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風葬のシルヴァ  作者: 桜
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第19話 無音の戦場

 音がない。


 巨大な魔物が唸っている。


 石床を爪が削っている。


 剣が鞘から抜かれている。


 それでも。


 何一つ、聞こえない。


「…………」


 シルヴァは壁から身体を離した。


 正面。


 巨大な四足の魔物。


 その後方に、赤い瞳の男――セイル。


 さらに短剣と槍を構えた二人の魔族。


 隣ではティナが剣を構え。


 クジャは五枚のカードを手にしている。


 少し離れた場所にはハイン。


 完全に戦闘へ巻き込まれていた。


 シルヴァが口を動かす。


『ハインさんを守って』


 当然。


 声は聞こえない。


「…………」


 ティナが眉を寄せる。


 伝わっていない。


 シルヴァはハインを指差し。


 次にクジャを指す。


 クジャが一度だけ頷いた。


 伝わった。


 シルヴァは今度はティナを見る。


 巨大な魔物を指差す。


 自分。


 そしてティナ。


「…………」


 ティナも頷いた。


 最後に。


 セイル。


 シルヴァが指差す。


 クジャが右眼を細めた。


 その眼には見えている。


 この無音の空間を覆うオーラ。


 そして。


 その中心にいるセイル。


 クジャが自分を指差し。


 セイルを指した。


 シルヴァが頷く。


 即席の役割分担。


 それを見ていたセイルが、小さく笑った。


 口が動く。


 何を言ったかは分からない。


 だが。


 次の瞬間。


 巨大な魔物が動いた。


     ◇


 石床を蹴る。


 音はない。


 だが。


 床が砕ける。


 シルヴァが横へ跳んだ。


 魔物の牙が、さっきまで立っていた場所を通過する。


 速い。


 ただ大きいだけではない。


 身体能力そのものが異常な領域まで引き上げられている。


 シルヴァが剣を振る。


 魔物の前脚。


 刃が触れた。


 浅い。


「……!」


 硬い。


 本来ここまで硬い魔物ではない。


 そう思った瞬間。


 反対の前脚が飛んできた。


 シルヴァが剣を立てる。


 直撃。


 再び身体が押される。


 その横。


 ティナが滑り込んだ。


 足元に形成される小さな《構装》。


 一瞬だけ足場を蹴り。


 魔物の懐へ潜る。


 剣。


 腹部へ。


 ザッ――。


 音は聞こえない。


 だが血が飛んだ。


「!」


 ティナの目が大きくなる。


 浅い。


 普通ならもっと深く入っている。


 魔物の筋肉自体が異常に発達していた。


 それでも。


 傷を負わせた。


 魔物がティナを見下ろす。


 前脚が振り上げられた。


 傷はまだ治り切っていない。


 ティナの踏み込みが、一瞬遅れる。


 シルヴァの足元。


 風。


 《風脚》。


 一気に距離を詰める。


 ティナの腰を掴んだ。


 そのまま横へ跳ぶ。


 巨大な爪が床を粉砕した。


 二人が転がる。


 ティナがすぐに起き上がり。


 何かを叫んだ。


『急に触らないで!』


 多分。


 そんな感じだ。


 シルヴァは、


『ごめん』


 と口だけ動かした。


 ティナが顔を赤くしながら剣を構え直した。


 戦闘中なのに。


 何となく何を言っているのか分かる。


     ◇


 一方。


 クジャ。


 初期手札は五枚。


 ♠4。


 ♣6。


 ♦3。


 ♥7。


 ♠9。


 目の前。


 短剣を持った魔族が駆け込んでくる。


 足音は聞こえない。


 だが。


 右眼には見える。


 全身を巡るオーラ。


 踏み込みの直前。


 脚へ集まる力。


 肩。


 腕。


 短剣へ流れるオーラ。


 クジャは♦3を放った。


 空中。


 カードが広がる。


 小さな防壁。


 短剣が当たる。


 クジャの身体が僅かに押される。


 その瞬間。


 ♣6。


 カードが魔族の横を通過。


 一度。


 避けられる。


 だが。


 そのまま後方へ飛んだ♣6が停止した。


 方向転換。


 背後から戻る。


「!」


 魔族の腕へ。


 拘束。


 オーラの帯が巻きついた。


 クジャは右手を引く。


 魔族の姿勢が崩れる。


 そこへ。


 ♠4。


