実戦
竹野と日置は顔を見合わせた。課長の席の電話が鳴って、一同びくっとした。
夜間の電話はひどく大きな音に聞こえる。課長は席を立ってすぐ受話器を取り上げた。ふんふんと頷いて、最後に
「わかった。そのまま続けるように」
と電話を切った。一同のもとへ戻ってくると、立ったまま、灰皿においてあった煙草をもみ消した。
「碰上の現場ですが、木がざわざわ動き出したそうです。また膨張する可能性があります。これ以上の成長は、敷地外を浸食することになります」
「では、今から入ります」
竹野が言って、立ち上がった。日置と深江も席を立つ。風祭は少し躊躇った後、立ち上がった。千田が風祭に目を落とす。
「君はまだ若い。無理をしなくてもいいぞ」
風祭は、千田が碰上大学の教授であったことを知らなかった。風祭は尾婆の学生で、千田は休職中の身である。そして今日が初対面だった。
座る位置からして、警察の人間とも見えず、さりとて竹野たちの仲間という感じでもなく、なのに偉そうな態度でいる。正体不明の男に見えても仕方がない。ここで行かないと答えたら、千田と残されるか、留置場送りか。
「いえ、一緒に行きます」
「頼もしいことだな」
千田はにやりとした。してやったりといった感である。
「おい、桐野。もう一人若い奴を探して、表にパトカー二台回せ。碰上へ行く」
彼らの背後で、課長の話の途中から部屋へ入ってきて、報告書か何かを黙々と書いている男がいた。
「おいっす」
課長に命令された男は、すぐ席を立って部屋から消えた。ごつい体つきに似合わない、柔らかく敏捷な動きであった。
「では、竹野さん達は荷物を取りに行ってください。私は千田教授と一緒に玄関へ降りています」
「わかりました」
「……教授?」
動き出した竹野の後ろで、風祭が首を傾げた。竹野が、千田の経歴について、簡単に説明した。
碰上大学の西門前に、サイレンを鳴らさないパトカーが二台停まった。真夜中を過ぎていた。
ここには、大学事務局の建物や門を警備する詰所があり、今のところ、怪現象に呑み込まれていなかった。詰所は現在、警察が使用している。
予め連絡が届いていたらしく、詰所の前に警備の警察官とは異なる出で立ちの人間が、竹野達の到着を待っていた。竹野達が荷物を下ろす間、課長と千田教授は出迎えの男と話をしていた。
「これは僕が持ちますから、深江さんはこっちを持ってください」
風祭が、軽い方の荷物を差し出した。風祭が持つ荷は、後から詰めた分、他のものよりも軽かった。深江は既に重い方の荷物を背負っていたが、素直に風祭の荷物を受け取り、礼を言った。
パトカーの中で、風祭は竹野達から碰上異変に関する調査の概要と、導き出された推論を聞いた。
不安の募る表情となる。赤木圭一を助けたい、という善意だけでは突き進めない、と理解したのだ。しかし、降りるとは言わなかった。この状況では、言えないだろう。
「気付いたかどうかわからんが、あれが少し縮んだらしいぞ」
千田が、荷物を背負った竹野達に近付いてきた。竹野達は、鉄製の門扉の隙間から、中を見透かした。
「僕にはよくわかりません」
風祭が遠慮がちに応えた。
「行けばわかるやろう」
日置の言葉が、出発の合図になった。竹野達は、なんとなく一列になって千田に一礼した。千田も丁寧に礼を返した。
「後のことは、よろしくお願いします」
竹野は、最後に妻子へ連絡する暇がなかったのを気にかけていた。しかし、千田が何とかしてくれるだろう。再会してから、随分と評価が上がったものである。
「うむ。無事に帰ってくると、信じる」
門扉が開けられた。竹野、深江、風祭、日置は門の中へ足を踏み入れた。背後で鉄の扉が閉められる音がした。
碰上キャンパスは、様々な樹木が生い茂り、内部を窺うことが出来ない状態だった。まるで密林である。そして、碰上大学新聞部の学生が強引に入り込もうとしても、果たせなかった。
しかし今、竹野が表面にびっしりと垂れ下がる蔓植物を手で掻き分けると、緑の通路が中に現れ、四人は簡単に中へ入ることができた。
最後尾についた日置が振り返り、手で蔓を掻き分けてみた。蔓は、板に描いた絵のように、掴むことすらできなかった。
見上げれば、濃淡の入り混じる緑が無数に重なって天蓋を成していた。びっしりと詰まった葉や枝は、見えない向こう側から光が差し込むかのように、少しずつ色を変化させていた。
「解決するまで、出られへんのやろうな」
全員が内側へ入ったところで、周りの植物を押し広げ、輪になって座ってみた。押しやられた植物は、それぞれの弾力で曲がったり反発したり、と普通の植物のように反応した。油断させた後に吸血蔓でも伸ばしてくるかも知れないが、今のところ何事も起こらない。
