第57話 三ヶ月目
修行領域での二か月目が終わった。
外では、まだ二日しか経っていない。
だがシルヴァたちにとっては、すでに六十日以上をこの場所で過ごしている。
最初は奇妙に感じていた人工の朝も、作られた星空も、今ではすっかり日常になっていた。
そして三か月目に入った朝。
ミルスは三人を《創成庭》の中央へ集めた。
「今日から、私が細かく指示するのを減らすわ」
シルヴァが首を傾げる。
「急に?」
「二か月も教えたんだから、そろそろ自分で考えて」
「見捨てられた?」
「成長したって言ってるの」
「最初からそう言ってよ」
ティナが隣で笑った。
「シルヴァ、褒められてるのに毎回気づくの遅いよね」
「ミルスの褒め方が分かりにくいんだよ」
「私は分かる」
クジャが淡々と口を挟む。
「だいたい褒めた後に何か追加されるから」
「それ褒め方の分析?」
「生存術」
ミルスは三人のやり取りを聞きながら、小さく息をついた。
「元気なのは結構だけど、今日は少しきついわよ」
その一言で。
三人の表情が変わる。
「何するの?」
ティナが聞いた。
ミルスは答える代わりに、片手を上げた。
地面が低く震える。
平原だった《創成庭》の一部が大きく隆起し、岩山へ変わっていく。左右には深い谷が生まれ、背後には森が広がった。
その中央。
岩山の陰から、巨大な影がゆっくり姿を現す。
「……でかいな」
シルヴァが剣へ手を置いた。
四本脚。
全身を覆う灰色の装甲。
人間の数倍はある巨体。
頭部には左右へ伸びる角があり、口元から鋭い牙が覗いている。
だが。
ただ大きいだけではない。
足運びが妙に静かだった。
「何これ?」
「今までの訓練データを使って作った戦闘用の人工獣」
ミルスが答える。
「シルヴァの速度、ティナの防御、クジャの遠距離対応。その三つを相手にできるよう調整してある」
「俺たち対策?」
「そう」
シルヴァが嫌そうな顔をする。
「性格悪くない?」
「効率がいいと言って」
「言い方の問題かな」
ミルスは笑わなかった。
「今日から三人でこれを倒してもらう」
「今日から?」
ティナが聞き返す。
「一回じゃないの?」
「倒せたら、次は強くする」
「倒すたび?」
「そう」
クジャが人工獣を見る。
「倒さない方が楽そう」
「三か月目ずっと同じ相手でいいなら」
「それも嫌」
「でしょう?」
シルヴァが剣を抜いた。
「じゃあ早く倒そう」
「そう言うと思った」
ティナも剣を抜き。
クジャは五枚のカードを手元へ展開する。
「始めるわよ」
ミルスの声と同時に。
人工獣が消えた。
「――速っ!」
シルヴァの周囲を流れる風が大きく乱れる。
右。
考えるより先に身体が動いた。
シルヴァが横へ飛んだ直後、巨大な前脚がさっきまで立っていた場所を叩き砕く。
地面が陥没した。
「見た目に騙されないで!」
ティナが叫ぶ。
「分かってる!」
シルヴァは着地と同時に走る。
もう風を呼ばない。
最初からある。
身体が前へ出れば、薄い風も自然に前へ流れる。
以前なら一度強く吹かせて加速していた場面でも、今は必要以上に力を使わない。
人工獣の側面へ回る。
剣。
硬い装甲へ叩き込む。
火花が散った。
「硬っ……!」
刃が浅い。
人工獣が振り返る。
尾。
シルヴァの風が、背後から迫る空気の塊を捉えた。
屈む。
頭上を巨大な尾が通過する。
「クジャ!」
「もう置いてる」
人工獣の足元。
いつの間にか複数の♣が散っていた。
クジャが指を動かす。
カードから伸びたオーラが、前脚へ一斉に絡みついた。
人工獣が踏み込もうとして。
止まる。
「ティナ」
「うん!」
ティナが真正面から入った。
全身の《構装》は薄い。
代わりに。
踏み込む瞬間だけ右脚。
地面を蹴った直後には消える。
次は腰。
身体を回転させる瞬間。
そして。
剣が人工獣の首へ届く直前。
全てが刃へ集中した。
「はあっ!」
白い一閃。
首の装甲へ亀裂が走る。
だが。
砕けない。
「まだ!」
ティナがもう一度踏み込もうとした。
その時。
人工獣が身体を大きく振った。
♣の拘束が数枚まとめて切れる。
「下がって!」
