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風葬のシルヴァ  作者: 桜
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第66話 氷の痕跡

 翌朝。


 三人は約束どおり、町を出る前に焼き菓子を買った。


 クジャは紙袋を片手に歩きながら、一つ目を半分ほど食べている。


「満足?」


 シルヴァが聞く。


「まあまあ」


「昨日あんなに楽しみにしてたのに?」


「期待しすぎた」


「厳しいな」


 ティナも一口分だけ分けてもらいながら頷いた。


「でも昨日の屋台の方が美味しかったかも」


「二人とも評価厳しくない?」


「シルヴァは?」


「普通にうまい」


「参考にならない」


「何でだよ」


 そんな会話が続いたのも、町を離れてしばらくの間だけだった。


 北へ進むほど、道は白くなっていく。


 最初は草の隙間に残る程度だった雪が、やがて地面を完全に覆った。


 木々も少なくなり。


 吹き抜ける風が、一段ずつ冷たくなる。


 シルヴァは手袋をした右手を握った。


「……持ってきて正解だったな」


 ティナがすぐに横を見る。


「でしょ?」


「そこまで得意そうに言う?」


「昨日散々いらないって言ってたから」


「いらないとは言ってない」


「言ってた」


「クジャまで覚えてるのかよ」


「三か月一緒にいると覚える」


「それ便利に使うのやめてくれない?」


 クジャが少し笑う。


 その直後。


 シルヴァの足が止まった。


 笑みが消える。


「……血」


 ティナの手が剣の柄へ伸びる。


「どこ?」


「前」


 風が運んでくる。


 鉄の匂い。


 冷たい空気の中では薄い。


 それでも、分かる。


 三人は速度を落とし、雪原の先へ進んだ。


 小さな丘を越えたところで。


 最初の死体が見えた。


          ◇


 黒い服を着た魔族が、仰向けに倒れている。


 胸から肩にかけて深い斬撃。


 流れた血は途中で凍りつき、黒赤い氷となって雪へ張り付いていた。


 少し離れた場所には、もう一人。


 さらに奥に三人。


 合計五人。


 ティナがしゃがみ、一人ずつ確認する。


「二人は死んでる」


 残り三人。


 一人は腕を斬られ。


 一人は腹部を深く裂かれている。


 最後の一人は、右脚が膝下から凍りついていた。


 全員、第三軍団と見て間違いない。


 クジャは周囲を見回した。


「結構戦ってる」


「ああ」


 シルヴァも雪面を見る。


 足跡が多い。


 五人が一人を囲んだ跡。


 中央には、一人分だけ。


 そこから複数の氷の線が伸びている。


 逃走の跡ではない。


 むしろ。


「ここで止まってる」


 シルヴァが言った。


 ティナも中央を見る。


「ラースが?」


「たぶん」


 クジャがしゃがみ込む。


 足跡。


 位置。


 斬撃痕。


 動きの流れを追う。


「囲まれてから戦ってる」


「やっぱり逃げてないってことか」


 昨日の旅人の話と一致する。


 シルヴァは近くに落ちていた剣を拾った。


 半ばから砕けている。


 断面は真っ白に凍結していた。


「これも」


 ティナが別の武器を見る。


 短槍。


 先端から柄の途中まで凍りつき、そのまま折れている。


 クジャが眼帯へ触れた。


 だが開かない。


「使う?」


 シルヴァが聞く。


「まだいい」


「分かる?」


「見れば大体」


 クジャは雪の中央へ視線を戻す。


「一人目を斬って、次に右から来た人の武器を壊してる。その後、後ろから来た人を――」


「そこまで分かるの?」


 ティナが驚く。


「足跡が残ってるから」


「右眼いらないじゃん」


「使わなくて済むなら、その方がいい」


 シルヴァが頷く。


「それも修行の成果?」


「たぶん」


「またたぶん」


 その時だった。


「……おい」


 掠れた声。


 三人が同時に振り向く。


 腹部を斬られた魔族が、僅かに顔を上げていた。


 ティナがすぐに近づく。


「動かないで」


「……敵に……言われたくねえ……」


 声は弱い。


 それでも視線だけは鋭い。


 シルヴァも横へしゃがむ。


「ラースは?」


 魔族の目が動く。


「……北東」


「追ってたのか?」


「追ってる……」


「逃げた?」


 その言葉に。


 魔族の表情が明らかに変わった。


「違う……」


 息を整えようとして、咳き込む。


 血が口元へ滲む。


「奴は……逃げちゃいねえ……」


 シルヴァの目が細くなる。


「じゃあ何してる?」


「勝手に……歩いてる……」


「歩いてる?」


