第3話 旅立ち
朝。
東方防衛拠点には、昨日までとは違う空気が流れていた。
崩れた城壁では修復作業が続いている。
兵士たちは交代で警戒に立ち、避難民たちは新しい生活のために割り当てられた区画を整えている。
その中。
一台の馬車の前で。
シルヴァは黙って立っていた。
「…………」
黒い上衣。
黒いマント。
腰には剣。
足元には、小さな荷物袋がひとつ。
旅支度。
と言うには、あまりにも少ない。
「……それだけ?」
後ろから声がした。
振り返る。
ティナがいた。
白を基調とした剣士服。
右腕にはまだ包帯が巻かれている。
腰には細身の剣。
そして。
シルヴァとは比べ物にならないくらい、大きな荷物。
「何が」
「荷物」
「あるじゃん」
シルヴァが足元を指差す。
「それ?」
「うん」
「着替えは?」
「入ってる」
「何着?」
「一着」
「少なっ!」
「着てるのと合わせたら二着」
「そういう問題じゃない!」
ティナが自分の荷物を見る。
着替え。
保存食。
水。
地図。
簡易調理器具。
薬。
寝具。
その他諸々。
対するシルヴァ。
小さな袋ひとつ。
「あなた二年間どうやって旅してたのよ」
「キャラバンに全部あったから」
「これからキャラバンいないのよ!?」
「そうだった」
「今気づいたの!?」
シルヴァが少し考える。
「ティナ持ってる?」
「何を」
「色々」
「頼る気満々じゃない!」
「立て替えてくれるって言ってたし」
「お金の話!」
「違うの?」
「違う!」
「じゃあ何持てばいい?」
ティナが頭を抱えた。
「……本当に一人で王都まで行かせなくてよかった」
「俺一人ならその辺で寝るけど」
「余計ダメ!」
そこへ。
「シルヴァ!」
走ってくる足音。
ルカだった。
その後ろ。
ミアも一生懸命ついてくる。
「待って!」
「まだ行くな!」
シルヴァが二人を見る。
「まだ行かないよ」
「ほんと!?」
「たぶん」
「たぶんって何!?」
ルカが息を切らしながら、シルヴァの前へ立った。
手には。
木の棒。
「……何それ」
「剣!」
「棒じゃん」
「剣!」
「棒だよ」
「剣なの!」
「分かった」
ルカが両手で構える。
「昨日言っただろ!」
「何を」
「剣教えてって!」
「ああ」
「今日無理って言った!」
「うん」
「だから!」
ルカが真っ直ぐシルヴァを見る。
「一回だけ勝負して!」
「なんで」
「勝ったら連れてって!」
「嫌」
「まだ戦ってない!」
「勝っても連れてかない」
「ずるい!」
「何が」
「条件変えるなよ!」
「最初から受けてない」
ティナが横で笑いを堪えている。
「何」
「別に」
「笑ってるじゃん」
「あなた、子供相手でも容赦ないのね」
「連れてけないものは連れてけない」
ルカが木の棒を握り締める。
「俺だって戦える!」
シルヴァの表情が少し変わった。
「ルカ」
「何だよ」
「昨日も言ったけど」
しゃがむ。
目線を合わせる。
「俺みたいになる必要ない」
「……」
「十一歳なら」
ルカの持つ木の棒を軽く指で押し下げる。
「まだ遊んでていいよ」
「でも!」
「強くなりたいなら」
シルヴァが立つ。
「まず飯食え」
「……飯?」
「いっぱい」
「剣じゃなくて?」
「背伸びないと不利だから」
「そこから!?」
「あと走れ」
「修行っぽくなってきた!」
「毎日」
「何周!?」
「適当に」
「適当!?」
ティナが呆れる。
「教えるならちゃんと教えなさいよ」
「じゃあティナ教えてあげれば」
「なんで私!?」
「隊長だし」
