十九話【火】
『お二人ともご無事でなによりです。まさか霊場に潜むだなんてサネさんも大胆ですねぇ』
その狐はよくよく見ると、黒じゃなくて紺色の毛皮をしていた。紺色狐でコンギツネだ。尻尾の先は白いけど。
「あの~、私たちに何か用ですか?」
『あ、あれ?なんでそんなに警戒されてるんですか?』
「いやなんでもなにも、急に見知らぬ狐に話しかけられたらそうもなるというか……」
『ええ!?サネさん私ですよ私!忘れちゃったんですかっ』
コンギツネはまるで人間みたいに前足をばたばたとばたつかせながら、今日び聞かない騙し文句を言ってくる。……くそ、カワイイな。
正直、喋る狐には興味津々なんだけど……流石の私もそこに飛びついていくほどのんきじゃあない。
それこそ、狐に化かされた話なんてのは山を超えて星のようにあるんだから。
いつでもヒメを抱きかかえて逃げられるようにしとかないと。
『あ、そういえばサネさんには"こっち"の姿はお見せしてませんでしたね』
「こっちの姿?」
『一寸待ってくださいね……』
コンギツネはそう言って前足を浮かすと、まるで印を結ぶかのように二つの肉球を重ね合わせた。
まさか!あれはもしかしてニンニンのポーズ!?
『————カタユキコンコン!』
唱えられた祝詞に合わせてコンギツネの全身を煙がぼわんと包み込む!
ま、まさかこれは……!
「どわぁー!?誰よこの痴女!?なんなのこの痴女!?」
「変化の術だ!変化の術だよヒメっ!」
晴れた煙の中から現れたのは、私たちよりも頭一つ分背の高いすらりとした美人だ。
その美人さんは腕を組んで胸を隠しながら、困ったようにやんわりと笑っている。
「もう!サネさん私ですよ私、コンシロゥです」
「って、え?コンシロウってまさか……」
「コンさん!?」
「はい!お久しぶりですね」
その銀色に輝くショートヘアには確かに見覚えがあった。
なーんか聞き覚えのある声だと思ってた!こうやって改めて肉声を聞いてみれば、確かにコンさんの声だ。
「ほえー、まさかコンさんが変化術の使い手だったとは……いつもつけてるお面が無いから一瞬気が付かなかったよ」
「ふむ、なるほどその手がありましたね。"本体"で活動する時はつけてないので失念してました」
んん?その言い方だと本体が狐になるんだけど……そういうこと?!だから狐のお面だったんだ!
「ココン!」
コンさんは徐にその辺の木の葉を頭に乗せると、今度はキチンと指を立てて印を結ぶ。
これまたぼわんと煙が木の葉を包めばアラ不思議!その中からいつもの白い狐面が現れた。
「すごーい!ホントに木の葉で変化させるんだっ」
「ふふ、別に木の葉じゃなくてもいいんですけど、葉っぱを使うのは古くからの慣例なのです」
「あ!じゃあじゃあ火ってだせるんですか?狐火ってやつ!」
「もちろんだせますよー!コンコン!」
「うわぁー!すごいすごい!妖狐だ!コンさんは妖狐だったんだよヒメっ」
「……」
コンさんが出した紫色の炎に盛り上がっていると、ヒメは顔を赤くしながらわなわなしていた。
どうしたんだろう?別に人見知りするってタイプでもないだろうに……火が怖かったのかな?
