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二十三話【翔】


「月が……落ちて来てる!?」


帝の竹巨人に近づくにつれて、私は空の異常に気がついた。

いつの間にか無くなっていた黒雲の向こうに広がる夜空が、巨大な月に覆いつくされている。

なんか夜にしては明るいと思ってたら……スーパームーンなんて目じゃないよ。


しかも、それは普通の月じゃなかった。


初めてまじまじと見たこの世界の月には、クレーターとかが全くない。まるで鏡のようにつるりとした表面が、青白い光にぼんやりと照らされている。


「これも竹帝の仕業ってこと……?」


どっちかと言えば事主さま案件っぽいけど……でも竹帝の名前にも『月』が入ってるんだよなぁ。この二柱の神様にはなにか繋がりがあるのかもしれない。


帝の化身はあの船を差し出した格好のまま、まんじりともせず微動だにしていなかった。

正直、これで攻め込まれたらやばかったからありがたいんだけど……急に動き出さないよね?


「ハァ!鬼紅煉丹・全身薄め!」


私は足に集中させていた鬼力を全身に伸ばした。だんだんこの術にも慣れてきたね。

イメージは蛇口をちょっとだけ捻る感じだ。出てくるエネルギーが少しずつなら、全身から出力してもバランス調整がやりやすい。


「とう!」


そして少しだけでも効果はテキメンだ。気功術による強化はどうやらバフと重なるらしく、鬼紅煉丹によって私の身体能力はさらなる飛躍を得た。

ただでさえ超人的だった(とはいえこっちの人達はデフォルトでそのぐらいの身体能力はあったけど……)我が力(パゥワ)は、これにより前人未到の領域へと突入する!


地面を蹴って巨人の膝へ飛びつく。三階建てぐらいはあろうその高さも難なくだ。

私はそのまま握力にまかせて、しゃかしゃかと巨人を登っていく。ちょっと絵面が悪いけれど……ヒメの為に恥も外聞もあったもんじゃない。


最短最速!このまま巨人を這って登るっ!


『————待て、待つんだもう一人の姫よ』


そんな私の頭の中に突如として鳴り響く凛とした声。

この声……まさか帝!?私の脳内に直接!?


『化身を身一つで登るのは危険だ。そこで大人しく待っていろ。いま迎えを出す』


魂結びみたいな感じなんだろうか?今私がこの巨人に触れてるから、それを通して通信を?


……これはチャンスだ!


「竹帝!……さま!ヒメは無事なんだろう……ですか!?」

『こら!登るのを止めないか!……もう一人の姫なら無事だとも。貝燕の子安翼に包まれれば、外からの影響を一切受けなくなる。我が花君には傷一つない』

「そっかぁ、よかった……」

『私もこのような強引なやり方は本意ではないのだ。万一お前たちに何かあったらと思うとな』


あれ……?なんか思ったよりも優しいな。

もっと良いではないか~ってぞんざいな扱いされるのかと思ってたんだけど。


別に、悪い神(ヒト)じゃないのかな?


