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風葬のシルヴァ  作者: 桜
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43/81

第43話 海の記憶

 アルセリアを出て、三日目。


 街道は少しずつ下り坂へ変わっていた。


 山の間を縫うように続いていた道も、いつしか木々が減り。


 視界が広がっていく。


「……匂い変わった」


 クジャが言った。


 シルヴァが振り返る。


「分かる?」


「ちょっと」


 ティナは鼻を動かした。


「何の匂い?」


「海」


「海?」


「たぶん、もう近い」


 シルヴァが前を見る。


 風。


 昨日までより。


 少し湿っている。


 塩の匂い。


 遠くから。


 鳥の鳴き声も聞こえる。


「本当に?」


 ティナの歩調が少しだけ速くなった。


「ティナ、海見たことない?」


「あるわよ」


「あるんだ」


「何その反応」


「もっと感動するかと思って」


「子供じゃないんだから」


 クジャ。


「さっき歩くの速くなった」


「なってない」


「なった」


「なってない!」


 シルヴァが笑う。


「楽しみなんじゃん」


「違うって!」


 そのまま。


 三人は坂を上っていく。


 そして。


 丘の頂上。


 視界が一気に開けた。


「……」


 ティナの足が止まった。


 遥か先。


 空と繋がるように。


 青い海が広がっていた。


 陽の光を受け。


 水面がきらきらと輝いている。


 遠くには。


 小さな船。


 白い鳥。


 海沿いに続く街道。


「……すごい」


 ティナが。


 ぽつりと言った。


 シルヴァが横を見る。


「感動してる」


「してない」


「今すごいって言った」


「景色が綺麗ってだけ!」


 クジャ。


「感動してる」


「クジャまで!」


 シルヴァは。


 少しだけ。


 昔を思い出した。


「俺も最初に見た時、こんな感じだった」


 ティナが振り向く。


「見たことあるんでしょ?」


「うん」


「キャラバンと一緒にいた時」


 シルヴァは。


 海を見る。


「最初は」


「世界の端かと思った」


「……ちょっと分かる」


 ティナが小さく言った。


「でしょ?」


「でも」


「ドランに笑われた」


『世界の端なわけあるか』


『向こうにも国がある』


「って」


「それで」


 ティナ。


「信じたの?」


「半分」


「半分なんだ」


「だってあの先ずっと水だよ」


「見たら端っぽいじゃん」


「理屈が子供」


「十四だったし」


「今もそんな変わってない」


 クジャ。


「ひどくない?」


 三人は。


 しばらく丘の上から海を眺めた。


 その時。


 クジャだけが。


 動かなかった。


「……」


 青い海。


 風。


 潮の匂い。


 波。


 遠く。


 ざあ。


 ざあ。


 音が。


 重なる。


 ――水。


「……っ」


 一瞬。


 景色が変わった。


 暗い部屋。


 石の壁。


 濡れた床。


 何人かの子供。


 小さな手。


 床に広げられたカード。


 笑い声。


 ――クジャ。


 誰かが呼ぶ。


 振り向く。


 顔が。


 見えない。


 ――こっち。


 ぱしゃ。


 水音。


 暗い。


 冷たい。


 そして。


 赤い光。


「クジャ」


 声。


「……」


「クジャ?」


 シルヴァの声で。


 景色が戻った。


 目の前。


 シルヴァが覗き込んでいる。


 ティナも。


 少し心配そうな顔。


「どうしたの?」


「……何でもない」


「今」


「ぼーっとしてた」


「うん」


 クジャは。


 海を見る。


「ここ」


「知ってる気がした」


 ティナの眉が動く。


「この場所?」


「違う」


「海?」


「……多分」


 クジャは。


 こめかみへ指を当てる。


「水の音」


「子供」


「カード」


 シルヴァが。


 静かに聞く。


「孤児院?」


「分からない」


「でも」


 クジャの指が。


 右眼の眼帯ではなく。


 胸元へ触れる。


「懐かしい」


 一拍。


「少しだけ」


 ティナとシルヴァは。


 顔を見合わせた。


 けれど。


 深くは聞かなかった。


 クジャ自身も。


 まだ。


 分からない。


 シルヴァは。


 いつもの調子で言った。


「じゃあ」


「思い出したら教えて」


「うん」


「分かんなかったら」


「その時考えよう」


 クジャが。


 少しだけ。


 シルヴァを見る。


「適当」


「今はそれくらいでいいでしょ」


 ティナも。


 小さく笑った。


「今回は同意」


「珍しい」


「何がよ」


「ティナが俺に同意するの」


「私だってするわよ」


「たまに」


 クジャ。


「クジャはどっちの味方なの?」


