第16話 炎の血族③
第16話
『ユウヒ様へ玉座を、炎を渡してもらおう』
「……ローレルにトドメを刺さんでよいのか?」
ユーガオは再度大剣を持ち直し、低く構える。
『"クダラの儀"は、生死不問だ。抵抗しないのであれば、生かしておいてやる』
「……」
互いに目を逸らさず、睨み合う。
「人のことを言えた義理では無いが……」
「オワリの民は、相変わらず甘いのう」
アサヒはゆっくりと言い放ち、扇を開いた。
「あまり軽々しく見せられるものではないのだが……」
『動くなッッ!!』
ユーガオが体を捻る。その動きに合わせるように、アサヒは扇を持つ手を高く掲げた。
「褒美じゃ。お前の知らぬ……魔法演舞のその先を見せてやろう」
――魔 装 演 武
アサヒの足が、一歩だけ前へ出る。
それだけのはずだった。
だが――空気が、遅れる。
衣の揺れに、炎が遅れて追従する。
まるで世界の方が、動きに“ついて来れていない”ように。
二歩目。
扇が、円を描く。ひらり、と舞うように。
――だがその軌跡に沿って、空間が赤黒く裂ける。
遅れて、爆ぜる。
ドン、と鈍い衝撃。
音が後から追いつく。
三歩目。
足先が石床に触れた瞬間、
ジュッ、と音もなく地面が沈む。
溶けたというよりも、熱に耐えきれず“形を保てなくなった”。
アサヒは回る。
ゆるやかに。あまりにもゆるやかに。
だがその一挙手一投足に、
業炎が巻き付き、爆ぜ、渦を巻く。
扇が翻るたびに、炎が“従う”――
空間ごと、焼き払われていく。
それは確かに舞。
だが決して優雅な芸事などではない。
獄門が開かれ、竈炎へ誘う重力。
最後の一振り。そして扇が閉じられる。
――静寂。
ユーガオは動けなかった。
理解が、追いつかない。
何が起きているのかすら。
そして、溜め込まれていた熱が、一斉に解放された。
ローレルを覆う氷が霧散する。
体から蒸気が溢れ、周囲の景色が歪む。
「ローレルよ。儂の炎を貸し与えてやる。情けは……無用ぞ」
「……分かっております」
剣を小さく振る。残炎は大気を揺らし、地面が粘化していく。
辺りの花は発火すらせずに焦げ朽ちた。
『なんだ……それは!』
ユーガオが大剣を介して熱を吸う。一瞬、霜が広がりかけてすぐに気化する。
あまりにも膨大過ぎる熱に耐えきれず、大剣が融解して塵となる。
「お前たちが欲していた炎じゃ。果たして――受け止められるか?」
炎を纏うローレルの目はもはや焦点すら合わず、その動きは残像すら燃える。
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『アサヒ様の血が薄いのか……どうもユウヒ様は炎魔法の適性が低いようでな』
「らしいな……」
『マヒル様から言われてしまったよ。ユウヒを頼むってな』
『オワリを背負って行かれる方だ。我々が、導かねばな』
「……そうだな」
あの日、初めてユーガオと拳を合わせた。
魔装なんて無くても、ユーガオの拳は熱く滾っていた。
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「業炎魔装 燦斬華」
唱えた時点で――
既に終わっていた。
斬撃は見えず、ただ一線の軌跡だけが残る。
空間そのものが焼き切られたような、赤白く歪んだ線。
「さらばだ……ユーガオ」
その中心にいたユーガオの体が、音もなく崩れた。
燃えることすら許されない。
熱に耐えきれず、形を失い、灰すら残さず消えていく。
最後に残ったのは、
煤けた花弁が、風もないのに崩れ落ちる音だけだった。
◆
部屋が、揺れた。
時折、窓から覗く空が赤く光る。
「なんじゃ、眠れんのう……」
外が騒がしい。
眉をひそめ、ヨルはベッドから足を下ろす。
