第八話 恐れが心を閉ざす。憧れで心を開く。
第八話
今日もいつも通りの騎士団宿舎。
中庭では訓練の音が響き、食堂からは湯気と共に昼食の匂いが流れてくる。
いつもの……平穏な日常。
だが。
宿舎の一角だけ――妙に空気が重かった。
「とりあえず出てください!」
廊下に、ネモの声が響いた。
その直後、勢いよく扉が開き、追い出されるようにコデマリオが飛び出してきた。
「うおっ……って、トバリか」
「騒がしいな」
「いや、あのガキがよぉ……」
コデマリオは頭を掻きながら、ちらりと背後の扉を見る。
わずかに開いた隙間から見えたのは――
手つかずのままの食事と、壁際に寄った小さな影。
膝を抱え、顔を伏せている。
(……あのときの子どもか)
「全然ダメなんだよ!!」
コデマリオが息を吐く。
「話しかけても無反応。飯も食わねえし、水もほとんど飲んでねえ」
「ちょっとでも元気出りゃあと思ってよ、色々やってみたんだが……」
「コデマリオさんはもう何もしないでくださいっ!」
ネモが鋭く言い放ちながら、部屋から出てくる。
「ん、んなこと言われてもよ!ユーガオさんから『俺が不在の間、あの子を頼むぞ』って言われてんだよ!!」
「いい加減にしてください……あの子、怯えてるんです」
「いや俺は別に――」
「怖がらせてたじゃないですか」
「あ、あれは俺のライトアップ変顔で……」
「普通につまんないですから」
「え゙っ……」
冷たく吐き捨てられ、コデマリオが絶望の白目を剥く。
「それに触ろうとしましたよね?」
「……飯食おうとしねえからよお」
「論外です」
ぴしゃりと言い切られ、コデマリオは完全に言葉を失った。
更にネモの後ろから、ヨルがひょいと顔を出す。
「うーむ……これは中々難しいのじゃ」
「姫様……」
ネモが小さくため息をつく。
ヨルは腕を組み、少しだけ考えるように目を細めた。
「無理にどうこうするのは、逆効果かもしれんのう」
「……ちなみにだが」
コデマリオがこちらを向く。
「あいつ、女の子らしいぞ……!!」
「だから触るなって言ってるんです」
「と、トバリも勘違いしてたよな?少年とか言ってなかったか?」
勘違いしてた――そう言いかけたときに、ネモがすかさず口を開く。
「そんなわけないでしょう。トバリさんを一緒にしないでください」
ネモの声は冷たい。
コデマリオは肩を落とす。
(……余計なことを言うところだった)
トバリは一度だけ、扉へ視線を向ける。
中の気配は、ほとんど動かない。
(閉じている)
扉が、ではない。心が、外界を拒絶している状態。
「なぁ……どうすりゃいいと思う?」
コデマリオがぼやく。
ヨルも、珍しく口を閉ざしたままだ。
その沈黙を断つように、トバリが口を開いた。
「拒絶する者は放っておくしかない」
全員の視線が向く。
「……冷てえな、お前」
コデマリオが低く言う。
「お前が助けた相手だろうが」
「どう生きるかまでは、関係ない」
即答だった。
空気が止まる。
コデマリオの眉が歪んだ。
「……お前さ」
「なんだ」
「お前だって姫様に助けてもらった側だろうが!?」
廊下に、怒号が響く。
だがトバリは何も返さない。
視線すら動かさず、そのまま歩き出した。
「おい――まてよ!!」
呼び止める声は、届かない。
「なんだよ……っ!!」
コデマリオは、怒りながら訓練場へ戻っていく。
「どうしたもんかのう……」
「そうですね……」
ネモとヨルは互いに顔を見合わせた。
◆
夜。
林の中を、一つの影が走る。
眺める鳥たちは、恒例となった毎晩の翔りに、驚くことも無くなっている。
筋肉のしなり、関節の可動域。
一つ一つを確認しながら、散る木の葉を枝で斬り裂く。
踏み込みの疾さを意識しつつ、無駄な動き、余計な力みは抜く。
枝を蹴り、幹を蹴り、空間を切り裂くように進む。
懐から取り出した、石クナイが、木に突き立つ。
(次は……)
着地と同時に、次の動作へ移る。
もう一度。
走る。跳ぶ。沈む。
無音での連撃。
その時――
「なぁ」
視線は向けない。
「いつも見ているな」
沈黙。
敵意はない。
だが、“見られている”。
木の陰。
ほんのわずかに、布が揺れる。
「見たいなら、出てきたらどうだ」
返答はない。
だが――
わずかに、茂みを揺らし顔が覗いた。
「ぅ……」
昼間の、子ども。
トバリは、それ以上何も言わない。
追いもしない。
子どもは、こちらを薄く見つめている。
「おもしろいか」
「………」
無言のまま。
「それなら……見ていろ」
「朧流忍術……落葉隠」
ポンッと乾いた音を鳴らす。音に驚いた子どもが、ビクッと体を震わす。
「…!?」
トバリの姿が消え、居たはずの場所にはヒラヒラと落葉が舞っていた。
「え……」
『こっちだ』
上を見上げる。真上を覆う太い枝に、ぶら下がるように"立つ"。
『こっちかもな』
背後から声がする。
振り向くと、隠れた茂みの更に後ろに、人影。
そこからも、トバリの声が聞こえる。
もう一度枝を見返すと、まだトバリは立っている。
「二人……!?」
「残念、三人だ」
その声は、正面から。
子どもの目の前に、立っている。
驚いて、尻もちをつく。
「ぇ……え……」
「名は、なんと言う?」
「え?」
「お前の名だ」
「スグリ……」
「そうか」
「あ、あの……」
スグリが声を出した瞬間。グゥ〜と別の音がスグリの腹から鳴った。
「……」
「……!」
耳を真っ赤にさせて顔を伏せるスグリ。
「これでも食え」
懐から、小さな黒い球状の塊を渡す。
「え……」
「兵糧丸の試作だ。栄養はある」
困惑しながら、受け取るスグリ。恐る恐る、口に含む。
「……!!」
顔をしかめる。激しい苦みが、口いっぱいに広がる。
「……まだ早かったか」
僅かに口元を緩め、水筒を渡す。スグリは、水と一緒に、無理やり兵糧丸を飲み込む。
「見ていたいのなら、ついてきてみせろ」
背を向け、そのまま駆ける。
「あっ……」
背後で、気配が続く。
(……関係ない)
そう切り捨てながら――
わずかにだけ、速度を緩める。背中の気配が、振り切られないように。
夜は、静かに更けていった。




