第60話 三ヶ月の答え
修行開始から、八十七日目。
三か月目も終わりに近づいていた。
《創成庭》の朝。
シルヴァは一人、湖のほとりを歩いている。
剣は腰にある。
黒いマントを羽織り、いつも通りの格好だった。
だが。
三か月前とは、一つだけ違う。
風のない朝なのに。
白銀の髪が、僅かに揺れていた。
マントの裾も。
ほんの少し。
動いている。
シルヴァ自身は。
もう、それを気にしていない。
「シルヴァ」
後ろから声がした。
「ん?」
振り返る。
ティナが立っていた。
その瞬間も。
風は変わらない。
強くもならない。
消えもしない。
ただ。
そこにある。
「朝ご飯」
「あ、もうそんな時間?」
「また一人でやってたの?」
「散歩してただけ」
「剣持って?」
「途中でちょっと振った」
「それを修行って言うんじゃない?」
「そうとも言う」
ティナが呆れたように笑う。
二人で歩き出す。
シルヴァは湖を見ながら言った。
「もうすぐ終わるんだよな」
「三か月?」
「うん」
「長かったね」
「最初、一日が一か月って聞いた時は意味分かんなかったけど」
「今は?」
「ここ普通に住めそう」
「それはちょっと嫌」
「何で?」
「外に戻りたいから」
「それはそうか」
少し間を置いて。
ティナが言う。
「でも」
「?」
「三か月前より、結構変わったよね」
シルヴァがティナを見る。
「俺?」
「みんな」
ティナは自分の右手を開いた。
白い《構装》が、指先だけを覆う。
次の瞬間には消えた。
「前はこんな細かくできなかった」
「確かに」
「クジャも」
二人が食堂へ着く。
扉を開けると。
中ではクジャが朝食より先にカードを並べていた。
「何してるの?」
シルヴァが聞く。
「確認」
「朝から?」
「昨日使ったカードの順番」
「覚えてないの?」
「覚えてる」
「じゃあ何で?」
「癖」
ティナが小さく笑う。
「クジャも変わったね」
「どこが?」
「前よりカード増えた」
「持ってる枚数は同じ」
「使い方」
「それなら」
クジャは少し考えた。
「変わったかも」
ミルスが遅れて入ってくる。
「ちょうどいいわね」
三人が見る。
「今日、最後の確認をする」
シルヴァの目が少し輝く。
「最後?」
「三か月目の最終試験」
「試験って言うと嫌な感じするな」
「なら最終確認」
「ちょっとマシ」
「内容は同じだけど」
「意味ないじゃん」
◇
《創成庭》。
午前。
三人が並んで立っている。
正面には。
何もいない。
「相手は?」
シルヴァが聞く。
「これから作る」
ミルスが片手を上げる。
地面が震えた。
岩。
土。
光。
それらが一つに集まっていく。
巨大な身体。
四本の腕。
人型。
背丈はシルヴァの三倍近い。
全身を厚い鎧で覆い、四本の腕にはそれぞれ別の武器。
剣。
槍。
斧。
鎖。
さらに。
その背後。
六体の小型兵が現れた。
弓。
短剣。
盾。
「多いね」
ティナが呟く。
「これだけ?」
シルヴァが聞く。
ミルスが眉を上げた。
「随分言うようになったわね」
「三か月やったし」
「じゃあ増やす?」
「今のでいいです」
「早い」
クジャが言う。
「強そうだし」
「だよね」
シルヴァは素直に認めた。
ミルスが三人を見る。
「条件は一つ」
「何?」
「私から指示は出さない」
三人の表情が引き締まる。
「自分たちだけで倒して」
シルヴァが剣を抜く。
ティナも。
クジャは五枚を引く。
♠。
♦。
♣。
♥。
そしてもう一枚。
「準備は?」
ミルスが聞く。
「いつでも」
シルヴァが答えた。
「始め」
◇
最初に動いたのは、小型兵だった。
弓兵。
三本の矢。
シルヴァへ。
だが。
シルヴァは矢を見てから避けなかった。
弦が放たれ。
空気が裂ける。
その変化を。
身体の周囲にある風が先に拾う。