「ねぇ竹帝さん。帝はなんで私たちと結婚したいの?」

『む?一体何故その様な事を気にするのか』

「そりゃこっちからしてみれば唐突だからね」


『そもそも何故お前たちはそのように神婚を嫌がる?神に召し上げられることは民草にとっての僥倖。私に愛でられ喜ばぬ花はいないというのに……』

「私たちはあっちの世界に帰りたいんだよ。神様になりたいわけでもないしね。それと、結婚相手は自分で決めたいってヒメが言ってたよ!」

『まるでカグヤのようなことを言う……わからんな。そこらの者より私の方が劣っていることなどあるわけがないのに』


おおー!さすがは帝。何というか自信満々だ。

うーん、でもどうだろうか?ヒメとはあんまり相性が良いとは言えなさそうだけど。

……そういや私、ヒメのタイプとか知らないや。また聞いとかないと。


『それでお前たちを求める理由だったな……話してやるから一旦そこで止まれ!』

「ちぇ、ばれたか」


雑談しながら登り切ってやろうと思ったのに。

しょうがない。ここで一旦休憩しようかな。


私は巨人の腰あたりにできているちょっとしたでっぱりに腰かけた。いつのまにやらかなり高いところまで来てたみたいで、そこからは城周りの全景を一望できる。

月に照らされる林とお城の風景はなかなかに趣深いね。こんな状況じゃなかったらもっと楽しめたのになぁ。ヒメもいないし。


『うむ、それでいい。……私は花が好きなのだよ。花という花を愛しているといってもいい』

「お花……?」

『植物の方じゃないぞ。いいか?民草には二種類が存在する。美しく可憐な花々と、それ以外だ』

「あぁ〜なるほど……つまり帝は女好きってことだ!」

『そのような誹りを受けるのにはもう慣れている。別に間違いでもないしな』


お、潔い。まぁそれが加点になることは無いんだけども。

ヒメの、というか大抵の女の子のお相手として、その一点だけで落第もいいところだよ。


「でも、それだと別に異世界の姫に限定する必要ないじゃん。こっちにもきれいなお花はいっぱい咲いてるよ?……みんなが帝と結婚したいかどうかは置いといて」

『そんなことはわかっている。が、私にも色々とあるのだ。古き盟約にがんじがらめにされているせいでな!』


『私は直接花を摘みにいけないのだ。どころか、触れ合い愛でる事すらできない!こういう機会でしか、四方に降臨することもままならないのだ』

『そんな永きにわたる孤独な月での生活に、心を癒してくれる生涯の伴侶を求めるのはそんなに悪いことか?私は己の側に、麗しい花が咲いていて欲しいだけなのだ』

「うーん……」


そう言われるとちょっとかわいそうな気もする。永遠を過ごす神生活の中で、ずっと一人ぼっちってのは寂しそうだ。

帝は一緒に居てくれる人が欲しかったんだね。


……まぁ、だからといって無理やり結婚しようとするのはどうかと思うけど。


『それに……自分の庭に咲かない花ならなおさら手に入れたいとは思わないか?』

「んー……んんっ?!」


あれ?なんか雲行きが怪しく……


『お前たちにその自覚はないだろうが、あちらの花たちはこちらの者々とは明確に異なるのだ!私はずっと、移世(うつりよ)の花を一度でいいから抱きたいと思っていたのだよ!これが私がお前たちを求める最たる理由だっ!』


言い切ったー!?言い切っちゃったよこの神さま!ごりごりの下心じゃん!


