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見えるんだね

「ここにいれば、おれの記憶も戻るかもしれへんってこと?」

「コタがどうやって敷地内に入ったのかは分からないけど、もともと記憶を取り戻すためにやってきたのかもしれないからね。関係者がいればそのうち分かると思う。そのあたりはクロクシさんに任しておけば心配ないよ」

 クロクシとリクリの職場は落とし者の記憶を管理する施設である。

 記憶というものはマザアと呼ばれる湖に必ず集まる。理屈は分からなくとも、太陽が毎日昇るのと同じほど当り前の事実。

 その湖を囲むようにして建てられているのがここ、落としもの管理センターだ。落とし主が判明していないとはいえ個人情報の塊が一手に包括されていて、無くした記憶を求めて落とし者たちがやって来る。落とし主やってきましたよ、記憶さん返ってくださいな、と簡単にいかないのがややこしいところではあるのだが。

「ここが昨日コタが倒れてた場所だよ。どう?」

 昨夜自分がいた場所を見てみれば思い出すこともあるかもしれないということで、リクリはコタを連れて林に来ていた。ついでに今いる場所の説明も。

「なんも出てこんなぁ」

 ここに生死見紛う姿で寝ていましたよと言われても実感も何もない。

「だよねえ、そんな簡単に思い出せるものでもないよねぇ」

 可能性は低いと思うがとりあえず、というものだったので気にせず足を進める。

「あれがマザア、記憶の湖」

 指差される先にあるのは対岸が目視できない湖。マザアってああでこおでそうでどおなんだよ、でね、ほにゃららがほにゃららでうんにゃらかんにゃら。マザアに向かって歩きながらリクリは白熱した温度の説明と見せかけた熱弁の独白つまり素人にはさっぱり理解できないマザアの色々を語ってくれた。目がきらめいている。ものすごくきらめいている。きらっきらである。

 とにかくマザアが大好きなのだということは伝わった。というかごめん、それしか伝わらんかったわ。と思いながらコタは初心者入門編の回答を求める。

「えーと、つまりマザアを簡単に言えば?」

 言えないか簡単になんて。

「落とし者の記憶が落ちてくる場所だよ」

 言えるんかいっ。と小さく手を動かそうとして、ふと不自然な動詞に気付く。

「落ちてくる?」

 記憶が湖に落ちてくる。イメージが湧かない表現だ。

「だいたいマザアの中央かな、その上から記憶が落ちてくるんだ。文字通りね」

 上、と言われて見た先は空。空から記憶が降ってくるってどういうこっちゃ。そもそも記憶って目に見えないでしょうに、と考えていたコタの思考を遮ったのは当然ながらリクリ。

「珍しいものでもないけれど、しょっちゅう降るものでもないんだよねぇってわあ、降ってきた!」

「わ、ちょちょ待って」

 いきなり走り出したリクリを慌てて追いかける。兎って足早ぇと思いながら。

「見える?あれ」

 ようやく追いついた兎に指差された先、高い空からは何やらきらきらしたものが降ってくる。砂糖を壺からさらさら零したときのような、一体感がありそうでその実個別が集合して形成される輝き。空に散らばるわけでもなく真下に落ちるがままマザアに落ちていく。

「あれが降ってくるってことは、誰かが大事な記憶を落としたということで…。本当は喜んじゃないけないんだけど、見る度綺麗だなあって思っちゃうんだ」

 確かに見ていて単純に綺麗な光景である。

 そう多くない量が落ちきる最後まで眺めてからコタはふと足元の湖面に目をやる。

「……ん?」

 口を開かぬまま喉から発せられた音に反応したリクリが隣の少年を見やり、目線をたどって湖面にたどりつく。

「どうしたの」

 いつもと変わらぬ水面。ただの湖となんら大差ない水場に、少年の気を引くものがあったのだろうか。

「なんか、入ってる。落としもの?」

「ぅええっ、いいいいやいや今日は誰も入る予定はなかったはずだよどこにいるの人なんて!!」

 マザアって記憶だけじゃなくて人も落ちるのか、と認識を更新しながら否定する。

「や、人じゃなくて紙みたいな。包帯、みたいな」

 薄くて細長くぺらぺらしたものが水中で揺らめいている。

「なんやこれ。けっこう長そう」

「どれ?」

 リクリが覗きこんでも、コタの目線は水中から外せない。端を探そうとして物をたどってみているのだが、上にいき下にいき絡み合ってなかなかどうして端が見つからないのだ。

「どこにあるの?」

「どこにって、ここらへん」

 探そうとしなくても目に入る位置、自分の目線に合わせるようにコタが指を動かす。ここがこうなっとるから、ここをくぐって…ええーこれどっちに出てくんねん。

 コタは水中迷路に夢中になっていたから気付かなかった。

 隣の兎が信じられないものを見るように自分を見ていたことに。

「見え、る、の」

 あかん、端っこなんか見えん。そもそも水中でゆらゆら絡まってるものの端を見つけようってのが間違いだ、と迷路を投げ出し隣を向く。

「ん、なんて?」

「水中に、何、か見える、の」

「包帯の形した紙っぽいもの、リクリも見えるやろ」

「見えるんだね」

 あれ、どうしたの怖い顔して。もしかしてこれ、見ちゃいけないものだったとか。

「動かないでそこにいて!」

 ビシッと人を指差すなり走り出した兎。

 残された少年は相手の豹変ぶりについていけず、ぽかんと一人残された。

「お腹でも痛くなったんかな」

 腹痛を我慢するときって顔怖くなるもんな、そりゃ仕方ない。

 動くなということは、そこいらを歩きまわるのもしない方がいいか。そもそも勝手に歩いて迷子になったとして、一人で戻れる気がしないし見つけてもらえる気もしない。そう思うほどには見える景色は広大だった。

 周囲の探索という選択肢が消えた今、興味の対象は湖中のぺらぺらに戻る。時間つぶしには最適だろう。

「これ、掴み上げたらいいんちゃう」

 そう、水中にあるからややこしいのだ、陸にあげて絡みを解く方がよっぽど分かりやすい。

 水際ぎりぎりに膝をつき、左手を地面に右手を水面へと伸ばす。水は音もなく小さな手を受け入れ、少年はぺらぺらを掴もうと肘まで進む。

 すぐに掴めるかと思っていたそれは意外と深いところにあるようで。

「なかなか掴めんなぁ」

 開いた掌を閉じて開いて、こっちおいでーと呟きながら掴めないのもまた楽しくなってきた頃。

「コタアアァッ」

「わっ」

 耳に届いた悲鳴のような叫び声に驚いた拍子に地面に着く手を滑らし、頭から水面に突っ込んでいく少年の動きを、リクリは見ながらも止めることができなかった。



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