「関係ないでしょ!」
ルカは二人を見比べる。
そして。
木の棒をぎゅっと握った。
「……絶対強くなる」
シルヴァがルカを見る。
「うん」
「そしたら今度は」
「うん」
「ちゃんと勝負してくれよ!」
少しだけ。
シルヴァが笑った。
「分かった」
「約束だからな!」
「ああ」
「絶対だぞ!」
「分かったって」
その横。
ずっと黙っていたミアが。
シルヴァの服を掴んだ。
「……行くの?」
声が小さい。
シルヴァがミアを見る。
「うん」
「今日?」
「今日」
「……王都?」
「そう」
「遠い?」
「十日くらい」
「帰ってくる?」
シルヴァが答えようとして。
止まった。
「……分からない」
嘘をつきたくなかった。
ミアの目に。
少しずつ涙が溜まっていく。
「やだ」
「ミア」
「やだ!」
シルヴァへ抱きつく。
「行かないで!」
「……」
「ここにいて!」
シルヴァは何も言えない。
小さな身体が震えている。
「シルヴァがいないと嫌!」
シルヴァの手が。
宙で止まった。
どうすればいいのか分からない。
ティナがその様子を見る。
少しだけ。
呆れたように息を吐いた。
「抱きしめればいいでしょ」
「え」
「二年間一緒だったんでしょ」
「……」
「そういう時くらい」
シルヴァは恐る恐る。
ミアの頭へ手を置いた。
そして。
抱き寄せる。
「……ごめん」
「やだ……」
「でも行かなきゃ」
「どうして?」
シルヴァは少し考える。
「探し物」
「何を?」
「……昔の仲間」
ミアが顔を上げる。
「大事な人?」
「うん」
「私より?」
「比べるものじゃない」
「ずるい」
「ごめん」
ミアがまたシルヴァへ顔を埋める。
「絶対帰ってきて」
「……」
「約束」
シルヴァは少しだけ目を細めた。
二年前。
自分は何の約束もできなかった。
帰ってくることも。
生きていることも。
何一つ。
でも。
「分かった」
ミアの頭を撫でる。
「帰ってくる」
ミアが顔を上げる。
「絶対?」
「絶対」
「ほんと?」
「うん」
「嘘ついたら?」
「……どうなるの」
「嫌いになる」
「それは困る」
ようやく。
ミアが少し笑った。
◇
「はい」
声。
エマが大きな袋をシルヴァへ押し付けた。
「何これ」
「食料」
「重」
「三日分」
「多くない?」
「あなたの一日分」
「ひどくない?」
「事実だよ」
ティナがシルヴァの手から袋を取って持ち上げる。
「……重っ!」
「でしょう?」
「これ一日で食べるの!?」
「食うよ」
エマが即答する。
「食う」
シルヴァも認める。
「あなたの食費、絶対立て替えないからね!」
「昨日と言ってること違う」
「想定してた量が違うの!」
エマが笑う。
「ティナちゃん」
「はい」
「こいつ、腹減ると急に機嫌悪くなるから」
「ならないよ」
「なる」
「ならない」
「なるよ」
「ならないって」
「半日何も食わせないでみな」
「やめて」
「なるんじゃない!」
ティナが即座に突っ込む。
エマは保存食をさらに追加しようとする。
「待って」
「何だい」
「もう入らない」
「袋増やせばいい」
「荷物増える」
「食べれば減る」
「なるほど」
「納得しない!」
ティナの声が響いた。
◇
「剣」
低い声。
ドランが工房から出てきた。
手には。
シルヴァの剣。
「え」
シルヴァが自分の腰を見る。
「いつ取ったの」
「朝」
「気づかなかった」
「まだまだだな」
ドランが鞘ごと投げる。
シルヴァが受け取った。
少し。
抜く。
刃。
欠けていた部分が綺麗に研ぎ直されている。
