第二十話 美しく妙なるミタエちゃん
たつ子たちを乗せた井上外務卿の馬車で大隈邸まで到着すると、かの女傑・大隈綾子が玄関先どころか門前まで迎えに顔を出した。
盟友の井上武子に対する礼儀であろう。
約束の人数は二名。
実際に押しかけてきたのは、三名である。
綾子は、ジロリと見て、
「芸者は二人と武子さまのお手紙にはありましたが?」
と言う。
短く鋭く切りつけるように。
たつ子のすぐ横で武太郎がヒィと小さく悲鳴をあげる。
ガタつくな。
自称幡随院長兵衛派、跡見塾の悪戯の龍虎の龍、たつ子はイラつく。
ここまで来たら度胸を決めるしかない。
その点で、一行の最年長者であるお花は、大したものであった。度胸がある。
にっこり笑って、
「こいつら二人は、半玉ですから、半玉二人で芸者一人前で」
と答える。
いけしゃあしゃあ。
さすがに麹町で評判の芸者、杵屋のお花姐さんだ。咄嗟の機知。それなりの理屈が通っている。
聞いて、綾子は、ほんのわずかであったが、ふと口元を綻ばせる。
「そういう数え方もありますネ」
「はい」
人数の違いの点についての話題を終える。
続けて、綾子は、
「武子さんから先にいただいたお手紙で、外務省の筋の方が一人まじっていると伺いましたが?」
と言う。
誰かまでは自分の口でいちいち問わない。名乗り出ろ、と言うのだ。相手がその手に乗って自分から名乗り出れば、心理的な圧力に負けたという苦手意識を植えつけることができる。
細かい機会を逃さず、相手の精神力を削ろうとする。
たつ子は無視することにした。
知らぬ顔。
しかし、横で武太郎が、怯えた声で、
「ねえ、ね、斎藤くん・・・ 黙っているのは、失礼でしょ? ちょっと、聞いているの、斎藤くん?」
と言う。
こっち見ンな。ぶち殺すぞ、ヒューマン!
仕方ない。
たつ子は口を開いた。
「どうも、お初にお目にかかります。杵屋のたつ吉でございます」
「斎藤くん?」
「いいえ、杵屋のたつ吉で」
心理戦。
両者ともにしばらく無言。
綾子はあきらめる。
「たつ吉ちゃんね、わかった」
「アイ」
「そちらの姐さんの芸者が、かの杵屋のお六の愛娘、杵屋のお花」
話を振られて、お花は会釈する。
「あたしのような浮草稼業の名前を奥様はご存じでしたか?」
「井上外務卿夫人からのお手紙にありました。杵屋のお花ともう一人、杵屋のたつ吉と」
と、綾子。
続けて、半玉姿に武太郎に目線をやる。
「そちらの、半玉さんは?」
ぼんやりしている
しまった。こいつに芸名をつけ忘れていた。
たつ子は焦った。
「奥さまから、名を聞かれてるヨ。早く答えナ」
すると、その異様なまでに愛くるしい半玉は、可憐な紅い唇を動かして、
「ミタエ」
と小さな声で名乗った。
続けて、
「美しく妙なると書いて、みたえです」
と言う。
「わかったわ。美妙ちゃん。名も姿かたちも美しく妙なる」
と、綾子。
いぶかしむ様子を見せない。
「では、また後ほど、お会いいたしましょう。まず、皆さまの三味線を広間で聞かせていただきます。楽しみにしています」
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綾子は才童たつ子の顔を知らなかった。
人脈づくり大切さを説くが、綾子の人脈づくりの基本は、困っている人たちを迅速に金の力で保護することであった。
数をそろえることを重視する。
功利主義。
いちいち一人一人と会話をして相手の人間性を確かめるようなヒマはない。
くだらない趣味の話などもってのほか。
例をあげる。
明治十一年(一八七八年)に正式に「束帯などの和装は祭服とし、洋装を正装とする」という法律が作られている。
この年、明治十四年(一八八一年)にも、「高官が公的な場に夫人を伴う際は洋装とする」というお触れが出ている。
いきおい上流階級の女性の話題の中心は、洋装のファッション関係となっている時期、それでも、綾子本人は、「洋装が嫌い」と公言して、公の場以外では生涯に和装を貫き通している。
一つ、綾子は和歌に興味はない。
二つ、和歌の話をしてくるような友人もいない。
そのような理由でもって、綾子はたつ子の顔をまったく知らなかった。
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大隈邸の広間。
五十人近い書生を詰め込んで、お花が三味線を披露した。
さすがは巷で三味線の達者と噂される芸者、杵屋のお花姐さんだ。
その三味線の妙技で、普段は音曲に興味がないであろう書生たちをも、あっという間に酔わせてしまう。
大したものだ。
まだ、姐さん、本気を出しちゃいねえケド。
手を抜いていることをわかってしまうだけに、半玉・たつ吉(たつ子)としては歯がゆい。
その演奏中に、半玉・美妙(武太郎)が、
「ねえ、ちょっと」
と声をかけてきた。
自分のトコのお花姐さんの三味線を邪魔するつもりカエ?
「静かに」
たつ吉は押し殺した声で注意する。
しばらくして気がつく。
お花の三味線も全く聞こえないという様子で、美妙のことをまるで食いつかんばかりの粘着質な目で見ている書生がいる。
お花の左の座布団でちょこんと正座している美妙は、例の大隈憲法意見書の入った風呂敷包みを何か大事そうに胸に抱え込んでいた。
ただの客の目から見ても、わりと怪しい。
でも、そういう理由ではない様子。
美妙が怯えている相手の書生の顔、たつ吉さんにもチョイと見覚えがござんした。
あの男・・・
お花が一曲終わると、盛大な拍手。
これは好機。
たつ吉は声をかける。
「すみません、お花姐さん。ちょっと美妙が気分を悪くした様子で」
「どうしたんだい? まだ、お座敷は終わっちゃいないヨ。
半玉だって、半分でもお金をもらうダロ? お花姐さんに半玉としてついてきたのなら、お花姐さんの呼ばれた座敷を潰すようなことは許さないヨ」
ピシャリ。
伝法な口調で言い放つ。お花姐さんはおかんむりだ。ご立腹だ。
いや、とたつ吉は食い下がろうとする。
「美妙のヤツは」
最後まで言い終えることができなかった。
いきなり客から大声が飛ぶ。
「たつ吉とかいうキサン、二中のに現れた、縄術遣いだな! なぜ女子に化けて大隈さまのお屋敷に入り込んでおる?」
広間の書生たちはナンダナンダと騒然とする。
はてさて、どうしたものかネ?
この杵屋のたつ吉(三宅花圃、たつ子)は、芸の道では、れっきとした杵屋のお花姐さんの正真正銘現金掛け値なしの妹弟子よ。美妙ちゃんみたいな、ただの一日かぎり半チク・衣だけのテンプラ揚げ玉・半玉とは違う。お花姐さんの呼ばれた座敷を潰すようなことはできない。
とりあえず、すっとぼける。
「何のお話かよくわかりませぬが」
まず、左肩を前にに出して、斜めに構え、左手を甲を上にして軽く胸元にあてる。
「この杵屋のたつ吉さんに文句がおありってなら」
そして、左肩を大きく開き、左手を掌を上にする。左腕を派手な動きで思いっきり伸ばす。芝居っ気たっぷりに大見栄を切る。
「お話は後でうかがいますヨ」
まだ、お花姐さんの三味線は終わっていないのですヨ。




