第8話 ヒロインと、剣と、お茶会
エリナ・ソレイユが王宮学院に転入して二週間が経った。
最初の数日で令嬢たちの冷たい視線は落ち着いた。アリシアが昼食に誘った、という話が広まったからだ。アリシアが意識したわけではない。ただそうなった。
エリナ自身は、その事情をよく分かっていなかった。
ただ昼食の時間にアリシアの隣に座り、アリシアの話を聞き、時々自分の話をした。それだけだった。しかしそれだけで、学院での居場所が少しずつできていった。
不思議な方だ、とエリナは思っていた。
何かを計算している様子がない。しかし気づくと周囲が変わっている。
ある昼食の時間、エリナはアリシアに聞いた。
「アリシア様は、お茶会には行かないのですか」
「行く」
「えっ、行くんですか」
「公爵令嬢だから、呼ばれたら行く」
「……どんな感じなんですか、お茶会」
「退屈」
アリシアは静かに言った。
「退屈、というのは」
「スコーンは美味しい。紅茶も好き。しかし話す内容が、たいてい同じ」
「同じ、というのは」
「誰と誰が婚約しそうとか、どこの令息が素敵とか、新しいドレスの話とか」
「……それは普通のお茶会の話題では」
「そう。だから退屈」
エリナは少し考えた。
「アリシア様は、どんな話をしたいのですか」
「剣の話」
「……お茶会で」
「場所は問わない」
「……お茶会で剣の話をする令嬢は、アリシア様くらいでは」
「そうらしい」
アリシアは少し首を傾げた。
「だから退屈なのよ」
エリナは思わず笑った。
笑ってから、しまったと思った。失礼だったかと思った。
しかしアリシアは気にした様子がなかった。
「エリナさんは笑うのね」
「すみません、つい」
「謝らなくていい。笑うのは良いことよ」
「でも」
「笑える話をしたから、笑った。それだけでしょう」
エリナはまた少し笑った。
この方と話していると、妙に楽になる、と思った。
翌週、アリシアのもとにお茶会の招待状が届いた。
主催はリーナ・ヴェルナー伯爵令嬢。学院の中では中心的な令嬢で、社交の場を仕切るのが上手いと評判だった。
招待状にはエリナの名前もあった。
「エリナさんも呼ばれているわ」
「え、私もですか」
「あなたは知らなかった?」
「今日届きました。ただその、私なんかが行っていいのかと思って」
「行けばいい」
「アリシア様と一緒に行っていいですか」
「どうぞ」
フィーナが静かに言った。
「アリシア様、朧月は」
「置いてくる」
「……珍しい」
「お茶会に刀を持っていくと、場が乱れるから」
「……いつもは気にしておられなかったでは」
「エリナさんが一緒だから、迷惑をかけたくない」
エリナは目を丸くした。
フィーナも、ほんのわずかに目を丸くした。
「……アリシア様が刀を置いていくのは、初めてではないですか」
「そうかしら」
「そうです」
「そう」
アリシアは特に感慨もなさそうに言った。
エリナはなんと言えばいいか分からなかったので、ただうつむいた。耳が少し熱かった。
お茶会の当日。
会場はリーナ・ヴェルナー伯爵家の庭園だった。白いテーブルに白い椅子、色とりどりの花、良い香りの紅茶。絵のような光景だった。
アリシアが入ってきた瞬間、庭園の空気が変わった。
白金の髪。薄紫の瞳。今日は礼装を纏っていた。いつもと違う、華やかな公爵令嬢の姿だった。腰に朧月はない。
令嬢たちが一斉に視線を向けた。
アリシアは笑顔で令嬢たちに挨拶した。完璧な所作だった。七年間公爵令嬢として育てられた礼儀が、完璧に機能していた。
エリナはその隣で、少し遅れながら挨拶した。
「アリシア様、今日は剣を持っていないのですね」
リーナ伯爵令嬢が言った。揶揄する気持ちが少し混じっているような、しかし表面上は穏やかな声だった。
「お茶会ですので」
「いつもは持ち歩いておられるでしょう。稽古道具とかで」
「場を選びます」
「では剣を手放せるのですね。てっきり、いつでもどこでも離さないものと」
