主さま!」
『神賭けぇ?ふんだ。僕にそれを受ける義務はないね!』
「えっ?ど、どうして……だって!」
『古き盟約に縛られているのはこっちの世界でのは・な・し!そっちにいる君の懇願を、僕は受けなくてもいいのさ!』
「ええ!?そうなの!?」
そんな、最後の頼みの綱が……
どうする、どうするどうするどうするどうする————
『どうせ一夜の胡蝶の夢さ。この素敵な思い出を抱きしめて……そのまま健やかに生きるといい』
私が何かいい案を思いつくその前に。
私の思考をぶった切るみたいに。
私の未練を、諦めさせるように。
『じゃあね実秋。君は見ていて面白かったよ』
今までで一番優しい声色で、事主さまはそう言った。
「事主さま!お願い待って!お願いします!待って————」
カケラの輝きが消えうせる。後に残ったのは、じっとりとした嫌な空気だけだった。
キリキリとどこかで虫が鳴いている。
竹林の隙間を冷たい秋風が吹き抜けて、私の身体を震わせた。
夢。
そう、あれは私の泡沫の夢だったんだ。
……そうやって思った方が、精神衛生上いいのかもしれない。
そうやっていつもみたいに諦めたら————
諦められたら良かったのに。
……いや良くない。そんなのちっとも良くない!
「なんでかなんて、そんなの決まってる」
私は見つけてしまったから。自分の宝物を。
『不思議』だけあってもダメなんだ。異世界が存在してても、物語が目の前に、空想が現実になったとしても!
それを共有できる友達がいないと……
オモイを分かち合える親友がいないと!
……ヒメがいないと、意味が無いんだ。
私はもう、その喜びを知ってしまったから。
確かにここで終わらせることだってできる。むしろ、現実なんてそんなもんだろう。
劇的な幕引きなんてありえない。
最高のフィナーレなんてやってこない。
それでも……
『ええ!?このお話ここで終わり?お姫様は?二人はこの後どうなったの?』
『さてねぇ、ここから先のお話はわからないんだよ。物語のその先ってことだね』
『ううう~、そんなのってないよ!』
『ふふ、実ちゃんは続きが気になるんだねぇ。そいじゃ、私と一緒にこの先を考えようか』
『……!うんっ!するする!』
『私が二人をハッピーエンドにしてあげるんだから!』
————だから全部、私のわがままだ。
そうだとも。答えが何であろうと私のやることは変わらない!
「私がヒメを……取り戻すんだ!」
私達の祠トリップを!二人の物語を、ちゃんと終わらせるために!
「そうと決まれば向こうに行く手段を探さないとなんだけど……」
シノノメさんの話から、もしかするとまだ無事な祠がこの世界のどこかに残っているかもしれない。
とりあえずここら一帯の秘境を探してみよう。まだ人の手が入ってないようなそんな領域だ。
私は勢い良く空に飛び上がろうとして————
「あだぁ!?」
地面からちょっとだけ浮いたものの、私はそのまま地面に倒れ込んだ。いちち……
「バフが……そりゃそっか」
私の身体能力は元に戻っていた。
もちろん鬼紅煉丹も使えない。今の私は、くノ一のコスプレをしたただの綾小路実秋だ。
「こんなんじゃ日が暮れちゃう!」
まずい。『忍者』の私なら祠を探すのもわけないと思ってたのに……
普通の人間が山を探すのにどれだけ時間がかかるというのか。
そんなの、考えなくたってわかることだ。
「い、いや!へこたれてる場合じゃない!いま出来ることを……考えるんだ」
私は目の前のタケノコを支えに、なんとか地面から起き上がろうとそれを掴んで————
『ピ!』
「……ん?」
タケノコが鳴いた気がした。……気のせいか?
「いやいや、そんなわけ……」
『ピピピピィ~!』
なんかこのタケノコ、動いてる気がする。もっと言えば、左右に脚が生えてるような……
『ピ!』
「————の、ノコたろう!?なんでここに!?」
『ぴぃ~!』
ノコたろう……いや、竹氏だっけ?見た目がほぼ一緒だから判別できないけど、明らかな不思議存在が私の目の前にいた。
その子は私の顔に寄ってくると、すりすりとその身体で頬擦りをしてくる。タケノコのガサふさした皮がこすれてちょっと痛い。
「……君は私と追いかけっこしたノコたろうであってる?」
『ピ!ピピ!』
どうやら私の言葉はわかるらしい。
ノコたろうは前屈みになりながら、その先端をブンブンと勢い良く揺らしていた。
これ、多分頷いてるんだよね?ヘドバンしてるんじゃなくて……
「なんで……いや、そういや最初祠トリップした時も竹氏がいたっけか」
『ピピ~!』
ノコたろうはとことこ走って向こうへ行くと、振り返ってはまたブンブンとヘドバンをしだす。
こっちについてこいってこと……?
