十六話【喧】
「いやぁ、すっかり洞窟風呂が露天風呂になっちゃったね」
「まだ崩れたのが入口付近で良かったわ。これならギリ拠点としては使えそうだし」
温泉に沈んだ瓦礫を放り投げながら、サネはすっかり広くなってしまった天井を見上げてそう言った。
日が暮れて暗くなった空には、向こうよりも明らかによく見える星々が一面に煌めいている。
この世界の星座もあっちと一緒なんだろうか?……なんて、センチになっている暇は私たちにはない。
「とりあえず今日の所はここまでにしない?あらかたデカい奴は片づけたし」
「了解です棟梁!お疲れ様でっす!」
「誰が親方よ誰が」
落将軍に崩された拠点の整理をしていたらこんな時間になってしまった。
もう心身ともにくたくた、とんだ一日だった。
今日みたいなアクシデントはもう二度とごめんだ。
「あ゙ぁ~疲れた!温泉に浸かりたい!遮る物が一つもないけど!こんなの露天を通り越して露出温泉じゃないの!」
「まぁまぁ、これはこれで乙なもんだよ?まだギリギリ洞窟温泉って言い張れなくもないし!」
「そこに関してはどうでもいいんだけどね」
「えぇ~!?そこがうちの売りじゃんかぁ!」
なんてアホなことを言ってるサネをよそに、私はお鍋をお湯で洗う。
……ん。これでよし。
お手製『落武者兜鍋』が無事でよかった。これがないとお料理できないし。まあ料理と言っても、"煮る"と"焼く"しかできないんだけど。
「それじゃ、そろそろサネが獲ってきてくれたウサギでご飯にする?」
「いえーい!待ってました!ちょうどお腹も空いてきたことだしね!」
「でも、どうやって食べる?全部鍋にぶち込んじゃおっか」
「お、いいねぇ。ウサギ鍋だ」
生焼けにならないように、しっかりと火を通さないと……流石に火を通したら大丈夫だよね?
こんな状況だ。お腹を壊すだけならともかく、なにかの病気にでもかかってしまったら一発でアウトだし。
————いや。
(そもそも、今の私たちがお腹を壊すことなんてあるんだろうか?)
トイレに行かなくてもいいことに気が付いたのは、こっちに来てから数日がたった後だった。
怒涛の数日間で考える暇もなかったけれど、どう考えても代謝がバグってるとしか思えない。
飲み食いしたその全てを吸収してる?そんなことが可能なの?
『術』ってのは、どこまで無法なのか。
「ねぇねぇ、他にはなに入れる?白菜っぽい奴は確定として、スズカグラそのまま入れたら苦汁になっちゃうかな?」
「んー……」
サネはバフのおかげだなんて喜んでたけれど、私は正直気味が悪い。
おなかもすくし汗もかく。眠くもなるし、寝れないわけじゃない。
でも排泄はしなくなったし、それどころかこんな荒んだ生活をしているってのに肌の調子がむしろいい。
『え!?そんなにキューティクル死んでた!?』
お手入れに無頓着なサネの髪の毛でさえ、サラサラのツヤツヤだった。明らかに向こうにいた時よりもコンディションが上がっている。
曲がりなりにもアイドルをやってたんだ。自分のコンディションとパフォーマンスを間違うはずもない。
今の私はまさに全盛期と言っても差し支えがなかった。あるいは、それ以上の————
……いや、深く考えるのはやめとこう。考えてもしょうがないことに思考のリソースを割くのは無駄づかいだ。
「とりあえず食べれる葉っぱ系をぶち込んどけばいいでしょ。水炊きみたいな感じで」
「おっけー!それじゃ早速具材をお鍋に入れてっと————ぁいてっ!」
ウキウキで草を選別していたサネが、一瞬顔をしかめる。そして、しまったとでも言わんばかりに私の方を見てきた。
なんだ?その顔は。
「ちょっと大丈夫?瓦礫でどっか切ったんじゃないの?」
「い、いやいや!……うん、大丈夫!気にしないで!」
「なによその間は。なーんか隠してない?」
「な、ナンニモカクシテナイヨー?」
「あからさまぁ!こら!その手を見せなさいっ!」
「あぁ~~っ!?そんなご無体なっ!」
へったくそなごまかしをしてるサネの腕を取ると、左の掌が赤黒く腫れていた。
これ……もしかして今日の戦いで?