クジャの声。
ティナが後ろへ跳ぶ。
直後。
人工獣の口から衝撃波が放たれた。
♦のカードが飛ぶ。
一枚。
二枚。
五枚。
ティナの前で重なり、即席の壁を作った。
衝撃波がぶつかる。
カードが激しく震える。
「クジャ!」
「大丈夫」
だが。
額にはすでに汗が浮いていた。
「シルヴァ、右側空いてる」
「見えてる!」
「本当に?」
「今日は見えてる!」
シルヴァが人工獣の右側へ回り込む。
ティナが正面。
クジャが後方。
いつの間にか。
三人の位置が綺麗な三角形になっていた。
誰かが指示したわけではない。
二か月。
何百回も。
三人で戦った結果だった。
シルヴァが一歩前へ出る。
人工獣の顔がそちらへ向く。
その瞬間。
「今」
ティナ。
左側へ。
人工獣が反応する。
だが。
左前脚の下。
♣。
拘束。
ほんの一瞬。
止まる。
ティナは攻撃しない。
さらに横へ抜けた。
「……?」
人工獣が追う。
その動きで。
背中が。
シルヴァへ向いた。
クジャが言う。
「上から」
シルヴァは答えなかった。
すでに跳んでいる。
岩壁を蹴り。
もう一度。
風は最初から。
身体と一緒に上へ流れる。
人工獣の背中。
ティナが先ほど入れた首の亀裂。
見える。
だが。
そこへ。
人工獣の尾が迫った。
空中。
逃げ場はない。
以前なら。
ここで風を強く噴き出し、無理やり軌道を変えていた。
シルヴァの身体が。
僅かに捻れる。
それだけで。
周囲の風が自然に流れを変えた。
大きく飛ばすのではない。
身体一つ分。
軌道がずれる。
尾が横を通過した。
「――よし」
剣を両手で握る。
風を刃へ集めるのではない。
身体。
腕。
剣。
そして風。
全部が同じ動きの中にある。
振り下ろす。
刃が。
首の亀裂へ入った。
装甲が砕ける。
人工獣の身体が大きく揺れた。
「ティナ!」
「任せて!」
着地したシルヴァと入れ替わるように、ティナが踏み込んだ。
壊れた装甲。
そこへ。
《構装》を集中。
斬撃。
深く。
入る。
人工獣の動きが止まった。
数秒後。
巨体が光へ変わり。
消えた。
静かになる。
「……勝った」
ティナが息を吐く。
シルヴァも剣を下ろした。
「結構強かったな」
クジャは地面のカードを拾いながら言う。
「最初としては」
「クジャ一番疲れてない?」
「カード拾う方が疲れる」
「そこ?」
ミルスが三人のところへ歩いてきた。
「今のは悪くなかった」
シルヴァが警戒するように見る。
「その後は?」
「何?」
「いつもの“でも”」
「今日はないわよ」
「珍しい」
「じゃあ言おうか?」
「いいです」
ティナが笑う。
ミルスは三人の位置を見る。
「二か月前なら、今の相手に三人とも自分の攻撃を当てようとしてた」
シルヴァたちが聞く。
「でも今は違った」
「ティナが攻撃するふりをして向きを変えた。クジャが動きを止めた。シルヴァが壊す。最後はティナ」
ミルスが頷く。
「ちゃんと三人で一つの敵を倒した」
少しの沈黙。
シルヴァが笑った。
「じゃあ次だね」
「休まないの?」
「強くするんでしょ?」
「するけど」
「なら早く」
ティナが呆れる。
「さっきまで強すぎるって言ってなかった?」
「勝ったら楽しくなった」
「分かりやすいね」
クジャが言う。
「シルヴァだから」
「どういう意味?」
◇
七十日目。
ティナは一人、湖のほとりに座っていた。
修行を休んでいるわけではない。
むしろ。
今日は朝から何度も同じことを試していた。
手を開く。
集中する。
《構装》。
白いオーラ。
それだけ。
「……違う」
消す。
もう一度。
白。
やはり。
金はない。
「出ない?」
後ろから声がした。
ティナが振り返る。
ミルスだった。
「うん」
「何回目?」
「分からない」
「それなら今日はやめた方がいい」
「でも」
ティナは自分の手を見る。
「この前は出た」
「そうね」
「王都でも出た」
「ええ」
「なのに、出そうとすると出ない」
少しだけ。
苛立っている。
「使えるなら、使えるようになりたい」
「どうして?」
「強いから」
「それだけ?」
ティナが黙った。