床に触れた瞬間――
わずかに、違和感。
冷たい。
石の床の冷たさではない。
“何かに触れられているような”冷たさ。
「……?」
ランプに手を伸ばそうとした、そのとき。
ふと、気配を感じた。
「誰か……おるのか?」
音はない。
視線も感じない。
だが――“いる”。
直感というには鈍く、
だが否定できないほど確かに。
そしてどこか――懐かしい。
「むぅ……」
手のひらに力を込める。
小さな火が灯る。
ゆらり、と部屋が照らされる。
手を扉に向け、クローゼットに向け。
そしてソファに向けると。
――そこに、座っている。
「ひっ!!」
影の中から、輪郭が浮かび上がる。
人の形をしている。
そこに、置かれているように。
こちらを見ているのかすら分からない。
それでも確かに――
こちらを、見ていた。
『……まあ、こんだけ揺れれば起きるよね』
声は、思っていたよりも近くから聞こえた。
暗がりの中、輪郭だけの男が、わずかに首を傾ける。
『もう少し寝ててくれても、良かったんだけどな』
「……な、何者じゃ」
ヨルの声は震えていない。いや、震えそうになる喉を、無理やり律している。
だが、照らす火は微かに揺れている。
男に向けて、ゆっくりと光を強くする。
光が届く。
黒の混じる赤毛。
薄い橙の瞳。
見たことのない男なのに、
どこか――見覚えのあるような。
『知らなくて当然だよ』
口元だけが、歪む。
笑っているのかどうかも分からない。
『君はまだ生まれたばかりだったから』
一瞬の間。
『――君は、自分に兄がいることを知ってるのかな?』
空気が、止まる。
「……ユウ、ヒ?」
『知ってるのか。なら、話が早い』
『はじめまして。僕が君の――兄』
理解が追いつかない。
だが。
否定できない。
どこかで、知っている。
「……ユウヒ、兄上……?」
その名を口にした瞬間。
男の目が、細くなる。
『そう、それ』
その表情からは、何を考えているのか一切伝わらない。
まるでただ――“反応した”だけの顔。
『似てる……いや、そんなに似てないか』
『でも、確かに感じるよ。ちゃんと残ってるんだな、血ってやつは』
ヨルの火が、わずかに強くなる。
「な、何しに来たのじゃ」
短く問う。
ユウヒは、視線を落とす。
見つめる先は、ヨルの手。
そして、そこに宿る炎。
じっと見つめる。
『……綺麗だな』
ぽつりと。
『それが……母さんを焼いた火か』
空気が、凍る。
「……なに……?」
『まぁ、知らないよね』
ソファから立ち上がり、一歩近づく。
火が、揺れる。
――足元の冷たさが、強くなる。
床ではない。
“この男”から、滲み出ている。
『君はね……生まれてくる前から、圧倒的な炎の魔力を有していたんだ』
『先祖還りらしいよ』
「え……?」
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「熱い……お腹が、熱くて……」
「母上!何が……!?」
「この子が……力を、暴走させて」
「マヒル!!」
「父上!母上が……母上が!!」
「……父上?父上!!」
「ウゥゥ……!熱い!!熱い!!」
「ユウヒ……部屋から出てろ」
「どういう……!」
「出ていけ!!」
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しばらくして、母の絶叫が城内をこだました。
……そして母の叫びを覆い隠すように、君の産声が響いた。
『その日、母は死んだ。残ったのは、焼け焦げたベッドだけだ』
「う……うそじゃ。母上は、病気で……」
『君は――悪魔の子なんだよ』
『全てを焼き尽くし、燃やし尽くす。極限なる炎の血族』