私はノコたろうに導かれるままに、竹林の奥へと進んでいく。
『ピ!ピ!』
なんか童話みたいだ。ちょっとワクワクする。
ノコたろうがわざわざ私の目の前に現れたのにはきっと意味があるはずだ。私は、この掴んだ藁を離さないようにしないと……
「……あれ?」
おかしい。この林って、そもそもこんなに広くないはずなんだけど……歩けども歩けども竹の中。
そもそも、肝試しに使われるぐらいなんだから迷うなんてことはないはずで……
……ん?肝試し?
(そういや、ユメカネコンビが言ってたのって————)
…
……
………
「ねーねー、アッキーは知ってる?林間学校の肝試しの話!」
「それはもちろん知ってるけど……それがどうしたの?」
「じゃあ肝試しのこんな噂についてはどうだ?……いつも肝試しに使われてる石の祠の裏には、謎の名前がたくさんの彫られてるんだけど……」
「その中に自分の名前が彫られてるのを見つけてしまった奴は————二度と!その林から帰ることが出来なくなるのだぁ~!!」
「きゃぁ~!こわぁい!」
「あー、そうやって私をビビらせようたってそうはいかないよ。色んな怖い話を味わってきた私にとって、肝試しなんてのは昼下がりのコーヒーブレイクについてきたお茶請けみたいなもんなんだから」
「おおー!アッキーかっくいー!」
「お、言ったな実秋~?それじゃあ実秋がビビるかどうかを賭けの対象にして————」
………
……
…
「……石のほこら?」
肝試しの目印は、あの祠じゃない?じゃあ、私たちが祠トリップしたあれは一体……
いや、そもそも私が歩いてるこの林は!?
「……ここは裏側なんだ。世界に隠された秘密の場所。あっちとこっちの境目なんだ」
あの時、多分私たちは目印を探して林をウロウロとしているうちに、この領域に迷い込んだんだろう。
あのお城の迷路みたいな感じで……もしかすると、何らかの手順を踏んだのかもしれない。
「ここはまだ"あっち側"と繋がってる。でもどうやって向こうに行けばいいんだろう……」
『ピピ!』
「ん?どうしたの……あ!」
ノコたろうが案内してくれたその先で、私たちは開けた場所にでた。
そこは竹林が円形に切り抜かれたような場所で……その中心には一本の大きな樹が生えている。
それは大きな大きな……ってデカすぎる!
なにこれ!?こんなの重要文化財はおろか、世界遺産に認定されるレベルだよ!?
というか、その樹は文字通り天を突き抜けて伸びていた。常識的に考えてありえない。
周りに生えてる竹も鬱蒼と高く伸びているのに、それがまるでそこらの雑草みたく見えるほどにその樹はでかい。
余裕で雲も突き抜けてる。ところどころ太い枝が横に伸びてるけど、樹の頂点部分の葉っぱはここからじゃまるで見えない。
幹もビルみたいにふっといし、うねった根の隙間が洞窟みたいに暗くその口を広げていた。
『ピ!』
そして、その幹には壁画のような絵が大きく彫り込まれている。
おお……なんか雰囲気あるね。
「これを私に見せたかったの?」
『ぴぴぃ~』
ノコたろうがこっちこっちと言わんばかりに樹の周りを走っていく。
私はそれについていきながら、その絵を順番に眺めていった。
樹の前面に刻まれていたのは四つの絵だ。
この樹の……根の部分かな?に入っていって、その中を転がり落ちていくと……これはなんだろう?湖かな?——に放り出されるっていう絵だ。
その最後には落ちて来たであろう穴に向かって、手を伸ばしている人の絵が描かれている。
……なんかちょっと怖い壁画だな。根の下に落ちたらもう帰れないってこと?だから気を付けろとかそういう感じの意味なのかな。
『ピ~!』
そしてもう一方、樹の裏面に書かれた四つの絵が、ノコたろうが私に見せたがったものらしい。
人を表すだろう棒人間が……小さい丸?これはなんだろうか——を連れながら、この樹をよじ登っている。そして、その人は枝の先にたどり着くと……
「そこから飛び降りて光に包まれる!?それで——」
登る絵、枝の絵、飛び降りる絵。そして……喜ぶ絵。
樹に彫り込まれた人は連れていた小さな丸と、もう一人の誰かと一緒に両手を上げて喜びあっている。
みんなにっこり笑顔だ。目は描かれていないけど、口だけがそうだと分かるようにはっきりと描かれている。
そして、そんな彼らの後ろには————あの時、私が宙の中で見下ろした四方の大地が描かれていた。
というかよくよく見ると、その周りが宇宙みたいな感じで描かれてる。これって向こうの地球の絵?だとするとこの人たちが立っているのは……
「もしかして月ってこと!?あっちの世界の……」
月、月……小さな月!?
