第67話 白髪
切っ先が、まっすぐシルヴァへ向いていた。
「そこの白髪。少しはやるようだな」
ラースの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「遊んでやるよ」
シルヴァは一瞬、言葉を失った。
初対面。
名乗ってすらいない。
それなのに、完全に上からだった。
「……随分な言い方だな」
「気に入らねえなら来い」
ラースは剣を下ろさない。
冷たい青の瞳が、シルヴァだけを見ている。
さっきまで第三軍団の兵士たちへ向けていた退屈そうな目とは違った。
まだ、ほんの少し。
それでも確かに興味がある。
シルヴァの手が自然と剣の柄へ伸びた。
「シルヴァ」
後ろからティナの声が飛ぶ。
「何」
「何、じゃないでしょ」
ティナがシルヴァの隣へ出る。
「私たち、戦いに来たわけじゃないから」
「分かってるって」
「その手を剣から離して言って」
シルヴァは自分の右手を見る。
もう柄を握っていた。
「……癖」
「絶対違う」
クジャがラースを見ながら言う。
「向こうもやる気」
「見れば分かるわよ」
ティナは小さく息を吐くと、改めてラースへ向き直った。
「あなたがラースで合ってる?」
ラースの視線が一度だけティナへ移る。
「だったら?」
「魔王軍があなたを狙ってる」
「知ってる」
短い。
ティナが一瞬詰まる。
「……魔王核を奪うつもりなのも?」
「それも知ってる」
「なら、もっと――」
「警戒しろ?」
ラースが言葉を奪った。
「三日も同じ連中に付きまとわれてりゃ、嫌でも分かる」
剣先が僅かに下がる。
だが、鞘へ戻す気はないらしい。
「それで?」
「それでって……」
「俺に逃げろとでも言いに来たのか?」
シルヴァが口を挟む。
「逃げないのか?」
ラースの目が戻ってくる。
「何で俺が逃げる」
即答だった。
「軍団一つに追われてるんだぞ」
「だから何だ」
声に焦りは一切ない。
「邪魔なら斬る。それだけだ」
シルヴァは少しだけ笑った。
「なるほど」
「何笑ってるのよ」
「いや、分かりやすいなって」
ティナが額へ手を当てる。
「あなたたち、本当に似たところあるかも」
「一緒にするな」
ラースが言った。
シルヴァが眉を上げる。
「そっちから否定する?」
「俺はあんなにうるさくねえ」
「まだほとんど喋ってないだろ!」
クジャが小さく笑う。
ラースはそんな三人を見ていたが、やがて興味を失ったように視線を外した。
剣を軽く振る。
刃についた血と霜が雪へ落ちる。
「用がそれだけなら失せろ」
そのまま歩き出そうとする。
「待てよ」
シルヴァが呼び止めた。
ラースが肩越しに振り返る。
「まだ何かあんのか、白髪」
「シルヴァだ」
「聞いてねえ」
「今言った」
「覚える価値があれば覚える」
「……やっぱ口悪いな、お前」
「気づくの遅えよ」
ティナが割って入る。
「ちょっと、二人とも」
シルヴァは気にせず続けた。
「どこ行くつもりなんだ?」
ラースの目が僅かに細くなる。
「関係ねえだろ」
「第三軍団が追ってるなら関係ある」
「ねえよ」
「あるって」
「ねえ」
「ある」
数秒。
ラースがシルヴァを睨む。
シルヴァも引かない。
クジャがティナへ小声で言った。
「子供みたい」
「シルヴァがね」
「聞こえてるぞ!」
「ならもう少し大人っぽく話して」
ラースが鼻で笑った。
「くだらねえ」
だが。
少し間を置いて。
「東だ」
シルヴァが顔を戻す。
「東?」
「妙な噂を聞いた」
「何の?」
「死んだはずの剣士が歩いてる」
三人の表情が変わる。
ラースは遠い東の空を見る。
「昔、王だったらしい」
「王……?」
ティナが呟く。
「剣も相当だと聞いた」
そこで。
ラースの口元が僅かに上がった。
「本当なら、多少は退屈しなくて済む」
シルヴァはその顔を見る。
今までで一番、分かりやすく感情が出ていた。
「それ確かめるために東へ?」
「他に何がある」
「第三軍団に追われてるのに?」
「さっきから同じこと言わせんな」
ラースの声が少し低くなる。
「俺の行き先を決めるのは俺だ」
風が吹いた。
淡い水色の髪が揺れる。
「魔王軍だろうが、ゼノアだろうが関係ねえ」
シルヴァの目が細くなった。
その言葉には。
ただの強がりではない何かがあった。
誰かに道を決められることそのものを嫌うような。
深い拒絶。
けれど。
その理由を聞くには、まだ早い気がした。
シルヴァは話題を変える。
「じゃあ魔王核も、渡す気はない?」
「当たり前だ」
「元はゼノアのものでも?」
ラースの瞳が冷たくなる。
「知るか」
低い声。
「今は俺の力だ」
その一言だけで。
シルヴァには十分だった。
