第21話 白嶺山脈
学術都市エルネアを発って、二日目。
景色は、昨日までとは大きく変わっていた。
緩やかな丘陵地帯は姿を消し、道の両側には針葉樹の森と切り立った岩肌が続いている。
遥か先。
幾重にも連なる峰の上には白い雪。
白嶺山脈。
聖都アルセリアへ向かう者ならば、必ず越えなければならない山々だ。
「……寒い」
シルヴァが呟いた。
「だから言ったでしょ」
隣を歩くティナが答える。
「寒い」
「二回言っても暖かくならないわよ」
「風止まらないかな」
「あなたの風じゃないでしょ!」
シルヴァは黒い長マントの襟元を掴み、首を縮めて歩いていた。
後ろを歩くクジャは、新しく買った黒い手袋を眺めている。
「暖かい」
「いいな」
「シルヴァも防寒着ある」
「荷物の中」
「着れば?」
「まだ大丈夫」
前を歩いていたティナの足が止まった。
「……シルヴァ」
「何?」
「あなたさっき何て言った?」
「寒い」
「でしょ?」
「でも大丈夫」
「意味が分からない!」
ティナがシルヴァの荷物を掴む。
「ちょっと」
「動かない!」
「歩いてるけど」
「そういう意味じゃない!」
荷物の中から厚手の上着を取り出し、そのまま押しつける。
「はい」
「重い」
「暖かい!」
「動きづらそう」
「寒いよりいいでしょ!」
「戦闘になったら?」
「脱ぎなさい!」
「最初から着なくても――」
「着る!」
「命令?」
「命令!」
シルヴァは少し不満そうに袖を通した。
「…………」
数秒。
「どう?」
「暖かい」
「ほら!」
「ティナすごい」
「防寒着がすごいの!」
クジャが横から言った。
「選んだのティナ」
「そうそう」
「…………」
ティナが少しだけ黙った。
「まあ……そうだけど」
「嬉しそう」
「嬉しくない!」
シルヴァとクジャが顔を見合わせる。
「難しいね」
「うん」
「聞こえてるわよ!」
◇
昼前。
三人は巡礼街道沿いに設けられた小さな休憩所へ入った。
石造りの壁と屋根。
中央には炉。
旅人たちが雨風を凌ぐための簡素な建物だ。
「飯」
シルヴァが荷物を下ろす。
「着いて三秒よ」
「歩いたから腹減った」
「朝もいっぱい食べたでしょ」
「朝と昼は別」
「全部別扱いじゃない!」
クジャがティナの荷物を覗き込む。
「何ある?」
「パンと干し肉とチーズ」
「甘いの」
「ない」
返事が。
ほんの少しだけ遅れた。
「…………」
シルヴァがティナを見る。
「何よ」
「ある?」
「ない」
「今、間あった」
「ない!」
クジャもじっと見る。
「怪しい」
「何で二人して疑うの!?」
シルヴァが荷物へ手を伸ばす。
ティナが抱え込んだ。
「触らない!」
「見るだけ」
「駄目!」
「じゃあある」
「ないって言ってるでしょ!」
「甘いもの隠してる」
クジャが言った。
「クジャ!」
数分後。
机の上には。
小さな紙包みが置かれていた。
中身は三個の蜂蜜菓子。
「…………」
シルヴァが数える。
「三つ」
「そうね」
「俺たち三人」
「そうね」
「ちょうど――」
「分かったわよ!」
ティナが一個ずつ渡す。
「これは本当は、もっと疲れた時に食べようと思ってたの!」
「今疲れてる」
「あなたずっと元気でしょ!」
クジャが一口食べる。
「美味しい」
「でしょ?」
ティナが少しだけ嬉しそうに笑った。
シルヴァも食べる。
「美味しい」
「……そう?」
「もっと買えばよかったね」
「…………」
ティナが自分の分を見た。
「……それはちょっと思った」
「聖都で探そう」
「目的に入れないでよ」
「ディーン」
一本。
「恩寵」
二本。
「甘いもの」
三本。