 斬撃。


 肩を裂く。


 使用。


 手札が一枚減る。


 カードケースから新しい一枚。


 ♦8。


 クジャはすぐに次を見る。


 槍の魔族。


 標的は。


 ハイン。


「……!」


 槍が突き出される。


 クジャが♦8を投げた。


 ハインの前。


 大きな防壁。


 槍の穂先が止まる。


 ハインは口を開けて何か叫んでいる。


 クジャは聞こえないまま。


 左手で、


『下がって』


 と合図した。


 ハインが必死に頷く。


 だが。


 セイルが動いた。


     ◇


 クジャの右眼。


 空間全体へ広がった力が揺れる。


 セイルが手を上げた。


 すると。


 音を消している膜が。


 さらに濃くなる。


「…………!」


 右眼に痛み。


 クジャが僅かに顔をしかめる。


 この能力。


 ただ音が聞こえないだけではない。


 周囲の音を生み出す振動だけを、オーラで包み込んで消している。


 足音。


 声。


 金属音。


 風切り音。


 全部。


 戦闘で必要な情報を奪うための能力。


 クジャの右眼がなければ。


 背後から誰かが迫っても気づくのが遅れる。


 セイルが短剣を一本抜いた。


 そして。


 クジャへ投げる。


 見える。


 クジャが首を傾ける。


 短剣が頬の横を通過する。


 その瞬間。


 セイルの目が細くなった。


 もう一度。


 二本。


 違う軌道。


 避ける。


 三本。


 これも。


 クジャが♦8を動かす。


 防御。


 短剣が弾かれる。


 セイルが初めて。


 クジャの右眼をじっと見た。


「…………」


 何か言っている。


 読めない。


 だが。


 その表情。


 少しだけ。


 興味を持った。


 クジャは嫌そうに眉を寄せた。


     ◇


 シルヴァの剣が。


 魔物の牙とぶつかる。


「……っ!」


 腕が重い。


 シルヴァが風を纏わせる。


 剣を引く。


 身体を回転。


 《風刃》。


 風の斬撃が魔物の顔へ。


 今度は深く切れた。


 魔物が頭を振る。


 だが。


 止まらない。


「…………」


 ティナが隣へ着地する。


 目が合う。


 二人とも。


 同じことを考えていた。


 痛みへの反応が鈍い。


 普通なら怯む傷だ。


 それなのに。


 すぐ次の攻撃へ移る。


 魔物が口を大きく開ける。


 噛みつき。


 シルヴァが前へ出る。


 ティナが横へ回る。


 巨大な頭。


 シルヴァの剣が受ける。


 その瞬間。


 ティナが《構装》を発動。


 魔物の横。


 空中へ足場を一枚。


 踏む。


 さらに一枚。


 上へ。


 魔物の背中へ飛び乗った。


 剣を逆手。


 首筋へ突き立てる。


「――!」


 魔物が暴れる。


 ティナの身体が大きく揺れる。


 傷が痛む。


 顔を歪める。


 シルヴァが気づく。


 ティナが首を振った。


 まだ大丈夫。


 シルヴァは魔物の正面へ。


 風が足元へ集まる。


 突進。


 剣先一点。


 オーラを集中させる。


 《点穿》。


 魔物の胸。


 硬い皮膚。


 筋肉。


 一点へ。


 貫く。


 ズン――。


 音はない。


 巨大な身体が初めてよろめいた。


 ティナが剣を引き抜き。


 背中から飛び降りる。


 シルヴァも距離を取る。


 魔物がふらつく。


 だが。


「…………!」


 再び立った。


 ティナの顔に驚愕。


 シルヴァも目を細める。


 明らかに。


 普通じゃない。


     ◇


 クジャには。


 理由が見えていた。


 魔物の中。


 本来の力の流れ。


 その上から侵入している黒い流れ。


 傷を負うたび。


 その黒い流れが強く脈打つ。


 身体へ。


 動け。


 戦え。


 止まるな。


 そう命令しているように。


「…………」


 クジャが右眼を細める。


 どこから?


 魔物の身体を追う。


 黒い流れ。


 全身。


 集まる場所。


 首の付け根。


「……!」


 そこ。


 小さな刻印。


 肉体へ直接刻まれたもの。


 クジャはシルヴァを見る。


 声は出ない。


 だから。


 カードを一枚。


 ♠9。


 魔物へ投げる。


 狙いは。


 首。


 シルヴァが気づく。


 クジャが同じ場所を何度も指差す。


「…………」


 首?