「なら、そこは俺たちと利害一致してるな」
「勝手に一緒にすんな」
「別に仲間になれって言ってない」
「じゃあ何だ」
「取られるなよって話」
ラースがシルヴァを見る。
「誰に言ってんだ」
「ラースに」
「俺があいつらに負けるように見えたか?」
シルヴァは先ほどの戦場を見る。
血。
氷。
倒れた第三軍団員。
「今の連中には」
一拍。
「全然」
「なら余計な心配すんな」
ラースは再び歩き出そうとする。
その時。
シルヴァが言った。
「でも軍団長は?」
ラースの足が止まった。
「まだ会ってないんだろ」
「……ああ」
「強いかもしれないぞ」
ゆっくり。
ラースが振り返る。
「だから待ってる」
目が。
僅かに笑っていた。
ティナが無言になる。
クジャもラースを見る。
シルヴァだけが。
少し笑った。
「やっぱ戦いたいだけじゃん」
「悪いか?」
「いや」
シルヴァの右手が剣の柄へ戻る。
「俺も強い奴は嫌いじゃない」
ラースの視線が、その手へ落ちた。
そして。
「だったら」
剣を持ち上げる。
「口じゃなくて見せろよ」
切っ先。
再びシルヴァへ。
「そこの二人より、お前の方がマシそうだ」
「ちょっと」
ティナの眉が動く。
「勝手に決めないでくれる?」
ラースは一度だけティナを見る。
「気に入らねえなら、お前も来るか?」
「……」
「ティナ」
シルヴァが止める。
「何」
「今は俺」
「何であなたが決めるのよ!」
「売られたの俺だし」
「売られた喧嘩全部買わないで!」
ラースが面倒そうに息を吐いた。
「やるのか、やらねえのか」
「やる」
「シルヴァ!」
即答だった。
シルヴァは剣を抜く。
風が。
何の合図もなく。
身体の周囲を流れ始める。
足元。
腰。
肩。
腕。
剣。
呼吸と一緒に。
自然に。
ラースの目が細くなる。
「……へえ」
さっきよりも。
少しだけ興味が増した。
ティナは止めようとして。
結局、ため息をついた。
「本気で殺し合わないでよ」
「分かってる」
シルヴァが答える。
ラースは何も言わなかった。
ティナが睨む。
「ラースも」
「死にそうなら避けろ」
「それ返事になってない!」
「十分だろ」
クジャが少し離れた場所へ移動する。
「ティナ」
「何?」
「諦めよう」
「クジャまで……」
「止まらない」
ティナは頭を抱えながら、クジャの隣へ下がった。
「……ほんとにもう」
◇
雪原。
二人の少年が向かい合う。
シルヴァ。
ラース。
距離は十数メートル。
シルヴァは剣を下段へ。
ラースは片手で軽く構える。
緊張している様子はない。
むしろ。
完全に余裕がある。
「先に来いよ、白髪」
シルヴァの眉が動く。
「上からだな」
「実際、俺の方が上だろ」
「まだ戦ってない」
「見れば分かる」
言い切った。
シルヴァは少し笑う。
「じゃあ」
風が足元へ集まる。
「外れてるって教えてやるよ」
踏み込んだ。
一瞬。
雪が後方へ舞う。
シルヴァの身体が真っ直ぐラースへ飛ぶ。
速い。
修行前とは比較にならない。
剣。
右上から。
ラースは動かない。
ギリギリまで。
そして。
金属音。
片手で。
受けた。
「――っ!」
シルヴァの目が僅かに開く。
重い。
ラースの腕はほとんど動いていない。
「こんなもんか?」
「まだ一発目だ!」
シルヴァが力を抜く。
押さない。
刃を滑らせる。
身体を回転。
左肘。
ラースの顔面へ。
「……」
ラースが僅かに首を傾ける。
かわす。
そこへ。
膝。
腹。
ラースが左手で受けた。
「剣だけじゃねえのか」
「誰が剣だけって言った!」
足元。
風。
シルヴァの身体が急に横へ流れる。
ラースの死角へ。
剣を振る。
速い。
それでも。
ラースの身体が半歩だけずれた。
刃が服の表面を掠める。
「……悪くねえ」
「余裕だな!」
シルヴァがさらに追う。
斬る。
蹴る。
風で角度を変える。
ラースは。
最小限の動きだけで捌いていく。
剣。
足。
肩。
時には僅かな身体の傾き。
そして。
三撃目を受けた瞬間。
ラースの目が変わった。
「じゃあ今度は」
剣を押し返す。
「こっちだ」
シルヴァの周囲の風が。
爆発したように乱れた。
「――!」
ラースが消える。
違う。
速すぎる。
シルヴァは反射的に身体を捻った。
直後。
頬の横を。
冷たい刃が走り抜けた。
遅れて。
髪の先が白く凍った。
ラースはすでにシルヴァの背後にいる。
「反応したか」
低い声。
シルヴァが振り返る。
ラースの口元に。
薄い笑み。
「少しは遊べそうだな、白髪」
シルヴァも剣を構え直した。
頬を。
冷たい風が撫でる。
「……上等」
雪原に。
二つの足跡が深く刻まれた。




