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転生令嬢は剣を取る ~前世の記憶と婚約者と、私の剣が最強です~  作者: 翡翠


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10/12

第10話 王宮剣術大会、決勝 縮地、初披露

 決勝の朝、アリシアはいつもより遅く起きた。


 夜明けではなく、日が昇ってから。


 フィーナが部屋に入ってきた時、アリシアはベッドの上に座って目を閉じていた。


「アリシア様」


「おはよう」


「眠れましたか」


「よく眠れた」


「……珍しい」


「緊張していないから」


「昨日の予選後も同じことをおっしゃっていました」


「昨日も緊張していなかった」


 フィーナは朝の仕度を整えながら、アリシアを横目で見た。


 目を閉じたまま、静かに座っている。表情は穏やかだった。緊張している様子は、確かにない。しかし何かを考えている様子も、ない。


「何を考えているのですか」


「何も」


「何も?」


「無心でいる練習をしていたの。前世で師匠に教わった。試合前は何も考えるな、体に任せろ、と」


 フィーナは手を止めた。


「……無心でいる練習」


「難しいのよ、これが。何も考えないでいようと思うと、何も考えないでいようとしている自分が出てきてしまうから」


「……それは確かに難しいですね」


「でも慣れると、静かになる。頭の中が」


 アリシアは目を開けた。


「今日は静かになった」


 フィーナはアリシアの顔を見た。


 薄紫の瞳が、澄んでいた。濁りがない。水の底のように、静かだった。


「……準備ができています」


「ありがとう、フィーナ」


 アリシアはベッドから降りた。



 決勝の会場は予選と同じ大広間だったが、観覧席の人数が違った。


 予選の倍はいた。貴族も、騎士も、官吏も。最前列にはヴィクトール公爵が座っていた。その隣に公爵夫人、そしてクロード王子。


 クロードは腕を組み、砂の上を見ていた。


 昨日の予選から見ていた。アリシアがレオン・アッシュを下した試合も、全部見ていた。


 師範から聞いていたことは知っていた。頭では理解していた。


 しかし実際に見ると、違う。


 あれが——七歳の、自分の婚約者候補の動きだ。


 クロードは静かに息を吐いた。


 弱い男とは結婚したくない。


 あの言葉の意味が、昨日の試合を見て初めて、本当に分かった気がした。



 決勝の対戦相手は、二人いた。


 一人はレオン・アッシュ。予選でアリシアが下した近衛騎士だった。予選後に言っていた通り、向こうのブロックを勝ち上がってきた。


 もう一人は予想外の人物だった。


 カイン・ドレイク。三十代の近衛騎士で、レオンの上役にあたる人物だった。大柄で、剣歴は二十年。王宮でも五本の指に入る実力者といわれ、今年初めて大会に出場した。


 決勝は三人による総当たりだった。


 アリシア対レオン、レオン対カイン、カイン対アリシアの順番で行われる。


 観覧席がざわめいた。


 令嬢が大会決勝に上がった。それだけで十分な話題だったが、相手がレオンとカインとなれば話が違う。両者とも王宮を代表する剣士だ。


 令嬢に勝ち目はない、という声があった。


 予選を見ていた者は黙っていた。



 第一試合。アリシア対レオン。


 昨日と同じ二人が向かい合った。


 昨日との違いは、レオンの目だった。昨日より鋭かった。昨日負けた相手に対する、純粋な闘志があった。


 アリシアはその目を見て、少し笑った。


「昨日より良い目をしています」


「昨日は驚きすぎました。今日は驚きません」


「そうですか」


「全力で行きます」


「どうぞ」


 試合が始まった。


 最初の一合から速かった。昨日より速かった。レオンが本気だということが、一合目から分かった。


 アリシアは流した。


 二合、三合。レオンが押していた。力が違う。昨日分かっていたことだった。しかし今日のレオンは、昨日より踏み込みが深く、速かった。


 四合目、アリシアが弾かれた。