昨日の戦いで歪んだ鍔も調整されていた。
「……ありがとう」
「今回だけだ」
「いつも言ってない?」
「次から自分でやれ」
「できない」
「覚えろ」
「面倒」
「剣士やめろ」
「それは困る」
ドランが鼻を鳴らす。
「刃を見る癖くらい付けろ」
「見てる」
「斬ったあとそのまま鞘へ入れてるだろ」
「見てた?」
「二年間な」
「怖」
「次折ったら知らんぞ」
「分かった」
シルヴァは剣を鞘へ戻す。
「……大事にする」
ドランの動きが。
一瞬だけ止まった。
「そうしろ」
それだけ言って。
工房へ戻っていった。
◇
最後。
ロイドが待っていた。
城門の前。
シルヴァ。
ティナ。
その向こう。
王都へ続く街道。
「準備できたか」
ロイドが聞く。
「たぶん」
シルヴァが答える。
「たぶん?」
ティナがシルヴァの荷物を見る。
「あなた絶対何か忘れてる」
「何」
「それが分からないから聞いてるの!」
「じゃあ忘れてないんじゃない?」
「何その理屈!」
ロイドが笑う。
「ティナちゃん」
「はい」
「苦労すると思うがよろしく頼む」
「やっぱり苦労するんですね!?」
「大丈夫」
シルヴァが言う。
「俺、そんな手かからないから」
ロイド。
エマ。
ドラン。
ルカ。
ミア。
全員が。
無言でシルヴァを見る。
「……何」
ティナがため息。
「すでに答え出てるじゃない」
「納得いかない」
ロイドがシルヴァを見る。
「シルヴァ」
「ん」
「昨日言ったこと」
「覚えてる」
「ここはお前の帰ってくる場所だ」
「……うん」
「だから」
ロイドが手を差し出した。
「行ってこい」
シルヴァは。
その手を見る。
二年前。
泥の中で目を覚ました時。
最初に差し出された手。
名前も。
過去も。
何も聞かず。
掴ませてくれた。
シルヴァも。
手を出した。
握る。
「行ってくる」
ロイドが笑った。
次。
エマ。
「ちゃんと食べな」
「うん」
「野菜も」
「努力する」
「努力じゃなくて食べろ」
「はい」
「風邪引くんじゃないよ」
「子供じゃない」
「私からすれば子供だよ」
「……」
エマが。
急にシルヴァを抱きしめる。
「うわ」
「元気で」
「……うん」
「ちゃんと帰ってきな」
「うん」
少しだけ。
シルヴァも腕を回した。
「ありがとう」
エマの目が少し赤くなる。
「そういうのは帰ってきてから言いな」
「今言いたかった」
「……馬鹿」
◇
ドラン。
「折るなよ」
「剣?」
「身体もだ」
「難しい」
「やれ」
「分かった」
拳を出す。
シルヴァも拳を合わせる。
◇
ルカ。
「絶対強くなるからな!」
「うん」
「帰ってきたら勝負!」
「分かった」
「本気で!」
「考えとく」
「本気で!!」
「分かったって」
◇
そして。
ミア。
泣いていた。
でも。
昨日みたいに引き止めなかった。
「……シルヴァ」
「うん」
「約束」
「覚えてる」
「絶対?」
「絶対」
シルヴァが小指を出した。
「何これ」
ミアが聞く。
「約束する時やるらしい」
「誰に聞いたの?」
「エマ」
「じゃあやる」
小さな指。
シルヴァの指。
絡める。
「帰ってきてね」
「うん」
「ティナも!」
「え、私?」
「一緒に帰ってきて!」
ティナが少し驚き。
すぐに笑った。
「分かった」
「絶対!」
「約束する」
ミアは満足そうに頷いた。
◇
城門。
シルヴァが振り返る。
キャラバンの仲間たち。
二年間。
ずっと一緒だった。
シルヴァが片手を上げた。
「じゃあ」
何を言うか。