「ちょ、腫れてるじゃない!冷やさないとっ!」
「そんな、大げさだよぉ。一日か二日したら治るから」
「私たちは医者にかかれないんだから!こういうちょっとした怪我が命取りなの!えっと、冷やすもの冷やすもの……」
私はそこまで考えてハッとする。
「……冷やすもの、ない」
最悪だ。
ここにはちょっとぬるめの温泉と、常温の水しかない。秋の気候で涼しいとはいえ、アイシングをするには不十分だ。
「この程度の怪我なら今までもあったけど、すぐ治ってたよ?」
「今までも?!それっていつ?何回?……この程度って言うけど、これはかなりヒドイほうなのよ?」
「そうなの?んー、修行してた時と任務の時に何回かかな?最初の頃はこの身体能力に慣れてなかったからねぇ。……あ!でも最近はそんなことはなくなったんだよ?」
「だから、今日のこれは名誉の負傷なのです。このぐらいでヒメを助けれたんだから安いもんだよ!」
サネはこっちの気も知らないで自信満々にサムズアップしてるけど……そんなの全然喜べない。
「骨が折れてたらどうすんのよ」
「それなら大丈夫だよ!バフで治癒力も強化されてるっぽくてさ。打撲に骨折はおろか、ちょっとした切り傷とかもすぐふさがるんだよ!」
「……っ」
私は愕然とした。そのサネの能天気なリアクションに。
なんで、それをそんな風に思えるんだ?
そもそも、この謎のチートだってどういうものなのかわかってないっていうのに……
私たちの世界とは明らかに法則の異なるこの世界。
そんな異世界に身を置き続けることで、自分が得体の知れない『なにか』に変わっていってるとは考えないんだろうか?
あるいは、神様に捧げられる生贄が『異世界からやって来た姫』に限定されてることに、このバフが関わっているんだとしたら?
この一連の変化が、ヒトではない神に変わっていく、その最初の段階だったとしたら?
————私たちは、もしかすると『無事』に帰れないかもしれないってのに。
「……もっと、自分の嫁入り前の身体を大事にしなさいよ」
「粗末に扱ってるわけじゃないんだけどね。今のところ嫁ぎ先もいないし」
「そういうことを言ってるんじゃないの」
「あ、ハイ……」
この、言いようのない気持ちはなんなんだろうか?胸がさわつく。なんでかわかんないけれど……もやもやする。
いや、私は今、明確にいらだっている。むかむかとしている。サネのこの態度に。
なんで————どうして?
「えーっと……あ!じゃあ今日見つけた川に行って冷やしてくるよ!」
私がのんきなサネをにらみつけていると、不穏な空気を察したらしいサネが慌てながらそんなことを提案してきた。
そういや川を見つけたんだっけか。まぁ、川の水なら患部を冷やせるか……
「——って、今から!?」
「え?うん。惑いの林を移動するのに昼も夜もないし。……あ、そうだ!ついでにお水も汲んでくるよ!川水だからそのまま飲むのはともかく、生活用水には使えるだろうし!」
「となると桶か……いや!なんかデッカイ樽でも作って、貯水庫的な感じで水を貯めとこうよ!おあつらえ向きに丸太もたくさんあるしね!」
サネはそういって、ウキウキで丸太を選別しだした。
なっ、なんでこう、こういう方向にはアクティブなんだコイツは~~っ!