「最後消して!」
「重要」
「重要じゃない!」
クジャが言う。
「ティナには重要」
「クジャまで!?」
◇
食事を終え。
三人が再び歩き始めてから、一時間ほど。
前方が騒がしくなってきた。
何台もの荷馬車。
商人。
巡礼者。
皆が街道上で足を止めている。
「何だろ」
シルヴァが歩調を速める。
「勝手に行かない!」
「見るだけ」
「一緒に行く!」
三人が人混みを抜ける。
その先。
「……でか」
シルヴァが見上げた。
山の斜面が大きく崩れている。
土砂。
砕けた岩。
その中心には。
人の背丈を遥かに超える巨大な岩盤。
完全に街道を塞いでいた。
「通れないね」
クジャが言った。
「迂回路は……」
ティナが地図を広げる。
「あるにはある」
「どのくらい?」
「二日は余計にかかる」
「二日」
シルヴァの表情が真剣になる。
「食料足りる?」
「最初に心配するのそこ!?」
「大事」
「あなたが普通に食べれば足りる!」
「じゃあ危ないね」
「普通に食べなさい!」
近くにいた年配の商人が声を上げて笑った。
「お前さんたち、聖都へ向かうのか?」
「はい」
ティナが答える。
「これはいつ崩れたんですか?」
「今朝だ」
「怪我人は?」
「それがな」
男が首を捻る。
「誰も死んじゃいない」
「運がよかった?」
「それだけじゃないらしい」
商人は街道を塞ぐ巨大な岩を指差した。
「先頭にいた連中が見てるんだよ」
「何を?」
「岩が落ちてくるところをさ」
男が山の斜面を見る。
「最初はものすごい勢いだったらしい」
「ここにいた奴ら全員、潰されると思ったそうだ」
ティナの顔が真剣になる。
「それが?」
「止まった」
「……止まった?」
「ああ」
商人が手を叩く。
「突然、ピタッとな」
「空中で?」
「いや。地面に落ちて、こっちへ転がってきたところでだ」
巨岩を見る。
「まるで、大地そのものに捕まったみたいにな」
「誰か何かした?」
クジャが聞く。
「知らん」
「オーラ使いは?」
「それらしい奴を見たって話もない」
男は少し声を落とした。
「ただな」
「?」
「昔からこの街道じゃ、似たような話がある」
「似たような?」
「崩落が途中で止まった」
「地滑りが街道の手前で固まった」
「崖が崩れたのに、何故か聖都へ続く道だけ残った」
男が肩をすくめる。
「巡礼者の間じゃ、神様が道を守ってるなんて言う奴もいるよ」
「……神様」
シルヴァが小さく呟いた。
エルネアでハインから聞いた話。
白嶺山脈で。
不自然な形で停止する崩落。
「見てみよう」
「シルヴァ」
「触るだけ」
「その言い方嫌な予感しかしない!」
◇
巨岩の根元。
シルヴァがしゃがみ込んだ。
ティナとクジャも続く。
「…………」
岩そのものは普通だ。
問題は。
その下。
本来なら岩の勢いで大きく抉れているはずの地面が。
奇妙なほど綺麗に。
巨岩を受け止めている。
「沈んだ……?」
ティナが聞く。
「違うと思う」
シルヴァが手を伸ばす。
地面へ触れた。
瞬間。
「――」
指が止まった。
僅かに吹いていた風。
シルヴァの周囲を流れていた風が。
ほんの少し。
地面へ引かれた気がした。
「…………」
「シルヴァ?」
遠い記憶。
冷たい石の床。
分厚い壁。
鉄格子。
幼い自分。
風を集める。
外へ向けて。
放とうとする。
だが。
沈む。
消える。
床へ。
壁へ。
押さえつけられる。
『無駄だ』
低い声。
『その力は、この場所から出ない』
「……」
「どうしたの?」
ティナの声で戻る。
シルヴァが手を離した。
「……知ってる」
「え?」
「この感じ」
クジャがシルヴァを見る。