「ヒメ、この人がコンさんだよ。ほら前にお団子弁当作ってくれた人……いやキツネ?」
「そ、それは知ってるけど……」
「どちらでも構いませんよサネさん。お初にお目にかかります姫様。私は【白面】のコンシロゥ、サネさんとは同じ里の忍ですからご安心してくださいな」
「それはっ……大丈夫!それはいいからっ……!」
「「?」」
「————仮面出す前にまずは服を着ろぉーーーー!!」
「「あっ」」
話に盛り上がりすぎて気づいてなかったけど、今のコンさんは文字通りの一糸まとわぬ姿だった。そりゃそうだ。狐の時には服なんて着てなかったんだから。
それに耐えかねたヒメの切実な叫びが、惑いの林にこだまする。
「わざわざ探してたってことは多分大事な話があるのよね!?でもこのままじゃ裸が気になって何一つ話が入ってこないの!」
「おお、これはとんだ失礼を……」
「なるほど、確かに裸のままだと虫とか気になっちゃうもんね。流石ヒメは気が利くなぁ」
「——あんたはもうちょっと別んとこを気にしなさいっ!」
「あだぁー!?」
私が感心してそう言うと、ヒメの鋭いツッコミがスパンと火を吹いた。
ほ、本心でほめてたんだけどなぁ……解せぬ。
* * *
————和賀の里の中を、何かが飛び交っている。
屋根から屋根に、室内から室外に、あるいは里に入り乱れる道から道へと。
それらの影が交差するたび、カンカンと木材同士がぶつかり合うような甲高い音が鳴り響く。
ある時は一度、またある時は幾度となく。
そうやってお互いにお互いを"打ち合って"いる二つの影は、一際大きな音を立てて交差した後、里外れの修練所へと降り立った。
「————また腕をあげたねぇ、モミジや」
「ババ様……これでも考えは変わりませんか?」
「はぁ、変わらないねぇ。あたしゃはサネを助けるのは反対だよ」
「どうしてっ……!」
それは和賀忍が二人、モミジとクレナイだった。
なおも動じぬクレナイの頑なな姿勢に、モミジが気色ばむ。
「サネはもう立派な忍だよ。あの子の行動はあの子の責任だ」
「サネは大切なボクたちの仲間だ!どうしてそんなに冷たくできるんだ!?」
「あたしゃにしてみりゃ、熱くなってるのはアンタのほうだよモミジ」
「————あの子は、アオちゃんじゃないんだよ」
「ッ!……そんなことはっ、わかってるよ!」
モミジの全身から赤いオーラが立ち昇る。
この一子相伝の気功術こそが彼女たちを【紅夜叉】たらしめる要因である。
「それでもボクはっ……サネの味方をするよ」
「そうかい。全く、聞き分けの悪い子だねぇ……」
「————言ってもダメなら、久方振りに叱りつけてやらないとね」
悠然と、後ろで手を組みただ立っているだけのクレナイからも赤いオーラが噴出する。
それは荒々しく揺らぐモミジのものとは
異なり、静かに、そして硬く研ぎ澄まされていた。
行き場を失ったエネルギーが天に向かって鋭く伸びる。それはまさしく鬼が角の様であり、この術を納めた者が【紅夜叉】と呼ばれる所以でもある。
赤く、紅く、燃え上がるような二人が修練所にて相対す。
実力の差は明白。だが、それでもモミジは一歩も引く気はない。
「このっ!ばあちゃんのぉ!わからず屋ぁーーー!!!」
モミジは踏み込む。己のオモイを木刀に乗せて。
刹那の一瞬、モミジの鋭い一閃とクレナイの苦無が激しくぶつかり合う————
「ストップ!ストーップ!二人ともちょっと待ってぇ!!」
————その前に、二人の間に割って入ったのは深い藍色を思わせる黒髪の少女。
あの暗い封牢で身につけた、直接触れずに魂結びを発動する妙技。
それを使って、すんでの所でサネは二人の動きを止めたのだった。
「不肖!綾小路実秋っ!お恥ずかしながら戻ってまいりましたぁ!だからっ」
「————私の為に争わないでっ!」
「いや、アンタそれが言いたかっただけでしょーがっ!空気読みなさい!」
「あうっ……」
スパンと小気味のいい音が修練所に響く。その二人の気の抜けるようなやり取りに、戦いで張りつめていた空気が弛緩していった。
「~~っ!サネっ!無事で良かったぁ!」
「おぶっ」
先程まで殺気立っていたことも忘れて、モミジはサネに抱き着いた。その弟子のあんまりな姿にクレナイが苦笑いする。
「はぁ、全く死合の最中に背中を見せるなんて……サネや、おかえり」
「あ、はい!ババ様ただいまです!」
「——そしてぇ!こちらにおわす方こそ、異彩喝祭の姫君にして、私と同じ異世界からやってきた同郷の同胞!奴妻姫妃ことヒメちゃんです!」
「あー、ど、どうも……」
サネの何とも言えない紹介にヒメが苦笑いする。
そんなヒメをじっと見つめたクレナイは————
「……はぁ、とりあえずお茶にでもしようかね。話はそれからだよ」
「あ、そう言うと思って私、お団子持ってきましたよ」
「……」
いつの間にかお団子の皿を持って立っているコンシロゥに、クレナイは一つ、深くため息をついた。
…
…
…
「「「……」」」
「どうですか姫さま。このお茶っ葉も私が作ったんですよ?」
「え、凄いですね……あ、おいしい」
「ふふふ、お口にあって良かったです」
うーん……居心地が悪い!
