幕間 グラーシャたちは、どんな人たちだったのか?
本編を始める前に、少しだけ説明しておこう。
この物語の主人公、グラーシャは十八歳。
貴族でもなければ、宮廷に出入りする令嬢でもない。
サンクトペテルブルクに屋敷を構える、とある男性貴族に仕える、ごく普通の若いメイドである。
ただし、ここでいう「メイド」を、現代の住み込み家政婦や、求人を見て雇われた使用人と同じものだと思うと、少し事情が違ってくる。
十八世紀ロシアの貴族社会には、дворовые люди(ドヴォローヴィエ・リュージ)と呼ばれる人々がいた。
直訳すれば「屋敷の人々」。
農奴のうち、畑で農作業をするのではなく、主人の家で働く家内使用人たちである。料理、給仕、洗濯、裁縫、馬や馬車の世話、玄関での応対、主人への身の回りの奉仕など、その仕事は多岐にわたった。
そして彼らの中には、主人が都市へ移れば、一緒に都市へ移る者もいた。
グラーシャも、そうした世界の中で生まれた娘という設定である。
グラーシャの両親も、同じ主人に仕える屋敷付き使用人だ。
父親は、厩、馬車、倉庫などに関係する仕事をしている。
母親は、洗濯や裁縫、厨房まわりの仕事を手伝っている。
二人には屋敷の敷地内に、使用人家族として暮らすための小さな居室がある。
だからグラーシャは、ある日突然この屋敷へ「就職してきた」わけではない。
物心がついたころには、もうここが彼女の世界だった。
主人の屋敷。
厨房。
厩。
馬車置場。
洗濯物の干される場所。
使用人たちの部屋。
そして、自分と同じようにそこで働く大人たち。
グラーシャは、そういうものを見ながら育った。
十二、三歳になるころには、母親や年上の使用人の仕事を手伝うようになった。
十五、六歳になるころには、一人の若い女性使用人として、それなりに仕事を任されるようになった。
そして現在、十八歳。
もう新米というほどではない。
掃除もできる。
洗濯物も運ぶ。
簡単な裁縫もする。
来客がある時には、邪魔にならない場所を心得ている。
誰に何を頼まれたら、どこへ持っていけばいいのかもだいたい分かっている。
仕事については、案外しっかりした娘なのだ。
ただし。
面白そうな話を聞いた時だけは別である。
特に、
「今夜、旦那様がまた女帝陛下の舞踏会へ呼ばれたらしい」
などという話になると、途端に十八歳らしい好奇心が勝つ。
本書の企画段階でも、グラーシャは主人付きの専属侍女ではなく、主人の着替え部屋へ自由に入れる立場ではない。「見られないから知りたい」「知らないから噂を集める」少女として設定されている。
つまり、
ドレスが運ばれてきたのは見た。
化粧道具を持った女性が二階へ上がっていったのも見た。
旦那様がいつまでたっても部屋から出てこないことも知っている。
けれど、
その部屋の中で旦那様がいったいどんな姿にされているのかは見られない。
だから気になる。
そして、そんなグラーシャにとって貴重な情報源になるのが、幼馴染の少年――いや、もう少年とは呼べない青年である。
名前はイワン。
皆からは愛称で、ヴァーニャと呼ばれている。
十九歳前後。
彼もまた、グラーシャと同じように屋敷付き使用人一家の子として育った。
ヴァーニャの両親もこの家に仕える人々であり、グラーシャとヴァーニャは、まだメイドでもフットマンでもなかった幼いころからの友達だった。
子供のころは、同じ屋敷の片隅を走り回っていた二人である。
それが成長した現在では、
グラーシャはメイド。
ヴァーニャはフットマン――ロシア語でいう лакей(ラケイ)の一人となった。
来客への応対、主人の外出、馬車の乗降など、表向きの仕事に関わる若い男性使用人である。
そのためヴァーニャは、グラーシャよりも「旦那様の舞踏会」をよく見ている。
完全な宮廷婦人姿になった主人が玄関へ現れる。
巨大なスカートを扱いながら馬車へ乗る。
宮殿へ向かう。
深夜になって帰ってくる。
場合によってはヴァーニャ自身が、その乗り降りを手伝う。
だからグラーシャは聞く。
「ねえ、昨日の旦那様、どうだった?」
「知らねえよ」
「ドレスは?」
「知らねえ」
「何色?」
「……薄い青」
「めちゃくちゃ見てるじゃない!」
そういう二人である。
もちろん、二人は今では子供のころのように一日中一緒ではない。
仕事も違えば、生活する場所も違う。
本作では、グラーシャの両親は敷地内の使用人家族用居室で暮らしている一方、十八歳になったグラーシャ自身は、他の若い女性使用人たちと女性使用人用の共同空間で寝起きしているものとする。
ヴァーニャも男性使用人側で生活している。
つまり両親には毎日のように会う。
ヴァーニャにも頻繁に会う。
だが、生活の中心は同年代の使用人仲間たちになっている。
主人が人生最大級の恥ずかしい夜を過ごしているころ、グラーシャたちは使用人部屋で洗濯物を畳んでいる。
厨房では夕食の後片付けが行われている。
厩では馬の世話が続いている。
そして使用人たちは、時々こんな話をする。
「今日の旦那様、何色だった?」
「赤だったって」
「ええ? 青だって聞いたけど」
「誰から?」
「御者の従兄のお嫁さん」
「それ絶対どこかで話が変わってるよ」
宮廷では一大事件。
使用人部屋では噂話。
それも、この物語で描きたい世界の一部である。
そしてもう一つ。
グラーシャには、当時の彼女の立場としては少し珍しい特技がある。
字が書ける。
これは、十八世紀ロシアの若い農奴女性なら誰でも読み書きができた、という意味ではない。
本作では、グラーシャの父親が仕事上、簡単な文字や数字を扱うことができ、幼い娘にも少しずつ教えたことにしている。
高度な教育を受けたわけではない。
外国語など読めない。
難しい本も分からない。
綴りも時々怪しい。
文章も洗練されてはいない。
それでも、自分が見たこと、聞いたこと、その日に面白かったことを短い文章で書き残すくらいはできる。
そこでグラーシャは、日々の出来事を書き始めた。
別に歴史を残そうと思ったわけではない。
宮廷史を書こうとしたわけでもない。
ましてや後世の研究者のためでもない。
ただ、
「今日はこんなことがあった」
「旦那様がまた変な舞踏会へ行った」
「ヴァーニャが何か隠している」
そんなことを書いておきたかっただけである。
もし本当に、このような使用人の日記が詳細に残っていたなら。
十八世紀の貴族屋敷で働いていた普通の人々が何を見て、何を噂し、主人たちの奇妙な宮廷行事をどう受け止めていたのか。
現代の私たちは、ずいぶん多くのことを知ることができただろう。
残念ながら、これから読む『グラーシャのメイド日記』は実在する史料ではない。
史実として確認できる十八世紀ロシアの社会や使用人制度を土台にして作られた、架空の日記である。
けれど。
宮廷の大広間で音楽が鳴り始めるより前から、
メタモルフォーゼ舞踏会は始まっている。
仕立屋が針を動かす時。
メイドが化粧箱を運ぶ時。
フットマンが馬車の扉を開ける時。
御者が手綱を取る時。
そして十八歳のグラーシャが、廊下の向こうを通り過ぎていく大きなドレスを見て、
「今日は旦那様の舞踏会の日なんだ」
と思う時。
舞踏会の外にも、メタモルフォーゼ会は続いている。




