第61話 風はもう遅れない
創都リメア。
三か月の修行を終えた翌朝。
シルヴァたちは《創成庭》へ呼び出されていた。
時間を引き延ばしていた特殊な領域はすでに消えている。
今ここにあるのは、以前から使われていた通常の訓練場だけだ。
平らな石造りの地面。
点在する岩柱。
周囲を囲む高い壁。
その中央に。
ギラルーンが一人で立っていた。
「……ギラルーン?」
シルヴァが首を傾げる。
「はい」
「今日は何するの?」
「私と戦っていただきます」
シルヴァの顔が明るくなった。
「三人で?」
「いいえ」
答えたのはミルスだった。
「一人ずつ」
三人がミルスを見る。
「一対一?」
ティナが聞く。
「そう」
「どうして?」
「三人で戦えば、連携がどれくらい伸びたかは分かる。でも今回は、それぞれが三か月で何を身につけたのか見たい」
ミルスは順番に三人を見る。
「シルヴァ」
「ティナ」
「クジャ」
「一人ずつ、ギラルーンと戦う」
クジャがギラルーンを見る。
「大変そう」
「私が、でございますか?」
「うん」
「お気遣いありがとうございます」
「別に心配してない」
「左様でございますか」
ティナが苦笑する。
「クジャとギラルーンって、たまに会話似てるよね」
「そう?」
「光栄でございます」
「私は微妙」
「残念でございます」
「やっぱ似てる」
シルヴァはそんな二人を横目に、すでに剣へ手を置いていた。
「で、誰から?」
ミルスが見る。
「やりたそうね」
「うん」
「じゃあシルヴァ」
「よし」
返事が早い。
ティナが呆れる。
「迷わないんだ」
「だってやってみたい」
「三か月でそこは全然変わらなかったね」
「変える必要ある?」
「少しはあると思う」
シルヴァは笑いながら中央へ歩いていく。
ギラルーンも剣を抜いた。
細身の片手剣。
構えは静かだった。
「ルールは?」
シルヴァが聞く。
ミルスが答える。
「致命傷は禁止。どちらかが明確に戦闘不能になるか、私が止めたら終了」
「一撃入れたら勝ちとかじゃないんだ」
「それだとギラルーンの《遊歩》相手は相性が特殊すぎるから」
「なるほど」
シルヴァは一度。
深く息を吐いた。
黒いマントが。
静かに揺れている。
まだ。
何もしていない。
ただ立っているだけ。
それでも。
風はそこにあった。
ギラルーンがその様子を見る。
「本当に変わりましたね」
「分かる?」
「ええ」
「まだ戦ってないけど」
「だからこそ、でございます」
シルヴァが少し笑う。
「じゃあ」
剣を抜く。
「もっと分からせる」
ギラルーンの口元も僅かに上がった。
「楽しみにしております」
ミルスが片手を上げる。
「始め」
その声と同時に。
ギラルーンが動いた。
正面から。
速い。
だが。
《遊歩》ではない。
普通の踏み込み。
シルヴァも前へ出る。
剣と剣。
ぶつかる。
甲高い音が響いた。
一撃。
二撃。
三撃。
ギラルーンの剣は軽い。
しかし。
速く、正確だった。
無駄がない。
シルヴァは三撃目を受け流しながら、身体を沈める。
下段。
斬り上げ。
ギラルーンが半歩下がる。
そのまま。
シルヴァが踏み込む。
以前なら。
ここで風を出していた。
足を踏み込んで。
次に。
風で加速する。
今は違う。
足が動く。
同時に。
風が流れる。
間がない。
「っ」
ギラルーンの目が僅かに細くなる。
シルヴァの剣。
首元へ。
ギラルーンが身体を傾けて避ける。
髪が。
数本。
切れた。
「惜しい」
「まだ!」
シルヴァが剣を返す。
横薙ぎ。
受ける。
その瞬間。
シルヴァの左脚が動いた。
蹴り。
ギラルーンの脇腹へ。
剣で受けられない角度。
ギラルーンは腕で防ぐ。
それでも。
一歩。
下がった。
「体術も健在でございますね」
「むしろ増えた!」
シルヴァが追う。
拳。
剣。
蹴り。
剣術だけではない。
身体全部で。
間合いを崩す。
ギラルーンは一つずつ対応する。
だが。
三か月前ほど余裕はない。
「では」
ギラルーンが。
一歩。
斜め後ろへ歩いた。
「こちらも」
シルヴァの目が変わる。
来る。
ギラルーンが消えた。
《遊歩》。
以前なら。
姿が消えた瞬間。
目で探していた。
右か。
左か。
後ろか。
だが。
シルヴァは動かない。
目を閉じる必要もない。
ただ。
周囲の風を感じる。
右後方。
ほんの僅か。
流れが乱れた。
シルヴァの身体が先に動く。
振り返りながら。
剣。
ギラルーンが現れた。