 ティナも見る。


 クジャが頷く。


 シルヴァが理解した。


 魔物が突進。


 今度は。


 避ける。


 正面から受けない。


 風。


 《風脚》。


 魔物の横を抜ける。


 ティナが逆側。


 二人同時。


 魔物が迷う。


 その一瞬。


 クジャの♣6。


 さっき魔族を拘束したカード。


 遠隔操作。


 再使用。


 床を滑る。


 魔物の前脚へ絡みついた。


 巨体が僅かに傾く。


 ティナ。


 《構装》。


 刃を延長。


 首筋へ一閃。


 浅い。


 だが。


 皮膚を裂いた。


 その下。


 黒い刻印。


 露出する。


 シルヴァが見た。


「…………!」


 そこか。


 踏み込む。


 剣。


 風を一点へ。


 首筋。


 刻印へ。


 突き刺した。


 瞬間。


 黒い力が。


 魔物の全身で暴れた。


「――――!!」


 声は聞こえない。


 だが。


 魔物の口が開く。


 全身の筋肉が痙攣する。


 黒い流れ。


 崩れる。


 クジャの眼には。


 はっきり見えた。


 外から流し込まれていた力が。


 途切れた。


 魔物の身体が。


 倒れた。


 巨大な頭が石床へ落ちる。


 初めて。


 動かなくなった。


     ◇


 セイルの目が。


 少しだけ変わった。


 刻印を見抜いた。


 シルヴァではない。


 ティナでもない。


 眼帯の少女。


 セイルの視線がクジャへ集中する。


「…………」


 クジャは嫌な感じがした。


 同時に。


 右眼。


 ズキッ。


「……っ」


 使用時間が長い。


 視界の端がちらつき始める。


 セイルはそれも見逃さなかった。


 手を上げる。


 二人の部下が下がった。


 短剣の魔族も。


 槍の魔族も。


 倒れてはいない。


 だが傷を負っている。


 セイルは。


 戦闘を続ける気がない。


 シルヴァがそれに気づく。


 剣を構えたまま。


 セイルへ歩く。


 セイルは懐から一枚の紙束を取り出した。


 クジャの右眼が捉える。


 研究院の資料。


 ティナも気づいた。


「…………!」


 返せ。


 そう叫んでいる。


 当然。


 聞こえない。


 シルヴァが《風脚》。


 距離を詰める。


 セイルも動く。


 黒い短剣。


 剣と短剣。


 交差。


 シルヴァが押す。


 セイルが受け流す。


 次。


 剣。


 短剣。


 高速で数度。


 シルヴァの目が細くなる。


 強い。


 だが。


 剣士ではない。


 正面戦闘なら。


 押せる。


 シルヴァが踏み込む。


 風を纏った斬撃。


 セイルが後退。


 外套が裂けた。


 シルヴァが追う。


 その瞬間。


 セイルの指が動いた。


 床。


 小さな筒が転がる。


 光。


 視界が真っ白になった。


「……!」


 音がない。


 だから。


 投げられたことすら。


 目で見るまで分からない。


 シルヴァが腕で顔を覆う。


 ティナも。


 クジャの右眼だけが。


 白い光の向こう。


 逃げる三つの力を捉えていた。


 セイル。


 二人の魔族。


 地下の別通路へ。


 クジャがカードを飛ばす。


 ♠9。


 しかし。


 視界が。


 ブレた。


「っ……」


 軌道が僅かにずれる。


 壁へ刺さる。


 右眼から。


 涙が一筋。


 クジャは眼帯を戻した。


     ◇


 数秒後。


 光が消えた。


 そして。


 音が戻った。


「――シルヴァ!!」


 最初に聞こえたのはティナの声だった。


「うるさっ」


「誰がうるさいのよ!」


「あ、戻った」


 シルヴァが自分の耳を触る。


「聞こえる」


「そうね」


 床。


 剣の音。


 息遣い。


 遠くの物音。


 全部戻っている。


「逃げた?」


 シルヴァが聞く。


 クジャが頷いた。


「三人とも」


「追える?」


「道分からない」


 ハインが慌てて言った。


「裏側に旧管理通路があります! 湖岸へ繋がっていたはずです!」


 シルヴァが走ろうとする。


「待って!」


 ティナ。


「何?」


「クジャ」


 シルヴァが振り返る。


 クジャが壁へ手をついていた。


「クジャ?」


「大丈夫」


「大丈夫に見えないけど」


「眼使いすぎただけ」


「血は?」


「出てない」


「ほんと?」


「うん」


 シルヴァが少し迷う。


 逃げた魔族。


 クジャ。


 そして。


 床に倒れた巨大な魔物。


 ハイン。


 負傷したティナ。


「……追わない」


 ティナが少し驚く。


「いいの?」


「今追って分かれる方が危ない」


 剣を鞘へ戻す。


「それに」


 倒れた魔物を見る。


「こいつ調べた方がいい」


 ハインも頷いた。