この丸は事主さまだ!なんでこいつにも笑顔が掛かれてるのかと思ったら!そういうことか!
師範が言ってたことと、ついさっき鏡の向こうで垣間見えた特徴と一致する。
『ピピィ!』
「ノコたろう?」
ノコたろうはそこで二つ三つと屈伸すると……そのままパタパタと走り出した!
そして、樹の表面を垂直に駆け上がっていき——そのままポトリと地面に落ちる。
『ぴぃ~……』
ノコたろうは満足そうに私の足元に戻ってきた。
このノコたろうの意図、そしてこの絵の意味を考えると……
「この樹から飛べば向こうの世界に行けるってこと?」
『ピ!ピ!』
ノコたろうがこれまでで一番の勢いでぶんぶんとヘドバンをする。
そ、そんなことが!?
高い所から落ちるのが条件ってこと!?……い、いや、でもそれだともっと異世界転移者が増えそうなものだし……
場所が重要とか?それとも高度の問題?詳しいことは分からない。
でも、少なくとも私の目の前に光明が差し込んできたことだけは確かだ。
「ノコたろう~!ありがとっ!」
『ぴぃ~!』
私はノコたろうを抱きしめて頬ずりする。この子はまさに導きの妖精さんだ、幸運の女神だ!オスメスわかんないけど。
よし!後は実践あるのみ!
『ピ!ピ!』
「え?ノコたろうもついて来たいの?」
『ぴぃ~』
私が早速登ろうとすると、ノコたろうに引き留められる。
そういやこの子がノコたろうってことは向こうに居たはずだ。どうやってこっちに来たんだろう?
もしかして、わざわざ私にこれを教えるために来てくれたのかな?それで来たはいいものの、ノコたろうも帰れなくなったと。
……カワイイ奴め。向こうに戻れたら何かお礼をしてあげないとな。
「ノコたろう、私の肩に乗れる?」
『ピ!』
ノコたろうはぴょいんと軽快に飛び上がって、私の肩に両足をかけた。肩車スタイルだね。
「落ちないように気をつけてね!」
『ピピッ!』
私は意気揚々と樹に手をかけて……いざ、木登りだ!
「よいしょー!」
お化けを通り越した巨大な樹皮は、その表面のひび割れもとんでもないサイズになってる。
手も足もかけれるところは山のようにあるから登るの自体は問題なさそうだけど……
上に手をかけ身体を持ち上げ、そして気づく。
そういや私、普通の人間に戻ったんだっけか。
「……この状態でここを登るの?」
少なくとも、一番低い枝ですら山よりも高そうに見えた。
——でもやる。
やらないときっと、後悔するから。
「っふー!」
身体を隙間に預けて、頬を叩いて気合を入れなおす。
がんばれ私、負けるな私!