『しかも姫が二人ときてるのだぞ!?これぞ両手に花じゃないか!今からお前たちとのめくるめく花々しき生活のことを考えるだけでも……おお!たまらんな!』

「それっ、じゃあやっぱ誰でもいいってことじゃんかぁ!そんなの真摯じゃないよ!」

『む……そうとも言えるが、私としては逆だ』


『私は花たちを分け隔てなく!そして深く!愛し愛でてきた。何でもいいというよりはどれも好きというわけだな』

『その上で、移世の花君はより魅力的に映るというだけの話なんだが……』

「変わんないけどね!こっちからしてみれば!なんの加点にもなんないよそれ!」


なんというか……いや、わかりやすくていいんだけどね?逆に断ることに罪悪感も感じなくていいし。

それはそれとして……ヒメは怒りそうだなぁ、これ聞いたら。

まぁ、でもこれで私のスタンスもはっきりした。


「そんな人に!……じゃなくて、そんな神さまに!私の親友はやれないね!!」

『ほぉ……あくまで拒むのか。私の差し伸べる手を』

『私の寵愛を拒絶し、カグヤのように、あちらに帰る為にこの私に神賭けを挑んでくると。そういうことだな?』


帝の声の雰囲気が変わる。


『——よかろう!多少トゲがある花も愛いというもの!』

「えっ!じゃあ神賭け受けてくれるの?」

『神賭けはしない!……こんなもの、私にとっては賭けにもならない児戯に等しいのだからな』


『さりとて!聞き分けのない娘をしつけてやるのも亭主としての務め!契りの前の余興として、お前とじゃれてやろうじゃないかっ!』

「!!」


巨人が揺れる。パキパキとその身体が割れていって、いくつもの足場が迫り出してきた。

そして、そのいたるところからあの竹の兵隊が生み出されていく。


「なんかアスレチックみたいになったぁ!?」

『神婚前だが存分にかわいがってやろうではないか!————この程度で手折れてくれるなよ?我が待望の花君よっ!』


* * *


サネの『登頂!竹帝化身クライミング』は次なるステージにへと進出した。


お邪魔要因【破竹兵】の投入である。


タケミカヅキの作り出した心を持たぬ傀儡たちは、たった一つの命令を遂行するためにサネに襲い掛かった。


「おりゃおりゃおりゃおりゃー!」


対するサネは徒手空拳、それも手刀で破竹兵たちを叩き割っていく。

破竹兵はその名の通り、割れた竹材が寄り集まってできたものである。

それは気功術によって強化されたサネの敵ではない。ゲームの雑魚敵よろしく、サネは群がる破竹兵たちをちぎっては投げていった。


————ただし、それは一時的な話である。


「くっ!キリがない!」


破壊はできども滅ぼしはできず。

手刀によって砕かれた破竹兵は、しばらくすると再び組みあがりサネへと襲い掛かるのだ。

壊せども壊せども立ち上がる無限の兵隊。

これが、今もなお城からの増援が届かぬ理由でもあった。


破竹兵を倒しきる手段は二つ。


その形を保っている繋がりそのものを断ち切るか、もしくは炎で焼き尽くすかである。


そして、そのどちらの手段もサネは持ち合わせていなかった。


「とうとうとうとうとぉりゃーーー!」


結果ジリ貧!千日手!

サネの順調だった登頂は、ここに来て致命的な足止めを喰らっていた。

代わりに増えていく被弾、被弾、被弾!

……だが!


(なんなのこいつら、さっきから全然……)


破竹兵は標準装備である竹槍を装備していなかった。

それも当然である。破竹兵に与えられた指令は、『花君を武装解除し無傷で連れてくること』。


そのために破竹兵が用いるとある術が、サネの被弾した部分の衣服を弾けさせていた。

それは攻撃というにはあまりにもささやか。


————異なる二つの力はその均衡が保てないときには反発し、そのエネルギーは衝撃となって弾ける。これを【力場干衝】という。

破竹兵の武装解除術は人体には影響を及ぼさず、その身につけた対象物に対してのみ効力を発揮する。

それがサネの忍装束にかかっている術と相克し……結果!服と破竹兵の手が力場干衝により物理的に弾けていくのだ。


気功術を見にまとうサネに大した衝撃は伝わらない。

その代わり、既にサネの忍装束はところどころが破けていた。

今にサネの格好はダメージ加工を通り越し、あられもない姿になることは請け合いである。


そして、こうなることはもちろんタケミカヅキの手のひらの上であった。


『ほらほらどうしたぁ!このままでは忍から生娘に戻ってしまうぞ!』

「むっ!なんかわかんないけどなめられてる気がする!」


あらゆる手段を取りうるなかで、わざわざこのような回りくどい手段を選んだそのわけは————


(花君が私の手によって剥かれていく様を眺めつつ、その戦意も手段も取り上げる……全くなんと完璧な作戦なことか!)


————間違いなく、タケミカヅキのスケベ心からであった。


タケミカヅキはわざわざ化身の体を操作し、サネが戦いやすいように大きな足場をいくつも作ってやった。

破竹兵は空を飛べるので、これは完全にサネに対する配慮である。

今や化身の体はサネのためのオンステージとなり、タケミカヅキはその模様を破竹兵の視点から眺めているのだ!


(完全に遊ばれてる!でも直接攻撃してこないのはありがたい!)


これはお互いの(というよりサネの)、心を折る戦いである。故に、命はおろか神賭けですらない——まさしく『余興(おあそび)』なのだ。


「痛くも痒くもないなら正面突破だ!」


サネは破竹兵を無視することにした。進路を阻む奴だけを、もはや体当たりでバラバラにしていく。

おあつらえ向きに取り付けられた階段を登り、次の段へ。


「うっ……もう!ワラワラいすぎでしょ!」


もちろん次の段にも破竹兵は勢揃いだ。

サネがヒメの元にたどり着くためには、この残り四つの段を登りきり、肩の橋を渡って二の腕滑り台を下り、前腕の長い道を駆け抜ける必要があった。

そうして初めて、ヒメのいる手のひらに到達することができる。


そしてもちろん、その過程でサネが裸に剥かれたその後にも、タケミカヅキの卑劣な二の矢三の矢が待ち受けていた。


(こっちが向こうのペースに乗せられてる……このままじゃダメだ)


幾度となくヒメと勝負(おあそび)をし、そしてそのすべてを下してきたサネの勝負勘がそう告げる。


(なにかもっといいやり方が……帝の裏をかく一手が必要なんだけど……あ!)