「面白い方」


「最悪!」


 三人は。


 再び歩き出した。


 ◇


 昼。


 街道は。


 完全に海沿いへ入っていた。


 左。


 岩壁。


 右。


 海。


 風が強い。


「うわっ」


 ティナのポニーテールが大きく揺れる。


「髪邪魔!」


「結んでても?」


「風が強すぎるの!」


 シルヴァは。


 普通に歩いている。


 黒いマントだけが。


 大きくはためく。


 ティナが横を見る。


「シルヴァは平気なの?」


「風だから」


「答えになってない」


「慣れてる」


 クジャは。


 眼帯を押さえながら。


「私は嫌」


「飛ぶ?」


 シルヴァ。


「何が」


「クジャ」


「飛ばない」


「小さいから」


「シルヴァ」


「はい」


「後で覚えてて」


「何を?」


「今の」


 ティナが。


 吹き出した。


「珍しくクジャが怒ってる」


「怒ってない」


「絶対怒ってる」


「怒ってない」


 シルヴァ。


「ティナと同じこと言ってる」


 二人同時に。


「一緒にしないで」


「なんで!?」


 しばらく進むと。


 街道脇に小さな屋台があった。


 干した魚。


 焼き貝。


 串焼き。


 潮の匂いに。


 香ばしい匂いが混じる。


 クジャが。


 止まる。


「……」


 シルヴァも止まる。


「食べる?」


「うん」


 ティナ。


「即決ね」


「旅は食事が大事」


 クジャ。


「昨日も聞いた」


「大事だから」


 三人は屋台へ。


 シルヴァが。


 焼いた魚を一本。


 クジャも同じもの。


 ティナは。


 貝の串焼きを選ぶ。


「ティナ、それおいしい?」


「まだ食べてない」


「一個ちょうだい」


「自分のあるでしょ」


「味見」


「じゃあ魚一口」


「いいよ」


 ティナが。


 シルヴァの魚を少し食べる。


「……おいしい」


「でしょ」


「じゃあこれ」


 ティナが。


 自分の串焼きを差し出す。


 シルヴァが一口。


「おいしい」


 クジャが。


 二人を見る。


「交換?」


「うん」


「私も」


 ティナ。


「クジャも食べる?」


「うん」


 ティナが串を差し出す。


 クジャが一つ食べる。


「おいしい」


 今度は。


 クジャが自分の魚をシルヴァへ。


「シルヴァも」


「同じ魚じゃん」


「こっちの方がおいしい」


「絶対一緒だよ」


「食べて」


「はいはい」


 シルヴァが一口。


「……一緒」


「違う」


「何が?」


「私の方がおいしい」


 ティナが。


 じっと見る。


「何?」


 シルヴァ。


「別に」


「また?」


「別に!」


 クジャが。


 少しだけ。


 楽しそうに。


「ティナも食べる?」


「食べる!」


「なんで怒ってるの?」


「怒ってない!」


 屋台の主人が。


 三人を見ながら笑っていた。


 ◇


 夕方。


 三人は。


 海沿いの小さな宿場町へ着いた。


 ネレイスまで。


 まだ二日ほど。


 今日はここで泊まることにした。


「部屋」


 宿の主人が。


 帳簿を見る。


「二部屋しか空いてないな」


 三人。


「……」


 ティナが聞く。


「二人部屋と一人部屋?」


「そうだ」


 主人が答える。


「一人部屋一つ」


「二人部屋一つ」


 シルヴァ。


「じゃあ俺一人で」


「ダメ」


 ティナ。


「なんで?」


「傷まだあるでしょ」


「寝るだけだよ」


「夜中に痛くなったら?」


「呼ぶ」


「部屋違うじゃない」


「じゃあティナとクジャ同じ部屋で――」


「私がシルヴァと同じ部屋にする」


 ティナ。


 言ってから。


 止まった。


「……」


 シルヴァ。


「うん?」


 クジャ。


「……」


 宿の主人。


「……」


 ティナの顔が。


 みるみる赤くなる。


「ち、違う!」


「何が?」


「そういう意味じゃなくて!」


「どういう意味?」


「怪我!」


「怪我の話!」


「うん」


「分かってるよ?」


「その顔やめなさい!」


 クジャ。


「ティナ、顔赤い」


「暑いの!」


「夕方」


「海沿いは暑いの!」


「風冷たい」


「クジャ!」


 シルヴァは。


 本気で分かっていない。


 宿の主人だけが。


 何となく察した顔で。


「まあ」


「若いもんな」


「何がですか!?」


 ティナの声が。


 宿中に響いた。


 結局。


 ティナとクジャが二人部屋。


 シルヴァが一人部屋。


 になった。


「最初からそうすればよかった」


 ティナが。


 疲れた顔で言う。


「俺も最初からそう言ったよ」


「黙って」


「なんで?」


 ◇


 夜。


 三人は宿の食堂にいた。


 魚の煮込み。


 パン。


 海藻のスープ。


 干した果物。


「海の近くだと」


「食べ物全然違うね」


 シルヴァが言う。


「おいしい」


