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風葬のシルヴァ  作者: 桜
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第68話 絶対零度

 雪原に刻まれた二つの足跡から、同時に雪が弾けた。


 先に消えたのはラースだった。


「――っ!」


 シルヴァの視界から、水色の髪が消える。


 速い。


 さっきよりも明らかに一段上。


 目で追うことを諦める。


 頬。


 首筋。


 外套。


 身体の周囲を流れていた風が、右後方から大きく押し潰された。


 シルヴァは考えるより先に剣を上げる。


 直後。


 金属音が雪原を叩いた。


「ぐっ……!」


 腕が沈む。


 重い。


 ラースの斬撃を受けた瞬間、剣を通して指先まで冷気が食い込んできた。


 シルヴァは刃を正面から押し返さない。


 手首を返し、ラースの力を横へ滑らせる。


 そのまま身体を半回転。


 左拳。


 ラースの顎へ。


 だが、拳が届く直前。


 ラースの頭が僅かに後ろへずれた。


 空振り。


「遅え」


「言ってろ!」


 シルヴァは拳を引かない。


 空振った勢いのまま肘へ繋ぐ。


 ラースが剣の柄で受ける。


 鈍い音。


 続けてシルヴァの右膝。


 腹。


 ラースは左腕を落とした。


 受け止める。


 それでも。


 ほんの少し。


 身体が後ろへ滑った。


 ラースの目が細くなる。


「……体術も悪くねえな」


「褒めるならもうちょい素直に言えよ」


「調子に乗んな、白髪」


 ラースの剣が消える。


 横薙ぎ。


 シルヴァは上体を倒す。


 刃が鼻先を掠めた。


 冷気。


 それだけで皮膚が痛い。


 さらに二撃目。


 下から。


 シルヴァは地面を蹴った。


 風が足裏を押す。


 真上へ。


 ラースの剣が靴底の下を抜ける。


「上か」


 ラースが顔を上げる。


 シルヴァは空中で身体を捻った。


 普通なら落ちる。


 だが。


 右側から風を叩きつける。


 身体が横へ滑った。


 落下軌道が変わる。


 ラースの頭上から外れ、一気に背後へ。


「そこ!」


 剣を振り下ろす。


 ラースが振り向く。


 受ける。


 火花。


 その瞬間。


 シルヴァは剣を押し込まず、左足をラースの脇腹へ振った。


 蹴り。


「――」


 ラースが腕で受ける。


 だが。


 シルヴァはそこへさらに風を重ねた。


 衝撃。


 ラースの身体が数メートル横へ流れる。


 着地。


 滑る。


 止まる。


 シルヴァも雪へ降り立った。


「どうだ」


 ラースは蹴られた腕を一度見る。


 それからシルヴァへ視線を戻す。


「……少しはマシだな」


「まだ上からかよ」


「当たり前だろ」


 ラースが笑う。


 薄い。


 でも。


 さっき第三軍団を相手にしていた時にはなかった笑みだった。


「その程度で並んだつもりか?」


 シルヴァの口元も上がる。


「なら並ぶまでやる」


「言うじゃねえか」


 次の瞬間。


 二人が同時に踏み込んだ。


          ◇


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 刃がぶつかるたびに。


 風と冷気が弾ける。


 シルヴァはラースの剣を正面から受ける回数を減らしていた。


 触れれば冷える。


 剣が凍る。


 腕まで持っていかれる。


 なら。


 当てさせない。


 剣先へ横風を叩きつける。


 僅か数センチ。


 ラースの斬撃軌道がずれた。


「……」


 その隙へシルヴァが潜る。


 肩。


 ぶつける。


 ラースが半歩下がる。


 そこへ剣。


 左下から。


 ラースが弾く。


 シルヴァの剣が上へ跳ねる。


 普通なら隙。


 だが。


 シルヴァはその力を利用して身体ごと回った。


 背面。


 回し蹴り。


 ラースの顔面。


 ラースが身体を反らす。


 爪先が前髪を掠める。


「ちっ」


「惜しかったな」


「次は当てる」


「やってみろ」


 ラースの足元が。


 白く染まった。


 次の瞬間。


 速度が跳ね上がる。


「――!」


 シルヴァの身体の周囲を流れる風が、一気に前方から押し潰された。


 正面。


 剣。


 シルヴァが受け流す。


 だが。