サネが何かに気づく。その目は、真っ直ぐにヒメの待つ手のひらを見据えていた。


「最短、最速……真っ直ぐに!」

『むっ!?』


サネの右手に鬼力が集中する。

それは、あの鉢を破壊した輝きの一撃。

サネはそれを……破竹兵ではなく、この化身に向けた。


「これは空に立ち昇る龍の一撃————

昇ッ!りゅう!けぇーーんッッッ!」


回転しながら飛び上がるサネの強烈なアッパーが、タケミカヅキが作り上げた足場を容易くぶち破る。

そして、それは一度では収まらない。


「昇◯拳!◯龍拳!しょおおおりゅうううけぇええええんんん!!」

『んなぁ!?床を壊して順路を無視するだとぉ!?』

「いちいち付き合ってらんないね!現実はゲームよりも奇なり!」


「石をも砕く我が拳ッ!竹を貫けぬ訳もなしッ!!」


サネは宣言通り、『真っ直ぐ』胴のステージを突破した。


『だ、だが次の部分はそうもいかないぞ!肩部分の橋は入り組んだ迷路になっているのだ!』

「ふふふ……果たして本当にそうかな?」

『なにっ』


サネは既に先を見据えていた。

その視線は次に待ち受ける肩迷路ではなく、己のゴールを見ている。

……すなわち、化身の手のひらを。


サネは足場の端まで移動すると、クラウチングポーズをとった。


「言ったでしょ?まともに付き合う気はないって!」

『ま、まて!何をする気だっ!』

「うぉおおおおお!」


サネは走り出した。そしてそのまま全力で加速していき——


「あい!きゃん!ふらぁああああああい!」

『あっ、おいちょっとまて馬鹿————!』


サネは飛んだ。ゴールを目掛けて。手のひらを目指して。

それはまさしく最短最速のショートカット。

一見、首元から手のひらまではそれほど距離があるようには思えない。それに高さもある。


だが、それは縮尺が通常の場合の話だ。


巨大な化身の体において、その距離はただ一度の跳躍では到底届かないほどの距離があった。


『お、落ちっ——』


タケミカヅキは反射的に化身の左手を動かす。だがこの巨体、動かすのにも時間がかかる。当然間に合わない。

その驚異的なジャンプも虚しく、サネはなすすべもなく地面へと墜落を開始する……その前に。


「おりゃ」

『——!?』


サネはわらわらと群がっていた破竹兵を足蹴にした。そして、それを反動にして再び飛び上がる!

破竹兵を踏み台にサネは空を翔ける。


『私の破竹兵を足場にするだとぉ!?』

「ショートカットはアスレチックコースの醍醐味だよねっ!」


「私はただ咲いているだけの生娘じゃないよ!立派な和賀の忍び————【武者転ばし】のサネだっ!」


サネの脳裏には、『流石駆け』においてアスレチックをショートカットした左衛門の姿が思い出されていた。


「とぉおおおりゃーああ!!!」

『キー!?』


二度目の跳躍で姿勢を整えたサネは、手のひらで残りの貴公子を待っていた貝燕に向かって蹴りを放つ。


その鋭い一撃が貝燕の子安翼を蹴り砕く。

翼に挟まれていたヒメがこぼれ落ちる。サネはそれを華麗にキャッチした。

いつものように、お姫様だっこで。


「ヒメ!助けにきたよ!」


————綾小路実秋、『登頂!竹帝化身クライミング』

クリアタイム:16分40秒————


* * *


気がつくと私はサネに抱っこされていた。何を言っているのかはわかるし、何をされたのかもなんとなくわかった。

あの貝の羽に挟まれている間は時間が止まるらしい。とんだぶっ壊れ性能じゃないの。サネがぶっ壊しちゃったけど。


『キィ!キィィィ!』

「ご、ごめんよ。まさか割れるとは思わなくってぇ……」


そんな私をかっこよく助け出してくれたヒーローは、なんだかしまらない顔で燕に謝っている。


『貝燕!翼ならまた私が後で直してやる!……まさか、私が用意した道を進まぬとはな。随分と無茶をしてくれる』

「いやぁ、おあつらえ向きに兵隊がいっぱいいたから、こっちが裏ルートかなって!」


よくよく見ると、サネの服はいたるところが破けていた。相当な激しい戦いを経て私のところまで助けに来てくれたらしい。傷らしい傷が一つもないのが幸いだ、


……くそう、ちょっとキュンキュンするじゃんか。どんだけ私からイニシアチブを奪っていくつもりなんだサネは!