「離せる時は離します」
アリシアは微笑んだ。令嬢の、完璧な微笑みで。
「ただし離せない場所では離しません」
「それはどんな場所ですか」
「有事の時です」
リーナ令嬢は少し間を置いた。
「……お茶会で有事はないでしょう」
「そうですね。ですから今日は置いてきました」
会話が成立しているようで、していない。アリシアが一枚上手だった。リーナ令嬢は笑顔を保ちながら、少し目が泳いだ。
エリナはその横でスコーンを食べながら、密かに感心していた。
お茶会の中盤、話題がクロード王子の話になった。
「最近、殿下が毎日稽古をされているそうですわ」
「まあ、熱心ですこと」
「理由はご存知ですか」
令嬢たちがざわめいた。
誰かがアリシアを見た。
アリシアは紅茶を飲んでいた。表情は穏やかだった。
「アリシア様はご存知では? 殿下の婚約者候補でいらっしゃるから」
リーナ令嬢が言った。今度は明確に、探るような声だった。
「さあ」
「殿下が稽古を増やされた理由、心当たりはありませんか」
「特には」
「でも、殿下はアリシア様と婚約したいとおっしゃっていると聞きますが」
「そうらしいですね」
「アリシア様の方はどうなのですか」
座の視線が集まった。
アリシアは紅茶のカップを置いた。
静かに、しかしはっきりと言った。
「殿下が強くなれば、考えます」
沈黙。
令嬢たちが顔を見合わせた。
「強く、と申しますと」
「剣が強く、ということです」
「それは……お茶会で話す内容では」
「ごもっとも」
アリシアは微笑んだ。
「では話題を変えましょう。このスコーン、とても美味しいですね。レシピはどちらで」
リーナ令嬢は一瞬止まった後、笑顔で答えた。
「うちの料理人が工夫しまして」
「今度教えていただけますか。フィーナが喜びます」
「フィーナさん、スコーンがお好きなのですか」
「甘いものが好きなのに、本人は頑なに認めないのです」
その発言で、座に小さな笑いが起きた。
緊張が、少し解けた。
エリナはスコーンを食べながら、隣のアリシアを見た。
この方は今、場を変えた、と思った。
剣の話を切り上げて、フィーナの話で笑いを取った。意図していたかどうかは分からない。しかしそれで場が和んだのは事実だった。
無自覚に、場を操っている。
エリナは少し怖いと思った。怖い、だけではない。すごい、とも思った。
帰りの馬車の中、エリナは言った。
「アリシア様、今日のお茶会、すごかったです」
「どのあたりが」
「全部です。立ち振る舞いも、言葉の選び方も」
「公爵令嬢として育てられたから」
「それだけじゃないと思います」
アリシアは少し首を傾げた。
「そう?」
「リーナ様に色々聞かれても、答えたくないことは答えなかったし、でも険悪にもならなかったし、最後は場を和ませていたし」
「スコーンの話をしただけよ」
「それが上手いんです」
アリシアはしばらく考えた。
「……そうかしら」
「そうです」
フィーナが静かに言った。
「旦那様も、同じようなことをおっしゃっていました。アリシア様は無自覚に場を動かすと」
「父上が?」
「先日の夕食の席で」
「……そんなことを話していたの」
「はい」
アリシアは窓の外を見た。
少し、考えた顔をしていた。
「自覚がないのは、どうすればいいのかしら」
「自覚しなくていいと思います」
エリナが言った。
「自覚したら、わざとやっている感じになるので。今のままの方が、アリシア様らしい気がします」
アリシアはエリナを見た。
少し目を細めた。
「エリナさんは、面白いことを言うのね」
「面白いですか」
「褒めている」
「あ、ありがとうございます」
エリナは耳を赤くした。
フィーナは窓の外を見たまま、小さく息を吐いた。
アリシア様が笑った。
お茶会帰りに、機嫌よく笑った。
それだけで今日は良い一日だった、とフィーナは思った。
思ってから、自分でも少し驚いた。
いつの間にか、そういう基準になっていた。