「赤木圭一くんが放り込まれた場所へ最初に行こうかと思っていたのだが、内部が全部この状態だったら、桜ヶ池を目指した方が早いと思う。どうだろう」
「ま、おらんやろうな」
「えっ。どうしてですか」
風祭の顔色が悪くなった。早い段階で、何とか赤木と連絡を取っていれば、こんな事にはならなかったに違いない、と後悔している。日置が説明した。
「入る前に千田さんが言うとったやろ、縮んどるて。赤木少年が入った為に縮んだなら、彼は今の碰上を支配しとるものにとって害になる存在で、彼を潰す為に使うたエネルギー分だけ縮まった、と考えることもでけるやないか」
「まだ、潰そうとしている途中だろう。一旦潰したら、多分膨張するだろうから」
竹野が付け加えたので、風祭は何とか冷静さを保つことができた。
「桜ヶ池の方向は、わかるのですか」
「この植物群は、桜ヶ池を中心に膨張を始めた。そして、植物の性質を残している。つまり、より古い木、大きな木が含まれ、密生する方向を目指して行けば、辿り着く筈だ。あるいは、赤木くんも我々も敵側にとっては同じ異物だから、我々をも潰す為に、自然に導かれる可能性もある」
「では、桜ヶ池に行くのですね」
深江が控え目に念を押した。竹野は頷いて立ち上がった。他の三人も続く。早速、手分けして周囲を観察したが、彼らの中に植物の専門家はいなかった。見た目から方向を割り出すことはできなかった。
ただ、入ってきたと思しき方向だけは、先ほど日置が試した通り、頑として人の手を拒んだ。
「向こうで案内してくれるらしいな」
竹野はあっさり白旗を上げ、進める方向へ足を向けた。戻れない以上、他にどうしようもなかった。
空も地面もすっかり緑色の植物に覆われている。とても、都心を歩いているとは思えない。
その上、今掻き分けている植物群が、素人目にも普通でないことはわかる。
例えば、蜘蛛や昆虫といった生物の気配がない。植物の呼吸による草いきれのような湿気もない。枯れた葉や枝が落ちていることもない。
本物にしか見えない植物が、作り物のように竹野達の周りでひしめいている。
視界は植物で遮られており、もう方角などわからない。四人は導かれるまま、前へ進んだ。
と、竹野の足が止まった。
「皆、固まれ!」
日置がすぐに反応し、前の二人を自分の身体で押しやる。深江が竹野にぶつかり、風祭は竹野に当った。
ざわざわ、と植物が動き出した。竹野が荷物を下ろし、身構えた。
「来るぞ」
「来るって、何がですか」
「風祭さんは、今は大人しくしていた方がいいと思います」
「その通りや」
日置も荷物を下ろし身構えている。深江は二人の荷物を引き寄せて、きょろきょろする風祭の腕を引っ張った。
どこまで見えているのか。風祭にも不安な表情が浮んでいる。
改めて周囲を見まわした深江が、荷物を下ろして風祭に押しつけた。
「これ、見ててくださいね」
風祭と荷物を囲み、三人が背中合わせに円陣を組んだ。
植物の動きはますます大きくなっていく。そのくせ植物の隙間からは、何も透かし見ることができない。微かな震動が地面を伝わったかと思うと、たちまち地響きに変わった。
植物の壁が透けたようになった。と、竹野達は、軍服を着た集団に囲まれていた。
「ここで何をしている」「ここは立入禁止区域だ」「ここにどうやって入り込んだ」「ここから何処へ行くのだ」「ここから先へは行かせないぞ」「ここから……」「ここ……」
口々に竹野達を問い詰めるが、それ以上近付いてはこない。身構えたまま、竹野が風祭に声をかけた。
「食べ物を出して、撒いてみろ」
風祭は急いで荷物を解き、中を漁った。橙色の蜜柑が、紙袋に入っていた。鷲掴みにして、交互に両手で振り撒いた。緑色の空間に、鮮やかな橙色の玉が舞った。
「蜜柑だ」「蜜柑だ」「蜜柑だ」「蜜柑だ」「蜜柑だ」「蜜柑だ」「蜜柑だ」「蜜柑だ」
兵隊たちは歓喜の色を見せて橙色の玉に飛びかかった。と、低い声でぶつぶつ何やら唱えていた日置が、「はっ」と大声を出すなり右腕を左右に振り払った。
光の幕が日置の手から繰り出されて、兵隊たちを覆い隠した。次の瞬間、兵隊たちは蜜柑と共に消えうせてしまった。
「おっしゃあ、大成功」
「お見事です」
「腕は衰えていないようだな」
「あ、あのう。今、何が起こったんですか。今の人達って、もう生きていなかったんですよね。それを、やっつけたんですか」
懸命に理解しようとする風祭を、竹野は好ましく眺めた。
「仏教的に言うたら、成仏したんや。君もこれから、やれへんといけんよ」
日置に言われて、風祭は絶句した。