 ラースは止まらない。


 氷の上を滑ったまま、シルヴァの横を抜ける。


 背後。


 反転。


 二撃目。


「速っ……!」


 シルヴァは身体を落とす。


 剣が髪を切る。


 凍る。


 三撃目。


 今度は下。


 シルヴァは跳ぶ。


 空中。


 逃げた――。


 はずだった。


 ラースが剣を振る。


 刃から。


 白いものが飛んだ。


「なっ――!」


 氷の刃。


 一枚ではない。


 三枚。


 高速で回転しながら、空中のシルヴァへ飛んでくる。


「近距離だけじゃねえのかよ!」


「誰がそんなこと言った?」


 シルヴァは空中で身体をひねる。


 一枚目をかわす。


 二枚目。


 剣で弾く。


 触れた瞬間。


 刀身に霜が走った。


 三枚目。


 避けきれない。


 シルヴァは左手を前へ。


 風を横から叩きつける。


 氷刃の軌道がずれる。


 頬の横を通過。


 着地。


 だが。


 足をついた瞬間。


「下見ろ、白髪」


 ラースの声。


 シルヴァの目が下へ。


 雪の下。


 白い亀裂。


「マジか――」


 地面が爆ぜた。


 巨大な氷柱。


 シルヴァは咄嗟に風を踏む。


 横へ。


 一本目を回避。


 その先。


 二本目。


「っ!」


 さらに急停止。


 身体へ逆風。


 前進を無理矢理殺す。


 氷柱が鼻先を突き抜けた。


 右。


 三本目。


 左。


 四本目。


「多いって!」


 シルヴァは走る。


 地上ではなく。


 空中へ。


 一歩。


 風を踏む。


 さらに上。


 横。


 斜め。


 氷柱の間を縫う。


 ラースは地上からその動きを見上げていた。


「へえ」


 シルヴァが空中で急旋回する。


 普通ならあり得ない角度。


 真横へ。


 次の瞬間には下。


 氷柱の影を利用してラースの死角へ。


「取った!」


 剣。


 ラースが振り向く。


 遅い。


 初めて。


 刃がラースの頬を浅く掠めた。


 赤い線。


 一滴。


 血。


 シルヴァはそのままラースの横を抜け、雪へ着地する。


 数メートル。


 二人の間に距離が開いた。


 静寂。


 ティナが息を呑む。


「……入った」


 クジャもシルヴァを見る。


 ラースは動かない。


 ゆっくりと。


 頬へ指を当てる。


 指先についた血。


 それを見る。


 数秒。


 そして。


 口元が。


 少しだけ。


 吊り上がった。


「……思ったよりやるじゃねえか」


 シルヴァが笑う。


「やっと褒めたな」


「勘違いすんな」


 ラースが顔を上げる。


 青い瞳。


 その奥に。


 今までより明確な熱がある。


「ようやく遊びになったってだけだ」


 空気が。


 変わった。


          ◇


「……何?」


 ティナが小さく呟く。


 寒い。


 さっきまでとは違う。


 一気に。


 気温が落ちた。


 呼吸するたびに、喉が痛む。


 クジャの睫毛に薄い霜が付く。


「出力……上げた」


 ラースの足元から。


 白が広がる。


 雪だけではない。


 その下の地面。


 露出していた岩。


 周囲一帯。


 数十メートル。


 凍っていく。


 シルヴァの表情から。


 少しずつ笑みが消えた。


「……まだ上があるのかよ」


 ラースは剣を肩へ乗せる。


「当たり前だろ」


 低い声。


「お前相手に、最初から全部出すと思ったか?」


 シルヴァが剣を握り直す。


 腕。


 少し痺れている。


 呼吸も。


 ラースより明らかに乱れていた。


 さっきまで。


 互角に見えた。


 でも。


 違う。


 こいつには。


 まだ余裕がある。


「いいね」


 シルヴァが笑う。


 ラースの眉が僅かに動く。


「何がだ」


「そっちの方が」


 風がシルヴァの身体へ集まる。


「燃える」


 ラースの口元が再び歪んだ。


「……気に入ったぜ、白髪」


 次の瞬間。


 ラースが剣を地面へ突き立てた。


「――《絶対零度》」


 初めて。


 能力の名が響いた。


 大地が鳴る。


 直後。


 シルヴァの左右。


 前。


 後ろ。


 巨大な氷壁が一斉にせり上がった。


「囲った!?」


 ティナが声を上げる。


 四方。


 逃げ道が消える。


 上しかない。


 シルヴァが空を見る。