「こっちが追いつけば……止まる」


 魔族は苦しそうに笑った。


 悔しさの混じった笑いだった。


「囲ませてから……剣を抜きやがる時すらある……」


 ティナが眉を寄せる。


「わざと?」


「……ああ」


「何のために?」


 答えは。


 シルヴァには何となく分かった。


 魔族も同じことを思ったのかもしれない。


「戦いてえんだろ……」


 一拍。


「ただ……それだけだ」


 風が吹いた。


 シルヴァの黒い外套が揺れる。


 魔族は苦しげに続ける。


「最初は……俺たちも、捕まえるつもりだった……」


「今は?」


「……軍団長を待ってる」


 クジャが反応する。


「ネイラ?」


 魔族の目が僅かに動いた。


「……来る」


 それだけ。


 次の呼吸が浅くなる。


 ティナが傷口へ手を伸ばす。


「待って。まだ――」


「無駄だ……」


「でも」


「分かる……」


 魔族は一度だけ北東を見る。


「次は……あいつも……」


 声が途切れた。


 身体から力が抜ける。


 ティナは首元へ指を当てる。


 数秒。


 静かに手を離した。


「……死んだ」


 誰も何も言わなかった。


 シルヴァが立ち上がる。


 北東。


 白い大地が続いている。


「行こう」


 ティナも立つ。


「うん」


 クジャは最後に一度だけ戦場を見てから、二人に続いた。


          ◇


 そこから先。


 戦闘の痕跡は増えた。


 一か所目。


 三人。


 二か所目。


 四人。


 さらに先では、血の跡だけが残っている。


 どの場所にも。


 必ず氷があった。


 凍りついた武器。


 地面を走る白い亀裂。


 岩へ突き刺さった氷の破片。


 そして。


 斬撃痕。


「剣士なんだな」


 シルヴァが呟く。


「かなり」


 ティナも答える。


「氷だけじゃない」


 倒れた者の傷を見る限り。


 剣そのものの技量も高い。


 無駄がない。


 深く斬られた者は死に。


 避け切った者は生きている。


 手加減しているようには見えない。


 ただ。


 殺すために余計な一撃を加えているわけでもない。


 勝つために必要なだけ。


 それだけだった。


「変な戦い方」


 クジャが言う。


「何が?」


「追われてるのに、急いでない」


 シルヴァが少し笑う。


「余裕あるんだろ」


「楽しそう」


 ティナが横を見る。


「誰が?」


「シルヴァ」


「まだ会ってないぞ」


「会う前からこれだから」


「何だよそれ」


 クジャが付け足す。


「たぶん気が合う」


「お前まで?」


「強い人と戦うの好きでしょ」


「好きっていうか」


「好きなのね」


 ティナが即座に言う。


「最後まで聞けよ」


「否定しなかった」


 シルヴァは口を閉じた。


「……最近ほんと二人で来るな」


          ◇


 午後を過ぎたころ。


 三人は広い雪原へ出た。


 そこで。


 足が止まった。


「……何だよ、これ」


 シルヴァが呟く。


 大地に。


 巨大な傷が走っていた。


 雪だけではない。


 地面。


 岩。


 全てが一本の線に沿って切り裂かれている。


 さらに。


 斬撃痕の周囲一帯が、白く凍りついていた。


 何十メートル。


 その先まで続いている。


 氷の表面からは、今も僅かな冷気が立ち上っていた。


 ティナが近づく。


「これ……剣?」


「たぶん」


 シルヴァもしゃがみ込む。


 触れようとした時。


「やめた方がいい」


 クジャが言った。


 シルヴァの手が止まる。


「まだ危ない?」


「見る」


 クジャが眼帯へ指を掛ける。


 僅かに持ち上げる。


 右眼。


 景色の奥に、力の構造が浮かぶ。


 斬撃痕。


 その内部。


 まだ消えきっていない、極端に冷たいオーラの残滓。


 剣の軌道へ沿って凝縮され。


 そこから一気に周囲へ広がっている。


「……濃い」


 クジャが呟く。


「そんなに?」


「うん」


「いつくらい?」


 ティナが聞く。


 クジャはすぐに眼帯を戻した。


「正確には分からない。でも新しい」


 シルヴァが立ち上がる。


 その時。


 風が。


 遠くから。


 金属音を運んできた。


 シルヴァの表情が変わる。


「戦ってる」


「どっち?」


「北東」


 三人が走り出した。


          ◇


 雪を蹴る。


 白い丘を一つ越える。


 さらに先。


 金属音。


 何かが砕ける音。


 低い声。


 シルヴァが加速する。


 風が足元から背中へ抜けた。


「シルヴァ!」


「先見るだけ!」


「それを先走るって言うの!」


