それはお前のだ
食堂に着くや手近な椅子にぽすん、と少年を落とし、二人は朝食を取りに行く。
その椅子はクロクシが座っても余裕がある位どれも大きく、肘置きもあるタイプだから寝ぼけて落ちることもないだろうと考えたのはリクリで、クロクシは単純に食堂でいつまでも少年をぶら下げているのは邪魔だと思った結果だった。
「今日も美味しそうなご飯ですねえ」
うきうきしながらリクリは目をさ迷わせる。どれにしようかあれにしようかこれもいいけどそちらもすてがたい。食事の度に迷えるバイキング形式の食堂は毎回十分な楽しみになるし、迷うのが嫌いな人には一式セットされたトレイもある。どれも取り放題の食べ放題だ。
リクリがあっちに行ったりこっちに行ったりしている間にクロクシはひょいひょいおかずを皿に取り、席に戻る。
両手にのせたトレイを二つとも円形テーブルに置いた瞬間。
「わぁいいにおい」
初めて聞く声が耳に届く。
てっきりまだ寝てるだろうと思っていた少年は身体をしっかり起こして椅子に両足を上げ、足首をもって目の前のトレイを見つめている。尻尾があれば、ぱすぱす椅子を叩いているのだろうとクロクシは思った。
「それはお前のだ」
少年の前に置かれたのはリゾット。寝起きに優しい一品だ。
「いいの?ありがとう!」
まっすぐクロクシを見、パッと顔を輝かせた少年は皿に視線を戻して匂いをかいだ。
「そこにある青い瓶が塩、赤い瓶が砂糖だ。好みに合わせて味を変えろ」
テーブルの中央にある同じ形の、蓋だけ色違いの瓶を指して教えてやる。
言うなり食事を始めたクロクシを数秒見てから少年もスプーンを手に取った。
「ん、おいし」
味を変えぬまま数回スプーンを動かしていた少年は咀嚼しながら瓶を見る。
しばらくしてから手を伸ばして瓶を取り、くるくる触って瓶を開けるとリゾットにふりかける。ぱくり。
「げ。間違えた」
口内に広がる塩味。どっちがどっちやっけ?もぐもぐ口を動かしながらまた瓶を見る。さっき取ったのは…
「コタ!起きたんだね、おはようっ」
自分に向けて発せられた声に顔を上げると、そこには野菜のタワーを皿にのせた兎がいた。
「リクリ、肉も食べろ」
「はい、ちゃんと入ってますよこの中に」
少年の隣にトレイを置いて、野菜タワーを指さす。
席に着いてタワーのてっぺんをわさりと口に運ぶ。もぎゅもぎゅかみかみ、もぎゅもぎゅ、わさり、もぎゅもぎゅかみかみ。これを三回ほど繰り返し、埋まっていた何かをクロクシに見せるよう皿を傾ける。
「唐揚げ二つか」
「基本的に肉を必要としない種族ですので」
上司はそれをしょっちゅう忘れるけれど。もぎゅもぎゅ味わいながらリクリは目の前に座る少年を観察する。
黒に近い藍色の髪は所々重力に逆らって跳ね、あんなに血の気がなかったのが嘘のように血色の良くなった手足。右手にスプーンを握りしめ、左手は人差し指を軽く出して右・左・右と動いている。何をやっているのかと思いきや、塩と砂糖で迷っているようだ。
「そのリゾットなら甘くてもおいしいよ。だから右の赤いのがおすすめ」
「ありがと」
指が止まり、一拍置いてリクリを見る。にっこり細められた瞳の色は、髪と似た深い藍色だった。初めて少年を見た時はまぶたに隠されていた色。
「ねえコタってどこの部署に来た子?」
朝食を食べながら器用に兎が喋る。
「見ない顔だから、最近どこかに入ってきたんでしょ?あっ、もしかして僕と同じ見習い?背格好あまり変わんないもんねぇ」
「兎はそれで成人だろう。少年はまだまだ伸びしろがあるぞ」
嬉しそうなリクリにガンッと言葉のハンマーが振り下ろされる様はさておき、少年は何を問われているかさっぱりだった。
「コタを見つけた時はあんまりにも顔色が悪かったから死んじゃってるのかもってビックリしたけど、診てもらったら寝てるだけだっていうから安心した。見習い教育がそんなにキツイ部署ってあるんだね」
「ぶしょ?」
「そう、部署。僕たち…あ、僕リクリっていうの。こちら僕の上司のクロクシさん。二人とも【湖】で働いてるよ」
で、君はどこ?と興味津々な顔をして身を乗り出すリクリ。
さていったいどう答えたものかと困っていると、相手もようやくちょっとおかしいなと気付いたらしい。
「あれ、もしかって違った?明け方あんなところに転がってたから、きっとどこかの部署の人がへばって寝過ごしちゃったんだと思ってたんだけど」
聞く少年の反応は鈍い。
「違う、んだね。じゃあどこから入ったの、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。許可がないと入れないはずなのに」
テーブルに乗り出していた身を引き、好奇心丸出しだった瞳を一気に疑わしげなものに変えたリクリ。
「名乗ったからてっきりうちの誰かかと」
「あー、そもそもそれ」
ようやく少年が口を開く。
「そのコタってやつ。おれの名前、なん?」
「……はぇ?」
疑問符を頭に浮かべるのは、今度はリクリの番だった。
「あ、れ、もしかして、うそ」
瞬間よぎった一つの可能性にリクリの血の気が下がる。恐る恐る、隣の上司の顔を見やる。
「リクリ」
低い声で呟かれた名前。
「いっ、言いましたよ自分で名乗りましたよ本当です嘘じゃないですううぅっ」
首を縦に振り振り、手を横に高速で振り振りする器用な兎がそこにいた。