 体勢が崩れる前に立て直した。しかし昨日より速く崩しに来た。


 良い、とアリシアは思った。


 昨日の試合から修正してきた。一日で修正できる量ではないはずだが、それでも修正してきた。


 本気の相手は、良い。


 五合目、打ち合いが三度続いた。


 六合目、レオンが大きく踏み込んだ。


 アリシアは前に出た。


 昨日と同じ動きだった。懐に入り込んで、手首を弾いて、喉元に朧月を止める。


 しかしレオンは対応していた。


 昨日と同じ動きに、今日は備えていた。


 懐に入られた瞬間、体を捌いた。


 朧月が空を切った。


 アリシアの体勢が、わずかに崩れた。


 レオンの木刀が、アリシアの肩口を打った。


 一本、レオン。


 観覧席が声を上げた。


 昨日負けた相手から、一本取った。



 アリシアは体勢を立て直した。


 レオンを見た。


 レオンは真剣な顔をしていた。嬉しそうでも、驕っていもいない。ただ集中していた。


 良い、とアリシアは思った。


 それでこそ、本気が出せる。


 試合が再開した。


 アリシアは変えた。


 動きを変えた。間合いの取り方を変えた。踏み込みのタイミングを変えた。


 昨日と今日で同じ動きをするつもりはない。相手が対応してくれば、こちらも変える。それが前世から積み上げてきた戦い方だった。


 七合目。


 アリシアが動いた。


 踏み込みが、深かった。昨日の最後の一本に似た踏み込みだったが、角度が違った。


 レオンが昨日の対応をしようとした。


 間に合わなかった。


 朧月が、胴を打った。


 一本、アリシア。


 同点。



 最後の一本。


 レオンが構えた。


 昨日と同じだった。純粋な緊張があった。集中していた。


 アリシアも構えた。


 動かなかった。


 待った。


 レオンが仕掛けてきた。速かった。踏み込みが深く、狙いが正確だった。


 アリシアは横に動いた。


 レオンが追った。


 二人が動き合った。打ち合った。


 五合続いた。


 六合目に、アリシアが踏み込んだ。


 深く。


 速く。


 前世で何千回とやってきた踏み込みだった。


 縮地、ではない。まだ縮地ではない。しかし縮地に近い踏み込みだった。


 レオンが反応しきれなかった。


 朧月が、喉元で止まった。


 二本、アリシア。


 勝者、アリシア。


 観覧席が沸いた。



 第二試合。レオン対カイン。


 アリシアは観覧席から見た。


 カイン・ドレイクは強かった。レオンより力があり、速さはレオンと同等で、経験がある分だけ読みが深かった。


 レオンが二本先取されて、一本返して、最後に取れなかった。


 二対一でカインの勝利だった。


 アリシアはカインの動きを見ていた。


 大きい。力がある。踏み込みが重い。受けに回れば確実に弾かれる。


 しかし——隙がある。


 小さい隙だった。動きの切り替えの瞬間に、ほんのわずかに、遅れる場所がある。


 前世ならば当たり前に見えた隙だった。しかし今世の体と目で見えるかどうかは、やってみなければ分からない。


 フィーナが隣に来た。


「カイン殿を見ていますか」


「ええ」


「どう見えますか」


「強い」


「……それだけですか」


「隙がある」


「見えますか」


「たぶん」


 フィーナは砂の上を見た。


「……大丈夫ですか」


「やってみなければ分からないことがある。それだけ」


「……らしくない言葉ですね」


「そう?」


「アリシア様はいつも、やれると言い切ります」


 アリシアは少し考えた。


「言い切れる時は言い切る。言い切れない時は言い切らない。それだけよ」


「……今日は言い切れない?」


「カインはレオンより手強い。それは分かった。どこまで本気を出すか、決めかねているのよ」


 フィーナは目を細めた。


「……どこまで、というのは」


「縮地を使うかどうか」


 フィーナは静かに息を吸った。


 縮地、という言葉は知っていた。アリシアから聞いたことがある。前世で到達した、神速を超えた神速の足捌きだと。しかし今世でそれを使うところを、フィーナはまだ見たことがなかった。


