第46話 帰ってきた場所
黒い大地が。
少しずつ。
近づいてくる。
飛行艇の窓の向こう。
雲の切れ間から見えるのは。
森でも。
街でもない。
灰色の岩山。
黒くひび割れた大地。
赤茶けた荒野。
遠くには。
鋭く尖った山脈が。
地面から突き出すように並んでいる。
魔大陸ノクティス。
「……」
シルヴァは。
窓の前から動かなかった。
二年ぶり。
たった二年。
なのに。
ずっと昔のようにも感じる。
昨日のことのようにも感じる。
「シルヴァ」
ティナの声。
「うん」
「さっきから、それしか言ってない」
「何が?」
「うん、って」
「そう?」
「そう」
シルヴァは。
もう一度。
窓の外へ視線を戻した。
「……変わってない」
「分かるの?」
「少し」
眼下。
黒い岩。
枯れた谷。
そこを。
細い川が蛇のように流れている。
「もっと南だったけど」
「こんな感じだった」
ティナは。
シルヴァの横顔を見る。
いつもの。
ぼんやりした顔ではない。
何かを。
一つ一つ確かめるように。
大地を見ている。
反対側。
クジャも。
窓へ近づいていた。
「暗い」
「曇ってるから?」
シルヴァ。
「違う」
クジャが答える。
「大陸が」
「……分かる」
ティナも。
少しだけ眉を寄せた。
アステラと比べると。
空気そのものが。
重い。
雲は低く。
陽の光も弱い。
植物はある。
だが。
色が薄い。
緑というより。
黒に近い深い色。
山の斜面に生えている木々も。
捻じれ。
歪んでいる。
「全部こんななの?」
ティナが聞く。
「いいえ」
少し後ろ。
ギラルーンが答えた。
「ノクティスにも」
「森もございますし」
「湖も」
「比較的穏やかな土地もございます」
シルヴァが振り返る。
「比較的?」
「アステラ基準で期待されますと」
「少々困りますので」
「先に申し上げておこうかと」
「怖い言い方するね」
「事実です」
クジャ。
「魔物多い?」
「多いですね」
「強い?」
「場所によります」
「食べられる?」
ギラルーンが。
一瞬。
止まった。
「……魔物をですか?」
「うん」
シルヴァ。
「そこ気になるんだ」
「旅では大事」
ティナ。
「そこまで現地調達しようとしないで」
クジャ。
「おいしいなら」
「ダメ」
「まだ食べるって言ってない」
「言う顔してる」
「そんな顔ある?」
シルヴァが。
「最近みんな顔で判断するよね」
ティナ。
「あなたが分かりやすすぎるのよ」
「クジャも?」
「分かりやすい」
「俺だけ?」
「うん」
「なんか損してる」
少しだけ。
いつもの空気。
それが。
シルヴァにはありがたかった。
視線を外へ戻す。
また。
大地。
黒い山。
雲。
でも。
今度は。
胸の奥が。
さっきより少しだけ軽い。
◇
飛行艇は。
高度を下げながら。
ノクティスの内陸へ進んでいた。
時折。
眼下に。
何かの跡が見える。
崩れた集落。
焼けた森。
巨大な爪痕のように削れた大地。
シルヴァが。
窓へ顔を近づける。
「あれ」
「街?」
遠く。
黒い城壁。
だが。
半分以上。
崩れている。
「かつては」
ギラルーンが答える。
「城塞都市でした」
「かつて?」
「現在は無人です」
ティナ。
「魔王軍に?」
「一部は」
ギラルーン。
「ですが」
「現在のノクティスで」
「何かが滅びた理由をすべて魔王軍へ結びつけるのは」
「少々単純すぎます」
シルヴァが。
振り返った。
「どういうこと?」
ギラルーンは。
少し考えるように。
窓の外を見る。
「二年前から」
「この大陸は」
「一つの意思で動いておりません」
ティナ。
「ゼノアが支配してるんじゃないの?」
「支配している地域は広い」
「それは間違いございません」
「しかし」
一拍。
「すべてではない」
クジャの視線が。
ギラルーンへ向く。
「他にもいる?」
「ええ」
「魔王軍に従わない者」
「独自の領域を持つ者」
「人間を嫌う者」
「魔族すら寄せつけない者」
「何にも属さない者」
「様々でございます」
シルヴァ。
「ミルスも?」
「はい」
即答。
「ミルス様も」
「ゼノア陣営ではございません」
シルヴァの目が。
僅かに細くなる。
「……そっか」
今まで。
分かっていたようで。
確信はなかった。
王都で。
自分と同じ顔をした存在を送り込んできた。
ギラルーンも。
命令されたと言った。
それでも。
ミルスが。
ゼノア側ではない。
その言葉だけは。
少し。
安心した。
「じゃあ」
ティナが聞く。
「ノクティスの中で」
「ずっと争ってるの?」
「小競り合い程度から」
「軍団同士の衝突まで」
「様々ですね」
「二年前から?」
「特に激しくなったのは」
「二年前以降です」
シルヴァの表情が。
再び変わる。
二年前。
あの日。
何が。
この大陸で起きたのか。
まだ。
知らないことが。
多すぎる。
「ミルスに聞けば」
「分かる?」
「私よりは」
ギラルーン。
「詳しくご説明できるかと」
シルヴァ。
「またそれ」
「専門家へ任せるのが一番ですので」
「便利な逃げ方」
「ありがとうございます」
「褒めてないって」
◇
しばらくして。
飛行艇が。
雲の中へ入った。
窓の外。
何も見えない。
白。
灰色。
風の音も。
ほとんど聞こえない。
艇内だけが。
静か。
その時。
シルヴァの視界に。
一瞬。
赤が走った。
炎。
黒煙。
砕けた大地。
「……っ」
呼吸が止まる。
――シルヴァ!
