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第17章 キリルとタチアナ――あなたもお化粧してみたいの?


キリルは。

少し前から。

気になっていた。

若旦那様が。

本当に。

どんな姿になっていたのか。

屋敷の中では。

噂くらいは聞こえてくる。

綺麗だった。

女の人みたいだった。

奥様より若く見えた。

そんな話だ。

だが。

どれも。

いまいち。

よく分からない。

自分で。

見られれば。

一番早い。

だが。

そう簡単に。

若旦那様の支度を。

覗けるわけもない。

キリルは。

何となく。

屋敷の中をうろうろしていた。

何を探しているのか。

自分でも。

よく分かっていなかった。

その時。

見慣れない女性が。

廊下の向こうから歩いてきた。

三十代くらい。

身なりは。

きちんとしている。

だが。

屋敷付きの使用人とは。

少し雰囲気が違った。

手には。

小さな道具箱のようなものを持っている。

キリルは。

一瞬。

立ち止まった。

あ。

この人。

もしかして。

若旦那様の支度に来ていた人じゃないか。

確証はない。

だが。

たぶん。

関係者だ。

キリルは。

少し迷ってから。

声をかけた。


キリル「すみません」


女性が。

立ち止まった。


タチアナ「あら」


タチアナ・ニキーチナだった。


タチアナ「あなた、このお屋敷の子?」

キリル「はい」

タチアナ「何かしら」

キリル「すみません。ちょっとだけ、聞きたいことがあって」

タチアナ「ええ。どうぞ」


キリルは。

一瞬。

ためらった。


キリル「この間」

タチアナ「ええ」

キリル「若旦那様のお支度をした方ですよね」


タチアナは。

少しだけ。

目を細めた。


タチアナ「ああ」

キリル「やっぱり」

タチアナ「ええ。私よ」


キリルは。

少し。

前のめりになった。


キリル「本当に」

タチアナ「うん?」

キリル「本当に、綺麗になったんですか」


タチアナは。

一瞬。

黙った。

別に。

変な質問ではない。

ないのだが。

聞き方が。

少し。

面白かった。


タチアナ「綺麗になったか、って?」

キリル「はい」

タチアナ「そうねえ」


タチアナは。

少し考えた。


タチアナ「黙って立っていれば」

キリル「はい」

タチアナ「知らない人なら、若いご婦人だと思うくらいには仕上げられたと思うわ」

キリル「……そんなに」

タチアナ「ええ」

キリル「本当に?」

タチアナ「本当に」


キリルは。

妙に。

真剣だった。


タチアナ「最初はね」

キリル「はい」

タチアナ「さすがに男性だから、少し工夫は必要だったけど」

キリル「やっぱり違うんですか」

タチアナ「そりゃ違うわよ」

キリル「顔とか?」

タチアナ「顔も。骨格も。剃り跡も。お化粧の乗せ方も」

キリル「へえ……」

タチアナ「でも」

キリル「はい」

タチアナ「元のお顔が整っていたから」

キリル「はい」

タチアナ「途中からは結構楽しかったわ」

キリル「楽しかった?」

タチアナ「仕事としてね」


タチアナは。

軽く笑った。


タチアナ「どんどん変わっていくもの」

キリル「そんなに変わるんですね」

タチアナ「変わるわよ」

キリル「……」


キリルは。

少し。

黙った。

タチアナは。

その顔を見た。

あら。

この子。

もしかして。

そういうことに。

かなり興味があるのかしら。

ただの噂好きにしては。

聞き方が。

妙に細かい。


タチアナ「あなた」

キリル「はい?」

タチアナ「ずいぶん気になるのね」

キリル「え」

タチアナ「若旦那様が、どれくらい変わったのか」

キリル「いや」

タチアナ「違うの?」

キリル「いや、違うというか」

タチアナ「ふふ」

キリル「何ですか」

タチアナ「別に」


タチアナは。

道具箱を持ち直した。


タチアナ「ごめんなさいね。私、そろそろ行かなくちゃ」

キリル「もう行くんですか」

タチアナ「ええ」

キリル「どこへ?」

タチアナ「奥様のお支度」

キリル「奥様も?」

タチアナ「もちろん」


タチアナは。

何でもないことのように言った。


タチアナ「若旦那様だけが私のお客じゃないもの」

キリル「そうですよね」

タチアナ「今日は奥様」

キリル「はい」

タチアナ「明日は別のお屋敷」

キリル「忙しいんですね」

タチアナ「ありがたいことにね」


タチアナは。

歩き出そうとして。

ふと。

振り返った。


タチアナ「ところで」

キリル「はい?」

タチアナ「あなた」

キリル「はい」

タチアナ「お化粧、してみたいの?」


挿絵(By みてみん)


キリルは。

固まった。


キリル「……は?」

タチアナ「お化粧」

キリル「いや!」


声が。

少し大きくなった。


キリル「そんなことありません!」


タチアナは。

少しだけ。

口元を緩めた。


タチアナ「あら、そう?」

キリル「そうです!」

タチアナ「私、まだ何も言ってないけど」

キリル「言いましたよ!」

タチアナ「お化粧してみたいの、って聞いただけ」

キリル「だから、したくないです!」

タチアナ「そんなに慌てなくても」

キリル「慌ててません!」

タチアナ「そうかしら」

キリル「そうです!」


完全に。

慌てていた。

タチアナは。

少し面白くなってきた。


タチアナ「でも」

キリル「まだ何かあるんですか」

タチアナ「もし、本当にちょっと試してみたいだけなら」

キリル「はい?」

タチアナ「私、割とサービスいいのよ」

キリル「……サービス?」

タチアナ「そう」


タチアナは。

キリルを。

上から下まで。

少しだけ見た。


タチアナ「若旦那様みたいな立派な宮廷衣装は、さすがに簡単には用意できないけど」

キリル「いや」

タチアナ「簡単なドレスくらいなら」

キリル「いやいや」

タチアナ「あなたくらいの体格なら、何とかなると思うわ」

キリル「何とかしなくていいです!」

タチアナ「そう?」

キリル「そうです!」

タチアナ「お化粧は」

キリル「はい」

タチアナ「私がやってあげられるし」

キリル「だから!」

タチアナ「髪も、それなりに整えられるわよ」

キリル「もういいです!」

タチアナ「たぶん」

キリル「まだあるんですか!」

タチアナ「かなり変わると思うけど」


キリルは。

一歩。

後ろへ下がった。


キリル「本当にいいです!」

タチアナ「あら」

キリル「大丈夫です!」

タチアナ「そう」

キリル「失礼します!」


キリルは。

逃げるように。

その場を離れた。

タチアナは。

追いかけなかった。

その背中を。

少しだけ。

面白そうに見送った。


タチアナ「……若い子って分かりやすいわね」


そして。

何事もなかったように。

奥様の支度へ向かった。

一方。

キリルは。

廊下の角を曲がったところで。

一度。

立ち止まった。


キリル「……何なんだ、あの人」


心臓が。

妙に。

速かった。

別に。

やってみたいわけじゃない。

本当に。

ただ。

どのくらい変わるのか。

気になっただけだ。

それだけだ。

それだけなのだが。

さっきの言葉が。

妙に。

頭に残った。

簡単なドレスくらいなら。

お化粧くらいなら。

私がやってあげる。

そして。

かなり変わると思う。


キリル「……」


キリルは。

頭を振った。


キリル「だから違うって」


誰もいない廊下で。

自分に向かって。

そう言った。


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