王位継承者
影は、扉を締め深く息を吐いた。
床には首のない兵士の屍体が切り口から血を流し倒れている。
死角となっている角からぬるっと背の低い小太りの男が姿を現した。
「始末したのか?」
小太りの男は、豚のように鼻を鳴らし尋ねた。
涼しい夜だというのは汗で顔が光りを放っていると同時に酸味の強い臭いが鼻をさす。
影は臭いに敏感なのだ。
影はゆっくりと首を縦に振り答えた。
「ゴルゴーン(蛇女兵隊)を喚んだ。奴等が塵も残さずウラオスの身体を食い荒らすだろう。証拠は無いも残らない。神隠しにでもあったと思うんじゃないか」
顔を覆う漆黒の布でくぐもった声を小太りの男は聞きにくそうに聞き耳を立てている。
「また寿命が減ったな」
ぶひぶひと鼻をひくつかせる。
「寿命などどうでもいい」
黒服の言葉には一切の感情を感じ取る事が出来ない。
声に抑揚も無くただ単調に話している。
「からかったわっちが馬鹿だった」
黒服の視線は横に横たわる屍体を捉えていた。
「こいつはどうする?」
「わっちの実験にでも使うとしよう。グール(屍人)の大量生産計画も最終段階まで来ている。この屍体はありがたくわっちの方で使わせもらおう」
「大量生産計画?」
黒服の語尾が僅かに上がる。
「おれ?お主に言っておらんだか。今、燐にあるブツを大量に発注しておる。
数週間後届くてはずになってるんだが。それさえ手に入れる事が出来ればグール(屍人)を大量に召喚する事が出来る。そうすればグールによる不死の軍隊の完成と言う事じゃ。グールの軍さえあれば最早、四獣など不必要じゃて」
豚のような男は小さい眼を清い少年の瞳のように輝かせている。
「そのブツってのは燐でしか手に入らないのか?」
「いや。そないな事もないんじゃが…今は黎に身を委ねている身。黎の民のものを使う訳にはいかん。シャオラン皇子は気にしないかもしれんがタルマなどにでも知られたら厄介だからのう。研究がしづらくなるのは本末転倒じゃ。只でさえあの老いぼれはわっちを信用しておらん」
鼻息荒く顔をしかめている。
なんとなくそのブツってのが何なのか分かってきた気がする。
燐は未だ発展が著しい国で王都周辺の街は整備されているが辺境の方に目をやれば未だ物流ともに治安も安定していない地域が多い。
燐の辺境の地には人身売買を行う輩が多いと聞く。
村を襲いその村人全員をかっ攫うのだ。
そのような不安定なお国柄、領土に加えようと各国が燐に攻め込んでいる。
しかし、不安定ながらも燐には有力な力を持つ蛮族が国の四方を囲む形でいて
独立した軍閥のような働きをしている。
その蛮族の力もあり燐を狙う国々は実情攻めあぐねているというのが現状である。
現にこの軍事国家黎も二年前に〈ナラシンハ〉をおとして以降、成果を上がれていないのが実情としてある。
「何をしようが貴様の勝手だが目的を見失うなよ」
「分かっておるわ!これでシャオラン皇子が王になる。そうなればわっちの研究もはかどるというもの」
「そう簡単にいくかな」
影の含みのある物言いに小太りの男が突っかかる。
「そうなってもらわなけらば困る。あの坊主にはまだまだ投資してもらわなければ」
「ヘルマン。あの坊主を侮るな」
ヘルマン。そう影に名を呼ばれた小太りの男は鼻を豚のようにならした。
「何を恐れる?確かにあの坊主は利口で狡猾だが所詮は餓鬼じゃ」
「シャオランの中には化物が巣食っている。あれは全てを喰らおうとする化物だ。黎を喰らったぐらいでは奴は止まらんぞ」
「奴があのお方まで喰らってしまうとそう言いたいのか?」
「そうなりえる存在と言っているだけだ。それほど危険な存在である」
「感情を持たぬお前が恐れを語るのか」
ヘルマンはつり上がった鼻をひくつかせ嘲るように言った。
「このような身体にしたのは誰だ?まあ、今になっては感謝しているが。感情など覇道を行く上で邪魔になるだけだ」
ヘルマンはばつの悪そうに顔をしかめる。
沈黙が僅かに続いた。
その沈黙を破るかのように、男の大声で叫ぶ声が聞こえてきた。
「黎王様が!黎王様が!」
いよいよか。
シャオランが玉座に座るその時が。
世界が混沌へと墜ちようとしている。
★
扉が勢いよく開き闇に覆われた室内に光りが射し込む。
「騒々しい。何事か」
そこには、肩で息をし青ざめた顔色をした若い兵士が立っていた。
