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桜ヶ池異聞  作者: 在江
第四章 実行
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秘密

 お葬式の時に、死んだ祖母を見たのが、最初の記憶だった。


 赤木圭一(あかぎけいいち)は幼稚園児だった。

 おばあちゃんがいた、と周囲に話しても、幼すぎて死の意味を理解していないのだと思われ、ただでさえ葬儀で忙しい大人には、まともに取り合ってもらえなかった。


 当時から神童の(ほま)れ高かった兄は小学生だった。

 葬儀の最中に構われたくて大人に話しかけてくる、と見られた弟の相手を任され、祖母がいる場所まで付き合った。


 弟に見える祖母は、兄には見えなかった。兄は、じっと弟を見つめ、それから、ぎゅっと抱きしめた。


 「圭ちゃん。圭ちゃんには、死んだ人が見えるんだね。これからは、死んだ人と生きている人が違うってことを、お勉強しなくちゃいけないよ。それでね、死んだ人が見えるってことは、お兄ちゃんと圭ちゃんだけの秘密にしようね」


 「うん」


 圭一は返事をしたが、抱き締められたのが嬉しくて、兄の言うことを真には理解しなかった。しかし、兄の方は事態を正確に把握していた。

 その後の兄は弟を慎重に導き、なおかつその能力が人に知られないように努めた。

 圭一も小学校に上がる頃には、自分には人と違うものが見えることを理解した。


 風祭にも弟と同じような能力があると知った時、兄はとても喜んでくれた。


 素晴らしい兄であった。弟のことばかりでなく、両親にも気を遣い、友情にも厚く、敵からも一目置かれるような人間であった。


 兄が死んで、家の中は灯が消えたようになった。圭一も悲しみの一方、密かに兄との再会を期待していた。しかし、兄は弟の前に現れなかった。


 両親は、ひたすら兄の死を嘆き続けた挙げ句、新たな信仰に救いを求めた上、その原因として、圭一を碰上の地へ捨てた。


 確かに圭一がいけないのかもしれない。兄が死んでも弟がいる。だから、死んでも弟の前には現れないのだ。兄さえいれば、弟はいらない。だから両親は弟を捨てた。捨てられるのは当然だ。だって圭一はいらないのだから。



 「圭一くん」

 「僕はいらないんだ」

 「け、い、い、ち、くん!」

 「赤木少年、目を覚まさんかい!」


 目を開けた。少し離れた所に、風祭(かざまつり)が逆さまになっていた。両手足がきりきりと痛む。


 「おっしゃあ、いくで」

 「はい」

 「よし行け!」


 風祭の足元には水が溜まっていて、水は赤木の頭まで続いている。どうして赤木の頭の上に水があるのに、こぼれてこないのだろうか。赤木は自分の足元を見た。


 びりっ。両手足に衝撃が伝わった。

 次の瞬間、身体がふわりとした。


 両脇に水の壁ができたかと思うと、怒涛の勢いで風祭を追い越していった。


 崩れた水の壁から水しぶきが生まれ、波のうねりと共に風祭に襲いかかる。彼は腰まで水に漬かり、堆積する泥に膝まで埋もれた。


 水圧と風圧にも邪魔され、風祭は前へ進めない。赤木が池に落下した。



 竹野(たかの)達が、見えない力に導かれるように、桜ヶ池のほとりへ入って行くと、既に先客がいた。

 赤木圭一である。


 赤木は両手両足を何かに掴まれ、逆さ吊りで池の中央にある浮島へ引き寄せられて行くところであった。そこで風祭が、助けに行くことになった。


 落ちてずぶ濡れになった赤木を引き揚げて背負うと、風祭は方向転換した。赤木は大人しく背負われているが、重い。泥に足をとられて、滑りそうである。


 「風祭さん。僕、歩けるよ」


 耳元で小さな声がした。風祭は返事の代りによいしょ、と背負い直して歩を進める。

 それほど大きな池ではない。岸は、すぐそこである。と、腕組みをして仁王立ちする竹野の表情が変わった。


 「おい、急げ!」


 背中で、赤木が振り向く気配がした。


 「うぷっ。僕、降りるよ」


 止める間もなく滑り降りた。風祭の両側を、またもや水の壁が通り抜けようとする。風祭も振り向き、息を呑んだ。


 浮島が大きく盛りあがっていた。

 赤木を縛っていたらしい太い蔓が、島の中央から溢れ出し、うねうねと水面に伸びてきた。膨れた島は、顔で埋め尽くされていた。歪みが大きく、ほとんど人間の体をなしていない。