半歩。
右へ。
一歩。
前へ。
矢が横を通過する。
「シルヴァ」
クジャの声。
「左は私」
「分かった」
説明はいらない。
シルヴァは真っ直ぐ中央の巨人へ向かう。
そこへ槍。
長い。
速い。
以前なら。
踏み込んでから風で加速していた。
今は。
最初の一歩から。
風が一緒にいる。
シルヴァの身体が低く沈み。
槍の下を抜ける。
巨人の懐。
剣。
振る。
鎧。
硬い。
火花だけ。
「やっぱ硬い!」
斧が頭上から落ちる。
シルヴァは剣を引かない。
身体を横へ。
風も同時。
ほんの僅かな軌道変更。
斧が地面を砕く。
その反動で。
巨人の右側が開く。
「ティナ!」
「見えてる!」
ティナが入る。
脚。
《構装》。
踏み込む瞬間だけ強化。
次には消える。
肩。
身体を回す。
剣。
斬撃が当たる瞬間。
全てを一点へ。
白い刃が鎧へ食い込む。
亀裂。
「浅い!」
「十分!」
シルヴァが答える。
ティナの一撃で生まれた亀裂へ。
剣を差し込む。
巨人が腕を振る。
シルヴァは離れる。
だが。
剣は抜かない。
身体ごと。
横へ。
風。
同時。
刃が亀裂を大きく裂いた。
「クジャ!」
「もうある」
地面。
いつ置いたのか。
巨人の足元には、複数の♣。
浮かぶ。
四方向から。
脚へ絡む。
巨人の動きが一瞬止まった。
だが。
力が強い。
拘束が切れ始める。
「長くは無理」
「一秒あればいい!」
ティナが踏み込む。
ところが。
背後。
短剣兵。
二体。
ティナは振り返らない。
クジャの♦が先に飛んだ。
刃を弾く。
さらに。
場に残っていた♠。
一枚。
二枚。
背後から軌道を変え。
短剣兵を斬る。
「前だけ見て」
「ありがとう!」
ティナは巨人へ集中する。
斬撃。
先ほどの亀裂。
さらに深く。
鎧が砕けた。
しかし。
四本目の腕。
鎖。
ティナの足へ飛ぶ。
「――っ!」
避けようとする。
間に合わない。
シルヴァが動こうとした時。
「動かないで」
クジャ。
眼帯に指。
右眼。
ほんの一瞬だけ開く。
巨人。
鎖。
そして。
身体内部を巡る《創造》の流れ。
一秒。
閉じる。
「鎖じゃない」
「何?」
「左肩」
シルヴァが即座に理解する。
鎖を止める必要はない。
ティナの脚へ絡む。
「ティナ!」
「大丈夫!」
引かれる。
身体が崩れる。
だが。
ティナは無理に耐えなかった。
《構装》。
脚ではなく。
腰と胴。
姿勢を守る。
そのまま引かれる力を利用して。
巨人へ飛び込む。
「えっ」
シルヴァが一瞬だけ驚く。
ティナが空中で身体を回した。
剣。
左肩。
「はあっ!」
直撃。
クジャが見抜いた場所。
鎧が割れる。
内部の光。
露出。
「シルヴァ!」
呼ばれる前から。
動いている。
剣を構える。
風を集めようとはしない。
だが。
踏み込み。
腰。
肩。
腕。
剣。
全ての動きに。
風が最初から沿っている。
一閃。
刃が。
光の中心へ入った。
巨人の身体が止まる。
「まだ」
クジャが言う。
残った小型兵。
四体。
だが。
三人は。
もう互いを見る必要すらなかった。
シルヴァが前。
ティナが右。
クジャが後方。
矢。
♦。
防ぐ。
槍。
シルヴァが流す。
そのまま。
ティナの間合いへ。
一閃。
盾兵。
クジャの♣。
止める。
シルヴァが投げる。
最後。
弓兵。
距離。
遠い。
クジャが♠を放つ。
避けられる。
だが。
外れたカード。
終わりではない。
地面近くを旋回し。
もう一度。
背後から。
命中。
最後の一体が消えた。
同時に。
中央の巨人も。
光となって崩れていく。
戦場が静かになった。
◇
「……終わった?」
ティナが息を吐く。
シルヴァは周囲を見る。
「多分」
「多分じゃない」
クジャが言う。
「全部消えた」
「じゃあ勝ち」
