表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生令嬢は剣を取る ~前世の記憶と婚約者と、私の剣が最強です~  作者: 翡翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/12

第4話 鍛冶屋の爺と、誂えの刀

 父に連れられ馬車に揺られること半刻。


 王都の外れ、石畳が途切れて砂利道になる手前に、その工房はあった。


 看板は煤けて文字が半分消えている。炉の熱気が通りまで漏れ出し、金属を打つ音が規則正しく響いていた。


 良い音だ、とアリシアは思った。


 前世の記憶の中に、似た音がある。師匠の紹介で世話になった刀鍛冶の老人。その工房の音と、どこか似ていた。


「アリシア、ここは——」


「分かっております、父上。無礼のないようにします」


 公爵は苦笑した。


 先日の稽古の後、アリシアは父に言った。


 木刀では、感覚が掴めません。刀を誂えたいのです。


 父は三秒黙った後、明後日、連れて行こうと言った。それだけだった。聞き返しも、反対もしなかった。


 ヴィクトール・フォン・ヴァルトハイム公爵という男は、娘の剣の筋を、あの朝に見た。それで十分だったのだろう。



 工房の奥に、老人がいた。


 七十を超えているだろうか。背は低く、腰は曲がり、右手は古傷で人差し指が半分ない。しかし炉の前に立った時の眼光だけが、若者のように鋭かった。


 王都で最後の、日本刀様式の刀を打てる職人——グンナル翁。


 この世界に日本刀はない。しかし数十年前、東方の商人が持ち込んだ一振りの刀に魅せられたこの老人が、独学で似たものを作り続けた。完全な再現ではないが、製法の本質は捉えていると言われる。


