第54話 一日で一ヶ月
創都リメア。
中央塔地下。
二年間蓄えられた《創造》の力を前に、シルヴァたちはしばらく言葉を失っていた。
巨大な地下空間の中央で、光の塊がゆっくりと脈打っている。
あれだけの力を使って。
外界の一日を、内部の一か月に引き延ばす。
三日なら。
三か月。
「一つ聞いていい?」
シルヴァが光を見上げたまま言った。
「何?」
「中で三か月過ごしたら、俺たちも本当に三か月分過ごすんだよね?」
「もちろん」
ミルスは簡単に答えた。
「食事もする。眠る。疲れる。怪我をすれば治るまで時間もかかる。三か月間、ちゃんと生活してもらうわ」
「じゃあ、三日後に出てきたら髪も伸びてる?」
「多少はね」
クジャが自分の紫髪に触れた。
「切ってくれる?」
「そこ気にする?」
ティナが苦笑する。
「大事」
「必要なら私が作った鋏くらい貸すわよ」
「ミルスが切って」
「嫌よ」
「即答」
シルヴァが少し笑った。
こんな状況でも。
三人とも、完全に緊張しきってはいない。
ミルスはそれを確認してから、表情を戻した。
「ただし、勘違いしないで」
三人が見る。
「三か月あるからって、三か月後に六魔王と互角になれるわけじゃない」
シルヴァの顔から笑みが消えた。
「分かってる」
「本当に?」
「そこまで簡単じゃないのは」
アルセリアで戦ったヴァイラ。
その一人を倒すために、どれだけの力が必要だったか。
忘れてはいない。
「この三か月でやるのは、今持ってるものを一段上まで引き上げること」
ミルスはシルヴァを見る。
「シルヴァは風」
次にティナ。
「ティナは《構装》」
そしてクジャ。
「クジャはカードと、その右眼」
クジャの指が眼帯に触れた。
「眼も?」
「調べる。ただし無理に開かせるつもりはない」
「分かった」
「三人とも、新しい派手な技を覚えることを目的にはしない」
シルヴァが少し残念そうな顔をした。
「今、ちょっと残念そうだった」
ティナが言う。
「いや」
「顔に出てた」
「出てない」
「出てた」
クジャまで加わる。
ミルスは呆れたように笑った。
「派手な技が必要なら、そのうち勝手に必要になるわよ。今は土台」
「はい」
「返事だけはいいわね」
◇
ミルスは巨大な蓄積炉の前へ進み、両手を広げた。
空間に無数の術式が浮かび上がる。
円。
線。
幾重にも重なる複雑な構造。
それらが地下室全体を包み始めた。
「少し離れて」
三人が後ろへ下がる。
ミルスの桃色の髪が、風もないのに持ち上がった。
「《創造》」
光が溢れる。
床へ巨大な円環が形成され、その中央から一つの扉がゆっくりと立ち上がった。
ただの扉ではない。
周囲には壁もない。
何もない空間に。
扉だけが存在している。
「……こういうの作れるんだ」
シルヴァが呟く。
「今作ったわけじゃない」
ミルスは額に浮いた汗を拭った。
「構造自体は二年前から少しずつ準備してた」
「何のために?」
「自分の《創造》を制御するため」
シルヴァたちが少し驚く。
「最初の頃の私は、考えたことが勝手に形になってたでしょう?」
「うん」
「だから外で練習するのが危険だったの。誰もいない閉鎖空間なら、失敗しても被害を減らせる」
「じゃあ元々訓練用だった?」
「原型はね」
ミルスは扉を見る。
「ただ、時間差をここまで大きくするのは初めて」
ティナの表情が僅かに強張った。
「……大丈夫なの?」
「多分」
「多分?」
シルヴァが即座に反応した。
「今、多分って言った?」
「理論上は大丈夫」
「もっと怖い」
「嫌なら入らなくてもいいわよ」
「入るけど」
「なら問題ない」
「問題ある気がするなあ……」
ミルスは扉へ手をかける。
「もう一つ」
三人が黙る。
「中から勝手には出られない」
「え?」
「領域を維持してる間、外との時間差を安定させるために出入口を固定する」
ティナが聞いた。
「三か月終わるまで?」
「正確には外で三日経つまで」
「じゃあ、途中で嫌になっても」
「基本的には出られない」
クジャがシルヴァを見る。
「逃げられないね」
「何で俺見るの?」
「一番逃げそう」
「逃げないよ」
「地味な修行だと?」
「……逃げない」
一瞬の間に。
ティナが笑った。
「今迷った」
「迷ってない」
ミルスが扉を開く。
向こう側から。
白い光が差し込んだ。
「行くわよ」
