第55話 一ヶ月目
修行領域に入ってから、七日が経った。
外では。
まだ半日も経っていない。
◇
「もう一回」
「……これで何回目?」
「数えてない」
「俺は数えてる。四十三回目」
「なら四十四回目ね」
「そういうことじゃないんだけど」
《創成庭》の一角。
シルヴァは剣を片手に、息を整えていた。
正面にはミルスが作った五体の訓練兵。
最初の数日間。
シルヴァがやらされたことは、驚くほど地味だった。
走る。
止まる。
跳ぶ。
着地する。
剣を振る。
拳を打つ。
蹴る。
受け流す。
投げる。
ただし。
風に頼らない。
今まで無意識に風で補っていた身体の癖を、一つずつ修正していく。
「始め」
ミルスの合図。
五体が一斉に動いた。
シルヴァは正面から来た剣を半歩ずれてかわす。
懐へ入り、肘。
一体目の姿勢が崩れたところへ足を掛け、そのまま横へ投げる。
すぐに二体目。
斬撃を剣で受けるのではなく、刃の側面を滑らせるように流した。
三体目が背後から迫る。
振り向く。
足元で。
風が起きかけた。
「……っ」
シルヴァは止める。
自分の脚だけで踏み込んだ。
ぎりぎり。
剣をかわす。
切り返し。
三体目を斬る。
だが。
その一瞬の遅れを、四体目は見逃さなかった。
肩へ木剣が直撃する。
「痛っ!」
シルヴァが距離を取る。
「今の」
ミルスが言った。
「風を使おうとしたでしょう?」
「……使ってない」
「使おうとはした」
「それも駄目?」
「今はね」
シルヴァは肩を回した。
「一週間ずっとこれなんだけど」
「たった一週間でしょう」
「中ではちゃんと一週間だよ」
「三か月あるもの」
「長いなあ……」
「嫌?」
シルヴァは五体の訓練兵を見る。
少しだけ。
笑った。
「いや」
剣を構え直す。
「もう一回」
ミルスも小さく笑った。
◇
同じ頃。
別の訓練区画。
ティナの前には、一体の大型訓練兵が立っていた。
両手には巨大な剣。
体格はティナの二倍近い。
「来るよ」
ミルスが遠隔で作った声が、訓練場に響く。
大型兵が踏み込む。
ティナは《構装》を展開した。
白いオーラが腕、脚、胴、剣へ薄く形成される。
巨大な剣が振り下ろされた。
以前なら。
腕と剣へ多めにオーラを回し、そのまま受けていた。
今日は違う。
攻撃が当たる。
その瞬間だけ。
右腕と剣へ《構装》を集中。
衝撃を受ける。
すぐに解除。
次の瞬間。
脚へ。
オーラが移る。
「っ!」
一歩。
一気に懐へ入る。
大型兵が反応する。
横薙ぎ。
今度は胴。
一瞬だけ。
構装を厚くする。
刃を受け流した瞬間、胴の構装を落とす。
剣へ。
集中。
「はあっ!」
斬撃。
大型兵の胸へ深く入った。
巨体が崩れる。
ティナは息を吐いた。
「……できた」
少し離れた場所から見ていたクジャが言う。
「前より忙しそう」
「すごく忙しい」
ティナは苦笑した。
「戦いながらずっと考えるから」
「疲れる?」
「頭が」
そこへ。
ミルスが歩いてくる。
「でもオーラ消費は減ったでしょう?」
ティナが確認する。
「……本当だ」
いつもなら同じ時間戦えば、もっと消耗している。
「全身をずっと強くする必要はない」
ミルスが言った。
「必要な場所に、必要な瞬間だけ」
「分かってはきたけど」
ティナは自分の右腕を見る。
「まだ遅い」
「最初はそういうものよ」
「シルヴァは?」
「まだ風を使おうとして怒られてる」
クジャが答えた。
「聞こえてたの?」
「遠くから声が」
ティナが少し笑う。
「シルヴァらしい」
◇
さらに数日後。
修行開始から十二日目。
クジャは草原の中央に立っていた。
周囲には。
大量のカード。
十枚。
二十枚。
三十枚。
地面。
木。
岩。
様々な場所へ刺さり、あるいは落ちている。
「多い……」
クジャがぼそりと呟いた。
手元には五枚。
いつもの手札。
だが。
今の訓練は手札だけで戦うものではない。
「右から三体」
ミルスの声。
人工兵が走ってくる。