「ちょっと待ってねヒメ————むん!鬼紅煉丹・両手刀!」

『あっ、お前っ!』


私をそっと降ろしたサネは、両手に赤色のオーラを纏って金色の船をバラバラにした。なにそれ!?


「ちょっと見ない間にバトル漫画みたいな技覚えてる!?」

「えへへ!師範直伝だよ!」

『あぁぁ、なんてことを……私が手ずから作った宙船がっ!』

「……え?手作りだったの?」

『当たり前だ!そこらの者に作らせた船にお前たちを乗せれるわけがないだろう!?設計から細部の装飾にいたるまでの全てが私の技だ!』

「あ、あ~……なんかごめんね?」


この頭の中で聞こえてるのが帝の声だとして……なーんか随分と仲良くなってない?この私を差し置いて。


「——というか帝は私たちの敵でしょうが!なにのんきに雑談してんのよっ!」

「あ、そっか。そういやそうだったね……やいやい!これで私たちを連れていく手段はなくなったよ!どうする?大人しくお縄につくんだ!」

「お縄じゃなくて神賭けね神賭け。捕まえてどうすんのよ」

『お前たちに捕らわれるというのはそれはそれで魅力的な提案だが……』

「ほら!なんか乗り気になっちゃってるじゃないのよ!」


『……んだが!これで手段が尽きたとは笑止千万!』

「な、なにっ!?」


タケミカヅキがそう言うと、私たちが立っている手のひらの端からニョキニョキと竹が生えてきた。

隙間なく生えてきたその竹は内向きにしなりながら、頂点でくっついて私たちを閉じ込める。いっちょ前に檻ってわけ?


「こ、こんなものっ……」

『からの右手発射だっ!』

「きゃ!?」

「うおっとぉ!?」


竹の檻が揺れる。

まるで地響きのような音を立てながら、私たちに下方向へのGが加わってきた……もしかしてこれごと飛んでるってこと!?


『残念だったなぁ!このまま私の所まで来てもらうぞ!』

「し、神婚の条件はどうなったのさ!船が大事なんじゃないの!?」

『何をいう!この化身は私という神を乗せる船だ!そして、その一部に乗っているお前たちもまたその船に一緒に搭乗しているという事になる!』

「そ、そんな解釈アリなのぉ!?」


『もうこの船は遥かなる高みに到達した!月にたどり着くまで大人しくしておくんだな!はぁーっはっはぁ!』


こいつっ……勝ち誇りやがって!

今日び聞かないレベルの高笑いだ。

というかなるほど、神婚をするにもどうやら色んな条件が必要らしい。ならまだ状況はイーブンだ。


「うう~、ヒメごめん……」

「なんでサネが謝るのよ。こうやって助けに来てくれたじゃない。ここから先は私の出番よ!」


直接対決は望むところだ。結局のところ、こっちは神婚を盾に神賭けをしないと話にならないのだから。

ステージが月になってもそこは変わらない。


「……って、月に私たちが行っても大丈夫なの?!その、空気とか……」

『それなら無問題だ。私の手によって月は生命が活動できるように環境を整えてあるのでな』

「あ、そう。それならいいんだけど」

『……』

「……」


それきり会話は終わった。

いやなんか喋りなさいよ。気まずそうにしてんじゃないわよ。アンタ私たちを嫁にもらうんじゃなかったわけ?もっと言うこととかあるでしょうに。


あの燕さんもなんか居心地悪そうに自分の胸元をずっとつついてるし……


「ねぇねぇ!もうここって宇宙空間なんだよね?

