第19話 宿場町にて
第十九話
荷が重いと感じたことはない。
両肩に食い込む麻袋の感触すら、どこか現実味に欠けている。
それよりも人の視線だけが、妙に重かった。
「おい坊主、それ二つ持てんのか?」
呼び止めてきた男は、積み荷の横で腕を組んでいた。
日に焼けた顔、粗末な革鎧。行商人か、護衛崩れか。
足を止め答える。
「ええ、問題ありません」
短く答え、地面に置かれたもう一つの麻袋へ手を伸ばす。
持ち上げる。何の反動もなく、身体は沈まない。
「……見かけによらねえな」
男が笑う。だが、その目は値踏みしている。
視線は、返さない。
「運び先は、どちらへ?」
「ドロウの宿だ。表通りの……ああ、あそこだ」
顎で示された先。青い屋根で、人の流れが集中している建物がある。
木造三階建て。出入りの多さからして、宿と酒場を兼ねているのだろう。
「……分かりました」
頷き、歩き出した。
オワリ領を西へずっと進んで、連合国に繋がる国境沿いの宿場町。
街の名はウラム。
人は流れ、物は巡る。
留まる理由がある者だけが、ここに根を張る。
すれ違うのは様々だった。
荷車を引く獣人。
背に杖を負う老いた魔人。
粗末な外套に身を包んだ人間の家族。
そして、鎧を纏った兵。
紋章は統一されていない。どうやら、特定の国に属さない傭兵のよう。
だが、同じ方向を見ている。
北でも南でもない。
ここではないどこかを。
「聞いたか? あの話」
「勇者様のやつか?」
横を通り過ぎた二人組が、声を潜める。
「魔族に支配されてた国を救ったってよ」
「すげえよなぁ……しかも、その国の後継ぎがまた立派でよ」
歩みを止めず、だが耳は閉じない。
「なんでも、民衆を虐げる悪王だった父を倒すため、勇者と一緒に立ち上がったらしいぜ」
「これでこの辺も安泰だな」
安堵の混じった笑い声。
それが、やけに遠く聞こえた。
宿の裏口から荷を運び入れる。
厨房は熱気に満ちていた。油と肉の匂い。
鍋の音。怒号と笑い声。
「おう、遅ぇぞ」
店主の男が振り返る。
太い腕に刻まれた古傷。
元は戦場にいた類だろう。
「これで、全部か?」
「はい」
「……ほんとに全部一人で持ってきたのかよ」
呆れ半分、感心半分。
空いているスペースに荷を下ろし、縄を外す。
「……坊主、ギルドには入らねえのか?」
不意に投げられた言葉。
「そんだけ真面目に働けるなら、引く手数多だぞ。掲示板の雑用なんかより、よっぽど稼げる」
「……ありがとうございます。考えてみますね」
「そうかい」
店主はそれ以上は言わなかった。
表に出ると、空気が変わっていた。
昼のざわめきが、どこか熱を帯びている。
人だかり。
中心には、小さな壇が組まれていた。
その上に、一人の男。
色褪せた外套。背に抱えた弦楽器。
吟遊詩人。
「――聞けよ聞けよ旅人よ」
弦が鳴る。
始まりは重苦しいメロディー。
「東の果て。堕ちし悪王、業火で民を抑えつけ」
「災いの姫は自らの炎に呑まれ、国もろとも焼き払う」
「魔を討ち滅ぼし、救いをもたらすは一振りの光」
誰かが息を呑む。徐々に、耳に残る軽やかな旋律へと変わっていく。
「炎を纏いし悪王は滅び、その血を正しく継ぐ者が立つ」
歓声。
「名を刻め――正統なる王。新たなる時代の守護者をー!」
拍手が起きる。
「聖王国とオワリ領が同盟を結んだらしいぞ」
「人間至上主義の聖王国と多種族国家のオワリが?」
「そこは上手くやるんじゃないか?ただ……」
「……魔人の排斥運動が起きてるとか」
人々の顔に浮かぶのは、安堵と期待。
誰も疑わない。
誰も否定しない。
トバリは立ち止まらない。
ただ、一度だけ視線を向けた。
歌う男の口元。
その言葉の選び方。
どこまでが事実で、どこからが作られたものか……。
だが、何も言わない。言う必要も、無い。
宿の裏階段を上る。
軋む音を立てないように、足を置く。
二階の一番奥。
扉の前で止まる。
中からは、何も聞こえない。
「……食事、ここに置いておくぞ」
短く告げるが、今日も返事はない。
盆を床に置く。
湯気は、すぐに薄れる。
しばらく待つが、変化はない。
扉に触れないまま、トバリは踵を返した。
◆
夜。
灯りの数が減る。
人の気配が、密度を変える。
表通りから一本外れた路地。
暗闇に隠れる必要すら無い。
外套のように体に靄を纏わせる。
屋根を駆け抜け、木に飛び移る。
葉に隠れて視線を落とす。
標的は一人。男。
外套の下で布を握り直す。
(歩き方に無駄がある)
奴は店を襲って逃げている指名手配犯。
念のため、掲示板に貼られていた紙と見比べる。
(首筋のホクロ、骨格……間違いないな)
いわゆる小物で、報酬は少ない。
だが、小物だからこそいちいち記録には残らないし、自分のような子どもが捕まえてもギリギリ言い訳できる。
ゆっくりと、距離を詰める。
影が重なる。
「んあ?」
一瞬。
男が声を出さないように喉を締める。
「……グッ………アッ」
そのまま、特殊調合した薬を染み込ませた布を口元へ当て、喉から手を放す。
「プハッ、ハーー!ハー……ハ…」
強く息を吸って、崩れ落ちる。
生死不問とは書いてあったが、殺す必要もない。跡が残るだけ無駄だ。
視線を巡らせる。
(誰も、見ていないな)
路地の奥へ引きずり、体を縄で縛り上げる。
足跡を消して、それで終わり。
空が薄く白んでいく。
トバリは宿へ戻り、衣を整える。
何事もなかったように。
朝一番で保安局へ連れていき、謝礼を受け取る。
そして再び荷を担ぐ。
同じ場所。
同じ仕事。
同じ顔。
手順はすでに身体に馴染んでいる。
何も変わらない。
階段を上がり、扉の前に立つ。
扉の前には、空になった皿が置かれていた。
トバリはそれを静かに片付け、新しい盆を置く。
「食事、ここに置いておくぞ」
まだ、気配は動かない。