◇
扉を抜けた先には。
別の世界があった。
「……広っ」
シルヴァの第一声だった。
空。
地面。
遠くには森。
岩山。
川。
建物まである。
とても一つの部屋には見えない。
青空には太陽らしき光まで浮かんでいた。
ティナが空を見上げる。
「これも全部《創造》?」
「そう」
「太陽も?」
「照明」
「夢がない」
クジャが言った。
「暖かければいいでしょう」
ミルスは歩きながら説明を続ける。
「昼夜も作ってある。内部時間に合わせて朝と夜が来る」
「食べ物は?」
シルヴァ。
「そこ?」
ティナ。
「重要だよ」
「あるわよ。食料庫も厨房も」
「よかった」
「修行より安心した顔してる」
「だって三か月だよ?」
ミルスは呆れながらも、少し笑っていた。
正面には一軒の大きな建物。
生活用の拠点。
寝室。
食堂。
浴室。
治療室。
必要なものは一通り揃っている。
その周囲に。
複数の訓練区域が広がっていた。
「三か月ここで暮らす」
シルヴァが改めて周囲を見る。
「外では三日」
「そう」
「変な感じ」
「一週間もすれば慣れるわ」
「中では一週間ね」
「そういうこと」
ティナがふと立ち止まった。
「外の様子は分かるの?」
「ある程度は」
ミルスが答える。
「ギラルーンが外に残る」
「ギラルーン入らないの?」
「リメアを空にするわけにはいかないでしょう。それに黒牙山脈の情報も受け取ってもらう」
「連絡できる?」
「毎日一度だけ」
「外の一日?」
「そう」
クジャが少し考える。
「中では一か月に一回」
「そうなる」
つまり。
次に外から情報が入る頃には。
自分たちは一か月を過ごしている。
シルヴァは遠くの空を見た。
「……ネグロスたちは、その間ずっと戦ってるかもしれないんだよな」
「ええ」
ミルスが答える。
「だから無駄にしない」
「うん」
◇
「まず全員、実力を見る」
訓練初日。
三人は広い平原へ集められた。
「もう知ってるんじゃないの?」
シルヴァが剣を腰に差しながら聞く。
「知ってるのと、教えるために見るのは別」
「なるほど」
「最初はシルヴァ」
「やっぱ俺から?」
「一番直すところ多そうだから」
「ひどくない?」
ティナが笑う。
「頑張って」
「最近それ言われると怖い」
ミルスが指を鳴らす。
地面から三体の人型が現れた。
「普通に戦って」
「風も使って?」
「全部使っていい」
シルヴァの目が少し変わる。
「じゃあ」
剣を抜いた。
「遠慮しないよ」
三体が同時に動く。
一体目の剣を受け流し、シルヴァは身体を低くする。
横から迫る二体目へ足を払う。
崩れたところへ剣の柄を打ち込み、その反動で身体を回転させる。
三体目。
背後。
シルヴァの足元で風が弾けた。
一瞬で位置をずらし。
斬撃。
三体目の胴を切り裂く。
そこから流れるように一体目へ踏み込み。
風を剣へ纏わせた。
一閃。
三体全てが消える。
「……どう?」
シルヴァが振り返る。
「強い」
ミルス。
「お」
「でも、やっぱり風が遅い」
「またそれ」
「今ので何回、身体を動かした後に風を足したと思う?」
「……分かんない」
「私は数えてた」
「何回?」
「十一回」
「そんなに?」
ティナも少し驚いている。
ミルスはシルヴァの足元を指す。
「踏み込み」
「回避」
「剣」
「着地」
「全部、自分が先」
「風が後」
シルヴァは剣を見た。
「三か月で直る?」
「直す」
「言い切るんだ」
「そのために三か月使うんだから」
◇
「次、ティナ」
「はい」
ティナが前へ出る。
剣を抜き。
オーラを展開。
白い《構装》が腕と脚、剣へ形を作る。
ミルスがその様子をじっと見る。
「そのまま戦って」
今度は四体。
ティナは正面から受ける。
一撃。
二撃。
防ぎながら。
《構装》の出力を脚へ寄せる。
一気に踏み込む。
一体目。
斬る。
右から来た攻撃を腕の構装で受け。
回転。
二体目。
剣。
三体目を避けるため。
今度は腰と脚へ強化を移す。
動きは綺麗だった。
大きく崩れない。
確実。
最後の一体を倒し。
ティナが剣を下ろす。
「どう?」
「完成度高いわね」
ティナの表情が少し明るくなる。
「ただ」
「来た」
シルヴァが言う。
「絶対ただの後に何かある」
「シルヴァ、静かに」
「はい」
ミルスはティナの《構装》を見ながら言った。