「公爵様。また娘御を連れてこられましたか」


「頼みがある、グンナル」


「見れば分かります。——そちらのお嬢さん、前に出てみなされ」


 アリシアは前に出た。


 老人はしばらく、アリシアを眺めた。顔ではなく、肩を、腕を、腰の据わり方を。


「……ほう」


 老人は目を細めた。


「剣をやる目だ。それもただの剣ではない」


「お分かりになりますか」


「七十年も刀を打っておれば、使い手の目を見れば分かる。——で、何が欲しい」


 アリシアは一歩前に出た。


「二振り、お願いしたいのです」


「二振り」


「一振りは刃引き。稽古用です。もう一振りは真剣。こちらは有事の備えに」


 老人は眉を上げた。


「……令嬢が真剣を持つ理由が、あるのかい」


「あります」


 断言した。


 老人はしばらくアリシアの顔を見た後、低く笑った。


「よかろう。——して、仕様は。刀の重さ、重心の位置、そりの具合。分かるなら言ってみなされ」


 試している。


 そう分かった。


 七歳の令嬢がどこまで本物かを、職人の目で測ろうとしている。


 アリシアは微笑んだ。公爵令嬢の愛らしい笑みではなく——前世で、玄人相手に刀の話をする時の、静かな笑みで。


「全長は私の身長に合わせず、やや長めに。今後伸びますので」


「ほう」


「重心は柄から三寸ほど刀身に寄せてください。先重ねにすると斬り込みの際に押しが利きます」


「……続けなされ」


「そりは浅めで。深いそりは騎馬には向きますが、私は地に足をつけて戦います。刃文はお任せします——そこは職人の領分です」


 沈黙。


 炉の音だけが響いた。


 老人は腕を組み、アリシアをじっと見た。


「——お嬢さん」


「はい」


「あんたは何者だ」


 アリシアは少し考えた。


「公爵令嬢です」


「そうじゃない。そういうことじゃない」


 老人は静かな声で言った。


「その知識は、どこで学んだ。貴族の剣術で教えることじゃない。東方の刀について、書物すら少ないこの国で、あんたは何故それを知っている」


 アリシアは父を見た。


 父は小さく頷いた。


「……夢で見たのです」


「夢」


「刀を打つ老人が出てきました。似たような爺様で、怖い顔をしていましたが、良い刀を打っておられた」


 老人は数秒沈黙し——。


 また低く笑った。今度は、最初よりも柔らかく。


「怖い顔とは、失礼な夢を見るもんだ」


「似ていますよ。目の光が」


「……ふん」


 老人は立ち上がり、工房の奥へ歩いた。


「三ヶ月もらう。二振りで三ヶ月だ。——刃引きの方を先に仕上げる。名前は自分でつけるか、わしがつけるか」


「刃引きの方は私が。真剣の方は爺様が」


「ほう、理由は」


「稽古刀は毎日使うもの。自分の名前をつけたい。真剣は——最初に打った朝の空気を、職人だけが知っているものでしょう」


 グンナル翁は長い沈黙の後、振り返らずに言った。


「……帰りなされ。三ヶ月後に来い」


 それだけだった。


 アリシアは礼をして、工房を出た。



 馬車に戻る途中、父がぽつりと言った。


「グンナル翁が笑うのを、初めて見た」


「良い方ですね」


「客に向かって怖い顔と言った令嬢は、お前が初めてだろうが」


「前世の師匠に似ていたものですから」


 父は立ち止まった。


「……アリシア。前世、というのを、お前はよく言うな」


「庭園で転んだ日から、夢をよく見るのです」


「夢」


「剣の夢です。とても長い夢で、とてもよく覚えているのです」


 父はしばらく黙った。


 やがて、娘の頭に大きな手を置いた。


「……そうか」


 それだけだった。


 父もまた、多くを聞かない人だった。


 アリシアは父の手の重さを感じながら、三ヶ月後を思った。


 自分の刀が来る。


 今世で初めて——自分の刀が。



 三ヶ月は思ったより早く過ぎた。


 毎朝の稽古で木刀を振り、宮廷剣術師との対稽古で場を沸かせ、第三王子から届いた稽古の申し込みという奇妙な手紙を保留にし——気づけば季節が変わっていた。


 工房を再び訪れた日、グンナル翁は無言で二振りを差し出した。


 一振りは黒鞘。藍の柄巻き。


 一振りは白鞘。打ち粉の香りがまだ残っている。


「持ってみなされ」


 アリシアは刃引きの刀を手に取った。


 重い。


 良い意味で。


 重心が、指定通りの場所にある。柄の収まりが、掌に吸い付くように合っている。


 アリシアはゆっくり抜刀した。


 刃引きの刃が、工房の薄明かりを反射した。


 一振り、素振りをした。


 音が、変わった。


 木刀とは違う。空気の断ち方が、別次元だった。


「……名前は決まったか」


「朧月」


「理由は」


「前世では月明かりで稽古しておりましたので」


 翁は鼻を鳴らした。


「では真剣の方を見なされ」


 アリシアは白鞘の一振りを手に取った。


 抜いた。


 霜が降りた朝のような、澄んだ刃文が走っていた。


「霜斬りと名付けた。最初に火入れをした朝、霜が降りておった」


「……良い名前です」


「刃文は南蛮渡来の技法と、わしの流儀を混ぜた。この国でこれを打てるのは、もうわしだけだ」


 アリシアは真剣を、静かに納刀した。


「一つお聞きしてよいですか」


「なんだ」


「これを打つ間、楽しかったですか」


 翁は目を細めた。


 長い沈黙の後。


「……久しぶりに、本物のために打った気がした」


「それは」


「楽しかったということだ、このわからず屋め」


 アリシアは笑った。


 令嬢らしくも、剣士らしくもなく——ただ純粋に、子供のように。


「また来てもよいですか。刀のことを教えてください」


「三ヶ月おきに来い。茶くらいは出してやる」


「では次回は私がお茶菓子を持参します」


「いらん」


「参ります」


「……勝手にしろ」



 馬車に揺られながら、アリシアは膝の上の二振りを見た。


 朧月と、霜斬り。


 今世で初めて手にした、自分だけの刀だ。


 さて、とアリシアは思った。


 これで、本格的に始められる。


 縮地の練度を上げる。間合いの感覚を朧月で研ぎ澄ます。体が今世の子供の器である間に、可能な限り前世の感覚に近づける。


 朧月の柄を、そっと握った。


 吸い付くように、手に馴染んだ。


 後世に霜斬り姫と呼ばれる令嬢の最初の一振りは、こうして鍛冶師の老人の工房で生まれた。


 その時のアリシアはまだ、自分がそう呼ばれることなど、知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