『アサヒはその力に魅了されて、母の生命よりも……君の魔力を選んだ』
言葉は、淡々としている。
だが。
最後の一語だけ、わずかに歪む。
沈黙。
ヨルの火が、激しく揺らいでいる。
「……そ、そんな」
『僕がハナマサとして、出来損ないだったから』
ユウヒは手を伸ばす。
言葉の見つからないヨルに、ただ真っ直ぐと。
『君だけの罪じゃない』
『僕の罪でもあるんだ』
ユウヒが、ヨルの首へ手をかける。
ゆっくりと。
『僕は母の仇をとりたくて、父へ謀反を起こした』
首に指が触れた瞬間。
――ヨルの手に灯る火が、消えかけた。
「っ……!?」
ヨルの手の炎が、徐々に音もなく痩せ細る。
触れられているのは首のはずなのに、
全身の熱が、そこへ吸い寄せられていく。
『だけど当然、勝てるわけがなかった。もともと微かにしか無かった僕の炎を、アサヒは根こそぎ奪っていった』
優しく、ヨルの首を掴む。
ほんの一瞬、躊躇うように。
しかし止めることはなく、両手で。
『そのとき知ったんだ。ハナマサに伝わる"クダラの儀"をね』
両手に、力が込められていく。
『呪われた炎の魔力。火は周囲へ燃え移り、他の火を喰い炎となる』
『さぁ、二人で償おう』
『僕がその炎を背負うよ。……それが、兄としての責任だ』
首にかかる指に、力が込められる。
ヨルの視界が揺れ、 呼吸が浅くなる。
ユウヒを照らす火が、弱まっていく。
そのとき。
――バキ……バキンッ!!
部屋の壁が、外側から弾け飛んだ。
「――ッ!?」
石壁が粉砕される。 破片が宙を舞い、外の空気が一瞬で流れ込む。
夜風と――黒い影。
ドォンッ!!
衝撃で床が沈む。
ユウヒの体が、横へ弾き飛ばされた。
『――がっ!?』
首から、手が離れる。
ヨルの体が崩れ落ちる。
「かはっ……!は……っ……!」
肺に、空気が戻る。 体に熱が戻る。遅れて、震えが全身を襲う。
だが――それよりも。
“それ”を、見た。
黒。
床に、四つ足で着地している。
人の形ではない。 いや――人の形を、保っていない。
低く、這うような姿勢。
腕が、長い。 指が床に食い込み、石を抉る。
背中が、わずかに歪んでいる。
そして――
眼だけが、薄灰色に光っていた。
「ヴォオオオ……ヒメ……トヨ……ヒメエエエ」
トヨヒメ。確かにそう呼んでいる。
トヨヒメといえば、トバリが昔仕えていたという――
「……ト、バリ……?」
呼びかけに、反応はない。
ただ、視線だけが――
ユウヒへと向けられている。
『……そうか、止められなかったか』
瓦礫の中から、ユウヒがゆっくりと起き上がる。 口元から血を拭い、首を鳴らす。
『アサヒが闇の魔人を飼っていると聞いた時は信じられなかったが』
『こうしてみると、確かに紛うことなき闇の血脈』
黒の右足が、ピクリと動く。
――刹那で消える。
次の瞬間。
ユウヒの目前が黒で覆われる。
『――ッ!?』
腕が、振り抜かれる。
構えも、間もない。
ただ、叩きつけるための一撃。
ドンッ!!
ユウヒの体が壁にめり込む。
石が砕け、部屋の外まで吹き飛ばされる。
「なっ……」
ヨルの声が、漏れる。
速すぎる。 見えない。
それは動きと呼称できるものではない。
過程が存在せず、ただ“結果”だけが、そこにある。
『ヴァウウアア!!!』
黒が、追う。
床を蹴った瞬間、 石畳が砕ける。
影が、一直線に伸びる。
廊下に転がるユウヒに喰らいつき、そのまま外壁を突き破り、 二つの影が夜へと飛び出した。
静寂。
風だけが、部屋を通り抜ける。
崩れた壁の向こう、 赤く染まる空が見える。
ヨルは、その場に崩れたまま。
震える手で、胸元を押さえる。
「……トバリ……」
消えかけていた火が、 かすかに、灯る。
その光はまだ――揺れていた。