一瞬迷って。
「行ってくる」
ロイドが手を上げる。
エマも。
ルカも。
ミアは両手。
ドランは軽く片手だけ。
「行ってらっしゃい!」
ミアの声。
シルヴァは。
前を向いた。
ティナが隣を歩く。
二人。
王都へ続く道へ踏み出した。
◇
数時間後。
「……疲れた」
ティナが言った。
「早くない?」
「誰のせいよ」
「何が」
「荷物!」
ティナの背には大きな荷物。
対するシルヴァ。
小さな袋。
「自分で持ってきたんでしょ」
「必要なものなの!」
「俺いらない」
「絶対使うから!」
「例えば?」
「鍋」
「いらない」
「料理どうするの!」
「焼く」
「何を!」
「肉」
「野菜は!?」
「焼く」
「何でも焼けばいいと思ってるでしょ!」
「煮てもいい」
「鍋必要じゃない!」
シルヴァがティナの荷物を見る。
「持とうか?」
ティナが止まった。
「……え」
「重いんでしょ」
「いや」
「嫌ならいいけど」
「待って」
ティナが荷物を下ろす。
「半分」
「うん」
「半分だけ」
「全部でもいいよ」
「半分!」
「なんで」
「なんか負けた気がするから!」
「何と戦ってるの?」
「知らない!」
シルヴァが荷物を半分持つ。
「……重」
「でしょ?」
「何入ってるの」
「必要なもの」
「石?」
「入ってない!」
「鎧?」
「着てる!」
「じゃあ何でこんな重いの」
「女の子は色々必要なのよ!」
「へえ」
「その反応やめて!」
再び。
二人は歩き始めた。
◇
昼。
小川。
ティナが地図を広げている。
「このまま南西」
「うん」
「今日中に次の宿場町まで――」
「ティナ」
「何」
「魚いる」
「……」
川を見る。
魚。
「いるわね」
「捕っていい?」
「お金ないんだから助かるけど」
シルヴァが剣へ手を伸ばす。
「待って」
「何」
「剣で魚捕る気?」
「うん」
「やめなさい!」
「なんで」
「ドランさんに怒られるでしょ!」
「見てない」
「そういう問題じゃない!」
シルヴァが仕方なく剣から手を離す。
「じゃあ風で」
「できるの?」
「たぶん」
「たぶん?」
シルヴァが川へ手を向ける。
風。
水面が揺れる。
「お」
渦。
「ちょっと強くない?」
「大丈夫」
「シルヴァ?」
ドンッ!!
水柱。
「きゃあっ!?」
魚が三匹。
宙を舞う。
そして。
二人へ。
ビチャッ。
「…………」
「…………」
ティナの髪から。
水が滴る。
シルヴァもずぶ濡れ。
足元。
魚が跳ねている。
「捕れた」
「……」
「三匹」
「……シルヴァ」
「何」
「走って」
「なんで」
「いいから走れ!!」
「なんで怒ってるの!?」
◇
夕方。
宿場町には間に合わなかった。
「あなたのせいだからね」
ティナが薪を組みながら言う。
「魚食べてたからでしょ」
「誰が魚捕ったの!」
「俺」
「分かってる!」
二人は森の外れで野営することになった。
火。
その上。
串に刺した魚。
「……おいしい」
ティナが小さく呟いた。
「でしょ」
「悔しい」
「何が」
「あんな取り方だったのに」
「結果が全部」
「その考え方いつか痛い目見るわよ」
「もう結構見てる」
「……」
少し。
ティナが黙る。
シルヴァも気づく。
「ごめん」
「なんであなたが謝るのよ」
「空気変わったから」
「……」
焚き火。
夜。
二人だけ。
今まで。
キャラバンでは常に誰かの声があった。
エマの怒鳴り声。
ルカとミアの喧嘩。
ドランが工具を叩く音。
ロイドの笑い。
今日は。
ない。
シルヴァが火を見る。