クジャは手札から♣を一枚放つ。
先頭の脚を拘束。
二体目。
♠。
斬る。
三体目が回避する。
その先。
地面に落ちていた別の♠が浮き上がった。
背後から。
斬撃。
三体目が消える。
「次」
「休ませて」
「まだ十二分」
「私には長い」
左側から四体。
クジャは♦を展開。
防ぐ。
その裏で、先ほど使用した♣を再び操作する。
別の一体へ絡ませる。
だが。
一瞬。
十枚以上を同時に維持していたカードのうち、三枚が地面へ落ちた。
「……切れた」
「今、何枚?」
「十七」
「昨日より二枚多い」
「嬉しくない」
「成長してるじゃない」
「疲労も成長してる」
ミルスが笑う。
クジャは一度、全てのカードを落とした。
額に汗が浮いている。
「カードはここまで」
「終わり?」
「今日は右眼も」
「……」
クジャの表情が少しだけ変わる。
ミルスはそれを見て、すぐに続けた。
「嫌なら明日でもいい」
「やる」
クジャは眼帯へ手を掛けた。
「でも短く」
「もちろん」
眼帯を外す。
右眼が開く。
世界の見え方が変わる。
ミルスの作った草原。
人工兵。
地面の奥を走る《創造》の力。
そして。
少し離れた場所に設置された、見えない障壁。
「どこ?」
ミルスが聞く。
クジャはゆっくり視線を動かした。
「左奥」
「理由は?」
「そこだけ」
少し目を細める。
「流れが曲がってる」
ミルスが指を鳴らした。
何もなかった場所に、透明な壁が一瞬だけ姿を見せる。
「正解」
「……もう閉じる」
「いいわ」
クジャはすぐに眼帯を戻した。
頭痛。
少し。
でも以前より軽い。
「どう?」
「痛い」
「前より?」
「まし」
「それで十分」
クジャは座り込みながら、落ちたカードを拾い始める。
「三か月で痛くなくなる?」
「ならないと思う」
「ならないんだ」
「身体に負担がある力を、負担がないものに変える修行じゃないから」
ミルスも一枚カードを拾う。
「無理する前に閉じられるようになる。それだけでも大きい」
クジャは少しだけ考えて。
「それならできそう」
と答えた。
◇
二十日目。
三人の生活にも、すっかりこの場所の時間が馴染んでいた。
朝。
食事。
修行。
昼。
修行。
夕方。
治療。
夜。
食事。
眠る。
最初の数日は妙に感じていた人工の太陽も。
今では誰も気にしない。
「今日何?」
朝食中。
シルヴァがミルスへ聞く。
「走る」
「また?」
「今日は風あり」
シルヴァの手が止まる。
「……本当?」
「二十日よく我慢したから」
「やった」
クジャ。
「子供みたい」
「二十日風封じられてみてよ」
「嫌」
「でしょ?」
ティナが笑う。
「でも普通に使うわけじゃないんでしょ?」
「もちろん」
シルヴァの笑顔が止まる。
「やっぱり」
ミルスはパンを食べながら言った。
「今日から、薄い風を身体の周囲へ維持してもらう」
「昨日までと逆?」
「そう」
「どれくらい?」
「消える寸前」
「それを?」
「一日中」
「一日中?」
「食事も」
「移動も」
「戦闘も」
「寝るまで」
シルヴァは少し黙った。
「……やっと次?」
「やっと」
その言葉に。
シルヴァは嬉しそうに笑った。
◇
二十五日目。
シルヴァの白銀の髪が。
常に。
僅かに揺れるようになっていた。
黒いマントも。
無風の場所で。
ほんの少し。
動いている。
ただし。
まだ意識している。
食事中に気を抜けば消える。
誰かに急に呼ばれれば強くなる。
戦闘になれば、以前の癖で一気に風を出してしまう。
そのたび。
「強くしない」
「分かってる!」
「今強くした」
「反射!」
「だから直すの」
何度も繰り返す。
それでも。
少しずつ。
変わる。
歩く。
風。
一緒。
止まる。
風。
一緒。
剣を抜く。
風。
一緒。
身体の後ろから。
風を呼ぶ回数が。
減っていく。
◇
二十八日目。
ティナは十体の訓練兵に囲まれていた。
《構装》。
以前とは見た目が違う。