 ティナも追う。


 クジャもその後ろ。


 そして。


 丘の頂上へ出た瞬間。


 三人の視界に。


 戦場が飛び込んできた。


          ◇


 黒装束の魔族が六人。


 その中央に。


 一人の少年が立っていた。


 淡い水色の髪。


 冷たい青の瞳。


 細身の身体。


 右手には一本の剣。


 ラース。


 一人の魔族が正面から斬りかかる。


 ラースは動かない。


 刃が届く直前。


 剣を振る。


 一撃。


 金属音。


 魔族の剣が弾かれる。


 次の瞬間。


 ラースの刃が胸を横切った。


 血が散る。


 傷口が。


 同時に凍る。


 男が倒れた。


 右から二人。


 左から一人。


 ラースの目が僅かに動く。


「遅え」


 足元が凍りついた。


 身体が滑る。


 一瞬。


 右側の二人の間へ入り込む。


「なっ――」


 一人目の喉元へ剣。


 魔族は咄嗟に仰け反る。


 刃が首ではなく肩を深く裂く。


 そのままラースが身体を回す。


 二人目。


 剣を振る前に。


 地面から氷が突き上がった。


「っ!」


 巨大な氷柱。


 魔族が横へ跳ぶ。


 その逃げた先へ。


 ラースがもういる。


 斬撃。


 腹部。


 魔族の身体が雪へ転がる。


 左から来ていた一人が、捕縛具を投げる。


 黒い鎖。


 ラースは振り返りもしない。


 剣を後ろへ一振り。


 白い斬撃が飛ぶ。


 空中。


 鎖が凍結し。


 砕け散った。


 ティナの目が僅かに見開く。


「……飛ばした」


 シルヴァも黙って見ていた。


 剣だけじゃない。


 氷を。


 飛ばしている。


 残った二人が同時に距離を取る。


 一人は短槍。


 一人は弓。


 弓兵が矢を放つ。


 三本。


 ラースが剣を横へ振った。


 冷気が走る。


 空中で。


 三本の矢が凍りつき。


 落ちる。


 短槍の魔族が叫ぶ。


「散れ!」


 二人が左右へ。


 ラースの目に。


 少しだけ。


 退屈が混じった。


「またそれか」


 剣先を雪へ向ける。


 地面が鳴った。


 次の瞬間。


 ラースを中心に。


 氷が一気に広がる。


 白い波。


 雪原そのものが凍結する。


「っ――!」


 二人の足元まで。


 一瞬。


 短槍の魔族が跳ぶ。


 弓兵は間に合わない。


 右脚が凍りつく。


「くそっ!」


 ラースが歩く。


 急いですらいない。


 弓兵が新しい矢へ手を伸ばす。


「もういい」


 ラースが剣を振った。


 氷の刃が飛ぶ。


 弓が真っ二つに折れた。


 そのままラースは視線を外す。


 完全に。


 興味を失ったように。


 短槍の魔族が空中から降りる。


 背後。


 ラースへ突き込む。


 その瞬間。


 シルヴァの周囲の風が乱れた。


「後ろ――」


 言うより早く。


 ラースが半歩だけ横へずれた。


 槍が空を切る。


 そして。


 剣の柄が。


 魔族の顔面へ叩き込まれた。


 鼻骨が潰れる音。


 身体が仰け反る。


 ラースはそのまま腹へ蹴りを入れた。


 魔族が雪の上を転がる。


「三日追って」


 低い声。


 ラースは倒れた者たちを見回す。


「まだこの程度かよ」


 立っているのは。


 もう一人だけ。


 右脚を凍らされた弓兵。


 武器もない。


 ラースは剣を肩へ軽く乗せた。


「軍団長でも呼んでこい」


 魔族が歯を食いしばる。


 それでも。


 退く。


 仲間を見捨て。


 雪の向こうへ走り出す。


 ラースは追わなかった。


「……つまんねえ」


 ぼそりと吐き捨てる。


 そして。


 初めて。


 顔がこちらへ向いた。


 シルヴァ。


 ティナ。


 クジャ。


 三人を見る。


 まずティナ。


 次にクジャ。


 最後に。


 シルヴァ。


 そこで。


 視線が止まった。


 シルヴァもラースを見る。


 数秒。


 風だけが二人の間を通り抜ける。


 ラースの目が。


 少しだけ細くなる。


 シルヴァの腰の剣。


 足の置き方。


 肩。


 呼吸。


 そして。


 身体の周囲を自然に流れている風。


 ラースの口元が。


 ほんの僅かに吊り上がった。


「……へえ」


 剣を肩から下ろす。


 切っ先が。


 ゆっくり。


 シルヴァへ向いた。


「そこの白髪」


 低い声。


 さっきまでの退屈が。


 少しだけ消えている。


「少しはやるようだな」


 一拍。


「遊んでやるよ」

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