「何?」
「昔」
シルヴァは地面を見たまま答える。
「聖都の地下で」
声が少し低くなる。
「何度も感じた」
ティナの表情が変わった。
「あなたが閉じ込められてた場所?」
「うん」
「同じ力?」
「……多分」
シルヴァ自身。
確信まではできない。
ただ。
忘れられる感覚ではなかった。
「クジャ」
「見る?」
「頼める?」
「うん」
クジャが眼帯へ手をかけた。
紐を外す。
右眼。
世界の中を流れる力。
シルヴァの周囲。
青白く揺れる風。
ティナの身体の奥。
まだ眠っている白金の光。
そして。
大地。
「…………!」
クジャの右眼に。
巨岩の下から。
街道。
さらに山の奥へと。
薄い茶金色の力が残っているのが見えた。
静か。
重い。
流れているのに。
動こうとしていない。
むしろ。
周囲のものを。
そこへ留めようとしている。
「ある」
「何?」
ティナが聞く。
「力」
「オーラ?」
「違う」
今度は。
クジャの返事が早かった。
「昨日の魔物に入ってたのとも違う」
「じゃあ?」
クジャがシルヴァを見る。
「シルヴァの風」
次に。
ティナを見る。
「ティナの中の光」
最後に。
地面。
「それと同じ側」
ティナが息を飲んだ。
「……恩寵」
クジャが頷く。
「多分」
「種類は?」
「風じゃない」
「光でもない」
クジャが地面へ視線を戻す。
「重い」
「止める感じ」
「……大地」
ティナが呟いた。
その言葉を聞いた瞬間。
シルヴァの顔が変わった。
「……待って」
「何?」
「これが大地の恩寵なら」
シルヴァがもう一度。
地面へ手を置く。
風を。
ほんの少しだけ流す。
やはり。
引かれる。
地面へ。
「……同じだ」
「何が?」
シルヴァの中。
昔の記憶が。
一つ。
繋がる。
「あの時の力」
「シルヴァ?」
「俺を地下に閉じ込めてた時」
声が低くなる。
「ガルドが使ってた」
「ガルド?」
「聖都の最高司祭」
ティナが目を見開く。
「最高司祭が?」
「うん」
シルヴァ自身。
昔から知っていたわけではない。
子供の頃は。
ただ。
逃げようとすれば。
風が抑え込まれる。
ガルドが来れば。
さらに強くなる。
それだけだった。
「俺」
シルヴァが呟く。
「あれが何の力なのか知らなかった」
クジャが地面を見る。
「でもこれは恩寵」
「うん」
ティナが続ける。
「そしてエルネアの記録では、この辺りに大地の恩寵らしい現象が残ってる」
「…………」
シルヴァは。
目を細めた。
「……そういうことか」
今まで。
名前のなかった力。
自分を。
あの地下へ縛りつけていたもの。
「あいつ」
シルヴァの声が。
ほんの少し。
険しくなる。
「大地の恩寵、持ってたんだ」
それは。
喜びでも。
驚きだけでもない。
理解したくなかったものの正体を。
ようやく知った。
そんな声だった。
「確定?」
ティナが聞く。
「本人が使うところを見ないと、絶対とは言えない」
シルヴァは答える。
「でも」
地面を見る。
「これと同じ」
「間違えない?」
「間違えない」
短く。
言い切った。
クジャが眼帯を戻す。
「……っ」
「クジャ?」
シルヴァがすぐ気づく。
「眼、痛い?」
「少し」
「もう見なくていい」
「うん」
シルヴァが自然に。
クジャの頭へ手を置いた。
「無理しないで」
「分かった」
「…………」
横。
ティナが見ている。
シルヴァが気づいた。
「何?」
「別に」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「顔が」
「寒いの!」
「さっきまで普通だったけど」
「山は急に冷えるの!」