 頂点に、天を仰ぐ一際目立つ顔がある。風祭は、その顔に何となく見覚えがあった。


 「林、さん?」


 口をついて出た名前に、顔が反応した。

 ぐにょ、と顔の角度が、頂上の形ごと変わる。


 眼窩はただの暗い穴である。それでも風祭は、目が合った、と感じた。


 「逃げろ!」


 竹野のどなり声が聞こえる。

 深江(ふかえ)日置(ひおき)から発せられた水と風の帯が、盛り上がった浮島に叩きつけられた。


 浮島が、怯んだように見えた。

 風祭は、先に立った赤木の後を追い、岸へ辿りつこうと懸命に歩を進めた。泥の抵抗で、思うように前へ出られない。


 「くそっ。この泥が」


 とん、と腰を叩かれた。風祭は総毛立った。

 水面を滑ってきた蔓が、追い付いてきたに違いない。風祭は、水の壁や風の帯を思い浮べながら、殴りつけるつもりで、勢いよく上体を後ろへ捻った。


 風祭の足元から、泥が波のように持ち上がった。泥の塊は池から飛び出し、()林の顔を直撃した。すぐ側まで来ていた蔓は、痙攣(けいれん)して島まで引っ込んだ。


 風祭は自分の掌を眺めた。泥の塊が、自分の掌から出たように感じられたのである。

 今の感触を確かめようと、島に向かって泥をすくいかけるように、両腕を動かしてみた。


 ぴちゃ、と少量の泥の塊が飛び出し、島の下の方につく顔にぶつかった。


 風祭の脇を、猛烈な勢いで水の壁が通りすぎ、浮島に当った。池に波が起きる。煽られて、風祭の身体が傾いた。


 「遊んでいないで、さっさと上がれ! お前なら、楽に来られるだろう」


 竹野の声が耳に届いた。

 そうか、と風祭は池の岸に向かって、懸命に両手を動かした。すると、池の泥が掻き分けられて歩き易くなった。


 行きよりも遥かに簡単に、風祭は池を渡り、赤木に追いついて泥から引き抜き、岸へ上がった。


 「いったん、荷物のあるところまで戻るぞ。赤木くんは歩けるか」

 「はい」


 息を切らしている風祭も、迫り来る蛸の足のような太い蔓を見て、必死に足を動かした。


 池の端から出た。散らばる死体を、踏まないよう用心した。赤木は死体から顔を背け、風祭にぴったり寄り添って歩いた。



 荷物の周りには、細い縄を張り巡らせてあった。

 竹野は結び目を解いて両端をそれぞれの手に持つと、他の四人を縄の内側へくぐらせ、内側から縄を元通りに結んだ。


 「結界を張ったから、縄の外へは出ないこと」


 蔓は荷物の近くまで来て辺りを這い回っていたが、そのうち池の方へ引っ込んで行った。


 「効いてよかったないか、結界」

 「まあ、時間稼ぎ程度だな」


 赤木圭一は衰弱していたが、大きな怪我もなかった。

 しかし風祭の側から離れず、もの問いたげに風祭を見つめている。深江が気を利かせて、荷物から菓子を出して風祭を通して赤木に渡し、自分も手をつけた。


 残る三人も遠慮なく手を出し、菓子をぼりぼり食べる。つられたように、赤木も菓子に手をつけた。

 口にした途端、空腹を思い出したように、貪って食べる。深江はスルメを出して、風祭から赤木に手渡した。


 一同、黙々と食べ続けた。


 赤木が落ち着いたと見ると、竹野は自己紹介を含めて日置と深江を紹介した。


 「簡単に説明する。私たちは、碰上に起きた異変を元に戻すためにここへ来た。風祭君にも協力してもらっている。異変の原因は、さっき赤木くんも見たあの顔だらけのもので、あれを何とかしないと私たちは外へ出られないようだ。赤木くんも私たちと同じ能力を持っているようだし、できれば協力してもらいたいのだが、どうだろう。無理にとは言わない」


 赤木が原因かもしれない、という疑いは微塵も見せず、大人に対するように丁寧に話した。竹野の依頼に、赤木は風祭を見上げて、小さな声で答えた。


 「でも、僕は何もできません」

 「君にもできる、と言いたいところだが、正確ではないな。今の時点で君にできることをしてもらいたいだけだ。風祭君だって、あんなことをしたのは、さっきが初めてだったんだよ」


 風祭は赤木を見て頷き、自分の手を裏表にして眺め、肩をすくめた。


 「嫌でもそうするより他ないと思うけど、竹野さん達は、圭一くんの意思を知りたいんじゃないかな」


 赤木は沈思し、竹野達は待った。やがて赤木は緊張を(みなぎ)らせた顔を上げた。


 「僕、正直に言って、元の世界へ帰りたくないんです。僕を可愛がってくれた兄が死んで、両親に捨てられたから、元の世界へ戻っても帰る家がないんです。無理に家へ帰っても、きっとうまくいかないと思います。ここにいても楽しいことはないし、竹野さん達が帰りたい気持ちもわかるつもりです。本当に申し訳ないのですけど、でも今、僕は帰りたくないんです」


 四人は赤木の言葉を静かに聞いていた。

 話しているうちに、赤木の顔が紅潮してきた。終わると、両手を頬に当てて俯いてしまう。


 日置と深江は、決断を求めるように竹野を見つめ、風祭は赤木の心中を思いやり、これほど追い詰められるまで助けなかった自分を責めていた。


 「赤木くんは、御両親を大切にしているんだね」


 竹野が沈黙を破った。


 「もし御両親が君を捨てたとしても、君が生きるのを止める理由にはならない。何故なら、赤木くんは御両親のモノではなくて、独立した生きている人間だから。御両親の家に帰りたくないのなら、私の家に来ればいい。手続きはこちらでする。遠くへ行きたいのなら、京都に日置がいる。それから、寝泊りはできなくても、深江も風祭君も赤木くんの話を喜んで聞くだろう。似た能力を持つ人間は、そう多くない」


 竹野はいったん言葉を切って、付け加えた。


 「そんなに死に急がないでくれ」


 風祭は緊張して赤木を見守った。彼は竹野の言葉を聞きながら徐々に顔を上げた。溜まっていた涙が、玉のように転がり落ちた。風祭は、赤木の腕に手を触れた。


 赤木は振り払わなかった。やや上を向いてしばらくじっとした後、風祭の手に自分の手を重ね、微笑んだ。


 「ごめんね、風祭さん。僕、あなたがいるのを忘れていた」

 「うちにも泊まっていいんだよ」


 風祭は付け加えた。


 赤木は頷き、竹野達を見た。既に涙は引き、整った顔は微笑を得て更に美しさを増した。


 「お手伝いしたいです。僕、何をしたらいいのでしょう」

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