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風葬のシルヴァ  作者: 桜
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第74話 東への道

 翌朝。


 シルヴァが目を覚ました時、部屋の中は薄い朝日に染まっていた。


 窓の隙間から白い光が差し込み、昨夜まで降っていた雪が屋根の上で反射している。


「……ん」


 身体を起こす。


 その瞬間。


「痛っ」


 右肩に鈍い痛みが走った。


 昨日よりはまし。


 それでも、ラースに蹴り飛ばされた場所はまだしっかり痛む。


 シルヴァは肩を軽く回した。


「動くな」


 小さく呟く。


 剣を振るくらいなら問題なさそうだった。


 隣を見る。


 もう一つのベッド。


 ティナはまだ眠っている。


 いつもきっちり結んでいる髪は下ろされ、顔の横へ流れていた。


 昨夜。


 三人で戻る。


 そう話した。


 シルヴァは少しだけその言葉を思い出してから、音を立てないようにベッドを降りる。


 その時。


「……シルヴァ?」


 ティナの目が開いた。


「起こした?」


「ううん」


 ティナも身体を起こす。


 数秒。


 二人とも。


 昨夜と同じ部屋にいることを思い出した。


「……おはよう」


「おはよう」


 妙に普通の挨拶。


 なのに。


 少しだけ間がある。


 ティナが自分の髪へ触れた。


「見た?」


「何を?」


「……いや、何でもない」


「寝癖?」


「言わなくていい!」


「やっぱ寝癖だったんだ」


 ティナが枕を投げた。


「痛っ!」


 シルヴァが肩を押さえる。


「あっ」


「今の肩に来た」


「ご、ごめん!」


「いや、そこまでじゃ――」


 ティナが慌てて立ち上がる。


「見せて」


「大丈夫だって」


「いいから」


「朝から治療?」


「誰のせいよ!」


「枕投げたのティナだろ!」


「寝癖言ったのシルヴァでしょ!」


「それで枕飛んでくるとは思わないだろ!」


 結局。


 朝から少しだけ騒がしくなった。


          ◇


 一階の食堂へ降りると。


 クジャはすでに席についていた。


 目の前には。


 パン。


 卵。


 温かいスープ。


 そして。


 小さな蜂蜜菓子が二つ。


 シルヴァが止まる。


「もう食ってる」


 クジャが顔を上げる。


「遅い」


「まだそんな時間じゃないだろ」


「お腹空いた」


 ティナも席につく。


「目は?」


「昨日よりいい」


「頭痛は?」


「ほとんどない」


「ならよかった」


 クジャがパンをちぎる。


 そのまま。


 何気なく二人を見る。


「よく眠れた?」


 ティナが少し止まる。


「……まあまあ」


「シルヴァは?」


「普通に」


 クジャが頷く。


「二人で?」


「その聞き方やめて!」


 ティナの声が食堂に響いた。


 数人いた客がこちらを見る。


 ティナが一気に顔を赤くした。


 クジャは真顔。


「何も変なこと言ってない」


「言い方が!」


 シルヴァが隣でパンを取る。


「普通に寝ただけだぞ」


 クジャがシルヴァを見る。


「私は何も聞いてない」


「……確かに」


「シルヴァ!」


「俺も巻き込まれてるだろ!」


 クジャが少し笑った。


 ティナが睨む。


「クジャ、楽しんでるでしょ」


「少し」


「認めた!」


「ティナ、顔赤い」


「赤くない!」


 クジャが今度はシルヴァを見る。


「シルヴァは普通」


「何で俺まで判定されてるんだよ」


「比較」


「何の?」


「知らない」


「絶対分かってて言ってるだろ」


 クジャは答えず。


 蜂蜜菓子を一口食べた。


 少し満足そうに目を細める。


 シルヴァがその菓子を見る。


「それうまい?」


「うん」


「一個くれない?」


「嫌」


「即答?」


「昨日から楽しみにしてた」


「二個あるじゃん」


「二個とも私の」


 シルヴァが店員を呼ぶ。