私に気を使ってくれている(というかこの空気に気づいてない?)コンさんはともかく、他の三人は全然喋んなくなった。
全員まんじりともせずお団子をむちゃむちゃと食べ続けてるのは端から見ればシュールな光景だ。
とりあえずサネの為に動きたい師範さんと、それに反対のおばあちゃん。そして間を取り持とうとしてるサネって感じか。
「あの……ババ様ごめんなさい。任務を途中で放りだしちゃって」
「理由が理由だからねぇ。そこは不問にするさ。サネも里のみんなに迷惑をかけるつもりはなかったんだろう?」
「はい……」
ギスギスしてる二人を見かねたサネが動く。
さっきの今だけれど、おばあちゃんの主張はよくわかる。むしろ、お咎めなしで手打ちにしてくれるのがありがたいぐらいだ。
サネもちゃんと謝れて偉い。
「ボクは謝る必要はないと思うけどね。サネの選択は立派だよ。むしろ、だからこそボクらも手を貸してあげるべきだし、サネにも頼って欲しかった」
「師範……」
対する師範さんは大分熱血だ。
話を聞く限り、つくづくサネを拾ってくれたのがこの人で良かった。じゃないと私たちはここまで来れてないだろうし。
「ボクらはその為の仲間で、その為の姉弟なんだからさ」
「その辺についても師範にも悪かったなって思ってて……せっかく色々と気を使ってもらってたのに……」
「サネや、あんたが悪いと思う必要はないよ。この子は自分が頼ってもらえなくて拗ねてるだけさね」
「もちろんそれもあるけどね!だからって、事情を知ってて見て見ぬふりをするのもどうかと思うけど!?」
「あんたは過保護なのさ。友の為に飛び出していったサネの忍としての覚悟を捻じ曲げる行為だよそれは」
「矜持が守られたら命はどうだっていいって?家族が困っているなら何と言おうが支えてあげるべきだ」
「あっあっ、あの~……あう」
仲を取り持つことに失敗したサネが撃沈する。無理もない。対立する二人をイイ感じの落としどころに誘導するのは非常にカロリーが必要なことなんだから。
「現実!こうやってサネは里に帰ってきた!姫さまを連れてね。それをそのままハイサヨナラと送り出して不干渉を貫くのが忍の流儀だとはボクは思わないね」
「そいじゃあサネに聞いてみんしゃいな。これからどうしたいのかを。余計なお世話かどうかはそれでわかるさ」
「えっ、えっ、私!?」
さっきツッコんどいてあれだけど、状況はまさしく三角関係だ。
うーん、私としてはどっちもサネに悪感情がなさそうだからそれでいいんだけど……
「あのー、私は二人に喧嘩してほしくないっていうか、帰ってきたのもみんなが心配してるって聞いて、一回顔を見せておこうとかそういう感じでして~……」
「ほら見てみなさいモミちゃんや。サネはしっかりしてるよ」
「あ、で、でも正直帰る目途も経ってないから、手伝ってもらえるならそれはそれでありがたいと言うか~……」
「ほら見なよばあちゃん!サネも手を貸して欲しそうじゃないか!」
「あ、あれぇ!?」
そして話はフリダシに戻るっと。
……しょうがない。ここは私がこの場を『調整』するか。そもそもこの平行線を交わらせる必要はないんだから。
「んーおほんおほん。ちょっといいかしら?」
「あ、ヒメ……」
「この里にクレナイっていう人がいるって聞いたんですけど、どこにいるか知りませんか?その人なら『月の姫』の話を知ってるって聞いたのですが」
「月の姫って……『月姫物語』に出てくるカグヤ姫のこと?なんでそれを聞きたいんだい?」
「その姫が異世界……こっちから私たちの世界へ渡ったって話を聞いたんです。それで、私たちが帰る方法のヒントになるかと思って」
「アンタ、どこでその話を……」
「……カグヤ姫?」
とっておきの情報を切ってみた反応は三者三様だ。
師範さんは素直に、おばあちゃんは明確に反応した。そしてコンさんはみんなのお茶を入れ直してくれてて、何故かサネはカグヤ姫ってところに反応してる。
カグヤ姫……なんだっけ?なんか聞き覚えがあるような気もするんだけど……
「ハクレイクン様っていう、茸の神様からです」
「白嶺君!?クサビラ神の大御所じゃないか!そんな大物が良之国にいたとは……」
(ヒメ!ヒメ!というかクレナイさんはババ様のことだよ!)