誰かの声。
――下がれ!
雷。
光。
剣。
そして。
黒い影。
巨大な力。
身体が。
動かない。
血。
誰かが。
倒れている。
金色の髪。
「レオン……」
小さく。
声が漏れた。
「シルヴァ?」
ティナ。
シルヴァは。
目を閉じた。
一度。
深く。
息を吸う。
そして。
吐く。
「……大丈夫」
「今」
「何か思い出した?」
「うん」
否定しない。
「最後の時」
「少しだけ」
ティナは。
黙って。
隣に立った。
クジャも。
近づく。
シルヴァは。
窓へ手を触れた。
「俺」
「ここから逃げた時」
「何が起きてるか」
「全然分かってなかった」
白金の光。
伸ばした手。
遠ざかるレオン。
「気づいたら」
「違う場所にいた」
「レオンも」
「ミルスも」
「ディーンもいなかった」
クジャが。
小さく聞く。
「一人?」
「うん」
「最初は」
シルヴァが笑う。
「死んだと思った」
「自分が?」
「うん」
「空見たら」
「知らない空だったから」
ティナの胸が。
少しだけ痛む。
「それで」
「キャラバンに?」
「少し後」
「歩いてたら倒れて」
「ロイドたちが拾ってくれた」
「……そう」
シルヴァは。
雲の外を見る。
まだ。
何も見えない。
「あの時は」
「戻るなんて」
「思ってなかった」
「ノクティスに?」
「うん」
「怖かったし」
「もう」
「全部終わったと思ってた」
一拍。
「でも」
シルヴァが。
隣を見る。
ティナ。
クジャ。
今は。
一人じゃない。
「戻ってきた」
クジャ。
「うん」
ティナも。
少しだけ笑う。
「自分でね」
シルヴァが。
頷いた。
「うん」
その時。
飛行艇が。
雲を抜けた。
視界が。
一気に開く。
「……」
三人が。
同時に。
外を見る。
眼下。
巨大な谷。
その奥。
黒い山々が。
幾重にも続く。
そして。
その向こう。
遥か遠く。
空を刺すような。
巨大な黒い塔。
一本。
シルヴァの顔から。
表情が消えた。
「……あれ」
ティナ。
「知ってるの?」
シルヴァは。
しばらく答えなかった。
「多分」
一拍。
「ゼノアの城がある方角」
ギラルーンの目が。
僅かに動く。
「よく覚えておられましたね」
「忘れられないよ」
短い答え。
クジャも。
遠くの黒い塔を見る。
右眼。
眼帯の奥。
ほんの一瞬だけ。
ずきん。
「……」
手を伸ばす。
だが。
開かない。
今は。
見ない。
シルヴァが。
気づく。
「痛い?」
「少し」
「無理しないで」
「うん」
ギラルーンは。
その会話を。
何も言わず聞いていた。
◇
「そろそろ」
ギラルーンが言った。
「降下いたします」
ティナが。
窓を見る。
「もう着くの?」
「飛行艇では」
「ここまでです」
シルヴァ。
「ミルスのところまで行かないの?」
「はい」
「なんで?」
「この艇は」
「ミルス様の《創造》そのものです」
「長く稼働させれば」
「痕跡が残る」
クジャが。
昨日の説明を思い出す。
「魔王軍に見つかる?」
「可能性が上がります」
ギラルーン。
「特に」
「目的地付近まで直接乗り入れるような真似を繰り返せば」
「いずれ」
「帰還先を推測されます」
ティナ。
「じゃあ」
「毎回途中で降りるの?」
「基本的には」
「ええ」
シルヴァ。
「面倒だね」
「隠れて暮らすというのは」
「得てして面倒なものです」
飛行艇が。
ゆっくり。
高度を下げる。
眼下。
荒野。
周囲に。
街らしいものはない。
岩。
砂。
黒い低木。
それだけ。
「……ここ?」
シルヴァ。
「何もないけど」
「目的地ではございません」
「ですよね」
飛行艇が。
大きな岩山の影へ降りる。
音もなく。
地面へ。
淡い光が消える。
「到着です」
ギラルーン。
「ここからは」
「徒歩で参ります」
シルヴァ。
「どれくらい?」
「数時間ほど」
「数時間」
ティナ。
「思ったよりあるわね」
「安全のためです」
クジャ。
「飛行艇は?」
「戻ります」
「一人で?」
「ええ」
シルヴァ。
「やっぱり生きてる?」