サネは私の事をたくましいだのなんだの言ってくるけど、どう考えてもたくましいのはサネのほうだ。
なんでこんなに楽しそうなんだ?今日だって、あんなことやこんなことがあったばっかだってのに……
なにかがズレているような、そんな違和感が私を苛立たせる。
ぐるぐると行き場のない感情がお腹の奥底に渦巻いて、まるで胸焼けしたみたい苦しくなる。
私はその荒ぶる感情のままに、ただ込みあがってきた言葉を吐き出した。
「じゃあ……私もついてく!」
「えぇ!?暗いし危ないよ?」
「それはアンタもそうでしょーがっ!二手に別れたまま、サネに何かあったらどーすんの!?」
「い、いやいや……ちょろっとお水を汲んでくるだけだよ?サササーって!」
「くまクマ熊ぁ!そう言って今日狩りに出かけたら森の熊さんに出会ったんでしょ?!落将軍のせいで忘れてたけど、そっちはそっちでとんでもないことじゃないの!」
「いや、まぁ、それはそうだけどさぁ……」
「暗い中でヒメとはぐれたら、それこそ危ないよ?」
「今ッ!今まさにサネが私から"はぐれ"ようとしてるんだけどね!?これからは単独行動は禁止よ禁止っ!にこにこニコイチどこに行くのも二人で一つよ!」
「えぇ~!?そんなまた、トイレにまでついてくるそこらの女子みたいなこと言っちゃってぇ」
「……っ!」
さっきあんなことを考えていたせいだ。
サネがそれを気にしていないせいもあるかもしれない。
こんな、いつもみたいな何気ない軽口に……こんなにも心を乱されてしまったのは。
「それの何が悪いの!?私たちはっ!ただの女子高生でしょっ!?」
「ヒ、ヒメ?」
腹の底で薄巻いていた気持ちが、喉元を通って頭にまで昇って行く。
「忍でも!姫でもない!!普通で普通の、何の変哲もない人間なんだから……!」
それはまるで自分に言い聞かせてるみたいだった。
……ああ、わかった。これは『不安』だ。私、不安なんだ。
私たちの置かれたこの現状が、私たちはこれからどうなるのか。
そしてなにより、サネがどんどんと異世界に染まっていってるのが。そのまま、私を捨て置いて、どっかに行っちゃわないかが……不安なんだ。
「……ヒメは元から、あんまり普通の女子って感じじゃなかったよ?」
私がこんっっっ……なにも色々と心配してんのに!当の本人はこんな感じでどこ吹く風だしっ!ムカツク!
……なんでこんな、ぐちゃぐちゃなんだろう。いつもなら、こんなことないのに。
普段なら、他人にこんな態度なんてとらないのに。
サネのイニシアチブを稼ぐのなら、こんな対応は下の下だ。
コミュニケーションなんてのは極論、ソイツが欲しがっている対応と言葉を置いておくだけでいい。そうやって私は、周囲の人達から愛されてきたはすなのに。
どうしてこんな……わからない。
自分のことが————
「ねぇ!サネはなんでそんなに楽しそうなの?何がそんなに楽しいの?私たちっ……『遭難』してるんだよ!?この異世界に、二人だけでっ!」
「な、なんでって、そんなの————」
何かを咄嗟に言いかけたサネは、それを吐き出さないままに俯いた。
いつもとは真逆の角度。これまであまり見ることのなかった、サネの上目遣い。
「ヒメは……楽しくないの?この生活が。楽しくないの?この異世界が……」
「————この『非日常』に、ワクワクしないの?」
それは、どうしてだか縋りつくような問いかけだった。
なんで、そんな、どうして————
————どうして、そんな顔すんのよ。
「わかんない……楽しくない。楽しめるわけないじゃん!私たち何回も死にかけてんのよ!?生贄にされかけて!忍者に追いかけられて!化け物に襲われて!」
「……っ」
そのせいでサネも危ない目にあってて、ケガだっていっぱいしてて、それで……
「そんな状況で、どうしてそれを楽しめるっていうの!?どうして、サネはそんなに楽しそうなのよ……私たち、もう帰れないかもしれないのにッ!!」
わからないわからないわからない!
サネのことが————
「……わからないよ。ヒメには」
「なん————」
でも、サネから帰って来たのは明確な拒絶だった。
「向こうで楽しく満たされてたヒメには。向こうの人生を謳歌してたヒメには。その気になれば、いつだって望むものを手に入れられたし、今も手に入れられるヒメには……」
あんなに熱かった身体がすぅっと冷たくなっていく。
今の今まで感じていなかった冷や汗がじっとりと背中を伝っていった。
「なに、なに言って……」
「夢を諦め『られる』ことも、次の夢に進むことも、どうとでもできるヒメには私のキモチはわかんないんだっ!」
サネが私を見る目が変わる。いままで、一度だって見たことがない、初めて見る表情。
それが私には『失望』に見えた。
「なによそれ……つまりアンタは!向こうよりもこっちがいいっていうの!?この異世界が!こっちの暮らしが!こんな生活がっ!」
「……」
ねぇ、なんでそんな顔をするの?
