記憶がない
ワルキューレの軍団が上空を旋回し、烙末を捜索している。パレードはワルキューレを見て大盛り上がり、パレードの一環だと思っているのか、地上ではワルキューレ達に手を振っている。
ワルキューレ軍団もパレードの花火やライトに邪魔され、少し苛立っている様子だ。烙末はできるだけ薄暗い路地を通り、入り組んだ建物の中を通り抜ける。
「一体全体どうなってんだ。」
烙末は疲れと共に苛立ちが湧き出てくる。烙末を嘲笑うように、あちこちで街の広告のポスターが不気味に笑いサイダーを片手に携えている。錆びれた看板に隠れながら、店の中を通っていくと、屋根付きの商店街に出た。
商店街も時の刻みを阻まれたように、沈黙した姿を見せている。まるで急に時が止まったかの如く、生活感を保ったまま、しかし朽ちた風景が、そこにあった。
「どうかしてるぜ。夢なら夢で、現実なら現実で、全く、狂ってる。」
古びた服、溶けた菓子類、人気のCD、綺麗なねーちゃんの雑誌、パン、野菜、花、家電、あらゆるものが放置されたまま朽ち果て、そこに虫さえ、たからない。
誰かの書いた落書きが商店街にぽつりぽつりとある、その中に、おそらく愛していたであろう女の名前が書かれている。人間のいなくなった街は、まるで人間の生をあざ笑うかのように、もはやそれらを過去のものとして提示する。
その朽ち加減をみると、この商店街にいた人間が今も生きているとは、到底思えない。
遠くで聞こえるパレードの音に交じって、どこかからレコードの音がする。レコードはクルクル回り、スピーカーからフォーク音楽が流れている。
その音に誘われて、烙末はふらふら音をたどっていく、ぶら下がる提灯は明かりがつかない。干してある魚どもは、異臭を放たず、ただただ朽ちている。静かな商店街に異質な足音がコツコツ響いて、それがなんとも淋しいかぎりだ。
音楽は地下に続いている。元々スナックのような場所で、レコードが鳴り響いている。
「どこから生じるのか誰も知らない…この世界は永遠。」
烙末はびくりと驚き、声の主のほうに向く。声の主たる老婆は、修行僧のような恰好で古ぼけた時計の前に鎮座していた。
老婆はニタリと笑ったまま烙末をじっと見つめて、細目の視線が烙末に何とも言えぬ不快感を与えた。老婆はゆっくりと手を向け、数珠をじゃらじゃらさせながらしゃがれた声で話し始める。
「おぬし、どこから湧き出た。」
「ボーフラじゃないんだぜ、ばーさん。」
「へ、へ、おぬしのカッコはヘンテコじゃの。祭りは嫌いか?」
「いいやアンティゴネ。祭りは好きだぜ。ばーさんと行く趣味はないけどね。」
「ここらの者は皆お前さんのような奴を嫌うよ。忌み嫌われる。年寄は特に。」
「ばーさんもか?」
「おれはお前さんなんぞ気にもしとらんよ。穢れは捨てた。おれは穢れのつかぬ様に日ごろから心がけとる。」
「俺のことか?穢れってのは。」
「そうとも。昔から、ボーフラは嫌われる。おぬしがそんな人間だろうて。ボーフラのように湧き出た人間よ。おぬし、何のためにやってきた?」
「来たくて来たわけじゃない。気づいたらここにいただけさ。」
老婆はますます口を歪ませ皺を強調させる。見るに堪えないその顔を見ていると、烙末は苦虫を噛んだ気分がしてくる。
「おぬし、本当にそんなことができると思いかね?死んだ人間が、何の願いもなく、何の未練もなく、生にしがみつくということが、本当に叶うと思うんか?」
「おい、どっちかてと、ばーさん、あんたのほうが死んだみたいだぜ。」
「死んだ者がここに堕ちてくる。ここはゴミだめのような場所だよ。ゴミだめに引っかかった人間は、この世界ですら忌み嫌われる。そりゃそうさね。ゴミに集る蠅どもには、ゴミだって軽蔑するもんさ。」
烙末は薄ら笑う老婆に軽蔑と共に怒りを感じ始めた。奇怪な場所で醜い老婆と出会い、「お前は死んだ。お前はゴミに集る蠅だ。」なんて言われたら、不愉快を擦り付けられる嫌気が現れても仕方ない。
烙末はしかしこの老婆が唯一の今話せる人間であるため、我慢せねばなるまいと、ぐっとこらえていた。
レコードが止まる。老婆と烙末に静寂が訪れる。聞こえるのは、やはり、あのパレードの音だけだ。まだ終わっていないらしい。
「あれは結婚式さね。夫婦となりゆくもの共に、祝福と憐みを送る。そんなお祭りよ。」
「しかし、夫が見えなかったぜ。」
「そりゃそうさ。こんな死人の場所で生者の婚約を行うわけなかろう。」
「じゃあ、あの花嫁は死人と結婚するってのか?」
「そうさ。あの少女は死者に連れそう選択をしたのさ。死者を想い、生を断じる純白さを、尊敬し、信仰する。そうして、あの少女は死者と出会い、永遠の時を、夫婦となり過ごし行く。」
烙末は、死者との婚約など理解できなかった。死者よりも生者だろう。死んでも愛するなんて、狂気の沙汰だ。
「お前さんにはおらんのか?そんな少女が。死んでも会いたい少女がおらんか?」
烙末は、自分の記憶を探る、しかし妙なことに、靄のかかる様に、記憶が閉ざされている。ここに湧くようにして現れ、記憶もなく、ただ自分を追うものから逃げている。そんな烙末は、確かにボーフラの様であった。
「さあ、分からない。記憶がどうか、欠落してる。」
そういいながら、烙末はポツリとある記憶を思い出す。それはあの曲線の少女の記憶だった。烙末はその少女を、とにかく、探そうと、決断した。
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