物語3・13
「お水をいただけますか?」
「どうぞ」
マリス大丈夫かな。
給仕の男性から水をもらって歩みを早める。後ろが気になるが絶対に振り返ってはいけない。
今日は厄日だ。帰ったらお清めの香水を振りかけて眠ろう。あれ臭いんだよね。強烈な臭さで悪いものを追い払おうってことなんだろうな。いい人も近寄らなくなるけど。
お城に来てその場にロックマンがいた場合、良いことが起きない。これはもう通常運転だ。
シュテーダルが襲ってきたりペストクライブに巻き込まれたり尋問されたり、豊富な体験が記憶によみがえる。
今回はコック王子。まさかあんな無神経? なお方だったとは。
それはそれとして、私も早く帰ればよかったのにこんなところにいるのが悪い。半分以上は自業自得である。
広間から外に出て通路を横切り、庭園手前の女神の噴水に向かった。ここかな。
「どなたかいませんか? どなたか~……」
しかし誰もいなかった。声を上げてもシーンとしている。
噴水を一周しても倒れている人はいなかった。ここに女性がいるとすれば、それは壺を持った水の女神の像くらいだ。
もしかして、じゃあ、あそこから逃がすための嘘を?
「なんだ、そっか」
両手でグラスを包む。
何から何まで本当に申し訳なく思った。同じくらい感謝もしているけど、結局助けられてばかりで成長しない自分に嫌になる。自己嫌悪は一番湧きたくない感情だ。
……ああもう、やめやめ。
とりあえず本当に体調を崩したご婦人がいないかどうかだけしっかり探してから、血敬の間に行くことにしよう。
「……なんだろう? 人?」
あたりを探していると、少し遠くに人陰がよぎったのが見えた。もしかしたら体調の悪いご婦人(仮)が気分転換に散歩しているのかもしれない。
この水、どうするか。ここの縁に置いておいて、いちおう声だけかけて、客室への案内が必要かどうかだけ聞こう。
ふさふさの芝生を踏みしめて庭園の奥に入っていく。
隣は迷路みたいな生け垣がある。あんなところに入ったら一瞬で迷いそうだ。花の季節だから生け垣も色が賑わっている。花びらが長い花もある。何の花だろう。兎鳥の耳みたい。
誰かがこの辺にいた気がするのに、あっちにもこっちにもいない。
もう少し奥?
でもけっこう奥に来たけど、婦人もしかして元気なのでは。
明かりの漏れた、広間の硝子窓が小さく見える。
だいぶ離れたところまで来たようだ。
「……で、したに……と」
「き……よ」
森のように植物が密集しているところから、話し声がした。
見かけた人以外の誰かがいるのか、一つの茂みの中から気配がする。
茂みっていっても腰あたりまでの高さしかないから、体勢を低くしていないと身体がはみ出るはず。
一人で話すわけがないから、隠れて何人かでゴロゴロ転がって夜空を眺めながら話しているとか。等間隔に木があるから天体観測には不向きな気もするけど。
たぶん仲良しな人たちなんだ。どれどれ、何をしているのやら。
「王の庭でこんなことをしているなんて、いけない人だわ」
「貴女ほどじゃないさ」
ん、んんんん!?
「あ? 誰だ!」
近くの木の裏に隠れたときに音を立ててしまった。不覚っ。
「気のせいか」
すぐに引き返したからバレてはいないみたいだ。
胸を抑え、口に手をあててしゃがみこむ。さっきちょっと見えたものについて考える。
こ、ここここここって庭園だよね。
なんであんな、ふ、ふしだら過ぎじゃない!?
女の人が男の人を押し倒してチュッチュしてた!
母親くらいの年齢の女性だし、既婚者の証である黒いレースを首に巻いていたからゼノン王子の相手候補ではないと思うけど、いくらなんでもこんな日にこんなところでドレスの下を開けっ広げにしていい理由なくない!?