サネは今何を考えてるの?なんでそんなに辛そうなの?
わからないわからないわかんない。
ねぇ、教えて、教えてよ。
私はどうしてこんなにも————
——不安なの?
「サネっ、サネは……か、帰りたくないってこと……?」
「……うん」
「ーっ!」
今、なんて言った?
頭に昇っていた血の気が引いていくのを感じる。まるで、顔に冷や水をぶっかけられた時みたいに。
「お、お母さんとお父さんに……会えなくなってもいいの!?」
「いいよ……別に」
なにそれ!?
つまりサネは非行少女だったってこと?!それとも家庭環境に問題が?いやでもお母さんとは仲良さそうだったし……
……どうして?
「おかしい……おかしいよサネ!どうしちゃったの!?忍者にされるときに洗脳でもされたの!?」
「違う!違うよ!そんなんじゃない!」
「じゃあどうしてそんなこと言うのよ!どう考えても……おかしいじゃんかそんなの!」
「私はっ!おかしくない!!だからヒメには、わかんないって言ってるの!!」
なんで、そんなっ……
私を、拒絶するんだ。
「なんでわかってくれないのよ!」
「わかってないのはヒメの方だよ!私はずっとずっと、ず~~っとモヤモヤしたまま生きてきたんだよ!?そんな私のキモチなんか……私のオモイなんか!何一つ!」
こんなに声を荒げてるサネは初めて見た。
いや、でもそんなのは当たり前だ。だって私たちは————
今まで勝負しか、してこなかったんだから。
込み入った話なんて、今まで一度も……
「————ねぇ、ヒメはホントにワクワクしなかったの?こっちに来て。不思議な物語の世界が、今!目の前に現実として広がってるんだよ!?」
「これまでのことは置いといても、これからの冒険に。経験に、体験に思いを馳せて……ワクワク、しないの?」
「私は好きだよ。空想に満ち溢れたこの世界が」
「夢にまでみた、このファンタジーが————」
まるでオーディションの審査員のような、サネの瞳が私を覗く。
楽しかった思い出は、ある。それも、全部サネのおかげで。
でも、それ以上に私の胸中を満たすのは……
「私は、帰りたい。家族に会いたい。帰って勉強して大学行って就職して、素敵なパートナーを見つけて、それで……」
それで、たまにはサネと勝負したりして。
結婚式のスピーチも頼んじゃったり、あんなこともあったねってカフェでだべって、それで、一緒に————
忍びとして、姫として。
このファンタジーな世界で生きるよりも。
私はあの放課後に……帰りたい。
「そんな『日常』に、戻りたいの」
「っ……でも!ヒメの夢はこっちでも叶えられるよ?」
「夢!?夢がなんだっていうのよ!それが帰らなくていい理由になるの!?」
「うん、なるよ。だって————」
「私の夢は、こっちじゃないと叶わないから」
夢?サネの夢って……何?
私は、そんなことも知らない。
「私はトレジャーハンターになりたかったんだよ」
「ずっと……今でも」
それだけ言って、サネはそのまま暗闇の林に飛び出していった。
「……何よそれ」
意味がわからない。追いかけようと思った。でも足が止まる。
だって、この場合悪いのはサネのほうだ。私は正論しか言ってないし、議論を放棄したのもサネのほう。
……いや、そりゃちょっと私の言い方も悪かったかもしれないけど……にしたってあの態度はない。
私はサネに拒絶された。
そのことを考えると……お腹の底が冷たくなってくる。
色んな感情が渦巻いて、むかむかして、立っていられなくて。
しゃがんでうずくまったら、鍋にしていた兜と目が合った。サネが獲ってきてくれたウサギの剝き身が、水に沈んでいる。
兜もお肉もぐるぐると回っている気がした。あの将軍みたいに。今の私みたいに。
「……ごはん、作らないと」
そうやって口に出すと、ぐちゃぐちゃな内心とは裏腹に身体は手慣れた手つきで火を興しだした。
こういうことは今までに何度もあった。他人と衝突しちゃって、どれだけメンタルが乱れても、身体に染みついた習慣と技術は裏切らない。
こうしてルーティーンをこなしていくことで、心の方も次第に落ち着いてくるのだ。
……うん。別に私悪くないし。なんかケンカみたくなっちゃったけど、ただちょっと意見が対立しただけだし。
別に、これだけで関係破綻、即別行動とはならない……よね?流石に帰ってくる、はず……
なんか危ない熊がうろついてるらしいけど!なんかあってもサネの方から連絡取れないけれどっ!!
