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紫の瞳  作者: yohna
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 こんなルカの姿を見るのは、二度目だ。

 かつて泥酔したルカが、こんな状態になっていた。

 表情のぬけ落ちたような顔で、視線もうつろに呆然としている。

 それでいて、いまにも泣き出しそうな空気を纏っている。

「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」

 気がついたら、ルカを抱き寄せ、抱きしめていた。

(そうだよね……ルカは、オルガが言った言葉を本気だと思ってるんだもん)

 侮辱するような言葉の数々を放っていたオルガーに、理由はどうあれ怒りを覚える。

(次会ったら、何かしてやるんだから!)

 ルカの背中をとんとんと叩きながら、そんなことを考える。

 どのくらいそうしていただろう。幾分かすると、荒かったルカの呼吸が落ち着いてきた。

 けれど、有希から離れる気配がないのでもう少し時間が必要なのだろう。

(それに、ルカのこんな姿、滅多に見られないし)

 不謹慎だとはわかっているが、浮つく心は止められない。

 他人には絶対こんな姿を晒すことはないだろうから、特別になった気分だ。――ほかの人に見せない姿を、自分に見せてくれるというのは純粋にうれしい。

 背中を叩きながら、もう一方の手で、さらさらの髪の毛を梳く。

(こうやって、触り放題だし)

 それに、少し春のにおいがしてきたとはいえ、まだまだ寒い。

 こうして抱き合えば、暖かなルカのぬくもりが伝わる。

「――だいじょうぶだよ」

 泣かなくて――涙を流していないけれど――大丈夫だよ。

 何も不安に思わなくていいんだよ。不安なことなんてなんにもないよ。

 かつて有希が裕子に貰った言葉を、同じように繰り出す。

――だいじょうぶ。有希ちゃんならだいじょうぶだよ。

「ルカなら大丈夫だよ」

――ママは、有希ちゃんが大好きだからね。だから安心して。

「あたしは、ルカが好きだからね。だから、安心して」

 ルカの肩がぴくりと動いた。怪訝に思い、自分の放った言葉を反芻してハッとする。

「あ! す、好きって言っても、ライクだからね! ライク!」

 そしてまたハッとする。

(ライクとラブってもしかして通じない!? 通じないよね!?)

「え、えぇと、ライクっていうのは、その……」

 しどろもどろに喋っていると、ルカの身体が離れてゆく。

「る、ルカ?」

 前髪が目にかかっているせいで、表情がまったく見えない。

「もうだいじょうぶなの? 落ち着いた?」

「…………」

「あ、手。痛いよね。今治すから」

 ルカの腕に手を伸ばすと、負傷している右手に払われ、パシンと小気味良い音が鳴った。

「えっ?」

 ぶつかった手の甲がジンと痺れる。ルカの血がこすれ、赤く色づいている。

「ねぇ…………どうしたの?」

 ルカは黙ったまま動かない。

 動かないどころか、やっとやわらいできていた雰囲気が、またぴりぴりと張りつめたものに戻っている。

(もしかして、オルガーの事が原因じゃ、ない……?)

 では何が、ルカをこんな風にさせているのだろうか。

『悪い癖なんだ。あんなんなるのが』

 かつて、ナゼットはそう言っていた。

――癖。

『僕が覚えてる限り、ここ数年はありませんでしたよ』

(ここ数年なくって、また出てきた……癖)

 何がなんだかわからなくて、呆然とルカを見ていることしかできない。

「………え……もか」

「え?」

 それからまた、ルカは黙った。

 有希も黙って、ルカを見つめる。

 黙って、黙って、黙って。

 そうしてしばらくするとルカが、あぁ。と小さく呟き有希を見た。

 その表情に、はっと息を飲む。――ルカが、微笑んでいた。

「お前も、兄様から何かされたのか?」

「えっ――――っ!?」

 突然、顔面に向かって、ルカの手が伸びてきた。反射的に目を閉じてしまうと、こめかみに圧をがかかり、再び目を開けると視界は真っ暗になっていた。――ルカに、顔面を掴まれているのだ。

「え、ちょ」

 顔が浮く。頭を掴まれ、引っ張り上げられ、膝立ちの状態から立ち上がる。

「手、いた……」

 抗議するようにルカの手首を掴むと、逆にその手を取られ押された。

 バランスを崩して転びそうになると、ルカの手が有希の手を引っ張る。無言で『立て』というように。

 よろよろと後退していくと、背中に硬いものが当たる。次いで、後頭部がごちっとぶつかる。――城壁だ。

「や、だ! なに!?」

 空いている方の手を振り回すと、ルカのどこかに当たった。何度もそこへ向かって手を振るっていると、やがてルカの舌打ちとともにその手も掴まれた。

 両手をひとまとめにされ、頭の上の壁に押しつけられる。

「――っ!!」

 視界は相変わらずルカの手で塞がれていて、両手もルカの片手にまとめられて捕まっている。

『お前も兄様から、何かされたのか』

「……! ルカ! あたし、オルガに何もされてなっ……」

 途端、顔面を壁に押しつける手に力が込められる。

「――った」

 こめかみと、後頭部が押しつぶされるように痛い。

(痛い、痛いってば!!)