「……静かだな」
ティナも分かった。
「寂しい?」
「別に」
「またそれ」
「本当に」
「じゃあ」
ティナが魚を食べながら聞く。
「なんでずっと後ろ見てたの」
「見てた?」
「三回くらい」
「……」
「分かりやすい」
「嫌だな」
「いいじゃない」
「何が」
「帰る場所があるってことでしょ」
シルヴァがティナを見る。
ティナは焚き火を見ていた。
「私」
「うん」
「ずっと思ってたの」
「何を」
「あなたって」
一呼吸。
「もっと一人が好きな人だと思ってた」
「何それ」
「二年前、全然喋らなかったし」
「ティナと喋る理由なかったから」
「喧嘩売ってる?」
「事実」
「ほんっと腹立つ!」
ティナが木の枝を投げる。
シルヴァが避ける。
「危ない」
「避けるな!」
「無茶言うな」
「……でも」
ティナが少し笑う。
「今のあなたの方がマシ」
「そう?」
「少しだけ」
「どれくらい」
「ほんの少し」
「じゃあ変わってないじゃん」
「そうかも」
二人が笑う。
その時。
シルヴァの笑顔が消えた。
「ティナ」
「何?」
「動かないで」
声が変わった。
ティナもすぐ察する。
「……いる?」
「うん」
森。
暗闇。
ガサッ。
一つ。
二つ。
三つ。
赤い瞳。
ティナが静かに立ち上がる。
「魔物?」
「たぶん」
シルヴァも剣へ手を伸ばす。
低い唸り声。
木々の間から現れた。
狼型の魔物。
だが。
大きい。
普通の狼とは比べ物にならない。
「大牙狼……」
ティナが呟く。
「キャラバンの近くにいた奴と同じ?」
「似てる」
一頭。
二頭。
さらに奥。
「六」
「結構いるわね」
「七」
「増えた」
「八」
「まだいるの!?」
シルヴァが剣を抜く。
ティナも細身の剣を構える。
「右腕大丈夫?」
「誰に言ってるの」
「怪我人」
「あなたも頭怪我してるでしょ」
「治った」
「早すぎ!」
一頭。
飛びかかる。
「来る!」
ティナが踏み込む。
刺突。
一撃で喉を貫く。
着地。
背後。
二頭目。
「ティナ、左」
「分かってる!」
剣を引き抜く。
間に合わない。
その前。
風。
シルヴァ。
一閃。
魔物の首が落ちる。
「ありがと」
「どういたしまして」
別方向。
三頭。
シルヴァへ。
「《風脚》」
一気に前へ。
一頭目。
斬る。
二頭目。
身体を低くして牙を避ける。
腹へ蹴り。
浮かせる。
三頭目の爪。
剣で受け流す。
反転。
一閃。
二頭同時に倒れる。
「そっち!」
ティナの声。
振り向く。
大型個体。
真正面。
シルヴァへ飛ぶ。
だが。
地面から半透明の板が形成された。
《構装》。
魔物の前脚が弾かれる。
「今!」
「うん」
シルヴァの剣。
首。
一閃。
ティナが背中を向けたまま言う。
「便利でしょ」
「結構」
「もっと褒めなさいよ」
「すごいすごい」
「腹立つ!」
残り二頭。
別方向から。
シルヴァとティナ。
背中合わせ。
「右お願い」
シルヴァ。
「左ね」
ティナ。
二頭が同時に飛びかかる。
風。
光のない、純粋なオーラ。
剣。
二つの斬撃。
一瞬。
魔物が同時に地面へ落ちた。
静寂。
「……」
「……」
ティナが振り返る。
「意外と」
「何」
「合わせやすいわね」
「ティナが?」
「私があなたに合わせてるの!」
「俺も合わせたけど」
「じゃあ五分五分」
「それでいいよ」
「なんか納得いかない」
「面倒くさ」
「聞こえてる!」
◇
倒れた大牙狼。
シルヴァがその一体へ近づく。
「どうしたの?」
ティナも横へ。
「これ」
