幕間 タチアナみたいな出張身支度の専門家は本当にいたの?
さて、ここで少し作者が出てきます。
タチアナさんを書こうと思った時、最初に引っかかったのが、
「そもそも十八世紀に、こんな人いたの?」
という問題でした。
大きな貴族屋敷なら、奥様やお嬢様の身の回りを世話する女性使用人がいて、着替えや髪、化粧などを手伝っていた。そこまでは私も想像していました。
宮廷でも同じでしょう。
女帝や王妃や王女といった、その宮殿に暮らしている高位女性のお身支度をする人々がいること自体は、別に不思議ではありません。
実際、十八世紀の上流女性にとって「トワレット(toilette)」は、単に顔を洗って服を着るだけのものではありませんでした。メトロポリタン美術館も、十八世紀の上流社会では、化粧や衣服の最終仕上げを親しい知人などの前で行うこと自体が社会生活の一部だったと説明しています。
化粧そのものも、もちろんありました。
白く見せるための化粧料、頬や唇の紅、香料、ポマードなど、かなり多くの品が使われています。1779年にロンドンで刊行された『The Toilet of Flora』には、香水、ポマード、粉、ローション、眉など、美容に関する多数の処方がまとめられています。少し時代は下りますが、「十八世紀にはまだ化粧というものが大した産業になっていなかった」というわけでは全然ありません。
ただ、私が気になったのはそこではありませんでした。
外から呼ばれてくる専門家はいたのか?
ということです。
メタモルフォーゼ会を考えると、ここがかなり重要になります。
宮殿に女帝付きの身支度係がいたとしても、その人たちは本来、女帝や宮廷に暮らしている人々のために働く人です。
その夜だけ宮殿へやって来た何十人もの男性参加者を、
「はい、次の方。では白粉を塗ります。次の方はこちらへ」
と、入場口で次々に宮廷婦人へ変身させるためのスタッフではないでしょう。
少なくとも、私はそんな「メタモルフォーゼ会参加者専用化粧室」が存在したという史料を見つけていません。
では、参加者はある程度、自宅で仕上げてきたのではないか。
そう考えました。
すると今度は、各家庭で問題が起こります。
奥様には奥様のお支度があります。
お嬢様にもお嬢様のお支度があります。
そこへ突然、
「今夜は若旦那様も宮廷婦人にしてください」
が加わる。
単純に人手が足りません。
そこで私は、
「出張メイクアップアーティストみたいな人はいなかったのかな」
と思って調べてみました。
すると、これが意外でした。
かなり近い世界は、本当にありました。
もちろん「メイクアップアーティスト」という現代の職業名を、そのまま十八世紀へ持っていくことはできません。
ですが、特に髪の世界では、屋敷の使用人だけでなく、独立した専門職の技術者が上流女性の身支度へ入ってくることが、かなりはっきり確認できます。
たとえばフリック・コレクションが所蔵する1778年頃のフランスの服飾版画には、ペニョワール姿の女性に専門の髪結いが直接髪粉を施している「At the Toilette」という場面が残っています。つまり「女性本人と家付き侍女だけで全部やる」のではなく、身支度の場へ専門職が入ってくる光景そのものが描かれているわけです。
さらに、1768~1770年にはフランスの有名な髪結いレグロ・ド・リュミニーが『L’Art de la Coëffure des Dames Françoises』を刊行しています。彼はポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人のような上流顧客を持ち、髪結いの学校まで作りました。そこでは専門の髪結いだけでなく、valets-de-chambre や ladies’ maids まで訓練したとされています。つまり、専門職と屋敷付き使用人の技術が交差する世界が、すでに成立していました。
これは私にはかなり面白い発見でした。
専門家がいる。
屋敷付きの使用人もいる。
そして必要なら、その技術が屋敷の中へ入ってくる。
だったら、
「今日は人手が足りないので、腕のいい女性を一人呼びましょう」
という発想そのものは、それほど現代的ではありません。
ここでタチアナさんが、急に現実味を帯びてきました。
ただし、大事なことなので断っておきます。
私が確認できた資料の多くは、フランスやイギリスを中心とする十八世紀ヨーロッパの資料で、しかも1760~1790年代のものがかなり含まれています。