(えっ、そうなの?)
なんだ、それなら話が早いじゃん。
「クレナイさん。ハクレイクン様に免じて話を聞かせてくれませんか?そうしたら私達は、それを元に旅立ちますので」
「ヒ、ヒメ!?」
「……」
(大丈夫。私に任せて)
(う、うん……わかった)
多分、このまま何もしなくても師範さんは引っ張ってこれるし、おそらく他の忍仲間もそうだろう。だから、この場ではおばあちゃんに納得してもらうだけでいい。
(……サネには不思議な人当たりがある)
人柄というかなんというか、サネには人を惹きつける魅力がある。だから、きっと師範さんも仲間のみんなもサネに手を貸してくれてるんだ。
逆じゃこうはならなかった。私が忍で、サネが姫だったとしたら……
その場合でも、多分サネは殿様とか左衛門さんとかを巻き込んでいってたんだろうな。
真っ直ぐに吹き抜けていく、この風みたいに——
……でもサネは腹芸というか、交渉事が苦手だ。
だから、私が矢面に立ってネゴシエーションする。対人関係のあれこれを、サネの苦手を私が補う。
それが私の、コンビとしての役割だ。
「というかボクも初耳だね。月姫物語が御伽噺じゃないことも、それをばあちゃんが知ってるってことも」
「師範師範、その月姫物語ってどんなお話なんですか?」
「月から落ちて来たっていう美しい姫様がいろんな人から愛されて、ついには神様にまで見初められるんだけど、その全部をけって月に帰っていく話だよ。拾い育ててくれた父母にお礼として月の雫を渡して、彼女は神の世界に帰っていくっていう……まぁよくある話だよ。拾い子を大事にしてたら恩返しをしてくれるっていう」
「月から落ちてきた……求婚……すごい!すごいよヒメ!点と点が繋がったよ!」
師範さんの話を聞いていたサネが、目をキラキラさせながら立ち上がる。
なんか興奮してるけど……その何かに気づいたのはサネだけだ。みんなぽかんとしてる。
「ごめんサネ。さっぱりわかんないんだけど?」
「カグヤ姫だよ!古文の教科書に書いてあったじゃん!月から落ちてきた不思議な落月姫の話!その姫の名前がカグヤノヒメミコでカグヤ姫だったじゃん!」
「んん~?……あ、あー!そういやそんな話あったわね」
カグヤ姫ってそこで聞いたことがあったのか。ようやくすっきりした。
「……んで、それがどうつながるの?」
「カグヤ姫は光りながら空から降臨、降ってきたって逸話があって、それがまるで月からこぼれた雫のようだから落月姫って異名があるんだけど、それってヒメが聞いた話とリンクするじゃん!『天高く輝いた後に消えた』……これってつまり、こっちからあっちに行って、それで空から落ちてきたってことなんだよ!」
「————つまりっ!あっちとこっちのカグヤ姫は同一人物だったんだぁー!」
「な、ナンダッテー!……って、そんだけ?」
「えええ!?これ今明かされる衝撃の真実だよ?!」
「いや、別にカグヤ姫が異世界人だったかどうかってのはどっちでもいいっていうか……大事なのはその手段の方じゃない?」
「うぐぐぐ~!これってめっちゃすごい情報なのにぃ!不思議俱楽部のみんなが聞いたら腰を抜かして狂喜乱舞しちゃうよ!?」
「それはそれで喜びすぎな気もするけど……」
まぁ、サネみたいな人の集まりだと考えれば不思議じゃないのかな?この反応を見るに。
うむむ……こうなってくると私ももっと古典とか歴史を勉強するべきかもしれない。このサネトークについていくために。
「サネや。一つ聞いていいかい?」
「……!はい」
今まで黙っていたクレナイさんが、やおら話に割って入ってくる。
まずい……本人そっちのけで盛り上がりすぎたか?
