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桜ヶ池異聞  作者: 在江
第四章 実行
12/17

拙速

 日が沈んだ途端に、酒が入った。


 碰上大学の裏門と呼ばれている小さな入口の近くに、新聞部のOBが住む古い長屋がある。その先輩は、雑誌社に勤めていて、部屋を空けることが多い。

 津守(つもり)達が計画を打ち明けると、喜んで見張り所に貸し出してくれた。


 「丁度、取材で一週間ぐらい家を空けるところだったんだ」


 先輩は興味深そうに津守達の話を聞き終えた後で、言った。


 「何か特ダネが撮れたら、僕にも見せてくれよ。ものによっては、謝礼も弾むよ」


 それから心配そうに、


 「相手は国家権力だから、決して無理をするな」


 と、付け加えた。


 先輩の部屋には、食料がほとんどなかった。津守達は、大量に食料を買い込んだ。当然のように、つまみや酒が紛れ込んでいた。一番大きな鍋を探して鍋料理を作り、皆で炬燵(こたつ)を囲めば、酒がないと落ちつかない雰囲気になっていた。


 「敵は手強い。気長にやろうぜ」

 「手薄になるのは夜じゃろう。今のうちに飯を食うた方がええのう」

 「冷めないうちに食べた方がいいと思うな」


 めいめい勝手な理屈をつけて、酒を呷った。酔いが回ってくると、新聞部らしく日本の将来や学生運動の行く末について論戦があった。

 お腹が膨れて酒が入れば、次には眠くなるのが必然である。幸い喧嘩もなく、夜が更ける頃には一同炬燵に足を突っ込んで仲良く眠っていたのであった。


 遠田(えんだ)が目を覚ましたのは、尿意を覚えたからであった。もともと酒に強い方ではなく、差しつ差されつしている中では早いうちに眠ってしまっていた。

 部屋の中を見まわすと、空になった鍋を囲み、津守達は揃って高いびきであった。誰が消したのか、電気は消えていて、街灯の光が安物のカーテン越しに部屋に差し込んでいた。


 古い長屋のことで、共同便所は外にある。踏まないように仲間を跨いで外へ出ると、冷たい空気が頬を刺した。急に意識がはっきりして、小走りに便所へ行って用を済ませた。


 「ふうっ。すっきりした」


 身震いして一息つく。


 「おい、ちょっと待て」


 遠田はびくっとした。便所には小窓がついているが、曇らせてあるため、外は見えない。

 しかも声は窓のない、碰上大学の塀沿いにある道路の方角から、聞こえた。


 耳を澄ませると、何人かの声がする。

 遠田は津守達を起こそうかどうか迷った。起こしている暇はないかもしれない。遠田は便所から外へ出て、玉砂利(たまじゃり)を幾つか拾った。


 それから音を立てないように、砂利を避けて軒下の狭いコンクリートで固めた部分を(つた)い、急いで長屋の端まで行き、板塀の陰から道路を覗いてみた。


 着物を着た女が二人、男が一人、塀沿いに立つ警察官と押し問答していた。

 男は、人を背負っているようである。遠田のいる場所からは、話の内容が聞き取れない。

 少し離れた裏門の警察官は、応援に行くべきかどうか迷っていて、遠田には気付いていなかった。


 しめた、中に入れるかもしれないぞ、と遠田は思った。慌てて軒伝いに引き返し、津守達を叩き起こす。


 「何事じゃあ」


 一様に機嫌が悪い新聞部員達に、かいつまんで事情を説明すると、一気に目が覚めたようで、脱ぎ捨ててあった上着を着込んで玄関へ殺到した。遠田も自分の服を着込んだ。


 「便所行きてえ」

 「後にしろ」


 揉め事が終わっていないように、と祈りながら一同が列になって長屋の端まで辿りつくと、裏門に立っていた警察官がいなくなっていた。

 先刻の怪しい男女を、警察官が取り囲んでいる。


 「今のうちじゃ。入ってしまえばこっちのものじゃけえ、いち、にの、さんで一斉に裏門へ飛ぶんじゃ。もし鍵がかかっていたら、俺と津守がお前等を押し上げる」


 久松(ひさまつ)が遠田ともう一人、木原(きはら)をぎょろ目で見据えた。二人で頷く。


 「いち、にの、さん」


 一応足音には気を遣ったつもりであったが、巨漢が二人もいては、警察官の鋭い耳から逃れられる筈はなかった。


 「おい、待て!」


 野太い声が、早くも裏門に飛びついた遠田達を縮み上がらせる。久松が扉の握りを回そうとして、失敗する。


 「乗れ!」


 津守が遠田に背を向けた。跳び箱でも跳ぶように、遠田と木原は巨漢の背に乗った。目の前にはこんもりとした木々が待ち受けている。

 飛び込めば、何処かにひっかかるだろう。後ろには警察官が迫っている。


 「あ、逃げたぞ。追え!」


 遠くで怒鳴り声が聞こえる。遠田は思い切って塀の内側へ飛び込んだ。

 ピーッ、と呼子笛の音が、後ろから聞こえた。



 竹野(たかの)達が警視庁へ戻ると、入口に立っていた警察官が深江(ふかえ)に耳打ちした。深江について行った先は、留置場だった。


 「ここから出すんじゃ、おら!」

 「暴力反対! 国家権力の濫用を許すな!」


 「津守たちだ」


 声を聞きつけた風祭(かざまつり)が、気まずい顔をした。

 日置(ひおき)が気付いて、風祭を後ろへ回してくれた。

 竹野達は、檻の中に入れられている碰上大学新聞部員を、そっと眺めた。


 二人ほどかすり傷を負っている者はいるが、全員元気そうであった。隣の檻には、青白い顔をしてやつれた感じの中年男性が、放心して座り込んでいた。

