誘導
気が付くと、赤木圭一は、草叢の中で倒れていた。
起き上がろうとすると、節々が痛んだ。上体を起こしてその場に座り、寝違えたような首の痛みを気にしながら辺りを見回した。
記憶にない場所だった。視界一面を緑色の植物が覆っている。もう今は冬で、日本中どこへ行ってもこのような過剰なまでの緑は見られないだろう。
それとも、御苑の温室にいるのだろうか。記憶を掘り起こしてみても、それほど移動した覚えはなかった。
ぐう、とお腹が鳴った。赤木の記憶が忙しく動き出した。家へ帰ると、知らないおばさんがいて、両親と話をしていたこと。それから、両親に押さえ込まれて……。
「ここはどこだろう」
赤木はゆっくりと立ち上がって、目の前の蔓植物を掻き分けてみた。
絵に描いたように手がつるつると滑り、蔓を掴むことができなかった。そのまま手を平行に動かして行くと、掻き分けられる別の背の高い植物に行き当たった。掻き分けた手の先に見えるのも、見慣れない植物群だった。
「とにかく、ここを抜け出さないと、どうしようもないみたいだ」
口に出すことで、自分に喝を入れた。足を踏み入れる。掻き分けても掻き分けても同じような植物が続く。ふと見上げると、空も植物で覆われていた。
「もしかして」
碰上大学の中かもしれない、と赤木は思い当たった。異変以降、赤木は大学へは近付かないようにしていたが、遠くから見た異様な感じは覚えていた。そういえば、ここの雰囲気もどこか変である。
ぼわっ、と脇に、女の子の顔が浮かんだ。赤木は飛び上がった。丈夫な植物は、赤木の身体をしっかり支えて、姿を隠してくれなかった。
「あら、素敵な人」
女の子は植物から全身を現した。白い着物を着ていた。目を逸らす隙を与えず、女の子は真っ直ぐに赤木を見つめて手を伸ばしかけ、引っ込めた。
「生きているのね。他に誰か入っているの? ああ、違うわ。身体の持ち主だけね。じゃ、本当に生きているんだわ。珍しい。それに素敵な顔。ちょっと擦り剥いているけど」
赤木は呆然として女の子を見つめた。小学生のようだった。死んでいる。
もともと死者が見える体質の赤木も、こんなに生き生きと正面切って話しかけられたことはなかった。女の子は赤木から目を逸らさず、一人で喋り続けている。
「あなたどうして生きているのにここにいるの。前にも生きている人達が来たけど、皆身体を使い回されて死んじゃったのよ。いつからここにいるのか知らないけど、あたしは人の身体に入るの嫌いだから、あなた会ったのがあたしでよかったわね」
「あたしは病気でここの病院に入院して手術したのに、死んじゃったの。解剖されて、標本が残っていたのよ。目が覚めたら病院がなくなっていて、草だらけじゃない。他にもいろいろな人がいるのよ。兵隊さんとか、皆見た目は怖いけど、生きている人以外には害はないわ。草の中を散歩しているだけ。あなたは生きているけど、あたしと居たら大丈夫。で、何処へ行く?」
「ここから出たいんだ。お腹空いたし」
恐る恐る言ってみた。女の子は、びっくりしたように目を丸くした。赤木の言葉も通じるようだ。
「お腹空いたあ? そうね、生きているんだから、お腹も空くわね。でもここに生えている植物には実のなるものがないのよね。見たことないわ。もしかしたら、前に来た人たちが残した食べ物が、残っているかもしれないわ。探してみましょう」
「それから、ここを出るのはどうしたらいいのか、あたしにもわからないの。あたしもいつまでもここにいたいとは思わないんだけどね。でも生きている人達は、皆あそこへ行っていたから。行ったと言っても死んだ人に連れて行かれただけかもしれないけど。とにかく、あそこへ行けば何かわかるかもしれないわよ。食べ物もあるとすれば、そこに残っているだろうし。とにかく行ってみましょう」
「あそこって、何処」
「あそこって決まっているじゃない。ああ、あなた来たばっかりだからわからないのね。ここからちょっと坂を登ったところにあるんだけど、あなたの足じゃ大変かもしれない。だって、草だらけですもの」
「でもあそこまで行けば、草も少なくなっていたと思うわ。あそこには水があるから。そうよ、水を飲んだらお腹も落ち着くんじゃないかしら。あたしはあんまり行きたくないんだけど、近くまでなら案内して上げられるわ。死んだ人も中までは行かないのよ。だからさっき、生きている人達が行ったと言ったの。そこの周りは草じゃなくて、桜の木が生えていてね。ああ思い出したわ、確か桜ヶ池っていうんだわ。生きている時にお母さんと散歩して、教えてもらったの」
言うなり女の子は大粒の涙を流して泣き出した。赤木はおろおろして女の子に手を伸ばした。女の子は、赤木の手が触れる前に、さっと身をかわした。
「ごめんなさいね、急に泣いたりして。もう大丈夫よ。昔のことを思い出しただけ。あなた気を悪くしないでね。死んでいたって、辛いものは辛いのよ。でもお母さんも、とっくに死んでるんじゃないかと思うわ。だから、あたしもお母さんのところへ行きたいのよね。この草が全部なくなったら、行けるかもしれない、なんて馬鹿なことを考えたりもするのよ。さあ、行きましょう。ついてきて」