 その瞬間。


「そこへ逃げると思った」


 ラースの声。


 頭上。


 何十本もの氷槍。


 浮いている。


「……冗談だろ」


「避けろよ」


 ラースが指先を下げた。


 一斉射。


 氷槍が降る。


 シルヴァは走る。


 狭い。


 氷壁の中。


 一歩目。


 左へ。


 二本の槍。


 かわす。


 右。


 三本。


 風で軌道を逸らす。


 正面。


 五本。


「くそっ!」


 剣を振る。


 風。


 氷槍が砕ける。


 破片。


 それ自体が凶器。


 シルヴァは腕で顔を守る。


 その瞬間。


 ラースの姿が消えた。


「――!」


 風。


 正面。


 もういる。


「氷は囮か!」


「遅え」


 剣。


 シルヴァが受ける。


 衝撃。


 身体が浮いた。


 氷壁へ叩きつけられる。


「ぐっ……!」


 背中。


 息が抜ける。


 目の前には。


 もうラース。


 二撃目。


 シルヴァは身体を横へ滑らせる。


 風。


 刃が氷壁へ刺さる。


 その場所から。


 氷がさらに広がる。


 シルヴァが反撃。


 剣。


 ラースが受ける。


 今度は。


 押し返された。


「っ……!」


 シルヴァの右腕が弾かれる。


 ラースの左拳。


 腹。


 鈍い衝撃。


「がっ――!」


 身体が折れる。


 そこへ膝。


 シルヴァは左腕で受ける。


 そのまま掴む。


「捕まえた!」


 足を掛ける。


 投げ。


 ラースの身体が浮く。


 だが。


 地面へ落ちる直前。


 ラースの足元に氷が形成された。


 片足。


 接地。


 滑る。


 投げの勢いそのものを横へ逃がす。


「その手は」


 ラースが身体を反転。


「もう見た」


 蹴り。


 シルヴァの肩。


 直撃。


 身体が吹き飛ぶ。


 氷壁を突き破った。


「シルヴァ!」


 ティナが前へ出る。


 クジャが腕を掴んだ。


「待って」


「でも!」


「まだ立つ」


 崩れた氷の中。


 黒い外套が動く。


「……痛ってえ」


 シルヴァが立ち上がる。


 肩。


 痺れている。


 口の中に血の味。


 それでも。


 目は死んでいない。


 ラースも氷壁の向こうから歩いてくる。


「まだやるか?」


 上から。


 でも。


 もう最初の退屈そうな声ではない。


 シルヴァが血を吐き出す。


「当たり前だろ」


「そうかよ」


 ラースが薄く笑う。


「なら、もう少し付き合ってやる」


 シルヴァも剣を構え直す。


 風が。


 再び。


 全身を流れる。


「今度はこっちから――」


 踏み込もうとした。


 その瞬間だった。


 風が。


 横から。


 鋭く裂けた。


「――っ!」


 シルヴァが反応する。


 ラースも。


 同時。


 二人が逆方向へ跳んだ。


 直後。


 黒い刃が。


 二人の間へ突き刺さる。


 雪と氷が爆ぜた。


 長い。


 黒い鎖。


 シルヴァが目を細める。


 ラースは。


 剣を構えたまま。


 吹雪の向こうを見る。


 鎖が引かれた。


 雪の上を蛇のように滑り。


 持ち主の元へ戻っていく。


 黒い影。


 一人。


 その後ろにも。


 複数。


 ゆっくりと姿を現す。


 灰黒の長い髪。


 暗い赤紫の瞳。


 細身の身体。


 黒い鎖刃。


 女は、一定の距離で足を止めた。


 ラースの顔に。


 苛立ちではなく。


 笑みが浮かぶ。


「……やっと来たか」


 女――ネイラは。


 冷静な声で答えた。


「お待たせしましたか」


 ラースは剣を肩へ乗せた。


「雑魚の相手には飽きてたところだ」


 ネイラの後方。


 無表情の男が二本の短剣へ手を掛ける。


 さらに左右。


 黒装束の第三軍団員たちが、雪原を囲み始める。


 シルヴァも剣を下ろさない。


 ティナ。


 クジャも。


 すでに構えている。


 ネイラの視線が、一度だけシルヴァたちへ向いた。


 そして。


 再びラースへ戻る。


「六魔王ラース」


 黒い鎖刃が。


 雪の上を静かに這った。


「あなたを確保します」


 ラースの口元が吊り上がる。


「やってみろよ」


 冷気が。


 再び雪原を覆い始めた。

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