「――!」
刃。
ぶつかる。
ギラルーンが初めて。
はっきり驚いた。
「読まれましたか」
「見えたわけじゃない」
鍔迫り合い。
シルヴァが笑う。
「風が教えてくれた」
押す。
ギラルーンが離れる。
そのまま。
再び消える。
今度は左。
風。
揺れる。
シルヴァ。
避ける。
剣先が頬の横を通過する。
反撃。
ギラルーンが受ける。
また消える。
前。
後ろ。
石柱の脇。
何度も。
位置を変える。
だが。
シルヴァは。
完全には見失わない。
出現の直前。
空気が変わる。
わずかな断絶。
その瞬間を。
身体の周囲にある風が拾う。
「すごい……」
外から見ていたティナが呟いた。
「前は全然追えてなかったよね」
「うん」
クジャもギラルーンを見る。
「今は、出てきた瞬間にはもう動いてる」
ミルスが頷く。
「風を感知するために出してるんじゃない」
二人がミルスを見る。
「ずっとそこにあるから、何かが変われば勝手に分かる」
それこそが。
三か月かけて作った状態だった。
◇
ギラルーンがシルヴァの背後へ出る。
だが。
シルヴァは振り返らない。
一歩。
横へ。
剣が空を切る。
そのまま身体を回し。
肘。
ギラルーンが上体を引く。
シルヴァの肘が鼻先を掠める。
「危ないですね」
「余裕あるじゃん」
「先ほどからかなり危険でございます」
「顔がそう見えない」
「生まれつきでございます」
「絶対嘘だろ」
シルヴァが剣を振る。
ギラルーンは受けながら。
足を動かす。
一歩。
二歩。
三歩。
シルヴァが気づく。
ただ逃げているわけではない。
《遊歩》のための地点を。
増やしている。
「……」
シルヴァの表情が変わった。
ギラルーンが消える。
右。
受ける。
消える。
左前方。
避ける。
また。
背後。
シルヴァが剣を合わせる。
だが。
次第に。
間隔が短くなる。
一か所。
二か所。
三か所。
複数の地点を使い始めた。
シルヴァの風は。
出現そのものは捉えられる。
だが。
問題は。
分かってから間に合うか。
「っ!」
右。
剣。
シルヴァが受ける。
直後。
ギラルーンが消える。
背後。
今度は間に合わない。
剣の柄が。
シルヴァの肩へ入った。
「ぐっ!」
身体が前へ。
だが。
倒れない。
風が。
身体の崩れに自然に沿う。
一歩。
二歩。
そのまま姿勢を戻した。
「今のも」
ギラルーンが言う。
「以前なら転んでおりましたね」
「褒めるなら攻撃止めてよ」
「それは別でございます」
また。
消える。
シルヴァは歯を食いしばる。
分かる。
出てくる場所は。
以前よりずっと分かる。
でも。
ギラルーンの強さは。
《遊歩》だけではない。
剣術。
判断。
経験。
どこへ出れば。
シルヴァが一番対応しづらいか。
毎回。
選んでいる。
「だったら……」
シルヴァが。
追うのをやめた。
ティナが目を見開く。
「止まった?」
ギラルーンが。
シルヴァの左後方へ出る。
剣。
シルヴァは。
避けるだけ。
反撃しない。
次。
右。
また。
避ける。
「なるほど」
ミルスが小さく言う。
「何?」
ティナが聞く。
「全部追うのをやめた」
シルヴァは。
ギラルーンを倒そうとするのではなく。
観察している。
風。
出現。
剣。
消える。
次。
風。
出現。
ギラルーンが。
地面に足を着ける。
一瞬。
次へ消える前。
ほんの僅かな。
間。
「……そこ」
シルヴァが呟いた。
次。
ギラルーンが出る。
シルヴァは攻撃しない。
さらに。
次。
そして。
もう一度。
ギラルーンが消える。
シルヴァの周囲。
風が。
右後方で乱れた。
だが。
シルヴァは。
右を向かなかった。
前へ。
一歩。
踏み込む。
剣を。
何もない場所へ振った。
「――!」
そこへ。
ギラルーンが現れた。
刃が。
肩へ迫る。
ギラルーンが。
咄嗟に剣を入れる。
受ける。
激突。
今度は。
ギラルーンが大きく後退した。
「……今」
ティナが立ち上がりかける。
「出てくる前に振った?」
ミルスが頷く。
「そう」
クジャも見る。
「予測した」
◇
「驚きました」
ギラルーンが剣を構え直す。
「今のは」
「毎回、好きなところに出てるわけじゃない」
シルヴァが言う。
「そうでございますね」
「一回自分で通った場所に戻ってる」
「はい」
「それに」
シルヴァは。
ギラルーンの足元を見る。
「出てきてから次へ行くまで」
「ほんの少しだけ間がある」
ギラルーンの目が細くなる。
