第八話
「このタイミングであの時の夢を見ることになるとは」
まるで水の中から浮上するかのような穏やかな目覚めであった。
「なにをぶつぶつ言っておる。ほら、夕餉の時間ぞ」
「む?」
ミリシアの言葉に促され、身を起こす。するとちゃぶ台の上には出来立ての夕食が並べられていた。焼き魚に味噌汁と冷奴。どれも新聞やテレカメラで何度も観たものばかりである。
「まだ俺は夢を見ているのか。これではまるであの妖狐が料理を作ったようではないか」
「失礼なやつよのう。それに妖狐と呼ぶのはやめろと言っておろうが」
ココ、と笑いながらミリシアはちゃぶ台に座る。
「一体何が目的だ? お前が俺に飯を作るなど……」
と、言いかけた途中でヒイロの腹が大きく鳴った。
「御託は良いからさっさと食べるがいい。冷めてしまうぞよ?」
「それもそうだな」
そこからヒイロは黙々と目の前の食事を平らげていった。
「ふう。まぁまぁ美味かったな」
「釜の中の米を全部食い尽くしておいて、随分な物言いよの」
「さっさと食べろと言ったのは……まぁ良い。それで、どういう気の回しだ。ダイタニアでは身の回りのことは全て部下に任せきりだったお前がなぜこんな真似を」
「無論、これから余の代わりに働くお主を労うためぞ」
などと述べながらミリシアが肩を寄せてくる。
「ふざけるな。そもそも明日の強盗の件で、一番重要な点を俺はまだ聞けていないぞ」
「はて、何か言い忘れておったかの?」
「お前はなぜ俺にこんな話を持ちかけた? この程度のことなら、お前一人でも無事にこなせる任務のはずだ。わざわざ俺に協力を頼む必要などなかったはずだ」
そもそもヒイロとミリシアは、かつて勇者と魔王という立場で憎と争った間柄なのだ。一体誰が好き好んでいつ爆発するとも分からない爆弾を抱え込むだろうか。
「妥当な質問じゃな。ではまず、余の身体を見てもらうのが一番かのう」
そしてミリシアは大胆にも着物の前をほどき、ヒイロに対しその裸身を露わにした。
「な、お前は一体! 急になにを!!」
「何をそんなに混乱しておる。そこからでは余の腹についた傷が見えぬじゃろう。ほれ、もっとこっちにまいれ」
「ここで良い、ここでも充分に見えるから早く服を着ろ……!」
反射的に目をつぶってしまっていたヒイロだったが、彼女が服を着た事を音で判断する事でようやく目を開くことが出来た。
「実を言うとお主につけられたこの傷のせいで、身体に魔力が溜まりづらくなっておるのじゃ。今は小さな炎を出すほか、低魔力でも扱えるような簡単な魔法しか使えぬ」
「その傷……グラムによる切り傷か。あの剣には魔法や魔力を打ち消す効果がついているので、なんらかの因果関係があるのだろうな」
と予想は立てられるものの、ここで議論しても答えが出るわけではない。ヒイロは話を切り替える事にした。
「その今使える簡単な魔法とやらについてもっと具体的に話せ」
「傷を癒す『ヒール』と、狭い範囲にのみ有効な『認識阻害魔法』と『念話』じゃな……あとはそう、これがあったな」
ミリシアの手元が光ったかと思うと、古びた本がその手に握られていた。
「お主にも説明をした事はなかったが、これは『読める図書館』という魔法でのう。魔力の少ない今、時間はかかるがこの世の全ての書物に書かれた情報を検索することができる魔法じゃ」
説明を聞いたヒイロは納得したように頷く。
「ダイタニア時代、既に失われたはずの魔法を使っていたのもこれが理由か。まさか、何度も蘇ってきたのも──?」
「その通りじゃ。この魔法さえあれば国の機密文書から子供向けの絵本の内容まで、どんな情報も盗み見ることが可能ぞ。だが、口伝によって継承されているような、紙に記されていない情報を集める事は不可能じゃ。気をつけると良い」
ちなみに、と彼女は付け加える。
「今は防御魔法も使えぬゆえ、今の余の耐久力は普通の人間とそう変わらぬ。ヒールがあるとて即死級の攻撃を食らえば一発でお陀仏ぞ、注意するがよい」
質問は終わりかのう? とミリシアが聞いてきたので、最後にヒイロが尋ねた。
「応えてくれるとは思っていないが……お前の本当の目的は何だ? 正真正銘、銀行の悪事を暴き、市民を助けようなどと思っているわけではあるまい」
「ココ、バレておったか。決まっておる。金儲けのためよ。異世界だかなんだか知らぬが、余は以前と同じように浪費のかぎりを尽くしたいのよ」
「お前のことだ。そんなことだろうと思っていたよ」
だがな、とヒイロは一つ置いて告げる。
「そんなことは俺がさせん。銀行に預けられた全額とまではいかぬだろうが、奪われた金は俺の手で市民へと渡す」
「お主こそ労働の対価として、いくらか金を抜くのであろう?」
「しない」
間髪入れず応える彼の姿にミリシアはつまらなそうな顔を見せる。
「ほんっとクソ真面目よのう。ちぃとは欲を出さぬか。まあ今はそれで構わん、どうせ現物をみれば心変わりをするはずじゃしのう。それに、余には金とは別にこの世界で成し遂げたい真の野望があるからのう……」
「なんだと?」
不穏な響きのある言葉に思わずヒイロが聞き返すと、あっさりと流される。
「話は終わりじゃ、風呂を借りるぞよ」
「勝手に話を進めるな。それに風呂は故障中で水しか出ないぞ」
「まさかお主、シャワーも浴びとらんということか……?」
「いや、水で身体を清めている」
「はぁ。何度も世界を救った勇者がこの様な変人だとは……」
呆れたミリシアは自宅に帰り、風呂に入ってくると言って部屋を出て行くのであった。
「妖狐、あいつの野望とは一体……まあなんであろうと俺が阻止するまでだ」
ぼそりと告げたヒイロの独り言に応えるものは誰もいなかった。