……まぁ、多分サネも頭を冷やして来てるんだろう。うん。向こうが謝ってきたら許してあげよう、そうしよう。
それで、ウサギ鍋でもつつきながら、これからのことをちゃんと話し合えばいい。
それでいいし、それがいい。
……それでいいはずなんだ。
…
…
…
ちょうどウサギ鍋が出来上がった頃に、サネは桶を抱えて帰ってきた。
「お水汲んできたよ。簡易的な桶だから、ちょっとだけだけど」
「あ、うん。ありがと……」
さっきの言い合いには一切触れずに、淡々とした事務的な会話だけが続いていく。
——いや、まずはそっちから謝りなさいよぉ~~!アンタが原因でケンカしてるんですけどぉ!?
こっちはもう、アンタを許す準備してるってのに!
「いただきます」
「……いただきます」
手を合わせて、私たちはウサギ鍋をもそもそと食べ始める。
初めて食べたウサギの味は、正直あんまりわかんなかった。
……こんなにまずい飯は久しぶりな気がする。あの城で、ひっきりなしに運ばれてくるお料理を無理やり食べてた時ぐらいには味がまずい。
「ごちそうさま。私、水貯めるところ作ってるから。ヒメは先に寝てて」
「あ、うん。わかった……」
サネはそう言って、そそくさと作業に入ってしまう。
ふぅーん、そっかそっか。なるほどね。そういう感じなんだ。
つまり、徹底抗戦の構えってわけだ。
(そっちがその気ならノったろうじゃないのよ!)
サネが汲んできた水でささっとお鍋を洗ってから、私は無造作にお風呂に入る。
林の中はやけに静かだ。サネが木を削る音だけが洞窟に鳴り響いてきている。
それをあんまり聞きたくなくって、私は温泉に頭から潜った。
外の音が遠のいていって、こぽこぽという水泡の音だけが私を包み込む。
——今日は、あんまり長風呂する気になれなかった。
いつもなら色々とおしゃべりをしている夜の時間。手持ち無沙汰なその時間を持て余して、私は早めに横になる。
とっとと寝よう。寝て起きたら、こんな気分も変わっているはずだ。サネにもまだ時間が必要らしいし。
荒ぶるキモチをなんとか抑えて、私は無理やり眠りにつく。
サネは、私の意識が落ちるまでずっと作業をしていた。
————ずっと。一人で。
* * *
「それじゃ、今日の分の狩りに行ってくるね」
「そ。気を付けて」
サネは朝ごはんもそこそこに、スタスタと林の奥へと消えていった。そこにはいつものゆるい雰囲気はどこにもない。
「……なによサネのやつ。怒ったのはそっちじゃない」
一夜明けて睡眠を挟んでみても、私達の関係は冷え込んだままだった。……世の仮面夫婦って奴も、もしかするとこんな感じなのかもしれない。
実に嫌な気分だ。でも、ここで私が負けるわけにはいかない。
そもそも、今嫌な態度を取ってるのはサネの方で、そもそもケンカの発端もサネだし、そもそも私は正論しか言ってないし……
私の目の前で、にっくきスズカグラがぐつぐつと煮えくり返っている。
サネには随分と思うところがおありの様だったけど、それを話してくれないんじゃどうしようもない。
拒絶拒絶の断崖絶壁だ。コミュニケーションの。
でも、ここで私が折れたらサネにイニシアチブを奪われてしまう。私にとって、『帰れない』と『帰らない』の間には大きな隔たりがあるんだから。
……それに、サネを一人置いて自分だけ元の世界に帰っても意味がない。
それはなんだか……嫌だから。
(……またもやもやしてきた)
鍋の中のスズカグラをぐるぐるとかき混ぜる。鍋の水はにじみ出た灰汁ですっかりと紫色になっていた。
仮に……仮にだ。
私の方から謝って、それで。
それでもサネに拒絶されてしまったら?