「そこまで」
「三か月ずっと細かいところ直されてたから」
シルヴァが笑う。
「前より、そういうの見るようになった」
「それは」
ギラルーンも笑う。
「大変喜ばしいことでございます」
一歩。
歩く。
「ですが」
さらに。
もう一歩。
「理解しただけで攻略できるほど」
三歩。
四歩。
五歩。
六歩。
七歩。
八歩。
「《遊歩》も単純ではございません」
シルヴァが構える。
「来い」
ギラルーンが。
消えた。
「《遊歩・八景》」
一瞬。
右。
シルヴァが反応。
剣。
ぶつかる。
消える。
左。
受ける。
消える。
背後。
避ける。
次。
上。
「っ!」
シルヴァが剣を上げる。
受けた瞬間。
ギラルーンはもういない。
次。
前。
次。
右。
次。
左後方。
八つ。
連続。
シルヴァの風が。
すべて。
捉えている。
だが。
身体が。
追いつかない。
「くそ……!」
剣。
肩を掠める。
次。
脇腹。
避けきれない。
浅い。
それでも。
シルヴァは止まらない。
風。
出現。
足。
剣。
全部。
必死に繋ぐ。
七つ目。
シルヴァが。
突然。
踏み込んだ。
攻撃を避けるのではなく。
ギラルーンが次に使う地点へ。
「――そこ!」
剣を振る。
八つ目。
ギラルーンが。
まさに。
そこへ現れた。
「!」
シルヴァの剣。
ギラルーンの胸元へ。
速い。
間に合わない。
ギラルーンが。
身体を捻る。
刃が。
服を切り裂いた。
胸元。
浅い線。
血。
ほんの少し。
シルヴァの目が開く。
「入った!」
「ええ」
だが。
ギラルーンは。
止まっていない。
シルヴァの剣を避けた体勢から。
左手。
シルヴァの手首を取る。
引く。
「うわっ!」
体勢が崩れる。
そこへ。
足。
払う。
シルヴァが倒れかける。
風。
身体を支える。
だが。
その一瞬。
剣先が。
シルヴァの喉元へ。
止まった。
「……」
静かになる。
シルヴァは。
剣を握ったまま。
動けない。
ギラルーンも。
肩で。
僅かに息をしていた。
「そこまで」
ミルスの声。
ギラルーンが剣を下ろす。
シルヴァも。
大きく息を吐いた。
「……負けた」
「はい」
「そこは否定してくれないんだ」
「勝敗は正確に」
「厳しいな」
ギラルーンは。
自分の胸元を見る。
服。
切れている。
その下。
浅い傷。
「ですが」
シルヴァが見る。
「三か月前でしたら」
ギラルーンが。
剣を収める。
「《遊歩・八景》を使う必要すらございませんでした」
シルヴァの表情が変わった。
「今は?」
「使わなければ」
少しだけ。
ギラルーンが笑う。
「私が負けていた可能性が高いでしょう」
「……本当?」
「ええ」
「よし!」
シルヴァが急に元気になる。
「負けたんだよ?」
ティナが近づきながら言う。
「分かってる」
「じゃあ何でそんな嬉しそうなの」
「次なら勝てそうだから」
「そういうところ全然変わってないね」
「そこは変えなくていい」
クジャも近づく。
「でも」
ギラルーンの胸元を見る。
「ちゃんと当てたね」
「うん」
「前よりかなり強い」
シルヴァが少し驚く。
「クジャが普通に褒めた」
「失礼」
「いや、嬉しい」
クジャは少しだけ笑った。
◇
ミルスがシルヴァの前へ来る。
「どうだった?」
「強かった」
「それだけ?」
シルヴァは少し考える。
「前は」
ギラルーンを見る。
「《遊歩》されたら、何してるかほとんど分からなかった」
「うん」
「でも今日は」
自分の手を見る。
薄い風。
まだ。
そこにある。
「分かった」
「どこから来るか」
「どう動いてるか」
「全部じゃないけど」
シルヴァが笑う。
「戦えるって思えた」
ミルスが頷く。
「それで十分」
「勝たなくていい?」
「今日はね」
「次は勝つけど」
「本人の前で言うのね」
ギラルーンが一礼する。
「その時は、こちらもさらに工夫いたしましょう」
「それやめてよ」
「お互い様でございます」
ティナが。
二人を見たあと。
一歩前へ出た。
「じゃあ」
剣へ手を置く。
「次、私?」
ギラルーンが。
シルヴァから。
ティナへ視線を移す。
「よろしいのでございますか?」
「もちろん」
白い《構装》が。
ティナの指先へ。
ほんの一瞬だけ現れ。
消える。
「三か月」
ティナが剣を抜く。
「シルヴァだけが強くなったわけじゃないから」
ギラルーンが。
もう一度。
剣を構えた。
「では」
少し楽しそうに。
「拝見いたしましょう」