マリスからそういう話を聞いたことはないけど、マーニャ夫人の備忘録を読んだときに書いてあった『宴の夜に若いお嬢さんは庭に出ないほうがいいわ。奔放な大人たちを目にしたくなければね』の部分、奔放って酒飲んで暴れてみっともない姿でもさらしてるから? なんて思っていたけど、もしかしてこういうことなの!?
私だっていい歳した女だ。いまさらあれが何なのかわからないほど世間知らずな馬鹿ではない。
「かわいらしいお口だこと。神に仕えるのに、神を恐れないの?」
「ああ、彼らは強欲で醜いんだ。だから同類の俺のことも許してくれるさ」
聞こえる聞こえるふしだらな声が。
乱れている! 風紀が乱れている!!
「どこにしてほしい?」
どこもくそもあるもんか。もう喋るな、やるなら静かにやってくれ。
なんだかよろしくない流れになってきたので、忍び足で退散する。
仲良く天体観測をする大人たちを盗み見たい気持ちはあれど、違う意味で仲良しな二人組を盗み見る趣味はない。欲望の権化め。
いち、に、いち、に、静かにそっと後ろに――トン、と何かにぶつかる。
草でも木でもないことは確かだ。人、に当たったような。
おそるおそる振り返ろうとした矢先、後ろから伸びてきた手に口を塞がれる。
『そのまま』
耳元で囁かれる低い声。知った香り。
金色の髪の毛が首もとに流れ落ちる。
口を塞がれたまま迷路の壁、生け垣の近くまで連れていかれた。
後ろ歩きで音を立てないように移動しているから、油断していると足がもつれそうになる。しかし背中に身長のある男が張り付いているから、安定感はある。
茂みからは見えない、距離もある程度取れたところで口と手首が解放された。
月明かりしかないが、振り返ると相手の顔がよく見えた。
「大丈夫?」
舞踏会の会場から抜け出してきたのか、私を庭園へ誘導したはずのロックマンがここにいた。
「けほっ、んん。助かった」
「どういたしまして」
「でも、どうしてここにいるの? コック王子は?」
ここにいるということは、コック王子のほうはどうにか誤魔化せたのだろうか。……あれを?
「こっちが聞きたいね。魔石を届けに来るのは仕事だとして、メイド? しかもこんな奥まった危ない所に来て襲われたらどうするんだ。騙して広間から出したのは僕が悪かったけど」
「メイドは、その、ちょっと成り行きで……」
「成り行きね」
「でもこれは万が一と思って婦人を探してたんだからしょうがないじゃない。襲われたら、そりゃあ返り討ちに」
「王の庭で無許可で魔法を? 裁判所で会えるのを楽しみにしてるよ」
「なんつう言い草」
「静かに。シー」
腕が伸びてきて、前からグイっと胸に抱きこまれた。
んぐ、い、息が、できない。私、窒息死させられようとしてる? メイドやっただけで!? とんでもない畜生め!
私を真正面から抱きしめたまま、ロックマンは生け垣を背にして座り込む。奴の長くて憎たらしい足の間には、自分のちっぽけな身体がすっぽりと収まっている。
ジタバタもがいていると顔を横向きにされ、私の頭を覆い隠すように手が当てられた。
スーハー、スーハー……。
息はできるようになったけど、なにこれ。
胸板あたりに手を置いて離れようとしたらさらに抱き込まれたので、いきなり何なのだと聞こうとしたら近くの茂みがガサガサ動いた。逃げて来たほうだ。
もう一段階、大きな手にぎゅっと押さえ込まれる。
「おお、これは失礼しました。ではではそちらも楽しんで」
さっきの男女の、男のほうの声だった。胸元に顔を固定されているから顔はよく見えない。
なんっ……楽しんで? 楽しむことなんてないけど!?
いったい今の私たちは他人の目にどう映っているのか。知りたくもない。
次回は木曜日更新予定です。