私のことなんて邪魔だと、もうこれ以上は一緒に居られないと、どこかに去って行ってしまったら?
私と居るよりも、一人で異世界を旅する方が楽しいって、サネが『非日常』に飛びついてしまったら……
結局のところ、私はそれが嫌なんだろう。
無関心は嫌だ。そうやってどうでもよくなられるぐらいなら、今までもらっていた『愛』が失われるぐらいなら……
嫌われてるほうが、よっぽどいい。
それならまだ、心のどこかに私が居るから。私の方を、見ていてくれるから。
……でも。
(私は、サネに嫌われたくない……!)
そこらの有象無象に嫌われるのとは訳が違う。嫌われてはいそ―ですかと流せるほど、サネの価値は低くない。
こんなにも胸の奥がもやもやするのは。こんなにも腹の底がむかむかするのは。
小学生の時に、親友"だった"ヤミちゃんと絶交した時以来だろう。
(……あれ?)
ふと。冷静になって考えてみると。
(私って、『友達』少なくないか?いや、それ以上に……)
友達なんて、いなくないか?
それは私にとって青天の霹靂だった。
ぐるぐるぐるぐると。
かき混ぜすぎてできた鍋の渦に目がくらむ。
小学校中学校、子役時代にアイドル時代。そして今。
果たして、私が友達と呼べる存在がどれだけいるだろうか?
仕事仲間、アイドル候補生の同期に先輩後輩。今まで歴代のクラスメイトたちに、ファンクラブのみんな。
みんなみんな、どいつもこいつも。
友達だなんて——
言えなかった。口が裂けても。だって……
『私が』
向こうを、友達だなんて思っていないから。
「最悪じゃん……」
気づきたくなかった。いや、むしろ気づけて良かった。
いつからだ?決まってる。高校に入ってからだ。地元に帰ってきてからだ。
こんな風に、やれ好感度だのイニシアチブだのでしか対人関係を考えなくなったのは。
『ヒメちゃんなら、私に成れるよ』
偶像の頂点にかけられた、最後の言葉。
あの悪魔のささやきのせいだ。自分にも、トップアイドルと同じことができるかもしれないって思っちゃったのは。
実際、似たようなことはできた。そうやって築き上げたポジションに居座るのは気分が良かった。
でも……
みんなが私のことをどう思っているかは、本当のところはわからない。だけれど、少なくとも私は……
友達として、振る舞ってなかった。友達だなんて思ってなかった。みんなのことを。
まるで恋愛ゲームの攻略キャラのように、あるいはRPGのそこここにいるNPCのように。
私は相手が望むコミュニケーションを、あるいは自分が望む選択肢を、選択してきただけなんだから。
相手の為に?違う。自分の為に。
そうやって好感度とイニシアチブを稼いで、他人を分別して調整して、築き上げたのが今の地位。
でも、それは張りぼての城だった。
外から見れば、さぞかし私の学生生活は順風満帆に見えるんだろう。実際、私も自分でそう思ってた。
さっきまでは。
でも……改めて考えてみるとどうだろう?
仮に、私のファンクラブ全体で祠トリップをしたとして。その場合、生贄の姫として囚われた私を助け出してくれる奴が、果たしてどれだけいるのか。
そりゃゼロじゃないんだろうけど……ここまでやってくれるヒトは、いないんじゃないか。
少なくともサネは、ここまでしてくれた。
忍になって、思いのままに、どこへだって行けたのに。
私を助けにきてくれた、私を、城から連れ出して————
ここまで連れて来てくれた。
それはまごうごとなき『愛』なんじゃないか?
