幕間
幕間
オワリの城、南側の回廊。
「海が、見たいのじゃ!」
声が、石造りの廊下に響いた。
「ひ、姫様……急にそのような……」
ローレルが困ったように眉を下げる。
「急ではないのじゃ。前から思っておったもん」
腕を組み、ふんと顎を上げる。
「海というものは、どこまでも遠くへ広がっておるのじゃろう?」
「は、はい……そうですが……」
「ならば、見たいのじゃ」
即答だった。
ローレルは言葉に詰まり、ちらりと周囲を見る。
「ユーガオが調査で不在の今、護衛の手配が――」
「私一人で行けばよい」
「それはなりません」
即座に返された。
「ではローレルが来るのじゃ」
「団長不在の今……その、私が仮団長ですので……業務が」
完全に詰まる。
ローレルの顔をじっと見つめ、そして――ぷい、と顔を背ける。
「相変わらず、お前はつまらぬのじゃ」
そのまま踵を返す。
「姫様!?ど、どちらへ――」
返事はない。
城の外壁に繋がる廊下を抜け、階段を駆け上る。
「父様!」
執務室の扉を勢いよく開ける。
机に向かっていたアサヒが、顔だけを上げた。
「……なんじゃ」
「海を見に行きたいのじゃ」
「そうか」
終わりだった。
最近の父様はやけに忙しそうにあっちこっちへ駆け回っている。
久しぶりに城へ居るかと思えばこの調子。
「……それだけか?」
「儂は忙しい。暇なら――あ、そうだ。メイド長に頼んで座学を増やしてもらうかのう」
「なっ――」
ぴしゃりと返される。
ヨルの頬が膨らむ。
「つまらぬのじゃ!」
机を軽く叩き、そのまま逃げるように踵を返す。
背後で紙をめくる音だけが続いていた。
城下町。
石畳を蹴り、ヨルは走る。
「姫様ー!」「また抜け出してるぞ!」
そんな声が飛ぶが、構わない。
西へ。西へ。
海は西にあると、行商から聞いたことがある。
白い建物が並び、店先には色とりどりの布や果実。
「おっ、姫様!今日はかけっこかい!」
「そんなところじゃー!」
「あらヨル姫様〜、ウチに寄っておくれよ!主人も待ってるから!」
「うむ!また今度のう!」
人も、獣人も、魔人も、混ざり合って行き交う。
その中を縫うように走り抜け――
やがて、城壁の門に辿り着く。
「止まれ……ひ、姫様!?」
槍が、静かに道を塞いだ。
「通してほしいのじゃ」
「お一人で外へ出ることは――」
「私は行きたいのじゃが?」
一歩、踏み出す。騎士はたじろぐが、それでも動かない。
「申し訳ありません。これは規則ですので」
「規則など――」
言いかけて、止まる。
押し通れないことは、分かっていた。
ヨルは睨みつけるように見上げ、そして――
「……つまらぬのじゃ」
小さく吐き捨て、踵を返した。
諦めたわけではない。
門から少し離れた場所。
行商の荷車が、ゆっくりと列をなしている。
(あれに乗れば……)
視線が、荷台へ向く。
布に覆われた荷。
人の目は、少ない。
「……」
音を立てず、近づく。
騎士の目を掻い潜り、そのままひらりと荷台へ潜り込んだ。
(カハハ、私は知っている。肥料を積んだ荷台はチェックが甘いことをの)
なぜなら――臭いから。
布の中は、ほんのりと暖かい。
揺れが心地よく、瞼が重くなる。
(少しだけ……)
意識が、沈んだ。
◆
『うわーー!!』
叫び声で、目が覚めた。
「――っ」
体を起こし、布を押し上げる。
外は、すでに暗い。
そして――
「ギャアアッ!」
行商人たちが、魔獣に襲われていた。
牙を剥き、唸り声を上げる影。
あれはビーハウンド。
群れで狩りを行う四足魔獣。
「マズイのじゃ!」
荷台から飛び出した。
掌に魔力を集める。
「燃えよ!四等級炎魔法 ファイアージャベリン!」
炎の槍が弾ける。
一体、二体。吹き飛ばす。
だが――
「むっ……!」
次から次へと、湧くように現れ距離を詰められる。
牙が、迫りくる。
「――!」
その瞬間。
影が、一つ。横切った。
そして次の瞬間には――
魔獣の首が、宙を舞っていた。
音もなく、次々と倒れていく。
一歩、また一歩。
静かに歩くその背中。背丈は私とそこまで変わらぬ。黒髪の少年。
「ヨル姫」
振り返る。
「大丈夫か」
「トバリ……!」
駆け寄り、そのまま抱きついた。恥も外聞も捨て。
「褒めて遣わすぞ……!」
「問題ない」
短く、しかし確かな声。
残った魔獣は、トバリを見てすぐに沈黙し逃げていく。
潜り込んだことを怒られるかと思ったが、それ以上に行商人たちからお礼を言われる。
護衛についてくれないかというお願いを即座に断るトバリに背負われ、森を駆け抜ける。
「なぜ、ここが分かったのじゃ」
落ち着きを取り戻し、問いかける。
トバリはわずかに首を傾ける。
「なぜもなにも、ずっと追いかけていたが」
「なっ」
言葉を失う。
「城を出た時点で気付いた。門で止められることも、予測通りだ」
「ならば、止めればよかったのじゃ!」
「望んでいたのだろう」
淡々とした声。
「外へ出ることを」
私は、言葉に詰まった。
「危険が及ばぬ範囲で、見守るのが最適と判断した」
「……」
文句が、出てこない。
「少し、飛ばすぞ。恐らく城は大騒ぎだ」
夜道を、駆ける。
トバリの背は、安定していた。
風が頬を撫でる。
「それに、海が見たいのなら近いのは南だな」
「……そうなのか?」
「望むのなら、このまま連れて行くことも可能だ。三時間もあれば着く」
「……」
少しの沈黙。
「いや、良いのじゃ」
ヨルは、首を振った。
「ちょっとワガママを言ってしまっただけなのじゃ」
そのまま、ぽつりと続ける。
「街の者から聞いたのじゃが……私には兄がおったらしくての」
「私が物心つく前に家を出たそうじゃ」
トバリは何も言わない。
「冒険者になる、と言ってたとかなんとか……」
夜空を見上げる。
「父様は、うつけ者だと言っておった」
少しだけ、間。
「今じゃ、話題にすら出んのじゃ。兄様の話題は、どこか触れてはいけないもののようでな」
風の音だけが流れる。
「だから私は、よう知らぬ」
「どんな人だったのかも」
小さく息を吐く。
「……じゃが」
ほんの少し、声が柔らぐ。
「きっと、世界を見たかったのじゃろうな」
「私と同じで」
やがて、山へと入る。
「どこへ行く?」
「城への近道だ。拙者の足なら、迂回するより早い」
トバリは答えながら、そのまま登り続ける。
木々の間を抜け、斜面を越え――
開けた先は、山の頂。
眼下に広がる、オワリの街。
灯りが点々と並び、静かに息づいている。
「おお……」
思わず、声が漏れる。
トバリが立ち止まり、空を見上げる。
空には、無数の星。
そして一際大きく、白く輝く――ガルラの星。
「海より、空のほうがもっと広い」
トバリの言葉。
ヨルは、目を見開いた。
「……本当じゃな」
ぽつりと呟く。
「こんなにも広いのなら」
少し、笑う。
「どこまででも、行けてしまいそうじゃな!」
夜風が、静かに二人を撫でていった。