「生きておりません」
「自分で帰るのに?」
「自律機構です」
「難しい」
「ミルス様も同じことを仰いました」
シルヴァが。
少し。
笑った。
「ミルスも?」
「はい」
「ご自身で作られた後に」
『何これ、ちょっと気持ち悪いわね』
「と」
「言っておられました」
シルヴァが。
吹き出した。
「言いそう」
ティナも。
思わず笑う。
「作った本人が言うの?」
「ミルス様ですので」
「説明になってないけど分かる」
少し。
空気が軽くなる。
◇
四人は。
飛行艇を降りた。
ノクティスの地面。
シルヴァの靴が。
黒い砂を踏む。
ざっ。
「……」
動かない。
ティナが。
少し後ろで待つ。
クジャも。
何も言わない。
シルヴァは。
足元を見る。
二年ぶり。
魔大陸の土。
ただの。
土。
何も起こらない。
誰も襲ってこない。
風が吹くだけ。
「シルヴァ様」
ギラルーン。
「少し」
シルヴァが答える。
「待って」
「承知いたしました」
一歩。
シルヴァが。
前へ出る。
ざっ。
もう一歩。
普通に。
歩ける。
「……何してるの?」
ティナが。
小さく聞く。
「分かんない」
「え?」
「ただ」
「歩いてみたかった」
シルヴァは。
黒い大地を見る。
「前は」
「ここから逃げたから」
一歩。
「今度は」
「自分から来たって」
「ちゃんと」
「分かりたくて」
ティナは。
少しだけ。
笑う。
「分かった?」
シルヴァが。
考える。
「多分」
クジャ。
「多分なんだ」
「まだ着いたばっかりだし」
「じゃあ」
クジャも。
隣へ。
一歩。
黒い大地を踏む。
「一緒」
「何が?」
「私も初めて」
「ノクティス?」
「うん」
ティナも。
反対側。
「私もよ」
シルヴァが。
二人を見る。
それから。
少しだけ笑った。
「じゃあ」
「俺が先輩?」
ティナ。
「二年前に一回いただけで?」
「一回っていうか」
「何日か」
「観光してないでしょ」
「してない」
「じゃあ案内できる?」
「無理」
クジャ。
「先輩失格」
「早いよ!」
ギラルーンが。
三人の少し前で。
静かに待っている。
「よろしいでしょうか」
「はい」
ティナ。
「すみません」
「いえ」
「楽しそうで何よりです」
「ちょっと恥ずかしい」
シルヴァ。
「俺は平気」
「あなたは少し恥ずかしがりなさい」
その時。
背後。
飛行艇が。
静かに浮かび上がった。
黒銀の船体。
徐々に。
輪郭が消えていく。
空へ。
音もなく上昇。
数秒後。
完全に。
見えなくなった。
シルヴァ。
「……帰れる?」
「ミルス様のところまで辿り着ければ」
ギラルーン。
「問題ございません」
「辿り着けなかったら?」
「困りますね」
「軽いなあ」
ギラルーンは。
山間へ続く。
細い道を指した。
「こちらです」
◇
歩き始めて。
一時間。
「……」
シルヴァが。
周囲を見る。
岩。
黒い木。
崖。
同じような景色。
ずっと。
「ギラルーン」
「はい」
「合ってる?」
「ええ」
「本当に?」
「はい」
さらに。
三十分。
「ギラルーン」
「はい」
「さっきこの岩」
「見なかった?」
前方。
大きな岩。
真ん中に。
縦の亀裂。
ティナも。
じっと見る。
「……私も」
「ちょっと思った」
クジャ。
「三回目」
シルヴァ。
「三回!?」
ティナが。
ギラルーンを見る。
「迷ってる?」
「いいえ」
「でも同じ場所通ってるわよね?」
「通っております」
三人。
「……」
シルヴァ。
「なんで?」
「必要ですので」
「何に?」
「辿り着くために」
「同じところ歩くのが?」
「はい」
ティナ。
「分からない……」
ギラルーンは。
平然と歩き続ける。
右。
左。
岩の間。
一度。
来た道を戻る。
また。
違う道。
「……」
クジャの表情が。
少しずつ変わっていた。
何か。
おかしい。
風。
岩。
道。
景色。
全部普通。
なのに。
感覚だけが。
ずれる。
「クジャ?」
シルヴァが。
気づく。
「何かある?」
「分からない」
クジャが。