「今世で使ったことは」


「ない。使う必要がなかったから」


「……カインが相手なら、必要がある?」


「あるかもしれない」


 アリシアは朧月の柄を握った。


「使えるかどうかも、やってみなければ分からない。今世の体で使えるかどうかは、試したことがない」


「……怖くないのですか」


「怖い?」


「使えなかったら、という意味で」


 アリシアは少し考えた。


「使えなければ、使えない中で勝てばいい」


「……使えなくても勝てますか」


「分からない」


「……それが今日の、言い切れない理由ですか」


「そう」


 フィーナはアリシアを見た。


 珍しかった。この方が分からない、と言う場面は、滅多にない。


 しかしその目は澄んでいた。迷っていない。ただ、正直に言っているだけだった。


「アリシア様」


「なに?」


「使えると思います」


「根拠は」


「根拠はありません」


 フィーナはまっすぐにアリシアを見た。


「ただ、アリシア様の体が覚えていることは、今世でも出てきます。今までそうでした」


 アリシアはフィーナを見た。


「……そうね」


「はい」


「ありがとう、フィーナ」


「お礼には及びません。事実を言っただけです」


 アリシアは少し笑った。


 澄んだ、静かな笑みだった。



 第三試合。アリシア対カイン。


 カイン・ドレイクはアリシアを見た。


 令嬢だった。七歳の。しかしレオンを下した動きは見ていた。油断するつもりはなかった。


「アリシア嬢」


「はい」


「怪我をさせてしまっても」


「しません」


「できれば手加減を——」


「カイン殿」


 アリシアは静かに言った。


「手加減は不要です。全力で来てください」


「……それは」


「私が全力を出せません」


 カインはしばらくアリシアを見た。


 やがて、深く息を吸った。


「……分かりました。失礼のないよう、全力で」


「ありがとうございます」


 二人が構えた。


 観覧席が静まり返った。


 試合が始まった。


 最初の一合で、観覧席から息を飲む音がした。


 速かった。カインが速かった。レオンより重く、レオンより力がある踏み込みが来た。


 アリシアは流した。


 流せた。しかし弾かれる寸前だった。


 二合目、カインが追った。速かった。


 アリシアがかわした。


 三合、四合、打ち合った。


 カインが押していた。力が違いすぎる。体重が三倍近く違う。受けに回れば終わりだった。


 五合目、アリシアが大きく弾かれた。


 体勢が崩れた。


 カインが踏み込んだ。


 アリシアは体勢を立て直しながら、後退した。


 木刀が肩を掠めた。


 一本、カイン。


 観覧席が声を上げた。


 アリシアは肩を押さえた。


 少し、痺れた。本気の一撃だった。



 アリシアは構えを取り直した。


 カインを見た。


 カインは真剣な目をしていた。令嬢相手だからといって手を抜く気がない目だった。


 良い。


 それでこそ。


 アリシアは息を整えた。


 隙を探した。動きの切り替えの瞬間に、わずかに遅れる場所があるはずだった。レオン戦で見えた隙だった。


 もう一度、見えるかどうか。


 試合が再開した。


 六合目。カインが踏み込んだ。


 アリシアは流した。


 切り替えの瞬間。


 見えた。


 小さかった。本当に小さい隙だった。しかし確かにあった。


 間に合わなかった。踏み込みが遅れた。


 七合目。


 また流した。


 また切り替えの瞬間が来た。


 今度は間に合った。


 アリシアが踏み込んだ。


 カインが反応した。速かった。


 朧月が届かなかった。


 カインの木刀が、アリシアの手首を打った。


 朧月が跳んだ。


 アリシアは朧月が床に落ちる前に掴んだ。


 一瞬の出来事だった。


 観覧席が、静かになった。



 朧月を持ち直した。


 手首が痺れていた。


 カインは驚いた顔をしていた。朧月を落とした、と思ったはずだった。しかしアリシアが空中で掴んだ。


「……見事です」


「ありがとうございます」


「しかし」


 カインは構えた。


「まだ私が二本先取です」


「そうですね」


 アリシアは構えた。


 最後の一本を取れなければ負ける。


 カインから最後の一本を取るには——隙を使うだけでは間に合わない。


 アリシアは静かに思った。


 使う。


 縮地を使う。


 今世の体で使えるかどうか、分からない。しかし前世の体が覚えていることは、今世でも出てくる。フィーナが言った言葉だった。


 信じる。


 体を信じる。


 試合が再開した。


 カインが動いた。


 速かった。


 アリシアは動かなかった。


 待った。


 カインの踏み込みが来た。


 その瞬間。


 アリシアは動いた。


 観覧席で、エリナが声を上げようとした。


 声が、出なかった。


 見えなかった。


 アリシアが動いた瞬間が、見えなかった。


 立っていた。


 次の瞬間には、いなかった。


 気づいたら、カインの横に立っていた。