「『あの子』は……そっちではどんな風に言い伝わってるんだい?」
「……綺麗な人で、いろんな人から求婚されてたってのはこっちと同じです。それで、時の皇、こっちの偉い人のお妃さまの一人だったって書いてました」
「そうかい。あの子が……」
「それで、その人が亡くなったのに合わせて……山になっちゃったんです」
「へ?や、山に?」
なんか急に話が変わってきたな……
「その辺は婉曲表現だとは思うけど、自分が降り立った山を弔いの為に自分ごと燃やしたんだって。それで、『月より迎えが来たときは、この火を自分だと伝えてほしい』って言い残した……その炎の光が天に上って星になったとか、それからカグヤ姫の命日には絶対山どこかの木に火が灯ってるとか、そういう言い伝えが残ってるんだよ」
「ちなみにその山が和歌とかによく出てくる天火倶山だよ!多分、昔から雷とかで木に火がついてたんだろうね」
「へぇー、サネもよくそんなマイナーな話知ってたわね」
「というかヒメは知ってるはずじゃん!この辺授業でやったよ!?」
「いや、点とるためにしか勉強してないから正直あんま頭に入ってないのよね。……でも、そこまで覚えてるのはサネぐらいだと思うけど」
「カグヤ姫はその筋じゃ有名なんだよ?他にも『非時物語』とかにも登場するし!」
「……」
……ってまた盛り上がりすぎたか。主にサネがだけど。……クレナイさんは?
————クレナイさんは、静かに私たちの話を聞いていた。その瞳には……懐古だろうか?どこか昔を眺めている気がした。
「そうかい……あの子は、山と一つになったんだねぇ」
「遠く離れていても見えるように……燃えていてくれてるんだねぇ……」
「ばぁちゃん……」
クレナイさんの目から涙がこぼれた。
それだけで、彼女のオモイが伝わってくる。
……大事な人だったんだな。
「……なぁ、姫様や。あんたは帝と結ばれたくないみたいだけど、何がそんなに嫌なんだい?」
「えっ……」
「神婚はこの地に生きる生命にとってはこの上ない誉だよ。神の一員になることも神と結ばれることも、そう悪いようにはならないさ。アンタは帝の寵愛を一身に受けて、未来永劫大事にされるだろうよ」
「んー、そう言われるとちょっと魅力的だけど……」
「え゙えっ!?ちょっとヒメ!?」
「でも————」
私は一瞬、サネの方を見た。
その海の様な黒い藍色の瞳に私の視線が吸い込まれていって……
その奥の、私を信じてくれてる強いオモイと目が合った。そこに写る私の姿がメラメラと炎のように揺らめている。
サネのおかげで思い出した。私の中にずっと燻っていた本当のオモイに。
自分が、どう生きたいのかを。
だから私は————もう、迷わない。
「私は、一緒になる相手は自分で決めたいの!」
「っ!!アンタ、その言葉は————
…
……
………
『————ばあちゃん、ウチな……帝と結婚したくない』
『求められるんじゃなくて、ウチが求めたい!ウチは……ウチの相手は、自分で見初めたい』
『もっと色んなものを見て、聞いて、感じて、触れて……知った上で』
『ウチを燃え上がらせてくれるような……そんな、そんな相手を見つけたいの————』
ああ、カグヤ……あたし達の愛しの姫君よ。
この子は、あんたと同じ事を言うんだねぇ。
「ばあちゃんばあちゃんばあちゃ~ん!」
「はいはい、どうしたんだい?カグヤ」
「あんなぁ、ウチの名前ってばあちゃんがつけてくれてんやろ?『カグヤ』って!これってどんな意味があるん?」
「そうさねぇ……」
————左衛門が拾ってきたあんたを初めて見た時に、あたしはそこに神さまを見たんだよ
神さま?それってどんな?