「――――黙れ」

 耳元で囁かれ、ぞわりと鳥肌が立つ。

 冷徹な声音に、思わず身体がふるえた。。

 何度も聞いたことのある声音――それはいつも、ルカが信用していない人達に向かって発せられるもの。

 拒否と、拒絶の声音。

「……なんでよ……」

 何が起こったのかわからない。

 どうしてルカはこんな風になってしまったのだろう。

「ねぇ」

 返事はない。

「言ってくれなきゃわかんないよ……」

 ぎりぎりと腕を拘束する手も、顔面に押し当てられた手も、微動だにしない。

(なんでなの……)

 なんで何も言ってくれないのだろう。 

 今だけじゃない。

 いつだってルカは、何も言ってくれない。

「一人で抱え込んで、一人で苦しんで……」

 悔しかった。

 きっとルカにとって有希は、その程度の価値でしかないのだ。

 抱えているものを、分かちあう必要のない程度。

 それなのに、ルカの中へずかずかと足を踏み入れた。

 その結果が――これだ。

「あたしはそんなに、ルカの力になれないの……?」

「…………」

 返事はない。

 やはり、ルカの苦しみの前には有希の存在なんて無意味なものなのだ。

(あたし……ばかだ)

 ルカに近づけたと思っていたのは有希だけだった。

 現に今、ルカの心は微塵も見えない。

 それなのに、一人で勝手に舞い上がったりして。

(ばかだよ……ルカはこんなに苦しんでるのに)

「ごめんね」

 力になってあげることができなくて。

「ごめん……」

 いつも甘えているのは、有希だった。

 今更ルカに頼って欲しいだなんて思うのは、有希のエゴでしかない。

「ごめんね、ルカ」

 たとえ。

 たとえルカの力になれないとしても。

 たとえルカにとって、有希の価値なんてなくても。

「ごめんね……甘えてばっかで。――でも、それでもあたしは…………ルカのそばにいたいよ」

 すぐ目の前にルカが居るはずなのに、触れているはずなのに、ルカがひどく遠い。

 胸が苦しい。もう痛まないはずの傷がちりちりと焦げ付くように、熱い。

「…………ごめんね。好きだよ、ルカ」

「…………」

 ぴくりとルカが動いた。

 けれど、返事はない。

 それが返事なのだろう。

 わかっていた。

 わかっていたはずなのに――――どうしてこんなにも苦しいのだろう。

 くるしくて、くるしくて。

 浅く短い呼吸を繰り返し、こみ上げてくる涙をやり過ごす。

 ただでさえ、ルカに何かいやな思いをさせてしまったのだ。

――泣くなんて、これ以上見苦しい姿は見せられない。

(なのに、なんで)

 泣くまいとするほど、涙が浮かぶ。

 下唇をぐっとかみしめる。

 それでも涙はじわじわ湧き出てくるのをやめないし、ルカの拘束もほどかれない。

 ただただ、有希の鼻をすする音と、嗚咽があるだけだ。

「なんか、言ってよ」

 あちこちが痛い。顔も、腕も、胸も、後頭部も、心も。

 涙がルカの手の平の中に溶けてゆく。

「~~っなんとか言え! バカ! バカルカぁ!」

 今身体が自由なら、ルカを叩けたのに。

 いっぱい叩いて八つ当たりして、逃げ出してから大泣きできるのに。 口の中に鉄の味が広がる。どうやらかみしめすぎて切れたようだ。

 涙もルカの手に余ったのか、有希の頬を伝って流れ始めた。

 涙がたらたらと顎に流れ、はたと落ちた。

 はたはたと四度落ちた後、すぐ傍で大きなため息を吐かれた。

「…………契約なんて、しなければ良かった」

「え?」

 くちびるに吐息がかかる。

「――――お前、生まれた世界に帰れ」

 いま、なんていったの。

 そう有希が言う前に、やわらかいなにかが唇に触れ、傷口をぺろりと舐められた。


 どこから香るのだろうか。

 かすかに、薔薇の匂いがしている。

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