全身に同じ厚さで纏っていない。
薄い。
必要な時だけ。
その部分が強くなる。
剣が来る。
左腕。
一瞬だけ白く輝く。
受ける。
消える。
踏み込む。
右脚。
輝く。
消える。
斬る。
剣。
白くなる。
消える。
流れるように。
配分が変わる。
以前より。
明らかに速い。
「いい」
ミルスが言った。
ティナは最後の一体を斬り伏せる。
息。
多少。
上がっている。
でも。
オーラにはかなり余裕があった。
「前なら」
ティナが言う。
「もう半分以上使ってた」
「今は?」
「三割くらい」
「上出来」
ティナが少し笑う。
「珍しくちゃんと褒めた」
「私、そんな褒めない?」
遠くからシルヴァ。
「褒めない!」
「シルヴァは怒られすぎ」
「俺だけ厳しくない?」
「直すところ多いから」
「やっぱり?」
その時。
ティナの剣。
ほんの一瞬。
白い《構装》の表面を。
淡い金色が走った。
「……」
ミルスの目が止まる。
「ティナ」
「何?」
「今」
「?」
ティナ自身は。
気づいていない。
すでに。
光は消えていた。
「……何でもない」
ミルスはまだ言わなかった。
確信には。
早い。
◇
三十日目。
一か月。
修行領域での最初の一か月が終わった。
外界では。
ようやく一日。
その夜。
生活拠点の一室に。
四人が集まっていた。
「来る?」
シルヴァが聞く。
「そろそろ」
ミルスが壁へ手を置く。
術式。
浮かぶ。
外界との連絡。
一日一度。
つまり。
内部では一か月ぶり。
光が繋がる。
その向こう。
ギラルーンの姿が映った。
『ご無沙汰しております』
シルヴァが思わず言う。
「こっちは一か月ぶりだけど」
『こちらでは昨日お別れしたばかりでございます』
「変な感じ」
『同感でございます』
ミルスがすぐに本題へ入る。
「黒牙山脈は?」
ギラルーンの表情が少し変わった。
『交戦中です』
ティナが身を乗り出す。
「まだ?」
『はい』
「状況は?」
『第四軍団は山脈内部へ侵攻。先遣隊を含め、すでにかなりの損害を出しております』
シルヴァ。
「ネグロスは?」
『健在です』
少し。
安堵。
だが。
ギラルーンは続けた。
『ただし、戦況が変わり始めています』
「何が?」
『ネグロスが』
一瞬。
通信の向こうで。
轟音。
遠く。
何かが。
響いた。
ギラルーンではない。
黒牙山脈から入った情報を。
そのまま転送している。
映像。
乱れる。
そして。
映った。
黒い空。
巨大な影。
「……え」
ティナが声を漏らした。
黒牙山脈。
夜。
ネグロス。
その背中から。
巨大な翼が伸びている。
黒い狼の巨体が。
空を飛んでいた。
「翼……?」
シルヴァが呟く。
ミルスの表情が険しくなる。
「《喰装》」
ギラルーンが答えた。
『本日、飛行型魔獣を捕食したようです』
ネグロスが空から急降下する。
魔王軍の陣地へ。
轟音。
映像が大きく揺れた。
『第四軍団は現在、夜間戦へ移行しております』
「一日目からこれ……」
ティナが呟く。
『軍団長バルガンも健在です』
ミルスは静かに頷いた。
「分かった」
通信が切れる前。
シルヴァが聞いた。
「ギラルーン」
『はい』
「あと二日」
『はい』
「持ちそう?」
ギラルーンは少しだけ間を置いた。
『それは』
いつもの穏やかな声。
『ネグロスと第四軍団次第かと』
通信が途切れる。
部屋に静寂が戻った。
一か月。
自分たちは。
ここで過ごした。
外では。
たった一日。
それでも。
すでに。
多くの命が失われている。
シルヴァは自分の手を見る。
その周囲。
薄い風が。
まだ。
流れている。
「あと二か月」
シルヴァが言った。
ミルスを見る。
「もっとやれる?」
ミルスの口元が。
僅かに上がる。
「そのために作った場所よ」
ティナも立ち上がる。
クジャは机の上に置いていたカードを集めた。
二か月目。
ここからは。
基礎だけではない。
実戦へ。
三人の修行は。
次の段階へ進む。