『火倶炭播枝神』さ。自らの身体を切り倒させて、地の底で夜見の暗闇を灯り照らしてくれた火の技の神様だ。
すごい!……でもウチとどこが似てるん?
その、美しい艶やかな炭色の黒髪に、灰の中で燻る熱をたたえた真っ赤な瞳が……ね。
「だから『火俱夜』なんだよ。火と倶にする夜と書いて火俱夜。寒い、暗い闇夜を灯り照らしてくれる……あたし達の暖かな光」
「……か」
「かっちょいいー!ウチの名前めっちゃかっちょいいやーん!……ね、ね!もっとその神様のこと教えてや!」
「もちろんいいともさ。カグスミ様はね、大地を温めて温泉を沸かしてくれたり————」
幾歳経とうとも忘れられぬ思い出、色褪せぬ記憶。
あの子の、温もりの一切すらも。
消えてなくなることはないのだから。
「————ね、ばあちゃん。ウチが二人を照らす火になったるからな」
「どっから見ても一目でわかるぐらい、ピッカピカに燃えたぎったるから!……だから」
「離れてたって、大丈夫なんやから————」
帝に見初められて、あの子は上洛した。それがあの子の幸せになると、あたしは止めなかった。
でも、カグヤの幸せはそこにはなかった。
神婚の宴を飛び出し、神賭けでの大立ち回りをした、あの子の。
天へと昇っていく、あの子の輝きが————
「ばあちゃーん!じいちゃーん!みんなー!」
「————行ってきまーす!」
火俱夜の輝きが……今も。
瞼の裏に焼き付いて、離れないのだから。
………
……
…
「————その黒髪に、燻りを称えた炭赤の瞳。あんた、カグヤの子どもだね」
「えっ?」
「ええええ!?ヒメそうだったのぉ!?」
「いや知らない知らない!」
い、いや……でもカグヤ姫がサネの言う通り実在する人物ならあり得なくないのか?
先祖を辿っていけばみんな血がつながってるとかそういう話があるぐらいだし。
「はぁ、これも神さまの思し召しかねぇ……いいよ。あたしゃもお前さん方に手を貸そうじゃないか」
「ばあちゃん!」「ババ様ぁ!」
「……ありがたい話だけど、なんで急に?」
「いやさ、まだあたしにも燻ってたんだと思ってねぇ」
「?」
「火がついちまったってことさ。……これじゃ、モミちゃんのことをとやかく言えやしないね」
「へへ……和賀忍心得第九条!『和賀の忍は仲間を見捨てない』!……でしょ?」
「それと……家族も、さ」
「スズシロたちが帰ってきたらみんなで作戦会議だよ。アンタらが帰る方法にはだいたい目星が付いてるからね。……それよりヒメちゃんはなんて格好してるんだい」
「え?!これって変な格好なんですか?!貢物に入ってたんですけど……」
「そりゃ小袖だよ。……ちょっと待ってな。今服を取ってきてあげるから」
クレナイさんはそう言うと、ひょいひょいっと屋根を飛んでどこかに行ってしまった。み、身軽だな……。
「ヒメ~!やったね!」
「んんー、なーんか釈然としないというか、私の交渉関係なかったというか……」
「いやいや!ヒメ、カッコよかったよ?」
「そ、そう?」
「うん!私じゃあんな風に受け答えできなかったろうし……」
「まぁサネが得意なのは"語り"であって交渉じゃないもんね」
「な、なにおう!」
ま、サネがそうやって思ってくれてるならそれでいいや。
「これからもこういうので困ったら私に言いなさいよ?」
「……!うんっ!」
私が拳を近づければ、サネもそこに拳を合わせてくれる。
私とサネがどんな道を歩こうとも……この火だけは、絶やしたくないんだから。
「……二人は仲良しなんだねぇ」
「そりゃ、私とヒメはもう一心同体ですからね!」
「いやそれは言い過ぎっ!」
「そっか……通じ合えてるってのはいいことだね!」
「はい!……あ、コンさーん!」
サネがコンさんの方に走ってく。