「じゃあ俺も頼む」


 ティナがため息をつく。


「何でそこ張り合うのよ」


「食いたくなっただけ」


 少しして。


 同じ菓子がシルヴァの前にも置かれた。


 一口。


「うまいな」


 クジャが頷く。


「でしょ」


「昨日のより好きかも」


「私も」


「お前こういうの好きなんだな」


 クジャは少し考えてから答えた。


「甘いのは結構好き」


 ティナが笑う。


「前より、そういうの言うようになったね」


「前は言っても仕方なかったから」


「今は?」


「言った方が楽」


 シルヴァが蜂蜜菓子を食べながら頷く。


「それでいいんじゃない?」


「うん」


 三か月。


 同じ場所で。


 一緒に食べ。


 一緒に眠り。


 一緒に戦った。


 それだけの時間が。


 少しずつ。


 三人の間にあった余計な遠慮を消していた。


          ◇


 町を出たのは昼前。


 三人は北部から東へ続く街道を歩いていた。


 最初のうちは、まだ雪が多い。


 けれど。


 数時間進むだけで景色は変わり始めた。


 白かった地面から土が見え。


 針葉樹ばかりだった森にも、低い広葉樹が混ざっていく。


 冷気も。


 少しずつ弱くなる。


 シルヴァが外套の襟を緩めた。


「やっと寒さましになってきた」


 ティナが横を見る。


「北部でずっと寒いって言ってたもんね」


「ずっとは言ってない」


「言ってた」


「何回?」


 クジャが答える。


「かなり」


「また数えてた?」


「途中でやめた」


「途中まで数えてたのかよ」


 クジャが少し笑う。


 歩く。


 足音が三つ。


 ほとんど同じ間隔で続く。


 以前は。


 誰かが少し先。


 誰かが少し後ろ。


 そんなことも多かった。


 今は。


 自然に並んでいた。


          ◇


 昼過ぎ。


 三人は街道から少し外れた丘で休憩を取った。


 ティナが荷物を下ろす。


「包帯、替えるよ」


「今?」


「汗かいたでしょ」


「そんなに」


「替える」


「はい」


 シルヴァが大人しく座る。


 クジャが横から見る。


「素直」


「昨日しみたから」


「学習した」


「俺を何だと思ってる」


「たまに学習する人」


「たまにって何だよ」


 ティナが肩の包帯を外す。


 赤みは残っている。


 出血は止まっている。


「思ったより治ってる」


「だろ?」


「調子に乗らない」


「何もしてないけど」


 ティナが脇腹の傷も確認する。


「ラースにやられたところは?」


「打撲だけ」


「見せて」


「ここで?」


「全部脱げって言ってない!」


 クジャが無言で少しだけ横を向いた。


 シルヴァが見る。


「何でそっち向くの?」


「気を遣った」


「余計変な感じになるだろ!」


 ティナの顔が少し赤くなる。


「クジャ!」


「昨日同じ部屋だったのに」


「関係ない!」


「へえ」


「その『へえ』やめて!」


 シルヴァが笑う。


「痛っ……」


「ほら!」


「クジャのせいだろ!」


「私は何もしてない」


「してる!」


 結局。


 傷だけ確認して。


 包帯を巻き直した。


          ◇


 午後。


 街道の向こうから。


 何台もの荷車が見えた。


 商隊にしては荷物が少ない。


 代わりに。


 人が多い。


 老人。


 子供。


 怪我人。


 歩いている者も。


 荷車に乗っている者もいる。


「避難民?」


 ティナが呟く。


 シルヴァの表情が変わる。


 全員。


 東から来ている。


 先頭を歩く男が三人に気づいた。


「東へ行くのか?」


「ああ」


 シルヴァが答える。


 男の顔が曇った。


「やめた方がいい」


「何があった?」


「死人だ」


 その一言で。


 三人の空気が変わった。


 ティナが聞く。


「死者が動いているって話?」


「知ってるのか」


「少しだけ」


「少しどころじゃない」


 男は後ろを振り返る。


 荷車。


 家財。


 家族。