私は次のとっかかりに足をかけて安定を確かめて、もはやあみだくじみたいになっている樹の表面を——
ゆっくりと、登り始めた。
* * *
「ふぅー……ノコたろうって意外とあったかいんだね」
『ぴぃ?』
私は人ひとり分の隙間で身を休めながら、ノコたろうを抱きしめる。
ようやく半分ぐらいだろうか?地上部分の色が薄くなって見えなくなってきた。
登り始めてどのくらい経ったんだろうか?時間の感覚もあいまいになってきた。
登って、休んで、登って、休む。
一歩一歩、少しずつでも確実に。落ちたら一巻の終わりだから。
なんというか、ちっちゃい虫になった気分だ。
高度が上がってきたせいか気温が下がって空気も薄くなってきたような気がする。幸いなのが、この忍装束にかけられた術の効果は残ってたってことだ。
これが無かったら、手がかじかんで登れなかったかもしれない。凍傷とか高山病?とかも危なかったかも。
いたるところに休憩できるスぺースがあったのも助かったね。この隙間だけでも一体何人が住めるんだか……下手なツリーハウスよりもハウスしてるよ。
「よし!行くよノコたろう!」
『ぴぃ~!』
ノコたろうを肩に乗せて登頂を再開する。
あんまり下を見ないように。
もしまかりまちがって落ちたらと思うと……ゾッとする。
「これっ……バカなことっ、やってんのかなぁ……!」
事主さまの忠言も無視して、私は今まさに危険を冒している。
でも、もう一回この林に帰ってこれるとも限らなかったし……引くという選択肢はどのみちなかったと思う。
私に示されたのは……諦めるか進むかだった。
「がんばれ……がんばれ私」
気弱になってきたときは妖力を練る。妖力は内なる気の力。外に出せなくても、きっとなにかの足しになると信じて。
瞑想して妖力練って深呼吸。そうすれば不思議と心が落ち着いてくる。
それに妖力を練る過程で私の意志も確認できた。
私はヒメを連れ帰る、私はヒメを連れ帰る……
それだけをただ一心に念じて。
————思えば、私は今まで一度だって何かを本気でやったことがなかったのかもしれない。
諦めて、流されて、そのままズルズルと予熱で生きてきた。
多分……あそこでそのまま帰ってたら、きっと今回のこともそれなりに受け入れて、そのまま生きていけたと思う。
私は、そういう人間なんだ。
でもそうはなりたくなかった。諦めたくなかった。
私はヒメに……火をつけてもらったんだ。
だからこの火を絶やさずに——生きていきたいんだよ。
『こら!実秋!君は今なにしてるんだ!?』
そんな私の脳内に突然響き渡る事主さまの声。
これって魂結び?……いや、胸元に忍ばせた鏡のカケラで事主さまと繋がったのか。
『なーんかこの鏡から妖力を感じると思ったら……君でしょ!?妖力込めてるの!まだ諦めてなかったんだ』
私は諦めませんよ事主さま!そっちに行く方法だってわかったんですから!
『はぁ?何言って……あっ!?もしかしてアレ見つけたのか!?』
あの絵に描かれてたのって事主さまですよね?
その反応を見るに、やっぱりあの絵は本当なんですね!
『待て待て待て待て……まさか君、登ろうとしてるんじゃないだろうな?』
今中腹を超えたところです!
『バカぁーーー!なぁにをやってるんだ君はぁ!?!?』
うおっ!?声が頭に響く……
『いや下に行かなかっただけまだマシか?……ってちがーうっ!さっき僕が言ったばっかじゃないか!勇敢と無謀をはき違えるなってさぁ!』
『君がそんな危険を侵す必要が一体全体どこにある!?空ばっかり見てないで地に足つけて現実を見るんだ!』
確かに……こんなリスクを私が取る必要はどこにもないのかもしれない。ヒメは何だかんだ上手くやって、ひょっこり帰ってくるかもしれないし。
『そうそう、そうだよ』
それに、よしんば神賭けがうまくいかなくても……竹帝は悪い神じゃなかった。ちゃんとヒメのことだって大事にしてくれるだろうし。
『うんうん、よくわかってるじゃないか』
最初はいやいやの結婚でも、長い時間を過ごしていけばもしかしたらヒメだって————
……いや、変に言い訳を並べるのはやめよう。
『んなっ!?』
いま、この胸の中にあるこのオモイこそが、私を動かす原動力なんだ!
御託も理屈もどうだっていい。
「私はぁ!私とヒメの物語をこんな形で終わらせたくないっ!」
「私はヒメに……これからも一緒に居てほしいんだっ!!」
この、焦がれるようなオモイのままに。
私が歩くこの先の道のりに。
その側に、傍に、隣に——
ヒメが、居て欲しいんだよ。
『綾小路さん……今日は広場に集合ね』
こっそり耳打ちされて。靴箱に手紙をいれられて、あるいは直接堂々と。
失ってから初めて気づいた。
そんなヒメとの毎日が……二人で過ごしたあの日々が。二人で勝負した、あの毎日が。
私の日常は、もうヒメのおかげで輝いていたんだということに。
「その先で別れが待っていようとも!そうじゃないにしても!