 朧月が、カインの首筋に当たっていた。


 静止。


 誰も声を出せなかった。


 カインは動かなかった。動けなかった。


 何が起きたか、分かっていなかった。


 審判が動いた。


 長い沈黙の後、声を上げた。


 二本、アリシア。


 勝者、アリシア・フォン・ヴァルトハイム。


 大会優勝、アリシア・フォン・ヴァルトハイム。


 沈黙が続いた。


 三秒。


 五秒。


 それから観覧席が、一気に沸いた。



 カインはしばらくその場に立っていた。


 やがてアリシアを見た。


「……今、何が起きましたか」


「踏み込みました」


「どこから来ましたか」


「そこから」


 アリシアは元いた場所を指した。


 カインは元の場所とアリシアが今立っている場所を見比べた。


「……その距離を、一瞬で」


「ええ」


「動いた瞬間が——見えませんでした」


「そうですか」


「今まで、そういう動きをする人間を見たことがない」


「前世でも私だけでした」


 カインは目を丸くした。


「……前世」


「夢の話です」


 アリシアは微笑んだ。


 令嬢の、完璧な微笑みで。


 カインはしばらく黙った後、深く礼をした。


「……完敗です。ありがとうございました」


「こちらこそ。全力で来てくださって、ありがとうございました」


 カインは顔を上げた。


 目の前に七歳の令嬢が立っていた。白金の髪が乱れていた。手首に木刀の跡が赤く残っていた。しかし目が笑っていた。


 剣士の目で、笑っていた。


「アリシア嬢」


「はい」


「一つだけ、お願いがあります」


「なんですか」


「来年も出てください」


 アリシアは少し首を傾げた。


「来年は私が勝てるとは思っていませんが、それでも」


「それでも?」


「あなたと戦った後、もっと強くなりたいと思いました。そう思わせてくれた相手と、また戦いたいのです」


 アリシアは少し考えた。


「来年も出ます」


「ありがとうございます」


「ただし」


「はい」


「来年は今年より強くなっていてください。私も強くなりますから」


 カインは一秒止まった後、笑った。


「……承知しました」



 表彰が終わり、観覧席に戻ったアリシアを、フィーナが待っていた。


 隣にエリナがいた。エリナは目が赤かった。


「エリナさん、泣いていたの」


「泣いてないです。目にゴミが」


「そう」


「……すごかったです。最後の動き、何も見えなくて。気づいたらカイン様の横に立っていて、それで」


 エリナは言葉を詰まらせた。


「なんで泣くのか、自分でも分からないんですが、なんか、なんか見ていたら」


「分かった」


 アリシアはエリナを見た。


「ありがとう、エリナさん」


「私は何もしていません」


「見ていてくれた。それで十分よ」


 エリナは俯いた。


 フィーナはアリシアに布と水を差し出した。


「手首を」


「ええ」


 手首を差し出した。赤くなっていた。


 フィーナは無言で手当てをした。


「……使えました」


「ええ」


「縮地」


「ええ」


「どうでしたか」


 アリシアはしばらく考えた。


「体が覚えていた」


「……そうですか」


「あなたが言った通り」


 フィーナは手当てを続けた。


 アリシア様が縮地を使うところを、見た。


 見えなかった、と言う方が正確だ。動いた瞬間が、見えなかった。


 自分はこの方の稽古相手を何百回とやってきた。踏み込みに慣れてきた、とさえ思っていた。


 しかし今日の最後の動きは——次元が違った。


 まったく、とフィーナは思った。


 この方の底が、まだ見えない。


「フィーナ」


「はい」


「帰ったら稽古をしたい」


「……本日は休んでください」


「手首が痺れているから、体の使い方を変えた稽古を」


「休んでください」


「少しだけ」


「駄目です」


 アリシアは少し口を閉じた。


「……珍しく強く言うのね」


「今日は休むべき日です」


「どうして」


「大会で優勝した日に稽古をする令嬢は、おそらくアリシア様だけです」


「それは」


「今日はゆっくり休んでください。明日から稽古を再開すれば十分です」


 アリシアはフィーナを見た。


 フィーナはまっすぐにアリシアを見返した。


 珍しい目だった。譲らない、という目だった。


「……分かった」


「ありがとうございます」


「フィーナが強く言う時は、たいてい正しいから」


「……当然です」


 フィーナは手当てを終えた。


 視線を前に戻した。


 大広間の砂の上を見た。


 さっき、アリシアが縮地を使った場所だった。


 立っていた。次の瞬間、いなかった。


 それだけだった。


 それだけの動きが、この大広間の全員を黙らせた。


 来年、あの動きはもっと速くなる。


 再来年は、さらに。


 フィーナは小さく息を吐いた。


 この方の隣で、これからどれだけのものを見ることになるのか。


 まったく、と思った。


 楽しみで、仕方がない。

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