 持ち出せたものだけを積んでいる。


「俺の村に親父が帰ってきた」


「帰ってきた?」


 クジャが聞く。


「五年前に死んだ親父だ」


 三人が黙る。


「墓もある。俺が埋めた」


「話した?」


 ティナが聞く。


「ああ」


 男の表情が歪む。


「俺の名前も知ってた」


「なら本人じゃないの?」


「違う」


 即答だった。


「親父は昔の怪我で右脚を引きずってた」


 男が自分の右脚を指す。


「でも戻ってきた奴は普通に歩いてた」


 クジャの左目が僅かに細くなる。


「他には?」


「同じ話しかできねえ」


「同じ?」


「俺が若い頃、家を出るたび言われた」


 男は少しだけ目を伏せる。


「『戻ったら畑を手伝え』」


 声が低くなる。


「何を聞いても、それしか言わなかった」


 シルヴァが眉を寄せる。


「襲ってきた?」


「最初はな」


「最初?」


 男が頷く。


「日が落ちたら兵士が来た」


「兵士?」


「見たこともない古い鎧だった」


「そいつらも死者?」


「たぶんな」


 男の顔が強張る。


「兵士が来た途端、村に戻ってきた死人まで動き始めた」


「何したの?」


 クジャが聞く。


「俺たちを連れていこうとした」


 シルヴァの目が細くなる。


「どこへ?」


「東だ」


 男が吐き捨てる。


「王都へ」


 ティナが聞き返す。


「滅びた王国の?」


「ああ」


 後ろにいた女性が会話へ入ってくる。


 腕には幼い子供。


「数年前までは廃墟だったの」


「今は?」


 女性の顔が青ざめる。


「夜になると明かりが見える」


 一拍。


「城から鐘も鳴る」


 風が通る。


「王都へ行った人は?」


 ティナが聞く。


 女性は首を横へ振った。


「戻ってこない」


 沈黙。


 男がもう一度三人を見る。


「本当に行くのか?」


「ああ」


 シルヴァが答える。


「先に行ってる奴がいる」


「仲間か?」


 シルヴァが少し考えた。


 ラース。


「……知り合い」


 ティナが横から微妙な顔をする。


 クジャも。


「何」


「別に」


「今の間なんだよ」


 男には分からない。


「なら、そいつも止めた方がいい」


 シルヴァは苦笑する。


「止まるような奴じゃない」


「そうか」


 男は深く息を吐く。


「ならせめて覚えとけ」


「何を?」


「日が落ちる前に、あの辺りから離れろ」


「なんで?」


 男の顔が強張る。


「鐘が鳴る」


 一拍。


「鐘が鳴ると、死人が増える」


          ◇


 避難民と別れたあと。


 三人はしばらく無言だった。


 ティナが最初に口を開く。


「ミルスの話と一致してる」


「ああ」


 シルヴァが答える。


「しかも一か所じゃない」


 クジャも前を見る。


「範囲が広い」


「ヴェルグの力なのかな」


 ティナが聞く。


「まだ分からない」


 クジャが答える。


「でも王都へ連れていこうとしてるなら、関係はありそう」


 シルヴァは考える。


「死んだ奴が昔のこと覚えてるのも変だな」


「完全じゃないみたいだけど」


「魂が戻ってるとか?」


 クジャが眼帯へ触れる。


「見れば少し分かるかも」


 ティナがすぐ反応する。


「無理に開かなくていいからね」


「分かってる」


「ほんとに?」


「昨日より痛くない」


「それとこれは別」


 クジャがティナを見る。


「やっぱりミルスみたい」


「何が?」


「心配の仕方」


 シルヴァが笑う。


「分かる」


「シルヴァまで!」


「でも助かってる」


 クジャが言う。


「うん」


 ティナが少しだけ言葉に詰まる。


「……ならいいけど」


 シルヴァが横を見る。


「ティナも無理するなよ」


「私は大丈夫」


「昨日倒れそうだっただろ」


「シルヴァに言われると説得力ない」


「昨日もそれ言ってたな」


 クジャがすぐに言う。


「二人で話してたんだ」


 ティナが止まる。


「……!」


 シルヴァが笑う。


「また始まった」


「何話してた?」