毛皮をかき分ける。
首。
皮膚。
黒い筋。
血管のように走っている。
「……何これ」
「キャラバンの近くで見た足跡のやつも、多分同じ」
「魔王軍の刻印?」
「違うと思う」
シルヴァが指で触れる。
微かに。
嫌な感覚。
「魔族兵が連れてた魔物は、もっとはっきり印があった」
「じゃあこれは?」
「分からない」
ティナの表情が険しくなる。
「野生の魔物まで」
「うん」
「何かに影響されてる」
シルヴァは森の暗闇を見る。
「たぶん」
「王都でこれも報告しましょう」
「そうだね」
ティナが大牙狼を見る。
「……最近、本当に増えてる」
シルヴァは答えなかった。
ただ。
昨日。
ガルゼムが残した言葉。
『二年前……ノクティスで……』
そして。
目の前の凶暴化した魔物。
全部。
二年前から。
まだ続いている。
◇
深夜。
ティナは毛布に包まっていた。
少し離れたところ。
シルヴァは焚き火の前に座っている。
「シルヴァ」
「起きてた?」
「あなた何してるの」
「見張り」
「寝なさい」
「交代で」
「今何時」
「分からない」
「じゃあ寝なさい」
「もう少し」
ティナが身体を起こす。
「キャラバンでもずっとそうだったの?」
「何が」
「一人で見張り」
「結構」
「どうして」
「慣れてるから」
「そういう問題じゃない」
「みんな寝てた方が楽でしょ」
「あなたは?」
「昼寝る」
「旅が進まないでしょ!」
「馬車なら進む」
「今馬車ないの!」
「あ」
「本当に気づいてなかったの!?」
ティナが毛布を持って立ち上がる。
「交代」
「いいよ」
「よくない」
「眠いでしょ」
「さっきまで寝てた」
シルヴァを見る。
「二時間だけ寝なさい」
「……」
「起こすから」
「ほんと?」
「ほんと」
シルヴァは少し迷った。
今まで。
誰かに夜を任せるのが。
嫌だった。
眠っている間に。
何かが起きる気がして。
二年前みたいに。
目を閉じて。
次に開いた時。
全部なくなっているような。
そんな気がしていた。
「シルヴァ?」
「……分かった」
ティナが少し驚く。
「素直」
「気が変わる前に」
「寝なさい」
「はい」
シルヴァは自分の荷物を枕代わりに横になる。
「おやすみ」
ティナが言う。
「……おやすみ」
目を閉じる。
数分。
「ティナ」
「何」
「敵来たら起こして」
「当たり前でしょ」
「絶対」
「絶対」
「ほんとに?」
「子供!?」
シルヴァが少し笑った。
「じゃあ寝る」
「そうして」
少しして。
寝息。
ティナがシルヴァを見る。
「……寝るの早」
呆れながら。
少しだけ笑う。
焚き火の向こう。
黒いマントに身体を包んで眠るシルヴァ。
二年前。
ティナが知っていた少年とは。
同じようで。
少し違う。
「……二年間か」
小さく呟く。
そして。
剣を横へ置く。
見張りを続ける。
◇
翌朝。
「起きて!」
「……」
「シルヴァ!」
「……あと五分」
「五分で済んだことないでしょ!」
「じゃあ十分」
「増やすな!」
毛布が剥がされる。
「寒」
「朝!」
「まだ暗い」
「日の出前に出るって昨日言った!」
「聞いてない」
「言った!」
「寝てたかも」
「会話中に!?」
ティナの声が。
静かな森へ響く。
シルヴァがゆっくり身体を起こす。
「……おはよう」
「遅い!」
「ティナ」
「何!」
「朝から元気だね」
「誰のせいよ!!」
二人の旅は。
まだ。
始まったばかりだった。
遠く。
王都へ続く道の先。
朝日が。
山々の向こうから昇り始めていた。