「研究院へ侵入した者が何を探していたのかも確認しなければ」


「取られた紙」


 クジャが言った。


「何?」


「逃げた人、持ってた」


「何の資料?」


 ハインの顔色が変わる。


「確認します」


     ◇


 一時間後。


 地下書庫。


 研究院の警備員たちが周囲を封鎖していた。


 倒された魔物も別の研究区画へ運ばれる準備が進んでいる。


 机の上。


 いくつもの書類。


 ハインは棚を確認しながら、次々と記録を照合していた。


「……やられました」


 低い声。


「何がなくなった?」


 ティナが聞く。


「原典そのものではありません」


 ハインは一冊の古書を持ってくる。


「研究院で作成した写しと、過去の調査記録です」


「内容は?」


「五大恩寵について」


 シルヴァとティナが見る。


「それから」


 ページを捲る。


「聖都アルセリアに存在するとされる、古い封印の記録」


「封印?」


 シルヴァが聞く。


「詳しいことは?」


「この写しだけでは分かりません」


 ハインは首を振った。


「原典はアルセリア側が保有しています」


 ティナの表情が変わる。


「じゃあ、あいつらも」


「聖都へ行く可能性がある」


 シルヴァが続けた。


「高いでしょうな」


 ハインはさらに紙を確認する。


「ただし、盗まれたのはそれだけではありません」


「まだあるの?」


「アステラ各地の軍事資料」


 ティナの目が鋭くなる。


「軍事?」


「王都軍」


「東方防衛軍」


「主要街道」


「各地で確認された高位オーラ使い」


 ハインが一つずつ挙げる。


「何でそんなものを古代史研究院が?」


「戦争史を研究する以上、現代の軍事記録も比較対象として保管しています」


 シルヴァは黙った。


「恩寵だけじゃない……」


 ティナも気づく。


「こいつら、何を調べてるの?」


 クジャが聞いた。


「分からない」


 ティナは答える。


 だが。


 嫌な予感がする。


 偶然。


 興味のある資料を盗んだ。


 そんな内容ではない。


 恩寵。


 封印。


 軍隊。


 強者。


 街道。


 全部。


「……戦争する時に」


 シルヴァがぽつりと言った。


 三人が見る。


「知ってたら便利なものばっかりだね」


 ティナの顔が強張った。


「まさか」


 ハインも沈黙する。


 クジャが聞く。


「アステラを攻めるため?」


「まだ分からない」


 ティナが答える。


「でも」


 拳を握る。


「もしそうなら……」


 ガルゼム。


 東方への襲撃。


 軍用魔物。


 そして今回。


 全部が。


 少しずつ。


 繋がり始めている。


     ◇


 同じ頃。


 エルネア郊外。


 湖へ流れ込む細い川。


 その岸辺に。


 三人の魔族が姿を現した。


「申し訳ありません」


 部下が頭を下げる。


「騒ぎになりました」


 セイルは外套の裂けた部分を見る。


「構わない」


「しかし」


「必要な情報は得た」


 手元。


 奪った資料。


「それに」


 セイルは別の紙を取り出す。


 そこには。


 戦闘中に自分で記した簡単な記録。


 風の恩寵保持者。


 シルヴァ・ライズ。


 剣術。


 風による高速移動。


 高出力の斬撃。


 近接戦闘能力――高。


 ティナ・ルクス。


 《構装》による足場・武器補助。


 負傷状態。


 そして。


 眼帯の少女。


「……クジャ・ローズ」


 セイルがその名前を呟く。


「何者でしょう」


「分からない」


「右眼で何かを見ていたようですが」


「ああ」


 強化魔物の刻印を。


 見抜いた。


 偶然ではない。


「これも報告する」


「ヴァイラ様へ?」


「当然だ」


 セイルは湖の向こう。


 西方を見る。


 そのさらに先。


 白嶺山脈。


 聖都アルセリア。


「次の調査対象が決まった」


     ◇


 さらに遠く。


 エルネアから離れた第二軍団の拠点。


 夜。


 一人の魔族が。


 片膝をついていた。


「報告いたします」


 その前。


 大きな地図を眺める男。


 魔王軍第二軍団長――ヴァイラ。


「エルネアの資料から」


 報告役が続ける。


「聖都アルセリアに、神魔大戦以前から存在する封印施設が確認されました」


「詳細は」


「不明」


「恩寵との関連」


「可能性あり」


 ヴァイラは無表情のまま。


 地図上。


 聖都へ指を置く。


「ならば調べる」


「軍を動かしますか?」


「まだだ」


「では」


「少数でいい」


 ヴァイラは答える。


「我々は都市を落としに行くのではない」


 赤い目が。


 静かに細められる。


「何が我々を殺し得るのか」


 指が。


 聖都アルセリアを押さえる。


「それを確認しに行く」

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