ミルスは隣へ座る。
「シルヴァに追いつきたい?」
「……」
「図星?」
「少し」
ティナは膝を抱えた。
「シルヴァ、どんどん変わってるから」
毎日見ている。
風を使う時の余計な間が減っている。
背後からの攻撃にも、以前より早く反応する。
空中での動きも。
剣も。
体術も。
少しずつ。
確実に。
「別に、負けたくないだけじゃないんだけど」
ティナが続ける。
「隣にいるなら」
「ちゃんと一緒に戦えるくらいには、強くいたい」
ミルスは横目でティナを見る。
「それ、本人に言えば喜ぶんじゃない?」
「絶対言わない」
「なんで?」
「調子に乗るから」
「それはそうね」
二人とも少し笑った。
それからミルスは、ティナの手を見る。
「その光を追いかけるのは、今はやめなさい」
ティナが顔を上げる。
「でも」
「出た時の身体への負担を覚えてるでしょう?」
「……うん」
「オーラも残ってた。それなのに立てなくなるくらい消耗した」
ミルスの声が少し真剣になる。
「正体も分からない力を、無理に引きずり出すのは危険」
「ミルスは何か知ってる?」
真っ直ぐな問いだった。
ミルスは少しだけ黙る。
「似たものを」
「見たことはある」
「誰?」
ティナがすぐ聞く。
だが。
ミルスは答えなかった。
「まだ確信がない」
「……」
「だから今は言わない」
ティナは少し不満そうだった。
けれど。
「分かった」
それ以上は聞かなかった。
「じゃあ私は何を伸ばせばいい?」
「《構装》」
「やっぱり?」
「それは間違いなく、あなた自身が積み上げた力でしょう?」
ティナは手を握る。
白い構装が。
今度はほんの一瞬だけ。
拳の周囲へ形成された。
「……うん」
「それをもっと磨きなさい」
「白金の光がなくても戦えるように?」
「違う」
ミルスは笑う。
「白金の光がなくても、あなたは強いって忘れないために」
ティナはしばらく黙っていた。
そして。
小さく笑った。
「分かった」
◇
七十五日目。
クジャは眼帯を外していた。
正面。
ミルスが作った十数個の小さな光球が、空中を不規則に飛び回っている。
その中で。
一つだけ。
見た目は同じだが。
内部の構造が違う。
「どれ?」
ミルスが聞く。
クジャは右眼を開く。
長く見ない。
一秒。
二秒。
「左上」
閉じる。
ミルスが光球を止める。
「正解」
「次」
「休まなくていい?」
「まだ大丈夫」
再び。
光球。
今度は二十個。
クジャは右眼を開く。
一瞬。
「後ろから三つ目」
「正解」
閉じる。
頭痛。
ほとんどない。
以前より眼が強くなったわけではない。
必要な瞬間だけ開き。
必要なものだけを見る。
それが。
身体へ馴染み始めている。
「じゃあ実戦」
ミルスが言った。
「うん」
クジャは眼帯を戻す。
カード。
五枚。
そして。
すでに周囲の地面には。
二十枚以上が配置されている。
シルヴァが遠くからそれを見た。
「いつ置いたの?」
「さっき」
「全然気づかなかった」
「気づかれたら意味ないから」
「敵じゃないんだけど」
「練習」
クジャは以前より。
手札を戦力の全てとは考えなくなっていた。
五枚は。
今すぐ使える選択肢。
だが。
一度使ったカードも。
場に残れば終わりではない。
戦場そのものへ。
少しずつ。
自分の札を増やしていく。
「クジャ」
ティナが横へ来る。
「最近、戦うほど面倒になってるね」
「褒めてる?」
「すごく」
「なら嬉しい」
◇
八十日目。
三人は。
さらに強化された人工獣を相手にしていた。
今度は。
二体。
「一体ずつ倒す!」
ティナの声。
シルヴァが一体の進路へ入る。
攻撃を受けない。
避ける。
誘う。
風が。
周囲の動きを教える。
もう一体。
背後からティナへ向かう。
「ティナ、後ろ!」
「分かってる!」
ティナは振り返らない。
クジャの♦が。
先に間へ入った。
衝撃を防ぐ。
ティナはその一瞬で身体を回し。
脚へ《構装》。
踏み込む。
一体目の側面へ。
「クジャ!」
「三歩右」
ティナは理由を聞かない。
三歩。
右。
そこへ。
♣。
地面にあったカードが浮く。
人工獣の脚。