1740年代のサンクトペテルブルクで、タチアナさんのような三十四歳の未亡人が化粧道具を持って貴族屋敷を回り、依頼を受けて女性を仕上げていた、という直接の史料を発見したわけではありません。
ましてや、
「メタモルフォーゼ会に参加する男性を専門に化粧していた女性」
などという記録は、今のところ見つけていません。
そこは創作です。
ただ、
上流階級には大掛かりな身支度文化があった。
化粧品も広く使われていた。
家付きの使用人が身支度を手伝っていた。
それとは別に、髪結いなどの専門職が存在し、上流女性のトワレットへ直接入って仕事をしていた。
ここまでは史料から確認できます。
となると、
「急に一人分、それも普段は男性である人間の女性用身支度が増えたので、外から腕のいい人を呼ぶ」
というタチアナさんの立場は、少なくとも十八世紀の身支度文化から大きく外れたものではない。
そう私は考えています。
そして、またいつもの話へ戻るわけです。
歴史書なら、
「男性たちは女性の宮廷衣装を着せられた」
と、一行で済みます。
でも実際にそれをやろうと思ったら。
服を作る人がいる。
身体に合わせて直す人がいる。
下着を着せる人がいる。
髪を整える人がいる。
化粧をする人がいる。
馬車へ乗せる人がいる。
帰ってきたら、全部外す人までいる。
一行の歴史の後ろに、ものすごい人数の仕事が隠れている。
私はどうも、そちらの方が気になって仕方がないのです。
そして、その中に、タチアナさんのような人が、本当に一人くらいいたとしても、私はそれほど不思議ではないように思うのです。
そして、もう一つ。ここで面白い問題があります。
女帝が、
「男性たちを女性の宮廷衣装で出席させなさい」
と命じる。
命令だけなら、一言です。
ですが、実際にそれをやる側は、そう簡単ではありません。
もちろん、男性の顔に白粉を塗ること自体なら、当時でもできたでしょう。舞台の上では、男性が化粧をして別の人物を演じることも、すでにありました。
男性が女性役を演じる文化だって、ヨーロッパにはそれ以前から存在しています。
ですから、
「男性の顔に化粧をする技術など存在しなかった」
という話ではありません。
ですが、私が今回調べた範囲では、ごく普通の成人男性、しかも舞台俳優ではなく、宮廷へ出席する貴族男性を、舞台上の女性役ではなく、
本物の宮廷婦人と並んでも、それなりに美しく見える姿へ仕上げる。
そのための専用の化粧技術や、体系化された手引きのようなものは、確認できませんでした。
考えてみれば、当然かもしれません。
そんな需要が、普段から大量にあるはずもありません。
ところが、エリザヴェータ女帝は、ある日突然、それを大量に必要とする催しを始めてしまった。
しかも、エカテリーナの回想によれば、一七四四年のメタモルフォーゼ会では、男性たちの多くは、自分たちがその格好では醜く見えると感じていたようです。
ということは、少なくとも参加した男性全員が、最初から美しい宮廷婦人へ完璧に仕上げられていた、というわけではなかったのでしょう。
では、誰が、どうやったのか。
私は、そこを想像しました。
普段から女性を美しく仕上げている人たちが、持っている技術を、とにかく男性にも応用してみる。
「ここは少し白くしましょう」
「頬はこちらを柔らかく見せて」
「髭はもう少しきれいに剃った方がいい」
「この顔立ちなら、この髪型の方が似合う」
そんなことを、その場で試行錯誤していた人が、いたのではないか。
最初から、
「男性を美しい婦人にする専門家」
だったのではなく、もともとは女性を美しく仕上げるのが上手な人だった。
ところが、一度、男性をうまく仕上げてしまった。
すると、
「あの人は、殿方でもきれいに仕上げてくれるらしい」
という評判が立つ。
そして、また呼ばれる。
また呼ばれる。
気がつけば、妙な専門分野が勝手に出来上がっている。
そういう人がいても、おかしくないのではないか。
そう考えて、生まれたのが、タチアナ・ニキーチナです。
もちろん、彼女自身は私が作った架空の人物です。
ですが、一行の命令を本当に実行しようとした時、その裏側では、彼女のように、
「今まで持っていた技術を使って、誰もやったことのない仕事を何とかする」
人が、きっと必要になったはずです。
さて、そんなタチアナさんですが、お話はこれで終わりではありません。
なぜなら、彼女のところへ、これから少々変わった注文をする殿方たちが、次々とやって来ることになるからです。
タチアナさん編。
もう少し続きます。
その時を、どうぞお楽しみに。