シルヴァが剣を収めた。
そこへ。
拍手。
一度。
二度。
ミルスだった。
「合格」
三人が見る。
「本当に?」
シルヴァが聞く。
「何、その疑い方」
「また何か言われると思って」
「言うことはあるわよ」
「やっぱり」
「でも、それはこれから直せばいい」
ミルスが三人の前まで来る。
まず。
シルヴァ。
「まだ完全じゃない」
「うん」
「戦闘が長引いたり、感情が大きく動いたりすると、風を強引に使う昔の癖が出る」
「分かってる」
「でも」
ミルスが。
シルヴァの髪を見る。
無風なのに。
僅かに揺れている。
「もう、風を出そうとして歩いてないでしょう?」
シルヴァは少し考える。
「……そう言われると」
「今も?」
「今?」
初めて。
自分の周囲の風へ意識を向ける。
ある。
ずっと。
最終試験が終わった今も。
消えていない。
「忘れてた」
「それでいい」
シルヴァが少し笑う。
「じゃあ成功?」
「第一段階は」
「第一段階かあ」
「当たり前でしょう」
次。
ティナ。
「《構装》はかなり変わった」
「うん」
「以前より消費は少なく、瞬間的な出力は高い」
「うん」
「ただし白金の光は」
ティナの表情が変わる。
「まだ追わない」
「……分かった」
「二度出た。でも、自分からは出せない」
ミルスは静かに続ける。
「それでいい」
「今は?」
「今は」
ティナは少し考えた後。
頷いた。
「うん」
そして。
クジャ。
「右眼」
「三秒くらいなら平気」
「調子に乗らない」
「分かってる」
「五秒見られる日が来ても、三秒で足りるなら三秒で閉じる」
「うん」
「カードは?」
クジャが周囲を見る。
戦いに使った大量のカード。
まだ。
半数以上が空中に浮いている。
「前より忙しい」
「強くなった?」
「多分」
「そこは自信持っていいわよ」
「じゃあ」
クジャは僅かに笑う。
「強くなった」
ミルスが三人を見る。
「でも」
シルヴァが先に言う。
「六魔王と互角じゃない」
「分かってるじゃない」
「三か月ずっと言われたから」
ミルスは頷く。
「この三か月で、六魔王へ追いついたわけじゃない」
「軍団長を簡単に倒せるようになったわけでもない」
「ただ」
一度。
三人を見る。
「三か月前より、ずっと戦える」
それで十分だった。
今は。
◇
九十日目。
最後の夜。
四人は食堂にいた。
「これ、最後か」
シルヴァが皿を見る。
「何が?」
ティナが聞く。
「ここのご飯」
「そこ?」
「三か月食べたんだよ?」
「外に戻ってもご飯あるよ」
「分かってるけど」
クジャが言う。
「シルヴァ、ここに未練ある?」
「ちょっと」
「住む?」
「それは嫌」
「さっき住めそうって言ってたじゃん」
「住めそうと住みたいは違う」
ティナが笑った。
「外に戻ったら何食べたい?」
「肉」
「三か月ずっと食べてたじゃん」
「外の肉」
「違いある?」
「気分」
「分からない」
そんな話をしていると。
部屋の壁。
術式が。
突然。
光った。
四人の表情が変わる。
通信。
予定の時間。
外界では。
三日目。
ミルスが立ち上がり。
壁へ手を置く。
「ギラルーン」
術式が繋がる。
光の向こうに。
ギラルーンが現れた。
いつもの穏やかな表情。
だが。
服には。
僅かに乱れがある。
『三か月ぶりでございます』
シルヴァが苦笑する。
「そっちは三日だろ」
『はい。こちらとしては、かなり短い再会でございます』
冗談。
いつものギラルーン。
だが。
すぐに。
ミルスが聞いた。
「黒牙山脈は?」
ギラルーンの表情が変わる。
答えは。
短かった。
『決着しました』
誰も話さない。
シルヴァが。
先に聞く。
「ネグロスは?」
『死亡』
ティナの手が。
僅かに握られる。
「第四軍団は?」