じゃあ私外見たい!」


とかなんとか考えてたら、空気の読めないサネがそんなことを言い出した。この子はまたそんなこと言って……


「サネ?遠足じゃないんだから……」

『まぁそのぐらいならいいぞ』

「いやいいんかいっ!」


『手とかは出すなよ。この外に出てしまうと術の効果は切れるんだからな』

「はーい!」


竹船の一部がパキパキと割れて、四角い小さな窓ができる。

その向こうには、本当に宇宙が広がっていた。

そして、そんな星一つない真っ暗な宙を埋め尽くしている————青と緑。


「すごい!すごいよヒメ!地球はホントに青かったんだ!」

「地球じゃないけどね。……いや、地球ではあるのか?そこんところどうなわけ?」

『む、チキュウとはなんだ?』

「あー、はいはいそういう感じね」


異世界も宇宙方面は全然らしい。そもそも太陽と月以外の星はあるのかって感じだし。

こんなすごい術があるなら宇宙開発だってやりやすそうなもんだけど……いまはどうでもいいか。


「ほら!四方の大地が一望できるよ!こんな形だったんだ……どこが良之国だろう?」

「こうやってみると全然地形が違うわね。ここって本当に異世界だったんだ……」

「お、まだタイムスリップ説も可能性として考えてたんだ?」

「一応ね」


『……この四方の形は遥かな太古よりこのままだ。それは、かつての神々が降り立ち闊歩した姿をそのまま残したと言われている』


お?なんか語りだしたぞ。


「あ!それって昔は全部の大陸が一つだったとかそういう話?パンゲア大陸みたいな!」

『そちらがどうなっているのかは知らん。だが……この四方は、というよりもこの隔裏世(かくりよ)は、当時の移世を写し取って創られたのだ。そして遥かな時を経た今でもその姿は保たれている』


『この世も大地も民草も。そのままでいい。かつての神々が愛した、美しき姿のままで。変わらぬままで————』


『————私が月(ここ)から"見上げる"、このままでな』


タケミカヅキはしんみりとそういった。そのトーンに反してその言葉には確かな芯があった。

なんとなく窓の外を見れば、そこには美しい緑の星が青々と輝いている。

私たちの地球よりも明らかに緑が多い、その木々に彩られた大地の形はまるで……三日月みたいだった。


ふわふわ浮ついてるだけの神(やつ)かと思ってたけれど……なるほど、治世には一家言あるってことね。


「んー、それには同意できるけど……それはそれとして?」

『移世の姫は抱きたい!!それとこれとは話は別だっ!』


……前言撤回。とんだ浮気ヤローじゃないの。


「性帝、ケダモノ、女の敵、下半神、タケノコ野郎……」

『お、思いつく限りの罵倒で攻め立ててくるな!というか最後のは罵倒なのか!?』

「タケノコみたいににょきにょき伸ばしてるじゃないの。鼻の下も股の下も」

『乙女の口から出ていい台詞じゃないぞ!それは!』

「ねぇねぇ!この世界がむこうを基にしたってことはさ!もしかしてあっちにも————」


サネが目を輝かせて何かを聞こうとしたその時。

突然がくんと竹船が揺れた。


「なに?隕石でも当たった?」

『今のは外装を取り外した揺れだ……む、まずいな。船の温度が上がっている』

「え?私たちは全然感じないけど……」

『それはお前たちが船の術に守られているからだ。やはり急造の船では層の力に耐えきれんのか…?』


え゙、なんか不穏なこと言い出したぞコイツ。


「あ!それ知ってるよ。成層圏に突入したら摩擦で火が付くんだよね?宇宙船とか隕石とかって」

「違うわよサネ。成層圏じゃなくて大気圏ね。それと、摩擦熱じゃなくて空気が圧縮されるから熱が発生するの。落下や突入する時に機体前面の空気が圧縮されてね」

「へ?そうなの?」

『ほぉ、あれはそういう原理だったのか……ってのんきに話している場合ではない!このままでは月面に着陸する前に火が付くぞ!』


何を言ってるんだコイツは。そんなのは火を見るよりも明らかじゃないか。


「いや、そりゃそうよね。だって竹の船なんだから。金属製ならともかく…」

『こうならないようにあの宙船は特別な竹で作ってたんだ!それをコイツが壊したから!』

「ええ!?」


『この化身は火に弱いっ!竹が燃え尽きると術も消えてしまう!!今は表面を新しい竹で覆いまくって何とかしているが……このままだと宙の真ん中で瓦解するぞ!』

「な、なんだってぇー!?」

「やばいじゃないの!?どどど、どうすんの!?」


思った以上の緊急事態じゃない!そんなやばいならアラートの一つでもつけてなさいよ!

