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フォルモン!

 ぼやーんとしている。寝起きはいつもこうだ。ホント起きるの苦手ねって、よく笑われて…そう、えっと、…誰にだっけ?




「気付いたかな」

 思考を遮ったのは初めて聞く声だった。開ききらない目を何度も瞬きさせて相手を見ようと試みる。

「ん……ひょう?」

 チーターとは異なる全身を飾る紋様。首から何かのカードをぶら下げ、屈んでくる体に合わせてチェーンがちゃらりと鳴った。

 豹は少年の手を取り、心音を聞き、何やらぺたぺたと身体を触った後で満足そうに息を吐く。

「異常は特になさそうだね。あんなおっそろしい池に簡単に入っちゃいけないよ少年」

「いけ?おそろしい?なにが?」

「少年は質問が好きだね」

 豹は楽しそうに笑う。ふふ、ではなく、にやりと表現できそうなその笑みは女性に人気で男性にあいつ恐ぇと言わせるそれだったが、コタはそんなこと知る由もない。

 その時幼い少年が思っていたことといえば、この豹はやたらと何かがダダ漏れているってことで。たぶんあれは文字にするなら。なんだっけ、ヘルモン、ホルモン、フェル…

「フォルモン!」

「フォル?…ああ、フェロモンのことかな。やっぱり少年にも分かっちゃう?僕のこの美しさ。道行く雌がみんな僕に惚れちゃうのも無理のないことだよね」

 胸に手をあて顔を上げ、恍惚とした表情を浮かべる豹。

「や、それはないわ」

 会って数分の相手に思わず否定の発言をしてしまったけれど、これは脊髄反射のなせる技だった。

「そんな当たり前過ぎる事実はさておき」

 当たり前って何。事実と現実は往々にして異なるって誰かが言っとったな、誰やっけ。

 コタの心中になぞもちろん構うことなく豹は続ける。

「身体の調子はどうだい。何か普段と違う感じはあるかい」

 普段と、と問われてもコタの普段は今朝始まったばかりなのだ。比較するのは今朝からの自分。

 一応考えてはみたものの、朝起きてコタがしたことといえば食事をして散歩をしただけだ。

「ない」

 でもまぁとりあえず変な感じはないからいっか、ということにしておく。

「お医者さんなん?」

 目の前のやたらしなやかそうな体躯を見て、医者というより走者みたいやなとコタは思う。

「そう、救護部門【治】で救護士をしているザクロなんとまあ素敵な名前だろう遠慮なく褒めていいんだよ少年」

 息もつかせぬ自画自賛である。

「…おれ、コタです」

 褒めるべきか放置するべきか、正しい判断に迷ったコタが出した結論は自己紹介を返す、だった。

「知っているよ。早朝に来たかと思えば昼になる前にもう一度来るなんて。意識飛ばして救護部門なんて早々来るもんじゃないよ全く」

 その発言で、ああリクリが連れて行ったと言うのはここのことかと知った。そして目の前の豹はちゃんと医者らしい。全くそうは見えないけれど。

「ありがとうございました、二回も」

 ようやく目が覚めてきたコタは身を起こして礼を言う。

「はいよ、それが僕の仕事だからね。むさくるしいガタイの傷口に軟膏ぐりぐり塗り込むより無抵抗な少年を診てる方が医者としての初心を思い出せるってもんだよ」

 えっと、なんていうか、うん、怪我はなるべくしないようにしよう。

 落とし者になって初めて立てた決意だった。

「失礼します」

 戸をノックする音に聞き覚えのある声が続く。

「リクリ?」

 ぽそりと零した声は相手に届いたらしい。慌て気味にたすたすと駆ける足音がこちらに来たかと思った瞬間、腹部に衝撃が走る。

「ぐふっ…っ」

「コォタアアッ無事だったんだね無事だったんだねよかったよどうしようかと思ったよマザアに近付いちゃダメだよ触っちゃダメだよ落ちるなんてもっての外だよおっっ」

 ぎゅうぎゅう自分を締め付ける兎に、そもそもマザアに近付けたのはそっちだし水遊びのどこが悪いのか分かんないし落ちたのはリクリの大声に驚いたせいだ、なんて言いたいこともあったが呼吸を整えることが先のコタは思うだけで止まるしかなかった。

「ずっと付き添ってたのに目覚めの瞬間に立ち会えないなんてさすが兎クオリティ。まぁどうでもいいけどそろそろ離してあげたら。少年の息が詰まってる」

「う、わああごめんっ」

 締め付けから一気に解放された身体は、ぎこちなく敷き布に逆戻りした。

「…げふ」

 細い息の吸い吐きを何回か繰り返し、ようやく身体から力が抜ける。

「さあ、異常がないなら出ていくんだね。病人と怪我人以外が僕の手を煩わせるなんて許されたことじゃあない」

 シッシッと手を振られてコタは身を起こす。礼を言って部屋を出る少年と、その背を押す兎。

 部屋を出ようとした後ろ姿によかったね、と声をかけたザクロはためらうことなく続ける。

「兎の夢は、はたして叶うかな」

 前半のセリフに普通に振り返ってしまった兎は後悔した。

 リクリはこの豹が苦手だ。彼は何でも知ってるフリをする。そのくせ自分は無知な救護士だとかぬかすのだ。

「嫌われてるなー、僕」

 結局何も言わずに部屋を後にした兎の感情にもちろん気付きながら、くつくつと笑う。

「さぁて少年、キミはこれから何をもたらすんだろうね」




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