クジャが言う。
「妬いてる」
「違う!!」
周囲の旅人が一斉に振り向いた。
「…………」
ティナの顔が真っ赤になる。
「クジャ……!」
「声大きい」
「誰のせいよ!」
◇
「それで」
シルヴァが巨岩を見上げる。
「これ、どうする?」
「急に普通に戻ったわね……」
ティナも見上げた。
「さすがに私たちだけじゃ無理」
「風で動かせるかな」
「どこに飛ばすつもり?」
「山側」
「失敗したら人に飛んでくるでしょ!」
「じゃあやめる」
「判断が軽い!」
その時。
後ろから声が飛んだ。
「小さい岩から退かそう!」
先ほどの商人だった。
その周囲にも。
旅人たちが集まっている。
「全部は無理でも、荷馬車一台通れる幅くらいなら開けられるかもしれん!」
「ロープはある!」
「木材も使えるぞ!」
シルヴァが立ち上がった。
「じゃあやろう」
「あなたも?」
「困ってるし」
「……うん」
「あと暇」
「最後いらない!」
◇
それから二時間。
「せーの!」
「押せ!」
「右!」
「どっち!?」
「あなたの右!」
「最初からそう言って!」
「普通そうでしょ!」
旅人たちの笑い声。
太いロープ。
木材。
荷馬車の車輪。
使えるものを総動員する。
シルヴァは風を弱く流し。
岩にかかる重さを僅かに逃がす。
ティナは《構装》で崩れそうな部分に簡易的な支えを作る。
クジャはカードを一枚。
「♣4」
ロープへ。
オーラの帯。
「クジャ!」
「何?」
「そっち緩んでる!」
「分かった」
カードが回転。
拘束の力が。
ロープごと岩を締め付ける。
「今!」
「押せぇ!!」
ズズズズ……。
「動いた!」
「もう一回!」
少しずつ。
少しずつ。
街道から岩を退かしていく。
やがて。
「通った!」
歓声。
荷馬車一台。
ぎりぎり通れるだけの道が開いた。
「……疲れた」
シルヴァが地面へ座り込む。
「剣振るのとどっち?」
ティナが聞く。
「こっち」
「意外」
「岩、重い」
「知ってる」
「しかも倒しても経験にならない」
「何の経験よ!」
クジャが手元のカードを見る。
「…………」
「どうしたの?」
「♣4」
真ん中。
大きく折れていた。
「死んだ」
「死んだって言い方やめない?」
「長く使ってた」
「直せない?」
「多分無理」
シルヴァが覗く。
「聖都で新しいの探そう」
「カード売ってる?」
「聖職者が使ってるかも」
ティナが呆れる。
「どんな聖職者よ」
「占い?」
「それなら普通の札でもいいでしょ!」
◇
夕方。
三人は巡礼街道沿いの宿場へ辿り着いた。
石造りの建物が並び。
煙突から白い湯気が上がっている。
「温泉」
シルヴァが看板を見る。
「温泉」
クジャも見る。
二人の目が。
少し輝いた。
「まず宿!」
ティナが二人のマントを掴んだ。
「部屋取ってから!」
「逃げないよ」
「温泉に行くでしょ!」
「それ逃げるって言う?」
◇
「一部屋だけ?」
宿の主人が申し訳なさそうに笑った。
「崩落のせいで今日は人が多くてね」
ティナが恐る恐る聞く。
「ベッドは?」
「三つあるよ」
「取ります」
即答だった。
「早い」
シルヴァが言う。
「三つあるから!」
クジャが言った。
「前も三人で寝ればよかったのに」
「その話はもうしない!」
◇
男湯。
露天風呂。
「…………」
シルヴァは肩まで湯に浸かっていた。
冷たい山の空気。
熱い湯。
「……最高」
疲れが。
ゆっくりと消えていく。
目の前。
白嶺山脈。
その向こう。
聖都アルセリア。
「…………」
シルヴァの顔から。
少しずつ笑みが消えた。
昼間。
感じた力。
大地の恩寵。