兵士はすぐさま膝を折る。
「お許し下さい!シャオラン殿下。急ぎ申し上げなくてはならない事が」
(来たか)
シャオランは、内からわき起る歓喜の感情を押し殺し無表情に努めた。
「申せ」
「黎王様の容態が…」
嗚咽が洩れる。
「容態が悪化したのか?」
冷静に。冷静に。
そう自分に言い聞かせる。
(まだくたばってないのかあの糞じじいは)
「医者は今日がヤマだと」
兵士の泣きじゃくる声が耳に入る。
「そうか…」
シャオランはその場に座り込む。
「シャオラン殿下!」
兵士がシャオランの脇を持ち立たせる。
「父に会いにいく」
左手で表情隠す。
そうしなければ口が裂けるほどの笑みを浮かべている様を見れてしまう。
(待っていろ。死に損ないの老いぼれめ。この目でしかと最後を見届けてやろう)
★
黎王は王室の天蓋付きの寝台で静かに横になっていた。
王の寝台を囲むようにしているのは、黎王のラタトスクであるタルマ・ユジン、その弟子であるキジュ・マサリ。王室直属の医師ヘルマン。宰相ラン・ホイト。他、三名の有力な政官達である。
シャオランは、肩を貸してくれている兵士を撥ね除け王の元まで泣きじゃくる演技を披露しながら足をわざともつれさせながら駆けた。
やりすぎかと思ったがこれぐらい大袈裟な方がいいだろう。
実の父が最期を迎えようとしているのだ。
「父上!」
病床に伏せる父の顔を見た。
父に対面したのは久しぶりだ。
父が床に伏せるようになって一年。
一年は会っていない。
(しつこい老いぼれめ)
ユーリンだけは、父の容態が悪化してからも床に伏せる父の見舞いに来ていたようだが。
奴には点数稼ぎがお似合いだ。
どっしりとしていた体格の父は今、酷くやつれ細っていて女のように線が細い。
表情も以前、あれほど肉付きの良かった頬は骨の出っ張りが確認できるほどこけていて顔色も土色をしている。
胸の辺りが僅かに波打っているのを除けばほぼほぼ死人である。
「父上…父上…なんというお姿に、この親不幸な愚息をお許し下さい」
王の枕元で泣きじゃくる演技をする。
声を上げ鼻を幾度となく啜る。
「ああ…シャオラン殿下。なんと不憫な」
宰相のホイトがシャオランの肩を抱く。
(じじい。俺に気安く触れるんじゃない)
そう胸の内で悪態をつきながらもホイトの胸の中に飛び込む。
「シャオラン殿下…」
ホイトが優しくシャオランの背中を擦る。
気持ちの悪いこの男色じじいが。
宰相ラン・ホイトは優秀であるが男色であった。
現に若い男が彼の屋敷に何度も訪れているのを目撃している者も多数いる。
何よりシャオランはこの男色宰相が以前より自分に向ける淫らな視線に気づいていた。
男女問わず魅了する容姿を有するシャオランを幼少の頃から宰相ホイトは舐め回すそうな気味の悪い視線を送っていた。
現に今も背中を擦る手の平の動きが艶かしい。
鳥肌が立つのを押し殺しながら泣きの演技を続ける。
(俺が王になった暁には貴様の男根をまずは抉り取ってくれよう)
しかし、そんな矮小な宰相とは違い泣きじゃくるシャオランに刺すような
視線を送っているのが現ラタトスクタルマ・ユジンとキジュ・マサリである。
タルマは油断ならない男である。
齢70歳を越えるというのに今だ王の唯一無二の守護者であるラタトスクの地位に属しているという事はそれほど頭も切れ武人としても未だに衰えを見せていないという事である。
戦場に自ら立つ事はないが四獣の全ては彼の指揮下にあり全軍総帥という立場も担っている。
ゴーレムのような巨躯に銀の長い髪、漆黒の瞳。背に担ぐのは布で覆われた巨大な戦斧。
その戦斧は(炎波)と呼ばれ炎を宿す特殊な斧でイフリート(炎皇)と呼ばれるジンの中でも最強クラスの一部を使って鍛えられた斧だとか。
それが由縁で炎塵王というタルマの渾名はつけられた。
実際に目撃していない者にとってどこまでが事実かは解りえないが
ラタトスクという称号は伊達じゃない。
黎の中で最強の武人に与えられる称号である。
そのタルマは間違いなくシャオランを好いていない。
此方の思惑を察しているかのように疑いの視線を向ける。
シャオラン自身も唯一この男だけは昔から苦手であった。
心の底を見透かしてような黒い瞳。
この男には幾ら言葉を並べても無駄だ。
そんな気さえする。
しかし、そんな男も父が死ねばラタトスクではなくなる。