こんな形で終わりだなんて……私が納得できない!」
『くっ……じゃあはっきり言うぞ!君のその挑戦は必ず失敗する!このまま枝先から飛び降りたって、門を開く力がなけりゃこっちにはこれない!』
『そしてその月鏡はもう割れちゃってるからその力もない!残念だったね!門を開くには月か竹の力が必要なのさ!だからそんなところからはさっさと降りて————』
「……よかった。じゃあやっぱり手順はあってるんだね。それなら問題ないよ」
『はぁ?何を言って……』
『ぴきぃ?』
さっきからぶつぶつと独り言を言い出した私を心配して、ノコたろうが顔を覗かせる。
今の話が本当なら多分、ノコたろうが鍵だ。
『あ゙ー!?!?竹氏の子ども!?なんでここに!?』
『ピ!ピ!』
『なに?恩返しの為についてきたぁ!?ダメだろそんなことしちゃ!盟約はどうなってるんだ盟約はっ!』
事主さまのこの焦りようを見るに、やっぱりこれはイレギュラーなことらしい。
そして、ノコたろうが付いてきたがったのはやっぱりそういうことだったんだ。なんて賢いんだこの子は。
私は、それはもう色んな人に助けられてここにいる。ヒメのことだけじゃない。
そんなみんなにも……ちゃんとお礼がしたい。
「お礼は大事だからね。だから、私はみんなに恩を返しに行かないとなんだ」
『い、いや……でもでもそれでも失敗する可能性はゼロじゃないんだぞ!?そもそもこれは僕が月鏡と筒道を作る前の原始的なやり方で——』
「ゼロじゃないなら!不可能じゃないなら!やる価値はありますよね!」
『なんでそうなる?!』
私たちはようやく一番最初の枝に辿り着く。
もし失敗すれば私は今度こそお陀仏だ。
最初崖から落ちた時は奇跡的に助かった。でも、もうそんな奇跡はおきやしない。
「ふっ、ふっ、フー……」
それでも、ここで怖気付くようじゃ話にならない。
だって私は、【武者転ばせ】のサネなんだから。
忍者という自覚がいつだって私に勇気をくれる。
そして、ヒメの親友だという事実がそのエネルギーになるんだ。
『君はさぁ……はぁ、その威勢の良さは誰に似たんだか』
事主さまが諦めたように呟く。
私はあの時みたいにクラウチングポーズをとっね……そのまま枝の先までダッシュだ!
長い長い、この滑走路を!
「あいっ、きゃ〜〜ん————」
走る、走る!風の如く!
向こうほどスピードが出なくても、それでも全力で!
私が目指すその先に、遮る物も何もない満点の星空が広がっている。
私はその中へ飛び込むように————樹の枝を、思いっきり蹴り上げた!
「ふらぁあああいッ!」
『ピキー!』
『こうなりゃやけだー!絶対成功させる!』
私の跳躍に合わせて、いつもの太鼓がドンドコと鳴り響きだした!
そして、それと同時に私の全身がぼんやりと光りだす。
落ちる、落ちる!全身に風を受けながら!
落ちれば落ちるほどにどんどんとスピードも上がっていって、私を包む光も強くなっていく!
『祠を開く瞬間を間違えるなよノコたろう!!』
『ピ!』
なんだかんだ事主さまも協力してくれてるし……薄々思ってたけど、この神も優しいよね。
私の御礼参りリストに入れとかないとな。
『今だぁ!開け!』
『ピキーーーー!!』
私の腕の中で二人が叫ぶ。
その私たちの遥か下方に、光が集まって祠が作り出されていく。なんだそりゃ!?
「力が必要ってそういう事ぉ!?」
『飛び込め実秋!あの祠の中へ!』
竹で作られた祠の扉がひとりでに開かれる。その中には、まばゆいほどの白い光がぐるぐると渦巻いていた。
「いっけぇーーー!」
まるで吸い込まれるみたいに。
私たちはそこへと落ち込んだ。
オン、ソワカー!
いつもの祝詞がどこかから聞えてくる。
『これ、ズレてたら死んでたんだからな——』
サラッと恐ろしいことを言う事主さまの声が静寂に塗りつぶされていく。
私の意識はそのまま白い光に包まれていき————
「……っは!?」
気がつくと、私は白い筒の中にいた。