『甚大な損害を出しましたが、軍団長バルガンは生存』
「リエルは?」
ミルス。
『生存しております』
そして。
最も聞きたくないこと。
クジャが聞いた。
「核は?」
ギラルーンが。
一瞬だけ黙る。
『魔王軍が確保しました』
部屋の空気が。
重くなる。
シルヴァの顔から。
さっきまでの笑みが消えた。
「……取られたか」
『はい』
「今どこ?」
『リエルが保持した状態で、ゼノアのもとへ輸送中との情報です』
シルヴァが。
ゆっくり立ち上がる。
「まだゼノアには戻ってない?」
『少なくとも、私が確認した時点では』
ミルスがすぐに言う。
「追えない」
シルヴァを見る。
「分かってる」
「本当に?」
「うん」
三か月前なら。
今すぐ飛び出していたかもしれない。
だが。
今は。
位置も分からない。
輸送経路も不明。
相手はリエル。
その背後には魔王軍。
動けばいいわけではない。
「悔しいけど」
シルヴァが言う。
「今行っても間に合わない」
ミルスは何も言わなかった。
ただ。
僅かに。
表情を緩めた。
そこへ。
領域全体が。
低く震えた。
「何?」
ティナが立つ。
天井。
壁。
空間そのものが。
一瞬。
揺らぐ。
ミルスが上を見る。
「時間」
「終わり?」
「ええ」
三日。
外界。
三か月。
内部。
二年間貯め続けた《創造》の力が。
ほぼ尽きた。
「荷物まとめて」
ミルスが言う。
「あと少しで領域を閉じる」
「急だな」
シルヴァが立つ。
「忘れ物しないでよ」
ティナ。
「カード数える」
クジャ。
「俺、剣とマントしかない」
「楽でいいね」
「ティナ荷物多い?」
「普通」
「じゃあ持とうか?」
「……大丈夫」
ほんの少し。
返事が遅れた。
クジャがティナを見る。
ティナも気づく。
「何?」
「別に」
「その顔やめて」
「何も言ってない」
「それが一番嫌なの!」
シルヴァは首を傾げる。
「何の話?」
「シルヴァは知らなくていい!」
「何で!?」
三か月経っても。
そこだけは。
あまり変わっていなかった。
◇
やがて。
最初に通った扉が。
再び開く。
向こう側。
創都リメア。
中央塔地下。
三人にとっては。
三か月ぶりの景色。
シルヴァが最初に。
外へ出た。
一歩。
床へ足を置く。
風。
自然に。
ついてくる。
ティナ。
クジャ。
ミルス。
全員が外へ出たところで。
扉の向こうの世界が。
ゆっくり閉じていく。
三か月過ごした。
空。
森。
湖。
訓練場。
全部。
光へ変わる。
そして。
消えた。
巨大な蓄積炉を見る。
そこにあった膨大な光は。
ほとんど残っていない。
「本当に使い切ったんだ」
ティナが呟く。
「ほぼね」
ミルスが答える。
シルヴァは。
しばらくその場所を見ていた。
「ミルス」
「何?」
「ありがとう」
ミルスが少し驚く。
「急に素直ね」
「三か月も世話になったし」
「外だと三日だけど」
「俺たちには三か月だよ」
ティナも頷く。
クジャも。
「ありがとう」
「うん」
ミルスは。
三人を見たあと。
少しだけ笑った。
「どういたしまして」
その時。
地下への階段から。
足音が聞こえた。
「お戻りでございますか」
ギラルーン。
三人にとっては三か月ぶり。
本人にとっては三日ぶり。
シルヴァが手を上げる。
「久しぶり」
「私からすると、先日ぶりでございます」
「やっぱ変な感じだな」
ギラルーンは三人を順番に見る。
ティナ。
クジャ。
そして。
シルヴァ。
そこで。
目が止まった。
「……なるほど」
「何?」
「いえ」
ギラルーンが微笑む。
「三か月というのは」
一歩。
シルヴァの方へ近づく。
「思っていた以上に長いようでございますね」
シルヴァの髪が。
静かに。
揺れた。
風は。
もう。
呼ばれていなかった。
最初から。
そこにいた。