『戦友だよ』
不安だから聞いた。サネのことがわかんなかったから。
そしたらサネはそうやって答えてくれた。
だから私はここにいる。
サネのおかげで、ここに居れてるってのに。
「ちゃんちゃらおかしな話ね……」
唯一絶対の愛が欲しい。それを自分に向けてくれる、最高のパートナーを見つけたいだなんて言いながら……
その実、空虚な人間関係の表層を舐めるだけで満足してたなんて。
親しい友達の一人もいないで、お山のプリンセスになれたことに浮かれてただなんて。
ずっとそばにいて、私に愛を向けてくれた人を……今の今まで、友達だと思ってなかっただなんて。
サネの価値が高い?そりゃそうだ。こんな私が、唯一友達扱いしてた相手なんだから。
……ああ、そっか。だから私は——
「サネと勝負のが、楽しかったんだ」
冷たい秋風が焚火で火照った顔を冷ましてくれる。
それでも熱は消えなかった。
お弁当のおかず対決なんてしょうもない勝負の時でさえ、サネは全力で楽しそうだった。それが噓じゃないことを、私だけが知っている。
サネがあんまりにも大真面目に勝負に乗っかってくるもんだから、最初は逆に私の方が面食らってたもんだ。
それがなんだかんだで楽しくって、勝負の度に嬉しそうなサネがなんだか犬みたいに見えて……
(だから私は、サネとの勝負を止めずに続けてたんだから)
いつだってやめられた。当初の目的を達成するだけなら、なんとでもできた。
でも……私はサネとの勝負を、やめたくなかった。勝ち負けなんて、目的なんてどうでもよかった。
私は、私が吹っ掛けた勝負にウキウキと乗ってくるサネを見るのが……好きだったから。
「私、サネのこと結構気に入ってたんだ……」
それはファンクラブの子たちとも、周囲の取り巻きとも違う……特別な関係。
そのサネとの関係が、私の知らない欲求を満たしてくれていた。
それが多分、友情ってやつなんだと、そう思う。
祠トリップなんてしなくとも。
わざわざ言葉で確認しなくても。
私たちは……ずっと、友達だった。
かけがえのない、唯一無二の。
友達だったんだ。
……でも、私はそんなサネを失望させてしまった。友達の気も知らないで、酷いことを言ってしまったんだろう。
「はぁ~、なんであんなこと言っちゃったかな……」
言い過ぎたよなぁ、絶対。別に、あの場であそこまで言う必要もなかったし、もっと上手い言い回しがあったはずだ。
サネのあの顔はそういう事だったんだろう。そもそも私のことを友達だって言ってくれたのもサネの方からだし。
……でも、じゃあなんで————
『ずっとずっと、モヤモヤしてた』
サネの方こそ満たされてなかったの?私との勝負だけじゃ、楽しくなかったの?
あの日常よりも……こっちの方がいいっていうの?
そう考えると……うん。やっぱりちょっとムカつく。
いっつもつまんなそうにしてるサネが、私と遊んでるときは楽しそうにしてたくせに!
そもそも、夢に関して言うなら私だって道半ばだし。なんなら明後日の方向に進んでたまである。
そりゃあ?トレジャーハンターに比べればお嫁さんにはいつかはなれるかもしれないけれど?そりゃこっちじゃないとできないってわけでもないけどさぁ……
というかトレジャーハンターって何!?サネは具体的に何がしたいわけ!?アンタは◯ンディージョーンズかっての!それとも海賊王!?
私はただ『結婚』がしたいわけじゃない。最高のパートナーを見つけて、その人から一番に愛されて、そしてパパとママのような素敵な関係になりたいのだ。
そして、今のところ私のお眼鏡にかなうような奴は一人だっていない。どいつもこいつも『愛』にたいして本気じゃなさすぎるから。
……サネは何を求めてるんだろう?サネは私に、どうして欲しかったんだ?
結局、私の問いかけだって宙ぶらりんのままだし。
『わかんないよ。ヒメには』
サネはどういうつもりで、ああ言ったんだろう?
ただでさえサネはそこらの奴らとは思考回路が違ってるってのに、その内心を隠されたんじゃどうしていいのかも分かんない。
『向こうで人生を謳歌していたヒメには』
実は僻んでたんだろうか?私のことを。……いや、サネがそんなタマだとは思えない。
だけれど、それじゃあ一体私の何がサネの地雷だったんだ?私のどの発言が、サネをあそこまで怒らせた?