拘束。
「シルヴァ!」
風が。
上からの攻撃を知らせる。
シルヴァが低く潜り。
人工獣の腹の下へ。
剣。
斬る。
そのまま。
反対側へ抜けた。
一瞬後。
ティナが同じ場所へ。
《構装》。
集中。
二撃目。
装甲が砕ける。
一体目。
倒れる。
残り一体。
クジャが眼帯へ触れた。
「三秒だけ見る」
右眼。
開く。
人工獣の身体。
ミルスの《創造》で作られた力の流れ。
胸。
腹。
四肢。
そして。
「右肩」
閉じる。
「そこだけ流れが薄い」
「分かった!」
シルヴァが前へ。
人工獣が噛みつく。
避ける。
ティナが後ろから。
脚を斬る。
体勢が崩れる。
右肩。
下がる。
そこへ。
シルヴァの剣。
深く入った。
二体目も。
崩れた。
終わる。
シルヴァが息を吐く。
「クジャの眼」
「やっぱ便利だな」
「便利だけど」
クジャが眼帯を戻しながら言う。
「三秒だけ」
「十分」
ティナが答える。
「三秒で場所分かるなら」
「私たちがそこに合わせればいい」
クジャが二人を見る。
「なら」
「長く見る必要ないね」
ミルスは。
少し離れた場所から。
三人を見ていた。
シルヴァ。
以前より。
風を意識する時間が明らかに減っている。
ティナ。
《構装》の移動が速くなった。
クジャ。
右眼に頼らず。
必要な情報だけを取る。
そして何より。
三人が。
互いの能力を。
自分の能力の延長のように使い始めていた。
「……悪くない」
小さく。
呟いた。
◇
一方。
外界。
黒牙山脈。
三日目の夜明け。
山の一部は。
すでに原形を失っていた。
木々が倒れ。
岩壁が崩れ。
至るところに。
巨大な爪痕と。
魔王軍の兵士たちが残した武器が転がっている。
三日目。
ネグロスはまだ生きていた。
だが。
無傷ではない。
左の翼は。
すでに使えない。
身体を覆っていた黒い外殻も。
何か所も割れている。
それでも。
巨体から放たれる威圧感は。
ほとんど衰えていない。
対する第四軍団も。
大きく削られていた。
「報告!」
一人の兵士が。
バルガンのもとへ走る。
「北側の包囲部隊、三割以上が戦闘不能!」
「補充を回せ」
「しかし――」
「止めるな」
バルガン自身も。
左肩から血を流している。
大剣には。
ネグロスの黒い血。
三日。
互いに。
互いを削った。
兵士が去る。
副官がバルガンを見る。
「軍団長」
「何だ」
「このまま続ければ」
「こちらも持ちません」
バルガンは。
遠くの岩山を見る。
その上。
ネグロスが立っていた。
赤い瞳。
こちらを見ている。
「分かっている」
バルガンが大剣を肩へ乗せる。
「だから今日で終わらせる」
その時だった。
兵士たちの間に。
ざわめきが広がる。
空。
何かが。
近づいている。
鳥ではない。
魔獣でもない。
赤い。
光。
それは。
山脈の上空で。
ゆっくり速度を落とした。
炎。
だが。
燃え広がらない。
不思議なほど。
静かな炎だった。
その中心から。
一人の女性が降りてくる。
長い髪。
人とは違う気配。
背中に。
炎の翼。
兵士たちが。
道を開ける。
バルガンだけは。
驚かなかった。
「遅かったな」
女が地面へ降りる。
「あなたたちが予定より手間取ったのよ」
静かな声だった。
「三日で十分だ」
「三日も、でしょう?」
バルガンの眉が僅かに動く。
女は気にせず。
遠くのネグロスを見る。
赤い瞳。
巨大な黒い身体。
そして。
その奥にあるものを。
見ているようだった。
「間違いない」
女が呟く。
「核はまだ深く融合してる」
「剥がせるか?」
「そのために来たの」
炎の翼が。
ゆっくり広がる。
ただの熱ではない。
周囲に漂っていた瘴気が。
炎へ触れた瞬間。
音もなく。
消えていく。
バルガンが大剣を構えた。
「なら」
「俺が獣を止める」
女――リエルは。
黒牙の魔王を見据えたまま。
小さく答えた。
「止めて」
「核には私が触れる」
岩山の上。
ネグロスが。
炎を見た。
三日間。
何度攻撃されても。
何度罠に掛けられても。
決して退かなかった巨獣が。
初めて。
低く。
警戒するように。
唸った。