事実上権力を失うのだ。
次のラタトスクは王となった者が決めるのだ。
そうなれば早々にタルマを始末する。
この男は生かしておいてはいけない。
必ず我が覇道の障害となる。
タルマはユーリンを密かに支持しているようだがその意図も全く理解出来ない。
考えが読めない。
不気味な男である。
そんなの視線を振り払うかのように演技を続ける。
「ウラオス兄さまは何をしておる!父上がこのような容態だというのに!ユーリンはユーリンは何処だ!早く呼ばぬか」
一人の政官が申し訳なさように言った。
「それがウラオス殿下のお姿が先程から見当たらないのです。城内をくまなく探しましたが何処にも」
(とっくに死んでいるよ)
内心でほくそ笑む。
「何?このような時に兄上は何をしておるんだ。ならユーリンはどうした?」
先の政官が続ける。
「それがユーリン様は3日前ほどにオルカノンに発たれまして」
「オルカノンだと?」
これは初耳である。
オルカノンといえば西の島国である。
独自の文化持ち、島を囲む海流はオルカノンの民しか攻略出来ないと聞く。
そんな場所にどうしてユーリンが。
「オルカノンの王より客将としてユーリン様をお招きしたいとの申し出がありまして」
(ユーリンが。オルカノンの王から招待を受けただと?一体何の為に)
だが今はそのような事もうどうでもいい。
ユーリンなら帰国しだいいつでも始末出来る。
放っておけばいい。
「このような時に何をしているのだ」
僅かな肉が残っているだけの王の弱々しい手が動いた。
(まだ生きてやがったか)
シャオランは王の元まで駆けより手を握った。
「おお。父上…シャオランです。分かりますか」
王の手が小刻みに震えている。
虫の息である。
ヘルマンが口元を両手で抑えシャオランに視線を送る。
奴も必死に湧き上がる歓喜の感情を抑え込んでいるようだ。
「シャ、シャオランか…」
王の閉じていた瞼が僅かに開く。
その瞳は何処を見るでもなくただ虚を見ている。
「はい。シャオランです」
「ユジンこちらへ」
王の声は嗄れか細く今にも消え入りそうである。
「王よ」
大股でこちらにやって来る様はまさに獣である。
タルマが歩を進める度に地面が震える。
巨躯のタルマは王が伏せる寝台の前で平伏しゆっくりと顔を上げる。
彼の漆黒の瞳からは一筋の涙が流れ白銀の髭に伝う。
「ユジンよ。ごほごほ」
王は肺の奥から出ているような重い咳をする。
「黎王」
気遣い歩みよろうとするタルマを王は手で制す。
「父、そして儂に忠義を尽くしてくれた事本当にありがたく思う。お前がいなければ今の黎はない」
「何を弱気な事を。王よ!まだ我々は夢なかばですぞ、天下統一それこそが我らが共に抱いた夢。王がそのように弱気でどうなさいます」
タルマの声が上擦り涙が止めどなく溢れている。
「そう叱ってくれるな。お前はいつもそうやって儂を厳しく導いてくれる。しかしなタルマもう身体が持たんのじゃ」
聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で王が笑う。
「そんなもの気合いでなんとかなりましょうぞ!」
「そう言うな、儂とお前では身体の造りが違うのだから。タルマ最期の頼みを聞いてくれ」
「はい…」
「図々しい頼みだと百も承知だが。あの子が自分でラタトスクを選ぶまでお前があの子を導いてやってくれないか。儂が創る事が出来なかった平和な世をあの子と共に創り上げて欲しい。天下平定あの子にならそれが出来る。そう儂は信じている。
そして、ヨンジュにもそれを見せてやって欲しい。彼女には随分長く待ってもらっているからな。あの子に儂にとってタルマのような存在が必ず現れる。その時までタルマよ、あの子をよろしく頼んだぞ」
(あの子誰の事だ?何の話だ)
シャオランは王の話す内容が理解出来ないでいた。
あの子とは誰の事だ。
俺の事か。
だが、あの口ぶりは俺じゃない。
じゃあ、誰の事を指している。
王は寝台から起き上がり皆の前に立った。
やせ細り以前ほどの恰幅の良さはないものの王の風格がその立ち振る舞いから現れていた。
「ここに宣言する!」
王の轟くような大きな声が王室に響き渡る。
先の消え入りそうな声が嘘のようである。
「この黎を治める王は今よりシン・ユーリンとする!」