「ガルド……」
名前を口にしただけで。
胸の奥が。
僅かにざらつく。
昔。
何度も。
あの男に向かって言った。
『出して』
『もう大丈夫だから』
『風使わないから』
『ここから出してよ』
ガルドは。
ほとんど答えなかった。
ただ。
『まだ許可はできん』
それだけ。
「…………」
シルヴァは湯へ口元まで沈む。
「大地の恩寵か」
今になって。
初めて分かった。
自分を封じていたもの。
「……会いたくないな」
湯気の向こう。
誰も答えなかった。
◇
女湯。
「気持ちいい」
クジャが湯へ浸かっている。
「ね」
ティナも隣。
髪を下ろし。
傷口は濡れないよう丁寧に処置している。
しばらく。
静かだった。
「ティナ」
「何?」
「シルヴァ好き?」
「ぶっ!?」
ティナが盛大にむせた。
「な、何で急に!?」
「今日」
「今日!?」
「私の頭触った時」
「それが何!?」
「怖い顔してた」
「してない!」
「してた」
「寒かっただけ!」
「今も顔赤い」
「今はお湯よ!」
クジャが小さく頷く。
「便利」
「何が!?」
少しして。
クジャが言う。
「じゃあ違う?」
「…………」
「ティナ?」
「……違う!」
「遅い」
「うるさい!」
クジャが湯に口元まで沈む。
「でも」
「何?」
「そういう話」
「うん」
「昔もした気がする」
ティナの表情が変わる。
「孤児院?」
「多分」
クジャが目を閉じる。
湯気。
一瞬。
古い部屋。
何人もの子供。
毛布。
笑い声。
『クジャは誰が好き?』
『いない』
『嘘だー』
「…………」
顔が。
見えない。
「消えた」
「また?」
「うん」
「思い出しかけた?」
「少し」
クジャは水面を見る。
「最近増えた」
「前は?」
「何も考えなかった」
「…………」
ティナがそっと。
クジャの肩へ手を置く。
「焦らなくていいからね」
「シルヴァと同じこと言う」
「そう?」
「うん」
「……まあ」
ティナが少し笑う。
「そういうところは、あの人もちゃんとしてるから」
「夫婦みたい」
「何でそうなるのよ!!」
女湯に。
ティナの声が響いた。
◇
夜。
三人の部屋。
「夕飯うまかった」
シルヴァがベッドへ倒れ込む。
「何杯食べた?」
「三杯」
「明日減らす」
「何で!?」
「旅費!」
「おかわり無料だった」
「…………」
「勝った」
「何に!?」
クジャはベッドの上で。
折れた♣4を見つめていた。
「捨てるの?」
シルヴァが聞く。
「まだ」
「使えないよね?」
「うん」
「じゃあ?」
「何となく」
クジャは。
折れたカードをカードケースの奥へ戻した。
「捨てたくない」
「そっか」
それ以上。
シルヴァは聞かなかった。
窓の外。
夜の白嶺山脈。
ティナが窓を閉める。
「明日はもっと山奥へ入るわ」
「うん」
「順調なら、その次の日には山を越えられる」
「じゃあ」
シルヴァが天井を見る。
「もうすぐだ」
「聖都」
「うん」
少しだけ。
声が重くなる。
ティナは。
昼から気になっていたことを聞いた。
「シルヴァ」
「何?」
「ガルドって人」
「…………」
「最高司祭なんでしょ?」
「うん」
「あなたを閉じ込めた人」
「そう」
クジャもカードを切る手を止める。
「ガルドが大地の恩寵持ってるって」
ティナが続けた。
「今日まで知らなかったの?」
「知らなかった」
シルヴァは即答した。
「俺が知ってたのは」
右手を開く。
「ガルドが、俺の風を封じられるってことだけ」
「どういう力かは?」
「教えてもらってない」
「…………」
「子供だったし」
シルヴァが小さく笑う。
「俺も聞く余裕なかったから」