「配分が少し固い」
「配分?」
「戦う前に決めすぎてる」
「脚にこれくらい、腕にこれくらい、剣にこれくらい」
「……うん」
「もっと細かく動かせる」
ティナが自分の腕を見る。
「戦いながら?」
「瞬間ごとに」
「攻撃を受ける時だけ防御」
「踏み込む瞬間だけ脚」
「剣が当たる瞬間だけ刃」
「ずっと強くしておく必要はない」
「オーラを節約できる」
「それだけじゃない」
ミルスの目が少し鋭くなる。
「浮いた分を、必要な一瞬へ全部回せる」
ティナはすぐに意味を理解した。
「……出力も上がる」
「そう」
そして。
ミルスの視線がティナの胸元へ移る。
「あと」
「?」
「あの白金の光」
ティナの表情が僅かに変わった。
シルヴァも反応する。
「王都とかで出たやつ?」
「ええ」
ミルスが頷く。
「三か月ある」
「その間に、少し調べたい」
ティナは自分の手を見る。
「出せるか分からないよ」
「無理に出す必要はない」
「でも、もし出たら」
ミルスは静かに言った。
「見逃したくない」
◇
「最後、クジャ」
「うん」
クジャが前へ出る。
カードケースから五枚を引いた。
♠。
♣。
♦。
♥。
ランクもバラバラ。
「いつも通りでいい?」
「いいわ」
三体。
訓練兵。
現れる。
クジャは動かない。
一枚。
♠。
飛ばす。
正面の一体が避ける。
だが。
避けた先。
先ほど外れたはずのカードが。
空中で向きを変える。
背後から斬る。
同時。
♣。
二体目の脚へ。
オーラ。
絡む。
止まる。
そこへ次の♠。
三体目。
攻撃。
♦。
複数枚のカードが重なり。
盾。
受ける。
そのまま。
クジャは新しい一枚を引いた。
「なるほど」
ミルスが言う。
「何?」
「カードだけなら、かなり完成してる」
「だけなら?」
「右眼を使ってないでしょう?」
クジャの手が止まる。
「使わなくていいなら」
「使いたくない」
「それでいい」
ミルスは即答した。
クジャが少し意外そうに見る。
「使わせると思った」
「右眼がなくても戦えるのが、あなたの強みでしょう?」
「……うん」
「だからカードはカードで伸ばす」
ミルスはクジャの五枚の手札を見る。
「特に、場に残ったカード」
「再利用?」
「そう」
「今でもやってる」
「もっと増やす」
「何枚?」
「できるだけ」
クジャが少しだけ嫌そうな顔をする。
「オーラきつい」
「だから修行」
「みんな同じこと言われるね」
シルヴァ。
「仲間だな」
「嬉しくない」
「ひどい」
ミルスは続けた。
「右眼は別メニュー」
「短時間だけ開いて、何が見えるか確認する」
「使えるものなら戦術に組み込む」
「でも」
クジャを見る。
「眼に頼らない」
クジャが頷いた。
「分かった」
◇
その日の夜。
四人は拠点の食堂に集まっていた。
初日だけで。
シルヴァは疲れている。
ティナも腕を軽く回している。
クジャはカードを机へ並べていた。
「三か月……」
シルヴァが食事を口へ運びながら呟く。
「長いな」
「始まったばっかりだよ」
ティナ。
「分かってるけど」
「外だとまだ数時間しか経ってない」
クジャが言う。
「それ言われるともっと変な感じ」
シルヴァは窓の外を見る。
人工の夜。
星まで作られている。
「向こう」
「もう戦ってるかな」
誰もすぐには答えなかった。
ミルスがスープを飲む。
「多分ね」
◇
黒牙山脈。
外界では。
同じ日の夕刻。
第四軍団の本隊が。
山へ入っていた。
先遣隊。
すでに。
半数近くが倒れている。
「……何があった」
第四軍団長バルガンが。
地面に残された巨大な爪痕を見る。
生き残った兵士が。
血に濡れながら答える。
「上から……来ました」
「姿は?」
「黒い狼……」
「大きさは?」
「分かりません」
「分からない?」
兵士が震える。
「近すぎて……」
その時。
遠く。
山の奥。
低い咆哮が響いた。
森の鳥たちが一斉に飛び立つ。
兵士たちの顔が強張った。
バルガンだけが。
ゆっくり立ち上がる。
「全軍」
周囲へ声を飛ばす。
「夜営はしない」
副官が驚く。
「夜も進むのですか?」
「向こうは休ませる気がない」
黒い山を見上げる。
「なら、こちらも休まない」
腰の大剣へ手を置く。
「三日で終わらせる」
その声に呼応するように。
霧の奥。
二つの赤い瞳が。
再び。
開いた。