それを微笑ましそうに見ている師範さんが————
「————羨ましいな」
「えっ……」
ぼそりと、そう呟いた。
それはもしかすると、風の音を聞き間違えたのかもしれない。
それぐらい、微かな声だった。
私は驚いて師範さんを見る。
師範さんは————寂しそうに、笑っていた。
…
…
…
「いやぁ、サネも大変だったねぇ。まさか落将軍まで倒してるなんて!ボクも鼻が高いよ」
「正攻法じゃないですけどね……あれってどうやって倒すんですか?」
ヒメのおかげでババ様の協力も取り付けれたし、続々と明かされる新事実に驚かされる濃ゆい一日だった。
でも、着実に前に進んでいる。その実感が、私に充足感を与えてくれるのだ。
ああ……いいなぁ、楽しいなぁ。
こんな毎日が、もっと続けばいいのに————
「————だから、そうやって人魂を切り分けるわけだ。人魂は切っても壊れないからガンガン分割してっていいからね!」
「な、なるほどぉ……」
「————サネさえ良ければ、"今度"見せてあげるよ!」
モミジさんはそう言って私の肩を叩く。
今度……それを見せてもらう時間が、私にはあるんだろうか?
ババ様のおかげで帰る方法も何とかなりそうで……それはつまり、この異世界での生活も残すところあと少しだということ。
私には二つの選択肢がある。でも、私は————
「……あの、師範。聞いてもいいですか?」
「お!なんだいなんだい!なんでも聞いておくれよ!」
「……師範は、どうしてそんなに————どわぁ!?」
「あ゙ーー!サネ帰って来てるー!だれ!?誰が見つけたの!?」
私の言葉はスズちゃんのフライング抱き着きによって吹っ飛ばされた。
「ふふふ~、なんと!この私です!」
「あぁ~、やっぱ惑いの林の方だったんだぁ~!くそぅ、二択外したっ」
「よぉサネ。大丈夫だったか?」
「あ、バネさん。色々あったんですけど……カカシ君城に置いてきちゃいました!ごめんなさい」
「いいってそのぐらい。あんなもんまたつくりゃいいしな。それよりモミジ、ばあさんの説得はどうなったんだよ」
「それについては完璧だよ!ヒメちゃんのおかげでね!」
「あ!そういや姫様いるんだよね?わたしも会いたい会いたい!」
「スズちゃん、ヒメならあっちで着替えてて————」
(……また、タイミング逃しちゃったな)
モミジさんに聞けなかったや。
————師範は、どうしてそんなに私のことを助けてくれるんですか、って。
モミジさんは初めて会った時からずっと、ずっと私のことを気にかけてくれてる。
それがなんだか、私がヒメに、ヒメが私に向けてくれているオモイとは違う気がして————
それでも私は、拾ってもらった恩を。
モミジさんに掛けてもらったオモイに、恩返しがしたいって、そう思うから……
恩返しも、選択も。それを考える時間も。
残された時間は、あんまりないのかもしれない。
* * *
次の日の明朝、和賀忍達は城の傍に潜んでいた。
「……みんな、準備はいいかい?」
「はい!ババ様」
「はやく……はやく"こいつら"を試させてくれぇ!」
「おお、こんなにやる気満々なバネさんは初めて見ましたよ」
「バネの秘蔵っ子たちのお披露目だからね……ちゃんと動くんだよね?それ」
「まかせとけって!アイツらに目にものを見せてやる!————スズ!まだか!?まだなのかぁ!!」
「うんうん。やる気があってよろしい!それじゃ————」
「いざ!城攻め開始だよーっ!!」
「「「うおおおおお!」」」
「おー!」
「————私このスピード感についてけないんですけどぉ!?」
くノ一の格好をさせられたヒメの叫びは、皆の雄叫びによってかき消される。
ここに、第一次良之城攻略作戦が開始されたのだった。