 留置場は大学生たちの声で相当うるさいのに、全く反応を示さない。


 仕切りを隔てた向こうに、着物姿の中年女性が、やはり放心して壁に寄りかかっていた。


 「圭一くんの御両親だ。どうなっているんだ」


 風祭が呟いた。一同は留置場担当に耳打ちされた深江に従って、その場を離れた。

 次に一同が案内された先は、課長席であった。


 残業なのか当直なのか、何人かの若い職員が出入りするだけの活気のない広い部屋で、課長は苦虫を噛み潰したような顔で鞄を置いた自分の席に座っていた。

 それでも竹野達の顔を見ると、席に近い場所にある応接椅子に座るよう勧めた。


 退庁するところだったらしい。椅子には先客があり、千田(ちだ)教授が真ん中に陣取っていた。千田から遠い方から順番に席を埋めて行くと、課長は最後になって風祭に気付き、口の中で「ああ、かざま君ね」と呟いた。


 「風祭さんです」


 深江が小さな声で訂正する。課長は机の上の紙に何やら書き加え、竹野達の方へ書類と共にやってきた。


 「真実教(しんじつきょう)、という団体を知っているかね」


 表情に見合った苦々しい口調で、課長が一同に切り出した。

 切羽詰っていて、丁寧な口など利いてはいられない風であった。竹野達も、課長より年上の筈の千田も、気にした様子はない。


 「碰上異変後に出来た神道系の宗教団体で、都内を中心に急速に信者を増やしている。教祖は根岸(ねぎし)()。異変で杜神(とじん)様のお告げを受けたんだそうだ。信者は白装束を(まと)って遊説するらしいね。赤木圭一の両親は、これに嵌っていた」


 「そういえば、神社本庁で聞いたような。神道系を名乗っているので、碰上異変は本庁の仕業ではないか、などという問い合わせが多くて困っているとか。しかし、遊説すると言われましたが、今の時代、辻説法なら仏教系だし宣教なら基督教系になりますよね。どうなのでしょう」


 竹野が質問すると、他の者も口を開いた。


 「赤木少年が吸い込まれた、というのは、どういうことかね」

 「両親が留置されとるいうことやけど、どうしはったんですか」

 「どうして、新聞部の皆が捕まっているんでしょうか」

 「……」


 「まあ皆さん、待ってくださいよ。順番に話しますから」


 矢継ぎ早に質問されたことで、課長は目が覚めたように、態勢を立て直した。口調が丁寧になった。


 「杜神というのは、碰上異変が起こっている、あの状態のことを指すらしいのです。根岸やゑを始めとする連中は、あれを崇めているわけです」


 「今調べている途中で、詳しいことはわからんのですが、赤木圭一の兄が死んだのは弟の所為(せい)。諸悪の根源は赤木圭一であるから、杜神様に処分してもらわなければならない、と根岸やゑに言われて、両親が赤木圭一を碰上へ連れてきたのです」


 竹野達は黙って聞いている。課長は書類を見ながら話を続けた。


 「両親と根岸やゑのつもりでは、碰上大学病院の裏手にある出入口の付近に、小さい社があるので、そこへお参りする振りをして、隙を見て赤木圭一を投げ込む予定だったそうです」


 「あの出入口は、病院関係者が宿舎に出入りするためにあるようなものですから、門構えもないし事務棟のある西門と同じぐらい入り易く、かつ表通りに面していないことから、通行人が少ないのです」


 「根岸と両親は、目立たないように車を近くの適当なところへ停め、赤木圭一を連れて歩いて碰上に近付きました。警備をしていた警察官が声を掛けたのは、両親が赤木圭一を病院へ連れてきたのだと思ったからだそうです。以前、地方から碰上異変のことを知らない患者が、病院を訪ねてきた例があったからです」


 「ところが声を掛けた途端、根岸達が怪しい素振りを見せました。赤木圭一は父親が背負っていたのですが、意識を失ってぐったりしている。考えてみれば、こんな時間に急患が出れば、救急車を呼ぶのが普通でしょう。それで色々問い詰めたら、根岸がまた杜神様の仰せだとか言い出したので、ますます怪しいということで、周囲の警察官も応援に掛け寄ったのです」


 課長は一息ついて、煙草吸ってもいいですかね、と一同に聞いてから、煙草に火をつけた。

 竹野も一緒になって、煙草を取り出して火をつけた。


 食事の席に灰皿がなく、吸い損ねたのである。課長は横を向いてふうーっ、と長い煙を吐き出してから、ちらりと風祭を見て話を続けた。


 「ここで、ポン大の新聞部の連中が飛び出してきたのです。北門と病院の裏手の出入口の間に、裏門という小さな通用口のような門があるのですが、そこから中へ入ろうとしたようですな。まだあの通り騒いでいますので、連中からは話を聞いていません」


 「とにかく彼等が飛び出してきて塀に取り付いたので、根岸達を取り囲んでいて持ち場を離れていた形になった警察官たちが、慌てて止めようと裏門へ戻ったのです。その隙に根岸達が逃げ出しまして、呼子を吹いて応援を求めたのですが、間に合わずに赤木圭一を投げ込まれてしまった、という訳です」


 「新聞部員の方は間に合ったのかね」


 千田が煙たそうな顔で課長に問い掛ける。課長はまた横を向いて煙を吐き出してから、ぽんぽんと灰皿に灰を落した。


 「それが、見ていた警察官の話によると、飛び込み損ねたというか、撥ね返されたそうです。二人飛び込んだのですが、二人共」

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