周囲を見る。
「でも」
「変」
ギラルーンは。
振り返らない。
口元だけが。
僅かに上がった。
さらに。
歩く。
道が。
急に。
二つへ分かれた。
「こちらです」
ギラルーンが。
右。
シルヴァたちも。
続く。
数十歩。
クジャが。
止まった。
「……待って」
ギラルーンの足も。
止まる。
シルヴァ。
「どうした?」
クジャは。
正面を見ている。
岩山。
ただの。
岩山。
「ここ」
「何かある」
ティナ。
「何が?」
「見えない」
「でも」
クジャの右手が。
ゆっくり。
眼帯へ伸びる。
ギラルーンが。
初めて。
はっきり振り返った。
「ほう」
クジャが。
眼帯へ指をかける。
「クジャ」
シルヴァ。
「無理しなくていいよ」
「少しだけ」
眼帯が。
上がる。
右眼。
開く。
――ズキン。
「っ……」
でも。
見る。
岩。
道。
空。
そして。
その奥。
「……」
クジャの左眼まで。
僅かに見開かれた。
「何これ」
シルヴァとティナ。
「?」
クジャの右眼に。
映っていたのは。
山ではない。
巨大な。
巨大すぎる。
力の膜。
空から。
大地まで。
山岳地帯すべてを。
覆うように。
幾重にも重なっている。
境界。
流れ。
偽装。
力の線。
その奥に。
何か。
ある。
「……隠してる」
クジャが呟く。
ギラルーンの目が。
少しだけ。
細くなる。
「何を?」
ティナ。
クジャは。
右眼を閉じた。
眼帯を戻す。
「分からない」
「でも」
正面。
何もない岩山を指す。
「この向こう」
「何かある」
一拍。
ギラルーンが。
静かに。
拍手した。
ぱち。
ぱち。
「お見事でございます」
シルヴァ。
「やっぱり?」
「ええ」
「ここから先が」
ギラルーンは。
三人を見る。
「ミルス様の領域です」
ティナが。
もう一度。
ただの岩山を見る。
「……街なんて」
「どこにもないけど」
「そのための仕掛けでございます」
ギラルーンは。
岩山へ向かって。
一歩。
進む。
「ここから先」
「私から離れませんように」
シルヴァ。
「離れたら?」
「戻されます」
「どこに?」
「場合によっては」
「先ほどの岩まで」
シルヴァが。
目を見開く。
「最初の?」
「ええ」
「……嫌だ」
ティナ。
「絶対離れないで」
「ティナもね」
「私は離れない!」
クジャが。
ギラルーンのすぐ後ろへ。
「ここ」
「面白い」
シルヴァ。
「クジャがちょっと楽しそう」
「珍しい」
ティナ。
「分かる気はするけど」
ギラルーンは。
ただの岩壁へ。
そのまま。
歩いていく。
そして。
身体が。
岩の中へ。
消えた。
三人。
「……」
シルヴァ。
「え?」
ティナ。
「ちょっと待って」
岩壁の向こうから。
ギラルーンの声。
「どうぞ」
シルヴァ。
岩へ指を伸ばす。
触れる。
はずだった。
だが。
指が。
すり抜ける。
「……うわ」
ティナも。
触る。
「何これ……」
クジャ。
「偽物」
「景色が?」
「多分」
シルヴァが。
少しだけ笑う。
「ミルス」
「本当にすごいことになってるね」
三人は。
顔を見合わせる。
そして。
一歩。
岩壁の中へ。
踏み込んだ。
光。
一瞬。
視界が。
歪む。
風が。
変わる。
匂いが。
変わる。
音が。
変わる。
そして。
次の瞬間。
三人の前から。
荒れ果てたノクティスの山岳地帯が。
消えた。
「……」
シルヴァの目が。
大きく開く。
ティナも。
言葉を失う。
クジャだけが。
静かに。
その光景を見ていた。
眼下。
遥か下まで続く。
巨大な街。
幾重にも並ぶ建物。
水路。
橋。
塔。
灯り。
動いている。
無数の人影。
空を飛ぶ。
鳥のような人工生命。
そして。
街の中央。
天へ伸びる。
巨大な白黒の塔。
シルヴァが。
ようやく。
声を出した。
「……街?」
ギラルーンが。
三人の少し前で。
静かに笑う。
「ようこそ」
その眼下。
隠された巨大都市。
「創都リメアへ」
シルヴァは。
ただ。
その街を。
見下ろしていた。