 クジャ。


「ずっとそれ言ってる」


 ティナ。


「おいしいから」


「まあ」


「確かにおいしいけど」


 シルヴァが。


 パンをちぎる。


「ネレイスもこんな感じかな」


 ティナの表情が。


 少しだけ真面目になる。


「どうかしら」


「封鎖港なんでしょ」


「人自体はいるらしいよ」


「でも」


 シルヴァが。


 海の見える窓を見る。


「向こうに渡れる船がない」


「そこが問題ね」


 クジャ。


「探せばある」


「密航?」


 ティナ。


「多分」


「普通に言うのやめて」


「必要なら」


「必要でも一回考えるの!」


 シルヴァ。


「まあ」


「ギラルーンがネレイスにいたなら」


「何か方法はあるんじゃない?」


「本人がいればね」


 ティナ。


「……いるかな」


「分かんない」


 シルヴァは。


 少し黙る。


「でも」


「近づいてる感じはする」


「ミルスに?」


「うん」


 それから。


 少しだけ。


 笑う。


「怖いけど」


「早く会いたい」


 ティナは。


 そんなシルヴァを見る。


 以前なら。


 怖いことを。


 怖いと言わなかった。


 今は。


 少しずつ。


 言えるようになっている。


「会えるわよ」


 ティナが言った。


「多分」


「多分?」


「絶対って言って外れたら嫌でしょ」


「そこ現実的だね」


「悪い?」


「いや」


「ティナっぽい」


「何それ」


 クジャが。


 スープを飲む。


「私は会えると思う」


 シルヴァが見る。


「なんで?」


「勘」


「クジャが言うと当たりそう」


 ティナ。


「私より信用するの?」


「ティナは多分って言ったじゃん」


「そうだけど!」


 クジャが。


 少しだけ。


 笑った。


 ◇


 深夜。


 クジャは。


 一人。


 目を覚ました。


 隣のベッド。


 ティナは眠っている。


 窓の外。


 海。


 月。


 静かな波。


 ざあ。


 ざあ。


 クジャは。


 ゆっくり起き上がった。


 窓へ。


 近づく。


 海を見る。


 また。


 あの感覚。


「……」


 ざあ。


 水音。


 ――クジャ。


 声。


 子供。


 笑っている。


 床に広がるカード。


 誰かが。


 スペードを出す。


 誰かが。


 クラブを投げる真似。


 笑い声。


 そして。


 別の声。


 大人。


 低い声。


 ――今日はここまで。


 ――明日は。


 ――もっと深く。


 景色が。


 突然暗くなる。


 床。


 円。


 黒い紋様。


 子供たち。


 立っている。


 クジャだけ。


 少し離れている。


 誰かが。


 泣いている。


 ――怖い。


 ぱしゃ。


 水。


 赤。


 黒。


 そして。


 巨大な。


 眼。


「……っ!」


 クジャが。


 窓枠を掴んだ。


 呼吸が。


 少し速い。


 右眼の奥。


 ずきん。


「クジャ?」


 背後。


 ティナ。


 起きていた。


「……起こした?」


「ううん」


 ティナが身体を起こす。


「大丈夫?」


「うん」


 クジャは。


 しばらく。


 海を見る。


「また」


「思い出した?」


「少し」


 ティナが。


 ベッドから降りる。


 クジャの隣へ。


「どんな?」


「子供」


「カード」


「……」


 一度。


 口を閉じる。


「怖がってた」


「誰が?」


「分からない」


「私かも」


 ティナは。


 何も言わず。


 待つ。


 クジャは。


 右眼の眼帯へ。


 触れた。


「あと」


「眼」


「眼?」


「大きい」


「黒い眼」


 ティナの表情が変わる。


「右眼と関係ある?」


「分からない」


「でも」


 クジャは。


 月明かりの海を見る。


「嫌な感じ」


 一拍。


「知ってる気がする」


 ティナが。


 静かに言った。


「ミルスに会ったら」


「聞いてみましょう」


「うん」


「一人で考えなくていいから」


 クジャが。


 横を見る。


「ティナ」


「何?」


「優しい」


「急に何よ」


「シルヴァにも言われたら赤くなる?」


「ならない!」


「今ちょっと赤い」


「暗いから!」


「月明るい」


「寝なさい!」


 クジャが。


 小さく笑う。


「うん」


 二人は。


 ベッドへ戻った。


 窓の外。


 海は。


 何も知らないように。


 静かに波を打っている。


 けれど。


 クジャの中で。


 ずっと沈んでいた何かが。


 ほんの少しずつ。


 浮かび始めていた。


 そして。


 その記憶が向かう先。


 海の向こう。


 魔大陸ノクティスは。


 もう。


 遠くなかった。

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