なにかなにかと周りを見渡してみても、この狭い船の中には二人と一匹以外には何もない。

私たちは無力だ。


『貝燕!二人を包んで私の所まで来い!』

『キィー!?』


無茶ぶりされた燕さんはブンブンと首を降る。あ、そういえば……


『なんだとぉ!?飛べない!?』

「あぁ!私が羽を壊しちゃったから!」

『何ィー!?なにをやってるんだ!』

「そもそもその辺の算段が合ったから手ごと飛ばしたんじゃないの!?なにやってんのよ!」

『くそっ!私の計画も対策もことごとく狂わせやがって……こいつは疫病神か何かか!?』

「いやそもそもアンタが私たちと無理やり結婚しようとしたのが事の発端でしょうが!サネはなにも悪くないっ!」

「二人とも言い合ってる場合じゃないよ!?船がもう————」


バキリ


「「『あ』」」

『キィーーー!?』


船は瓦解した。運の悪いことに、ちょうど私のそばから。


「さ、サネ————」


ものすごい力で私の身体が穴に吸い込まれていく。

サネが手を伸ばしてくれるけど、私はその手を掴めなかった。


「ヒメぇーー!————」


私を叫び呼ぶサネの声が突然途切れる。

そして包まれる唐突な無音、静寂。


(宇宙空間に投げ出されたんだ!だから声が、音が……)


空気が、ない。息ができない!

多分、この仰々しい着物のおかげで身体は大丈夫みたいだけど……このままじゃ死ぬ。


私は一瞬で状況を把握して……そして絶望した。私がここから自力で助かる術(すべ)はない。


せめてもの抵抗で宙をかいてみるけど……だめだ。宇宙にはそれで推力を得られるナニカすらないんだから。

私が助かるにはデブリなりなんなりで軌道を変えるしかない。この服にもぐり込めば、もしかしたら成層圏に突入しても無事かもしれない。地面に衝突しても生き残れるかもしれない。


(でも、そもそもその前に酸欠で————)


あの時、洞窟で落ちた時のような、死が目の前から迫ってくるのとはまた違う感覚。

ゆっくり真綿で首を締められているような、背後から死が忍び寄ってくるような……そんな恐怖と孤独感。


私の身体は寒くもないのに震え出した。震えが止まらない。

何もない何もない、ここには私だけ。どこまでいっても独りぼっちだ。

微かな物音すらない本当の意味での無音に脳が震える。鼓膜が怯える。

うるさいくらいの耳鳴りと早打つ鼓動だけが、私に生きている実感をくれた。でも、それもどんどんと弱くなっていっている。


やばい、やばいやばい!意識が朦朧としてきた。

嫌だ……こんなところで死ぬの?こんな寂しいところで、一人で————


死にたくない。


前の時よりも考える余裕があった。考えてしまえる余裕があってしまった。

死を目前にした脳がめぐるましく回っていく。

ぐるぐると。

光景が、音楽が、思い出が、思考が、ぐるぐるグルグルと。


お母さん、お父さん、チャッピー、みんな……サネ。

帰りたい。帰りたい帰りたい、帰りたいよ。

みんなのところに……

サネのところに。


サネは無事だろうか。最後に見た時は船の残骸に掴まれてたから、そのまま月に降りられてるといいな。

……ああ、それもこれも全部、私が帰りたいなんて言ったせいなんだろうか?

ああ、こんなことになるなら、全部受け入れていればよかった。


あの時、監督の提示した条件を。

あの時、彼女が差し出した誘いの手を。

あの時、そのまま異彩喝祭で神婚を。


わがままを言ったバチが当たったんだろうか?欲をかいた罰なんだろうか?

あの時も、あの時もあの時もあの時も。


『ヒメ、助けに来たよ!』


サネがいつだって助けに来てくれたらから、私は……

そうやってずっと、何度でも。

何度だっていつだって私のことを、ずっとずっと————


助けに来てほしいって

隣に居ててほしいって

私を見てて欲しいって

私を愛して欲しいって————そう想っちゃったから?


(ああ、最低だ私……)


サネの人生が続いていくことよりも、そこに自分がいないことの方が————


いやだ。

しにたく、ない————


(……?)


曖昧な意識の中で、私は真っ暗な宙の向こうから何かが迫って来るのを見た。

あれは赤い……流星?ちがう……


それはサネだった。

手に抱えたなけなしのパーツを蹴って方向を調整しながら、赤い光をまとって私の所へ。

これは私の脳みそが見せた幻覚なんだろうか?私の願望が見えているんだろうか?