ティナが何も言えなくなる。
「逃げようとすると」
シルヴァが続ける。
「風が地面に吸われる」
「壁を壊そうとしても止まる」
「ガルドが来ると、もっと強くなる」
「俺にとっては」
少し。
言葉を探す。
「ただ嫌な力だった」
「…………」
「でも今日」
クジャを見る。
「クジャがあれを恩寵だって見つけた」
「うん」
「ハインが言ってた大地の話もある」
「だから」
シルヴァが目を閉じる。
「多分、間違いない」
「ガルドが」
「大地の恩寵を持ってる」
クジャが聞く。
「嫌?」
「何が?」
「大地の恩寵」
「…………」
シルヴァは少し考えた。
「分かんない」
「でも」
拳を握る。
「いい思い出はないね」
当然だった。
風の恩寵を持つ少年を。
大地の恩寵が。
何年も地下へ縛りつけていた。
ティナが静かに聞く。
「会いたくない?」
「会いたくない」
即答。
「どのくらい?」
クジャが聞く。
「顔見たら帰りたくなるくらい」
「もう向かってる」
「だから嫌なんだよ」
クジャが頷く。
「なるほど」
「納得するの?」
「分かりやすい」
ティナが少しだけ笑った。
「じゃあ」
「?」
「帰りたくなったら言いなさい」
「帰っていいの?」
「駄目」
「何で?」
「一人で帰るのは」
シルヴァがティナを見る。
「私たちもいるんだから」
「二人」
クジャも言う。
「面倒なのが」
「クジャ!?」
シルヴァが笑った。
「うん」
昔とは違う。
あの頃は。
一人だった。
今は。
違う。
◇
翌日。
昼過ぎ。
白嶺山脈の深部。
「待って」
突然。
シルヴァが立ち止まった。
「どうしたの?」
「血」
「え?」
風が。
森の奥から。
薄い匂いを運んでいる。
「こっち」
三人が街道を外れる。
木々の間。
しばらく進む。
「……魔物」
ティナが呟く。
一体。
二体。
三体。
大型の魔物が倒れていた。
「死んでる」
クジャがしゃがむ。
「まだ新しい」
シルヴァが。
一体の傷口を見る。
深い斬撃。
首から肩。
一撃。
そして。
周囲の毛皮。
焼け焦げている。
「…………」
シルヴァの目が変わった。
別の魔物。
胸。
鋭い刺突。
そこにも。
青黒い焦げ跡。
「これ」
ティナが気づく。
「雷」
クジャが言った。
シルヴァは。
傷口へ手を伸ばす。
触れない。
その手前で止める。
「……ディーン」
「分かるの?」
「うん」
迷いはない。
「この剣」
傷の角度。
深さ。
無駄のない一撃。
「何回食らったと思ってるの」
「稽古で?」
「うん」
「嬉しそうに言うこと?」
それでも。
シルヴァは笑っていた。
血は。
まだ完全に乾いていない。
古くない。
数か月前でも。
数週間前でもない。
「近い」
シルヴァが言う。
「かなり」
「走らない」
ティナが先に言った。
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
クジャも見る。
「走る顔」
「どんな顔?」
「今の」
「分かんない」
シルヴァは。
もう一度。
魔物の傷を見る。
二年間。
何の手掛かりもなかった。
エルネアでは。
四か月前。
でも今は。
すぐ近く。
「……生きてる」
小さな声。
ティナが隣に立つ。
「うん」
「本当に」
「うん」
その時。
シルヴァの表情が。
少しだけ。
十四歳の少年に戻ったように見えた。
「行こう」
西。
山の向こう。
聖都アルセリア。
そのどこかに。
ガルドがいる。
そして。
ディーンもいるかもしれない。
会いたくない相手と。
ずっと会いたかった相手。
二人が待つ場所へ。
三人は。
再び歩き始めた。