「普通の話!」


「どんな?」


「クジャ!」


「気になる」


「絶対楽しんでるでしょ!」


 クジャは少し笑った。


          ◇


 夕方。


 三人は小さな宿場へ着いた。


 妙に。


 静かだった。


 まだ日が落ちきっていない。


 それなのに。


 店はほとんど閉まっている。


 窓へ板を打ちつけた家もある。


「早すぎない?」


 シルヴァが辺りを見る。


「まだ夕方」


 クジャも言う。


 その時。


 一軒の宿から老人が顔を出した。


「旅人か」


「泊まれる?」


 シルヴァが聞く。


 老人は三人の後ろ。


 東へ続く街道を見る。


 表情が硬くなる。


「今夜だけならな」


「助かる」


「ただし」


 老人は扉を開く。


「日が落ちたら絶対に外へ出るな」


 三人が顔を見合わせる。


 クジャが聞く。


「鐘?」


 老人の目が僅かに開いた。


「……聞いたのか」


「東から来た人に」


 老人はしばらく黙った。


「入れ」


 短く言った。


          ◇


 夜。


 三人は宿の二階にいた。


 夕食はすでに済ませている。


 窓は閉めた。


 老人からも。


 何度も外へ出るなと言われた。


 シルヴァがベッドに座る。


「外出るなって言われると見たくなるな」


 ティナが睨む。


「絶対出ないで」


「言っただけだって」


「信用できない」


 クジャは窓際。


 外を見る。


「静か」


 その一言で。


 二人も黙る。


 人の声がない。


 動物も。


 虫も。


 風だけ。


 やがて。


 日が完全に落ちる。


 数分。


 何も起きない。


 シルヴァが息を吐きかけた。


 その時。


 ゴォン。


 遠く。


 低い音。


 三人の顔が上がる。


 鐘。


 ゴォン。


 二度目。


 窓ガラスが僅かに震える。


「かなり遠い」


 ティナが呟く。


 クジャが東を見る。


 三度目。


 ゴォン。


 その音は。


 まるで。


 夜そのものを起こすように響いた。


 そして。


 ザッ。


 外から。


 足音。


 一つ。


 二つ。


 増えていく。


 規則的。


 ゆっくり。


 シルヴァが立ち上がる。


「来た」


 窓の隙間から外を見る。


 暗い街道。


 そこを。


 列が進んでいた。


 古い鎧。


 欠けた剣。


 錆びた盾。


 腕のない者。


 胸に穴が開いた者。


 首が不自然に傾いた者。


 全員。


 死んでいる。


 それでも。


 同じ歩幅で。


 東へ向かって歩いていた。


 ティナも隣から見る。


「……本当にいる」


 クジャが眼帯へ触れる。


 ティナがすぐに言う。


「開かなくていい」


「まだ開かない」


「まだ?」


「近くで見る必要があるかもしれない」


「クジャ……」


「分かってる」


 その時。


 列の最後尾。


 一人の兵士が。


 突然。


 止まった。


 ゆっくり。


 首だけが。


 宿の方へ向く。


 濁った目。


 焦点は合っていない。


 それでも。


 確実に。


 三人のいる窓を見ているように思えた。


 シルヴァが剣の柄へ手を掛ける。


 ティナも。


 クジャもカードへ指を伸ばす。


 数秒。


 死者は動かない。


 そして。


 何事もなかったように。


 前へ向き直った。


 ザッ。


 ザッ。


 ザッ。


 再び。


 列に戻る。


 全員が。


 東へ。


 闇の中へ消えていく。


 しばらくして。


 クジャが言った。


「明日」


 二人が見る。


「追えば」


 暗い街道の先を見る。


「王都まで行ける」


 シルヴァも同じ方向へ目を向ける。


 鐘が。


 もう一度。


 遠くで鳴った。


 死者たちが向かう場所。


 滅んだ王都。


 その奥。


 剣王ヴェルグがいるかもしれない場所へ。

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