ああ言ったからには、サネの鬱屈とした感情に相反する部分が私にあるはすなんだ。
私は向き合わないといけない。今まで手前味噌でごまかしてきた人間関係と。
唯一の友達であるサネと、ちゃんと。
『楽しめるわけないじゃん!』
多分、あの時だ。明確にサネの表情が変わったのは。
あの発言が一番傷ついたってこと?そりゃサネはこっちに来てからというもの、私を楽しませようとはしてくれてたけど……
「……そろそろ良さそうね」
スズカグラはすっかり灰汁抜きされて、きれいな薄紫色に輝いていた。
スズカグラをザルに上げて粗熱をとる。
私は輪切りにされたそのうちの一つをつまみ食べる。
新鮮なスズカグラはポリポリとしててみずみずしい。うん、我ながらにいい仕事だ。
(……サネが帰ってきたら謝ろう。そうしよう)
だって友達なんだから。
仲直りしよう。私の方から。それが『友達』としての、本来の接し方のはずだ。
……こっちの世界に来てからというもの、私の頭の中はサネの事ばっかりだ。
「サネがいないと私、なんにもできないんだ」
なんかみじめになってきた。サネにおんぶにだっこで、なーんにもできない情けない女が今の私らしい。
友達ってのはギブアンドテイク。一方的に搾取する関係を、友達とはいわない。
だけれど、こっちに来てからの私は完全に搾取する側だった。
私もサネに何かしてあげたい。
私もサネに、『愛』を返してあげないと。
それが友達としての……第一歩だと思うから。
ただ上っ面だけ愛されるんじゃなくて、愛し愛される相互関係。
そんな関係を、私は夢見ていたはずなんだから。
「……といっても、どうするのがいいか」
灰汁抜きしたスズカグラを水に浸しておく。こうすることで味と鮮度が数日はもつらしい。
どんな原理でそうなるのかはわかんないけど、結果としてそうなっている。サネ曰くおばあちゃんの知恵袋だ。
昨日サネが作ってくれた桶はスズカグラを保管しておくのに実にちょうどいい。
私は桶を日陰に置いて、次なる備蓄の下拵えに取りかかった。
「……ってやっとる場合か!」
何かないかな?こんなスズカグラの灰汁抜きだなんてしょうもないやつじゃなくって、サネをあっと言わせられるような何かは。
多分、サネのことだ。普通にごめんなさいしても許してくれるんだろうけど……
なにか、サネに対する成果を見つけてからじゃないと、友達として合わせる顔がない。
「できること、できること……」
んー、あんまないな。
外をうろつくわけにもいかないし、貯水槽づくりはサネ発案だから、勝手に手を加えるわけにもいかない。
拠点の中に目を向けても、私の目につくのは『日常』の雑事ばかりだった。
となると、私に残された選択肢は……
「この洞窟の奥が、どうなってるのかを確認することぐらいか……」
初日にここを見つけてから、できる範囲では探索した。でも、かなり深そうだったから途中で切り上げて、今は鎧やらなんやらを積み上げたバリケードで封をしてある。
昨日だって、この奥に逃げ込めれば危ない橋を渡る必要もなかったんだ。
逆に、いつこの奥から得体の知れない『なにか』が這いずり出てきてもおかしくはない。封じの洞穴だっけ?だかなんだかと繋がってるとか言ってたし……
うん。実利にも適ってる。
バリケードの上から奥を覗き込むと、その先には真っ黒な洞窟がその口を広げていた。
入り口から湯気が吸い込まれていって、まるで息をしているみたいだ。入り込んだ風が唸るように鳴り響いている。
「……っ」
ビビッてなんかいられない。
私に必要なのは実績だ。もう二度と、『ヒメにはわかんない』なんてサネに言わせないための!
これが今の私にできる、最大打点なんだから。
バリケードに突き刺さってる刀を一本、勢い良く引っこ抜く。
錆び錆びでボロボロだけれど、こんなんでもないよりかはマシだ。
右手に刀を、左手に即席の松明を掲げて。
「……よし!」
やったろうじゃないの!
生まれて初めて私はリスクを取る。他ならない、友達の為に。
サネのために。
これからの、私の為に!
私は、意を決して洞窟の奥に足を踏み入れた。
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