ああ、そうに違いない。だって————


「「————」」


サネは私を抱き寄せてキスをした。

サネの唇は私のと違って、ひんやりと冷たい。


ああ、こんなにロマンチックなことはない。これは夢だ。幸せな空想だ。私の、最初で最後の————


————初めてのキスは、宙の中でだった。


「ふー!」

「ッ!?!?」


繋がる口と口を通して息が送り込まれてくる。夢心地から一転して、私は現実に引き戻された。

多少なりとも酸素が供給されて、ぼんやりとしていた思考がハッキリとしてくる。


い、いま私、何を考えて————


『大丈夫だからねヒメ!下で竹帝が受け止めてくれるから!』


頭の中にサネの声が聞こえてくる。それは幻聴でも幻覚でもなかった。

サネの冷え切った手が火照った私から熱を奪う。

それでも手と手は、確かに繋がれていた。


『……だから、もうちょっと頑張って!』


サネはそのままぐるりと回って……私を月に向かってブン投げた。


『サネ————!』


サネが私からどんどんと離れていく。


(サネ、サネも一緒に……)


サネを掴もうとした手が空を切る。ただ、私の手には喪失感だけが残された。

回る、回る、ぐるぐると。

月と星とが交互にやってきては去ってゆく。

突然身体にGがかかる。何かに引き寄せられるように、無重力の浮遊感が落下に変わった。

限界が近い。また意識が遠のいていく。

ぐるぐるぐるぐるしていて気持が悪いから、私は思わず目をギュッとつぶって————


「ハァ!」


ふわりと。身体が楽になった。


「はぁー!はー、はー……」


い、息ができる。生きている。私は、生きてる!


「さ、サネ……」


辛うじて絞り出した声はひどいもんだった。震える瞼をどうにか開いて、ぼやけた焦点を合わせると————


……私をお姫様抱っこしていたのは、サネじゃなかった。


それは目が覚めるような青い、竹を思わせる緑色の長髪。


「えほ、えほ……バ、バネさん?どうしてここに……」

「む、ツクバネか。あの子は私が人間だったころの血族の末裔、似ているのも無理はない」

「み、帝?……って、女だったの!?」


ふらふらしていた思考がようやく定まってくる。私は今、推定竹帝に抱きかかえられて空に浮かんでいた。

サラシに巻かれた二つの双丘の片割れが、私の顔に押し当てられている。

え、え?どういうこと?


「私が女なのがそんなに意外か?そう案ずるな。伸ばそうと思えば股の下も伸ばせる。そんなことよりもあの花君だ!」


そう……そうだ、そうだとも!

サネ、サネはどこに……


「くそ!化身との接続を切ったのは間違いだった!私では間に合わん!」


————うろたえるヒメをよそに、タケミカヅキが叫ぶ。現状、彼女に取れる手段は限られていた。

サネはヒメと時を同じくして成層圏に突入し、今もなお速度を上げて落下中だ。

地上の化身に再接続するのも、それを動かしてサネを受け止めるのも、どちらも時間がかかりすぎる。


それは、偏に物理的な距離の問題だった。


「箕鉢!龍殊!宝枝!誰でもいい!そいつを受け止めて————」


故に、タケミカヅキは己の眷属に命ずる。

空から落ちてくる花君を受け止めよと。


タケミカヅキは知らない。己の眷属たちが皆、揃いもそろって紅夜叉に抑え込まれていることなど。


それはまるで定めだった。まるでこうなることがあらかじめ決まっていたかのように。一つ一つの積み重ねが、サネの選択のその全てが、ここに至るように導かれたかのように。


『ちゃぁ~……』


最後の貴公子である火鼠は、空から落ちてくるサネを見届けた。

まるで、それが正しいことであるかのように————


「ッ……」


虚空を見つめていたタケミカヅキの身体がびくりと震える。

タケミカヅキはそのまま地面にヒメを降ろすと……腕を組んで一つ、ため息を吐いた。


「ど、どうなったの!?サネは!?大丈夫なの!?」

「……月の雫を授かっているとはいえ、この高さから落ちてしまえばひとたまりもない」

「は……へ?」


タケミカヅキは一度瞑目して……あきらめたように首を振った。

その意味を悟ったヒメが愕然とする。


「ね、ねぇ……うそ、噓でしょ……?」

「……」

「な、なんとか言いなさいよ!ねぇ!お願いだから!ねぇ!!」


「アンタ帝なんでしょ!?神さまなんでしょ!?だったら!だったら……」


————ヒメのすがるような問いかけに、タケミカヅキは答えない。

ただ、口惜しそうに歯噛みをするだけだった。


月の空には今も煌々とした四方の大地が広がっている。


だが、この不思議な風景を一番喜びそうなサネは、ここには居ない。

————もう、この四方の、どこにもいないのだ。


「そんなっ、そんなわけが————」


突如として訪れた親友との別れに、ヒメはただ、呆然とへたりこむほかなかった。


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