女の子は、さっさと前に立った。赤木は、桜ヶ池と聞いた途端に嫌と言いかけた。しかしそこで、女の子に泣かれてしまい、言い出す機会を失っていた。
仕方なく、植物をすり抜けて行く先導役の後を、掻き分け掻き分け付いていった。
女の子の足は早く、赤木は息を弾ませ何度も躓いて転びそうになった。さらに道は、緩やかな上り坂になったのに、女の子は速度を緩めず進んでいく。
よく見ると、女の子は歩いていないのであった。赤木が声を掛けようにも、息を整えるのがやっとで話しかける余裕はない。植物を掻き分ける手も段々疲れて、腕ごと痛くなってきた。
「さあ、ここよ」
女の子の声と共に、赤木の視界も開けた。途端に、信じられない光景が現出した。
「ごめんなさいね。あたし、あなたのこと嫌いじゃないんだけど、ここの決まりなの。許してね。でも許してくれないかもしれないわね。こうしないと、その奥の池にいる……」
耳元で喋り続ける女の子の声が遠ざかり、またもや自分の意識が薄れていくのを感じた。
赤木は自己嫌悪に陥りながら、暗闇に引き摺り込まれていった。
「驚いたな。建物ばかりか、中身もちゃんと残っているのか」
「あ、もしかして理学部やないか」
「当たり」
竹野達は蔦状植物がびっしりと覆う窓から葉を引き剥がし、ようやく隙間を作ったところを懐中電灯で中を照らし、覗いたところだった。
誰かの研究室らしく、無人で埃っぽいが荒らされた様子はない。大量の本が収納されていた。机の上にも本が積み上げてあり、その表紙を見て日置が判じ物をしたのであった。
「では、こちらへ進めば桜ヶ池ですね」
深江が小さな学内図を広げて確認する。風祭は理学部と聞いて、日置の後ろから懸命に部屋の中を覗いた。見たところ、物理学関連の本ではなさそうであった。
「ここからは上り坂になる筈だ。気をつけないと、講堂の地下へ潜ってしまうぞ。下り始めたら言ってくれ」
竹野が注意した。軍服の一団の他にも、全身に火傷を負った人や手足の欠けた死者が次々と竹野達を見つけて近寄ってきた。
彼等は必ずしも高圧的ではなかった。竹野達は必要に応じて強制的に、あるいは頼まれて死者達を葬っていった。
風祭は、見ているだけだったが、そのうちになんとなく、自分にもできそうな気がしてきた。
「集中力が大事なんだ」
小休止した時に、竹野が風祭に説明した。人それぞれやりやすい方法がある筈で、それを見つければ難しいことはない、と。
「それを見つけるのが、大変やろうね」
日置が付け加えた。
緑色の植物群の中をどのぐらい歩いたのか、四人にはわからなかった。邪魔になるから、と誰も時計を持ち込んでおらず、植物に覆われた空から時間を推し量るのは不可能であった。
先頭で背の高い草木を掻き分けて進む竹野の後を追っていくと、風祭にも徐々に坂を登る感覚がわかるようになってきた。
掻き分ける植物が、柔らかい草から細い木、堅くて太い樹木に変化してきているのもわかった。木と木の間をすり抜けるようにして進んでいく。
幸い荷物は大分減っていた。通り抜けるのにさほど苦労しなかった。
荷物の大半は食料で、自分たちで食べるよりも、死者に与えた分が多かった。
「着いたぞ」
竹野の声と共に視界が開けた。目の前に、本物の桜の木が青々とした葉を生い茂らせて並んでいた。
並木の隙間から、土で覆われた下り斜面が垣間見える。池の入り口までは、これまでと違って丈の低い草で地面が覆われていた。池は木々に遮られて見えない。
「もう着いたん」
「普通なら歩いて数分で着く筈です。それより」
と、深江は竹野の視線を追ってしゃがみ込んだ。
風祭も日置に押されて渋々近寄る。すぐ目についたのだが、近寄りたくなかったのである。丈の低い草の上に点在し、桜の木々に近付くにつれ山が積み増されていく干からびたもの。
「行方不明になっている調査委員会の人達のようです。大分損傷が激しいですが、竹野さん、死因はわかりますか」
普段控えめな深江が、てきぱきと事を進める。やはり彼女は警察官であった。名前を呼ばれて竹野は我に返り、医師らしく死体を検分した。
日置は冷静に検分を見守りながら辺りを警戒し、風祭は目のやり所に困って池の方を見ていた。
「死後の経過時間が相当であることから、解剖してみないと詳しいことは言えないが」
検分し終わった竹野が立ち上がり、三人を均等に見ながら口を開いた。
「生前に受けた外傷で致命的なものもないし、餓死の状態が一番近い。問題は、ここへ来るまでこれら死体の持ち主には全く会っていない、ということだ。ところで」
「池の方に引っ張られるような感覚があるね」
「何か用意しましょうか」
深江の言葉に、竹野は池の入り口を見ながら少し考え込んだ。
「何があるのかわからんからな。身軽な方がいいかもしれない。荷物は置いて行こう」
「風祭君。集中力を忘れるんやあらへんで」
「はい」
四人は荷物をその場に下ろし、死体を踏まないよう注意しながら、桜ヶ池に近付いた。




