↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風葬のシルヴァ  作者: 桜
PR
17/79

第17話 湖畔の街

 朝。


 リーヴェ宿場の小さな食堂には、焼きたてのパンの匂いが広がっていた。


「…………」


 ティナは無言で向かいの席を見ていた。


 パン。


 卵。


 焼いた肉。


 豆の煮込み。


 さらにパン。


 そして追加の肉。


 それらが次々と、シルヴァの胃へ消えていく。


「……ねえ」


「ん?」


「今日、何日歩く予定だった?」


「夕方まで」


「そうよね」


「うん」


「戦争にでも行くの?」


 シルヴァが首を傾げた。


「行かないけど」


「じゃあその量は何!?」


「朝飯」


「知ってるわよ!」


 クジャは隣で蜂蜜をパンへ塗っている。


「昨日より少ない」


「え?」


 ティナが固まった。


 シルヴァが頷く。


「昨日食べすぎたから」


「……昨日より少ないの、これ?」


「うん」


「この旅、食費だけで破産するんじゃないでしょうね……」


 ティナは財布の入った袋を抱き寄せた。


 シルヴァの視線がそれを追う。


「今日の昼――」


「駄目」


「まだ何も言ってない」


「肉買いたいでしょ」


「……何で分かったの?」


「三日も一緒に旅してれば分かる!」


 クジャがパンをかじる。


「顔に出る」


「カードの時も言われた」


「全部出る」


「そんなに?」


「うん」


 シルヴァは少し真剣な顔になった。


「直した方がいいかな」


「戦闘では出ないから別にいいんじゃない?」


 ティナが言う。


「食べ物とカードだけね」


「じゃあいいか」


「いいの?」


     ◇


 宿場町を出ると、学士街道は緩やかな丘を北西へ続いていた。


 空は青い。


 風も穏やか。


 ティナの傷もかなり回復し、今日は自分で荷物を背負っている。


 ただし。


「重かったら言って」


「大丈夫」


「ほんと?」


「大丈夫」


「無理してない?」


「してない!」


「傷開いたら――」


「シルヴァ」


「何?」


「五回目」


 クジャが言った。


「朝から五回聞いてる」


「だってまだ治ってないし」


「心配性」


「普通でしょ」


 ティナが少しだけ横を向いた。


「……まあ、ありがと」


「ん?」


「何でもない!」


「何で怒ったの?」


「怒ってない!」


 クジャが二人を見る。


「面倒」


「誰がよ!」


「二人」


「クジャまで!?」


 三人はそのまま街道を歩いた。


 途中、小さな馬車と何度かすれ違った。


 その多くに若い男女が乗っている。


 荷物よりも本が多い。


「学生?」


 シルヴァが聞く。


「多分」


 ティナが答える。


「エルネアは大陸でも有名な学術都市だから。王都から留学する人も多いのよ」


「勉強しに一週間歩くの?」


「学校に住むの」


「ああ」


 シルヴァは納得した。


「俺には無理だね」


「何が?」


「ずっと勉強」


「でしょうね」


 即答だった。


「早い」


「あなたが図書館で一日座ってる姿、想像できないもの」


「剣振っていいなら」


「図書館で剣を振るな」


 クジャが言った。


     ◇


 昼過ぎ。


 三人は街道から少し外れた小さな村へ立ち寄った。


 人口百人ほどの、農業を中心とした村だった。


 目的は水と食料の補充。


 ――のはずだった。


「シルヴァ」


「何?」


「どこ行くの?」


「いい匂いする」


「補給!」


「だから食料」


「今食べる分じゃない!」


 村の広場では、小さな市が開かれていた。


 シルヴァが焼き鳥の露店へ吸い寄せられていく。


 ティナがマントの端を掴んだ。


「離して」


「駄目」


「一個だけ」


「朝あれだけ食べたでしょ!」


「もう昼だよ」


「…………」


 ティナが空を見る。


「……確かに昼ね」


「でしょ?」


「一個だけよ」


「二個」


「一個」


「間を取って三個」


「増えてる!」


 クジャはそんな二人から離れ、広場の反対側へ歩いていった。


「クジャ?」


 ティナが気づく。


 クジャは答えなかった。


 その視線の先。


 村の子供たちが地面に座っていた。


 五人ほど。


 真ん中には古びた木箱。


 その上に並べられているのは――


 トランプ。


「次、僕!」


「待ってよ、まだ終わってない!」


「それ出したらずるい!」


「ずるくないよ!」


 笑い声。


 クジャが立ち止まる。


「…………」


 風景が。


 一瞬だけ。


 歪んだ。


     ◇


『クジャ!』


 誰かが笑っている。


 小さな手。


 擦り切れたカード。


 ♠7。


『また負けた!』


『弱いから』


『クジャが強すぎるんだよ!』


 知らない声。


 いや。


 知っている。


 ――気がする。


 薄暗い部屋。


 長い木の机。


 たくさんの子供。


 窓から差し込む夕日。


『明日もやろうね』


 誰かが。


 一枚のカードを差し出した。


     ◇


「……クジャ?」


「!」


 視界が戻った。


 ティナが目の前にいる。


「どうしたの?」


「…………」


 クジャは右手を額へ当てた。


「頭痛?」


「少し」


 シルヴァも焼き鳥を三本持って戻ってきた。


「大丈夫?」


「うん」


「眼?」


「違う」


 クジャは眼帯には触れなかった。


 もう一度、子供たちを見る。


 彼らはまだ笑いながらカードを出している。


「……トランプ好きなの?」


 ティナが聞く。


「多分」


「多分?」


「昔もやってた気がする」


「誰と?」


 クジャの返事が止まった。


「…………」


「クジャ?」


「覚えてない」


 淡々とした声。


 いつものクジャだった。


 だが。


 ティナは少し表情を変えた。


「子供の頃の友達?」


「分からない」


「家族とか?」


「親の顔も覚えてない」


 シルヴァが焼き鳥を食べる手を止めた。


「……そうなの?」


「うん」


「亡くなったの?」


「知らない」


「知らない?」


「孤児院にいたから」


 クジャは当たり前のように言った。


「どこ?」


 シルヴァが聞く。


「ノクティス」


「…………」


 今度は。


 シルヴァが黙った。


 ティナも同じだった。


 二年前。


 魔王ゼノアとの最終決戦が行われた大陸。


 現在ではほとんど航路すら途絶えた土地。


「クジャって……ノクティス出身だったの?」


「多分」


「それも多分なの?」


「孤児院がノクティスにあったのは覚えてる」


「じゃあ、どうやってアステラまで来たの?」


「…………」


 クジャが考える。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


「分からない」


 ティナの眉が寄る。


「船に乗ったとか?」


「覚えてない」


「孤児院を出たのは?」


「…………」


 また長い沈黙。


「気付いたら」


 クジャが言った。


「なくなってた」


「孤児院が?」


「うん」


「どういうこと?」


「分からない」


 クジャ自身も。


 少しだけ不思議そうな顔をした。


「覚えてるのは」


 指を一本立てる。


「孤児院にいた」


 二本。


「カードで遊んでた」


 三本目を立てようとして――


 止まる。


「…………」


「その後は?」


 ティナが優しく聞く。


「……ない」


「ない?」


「思い出そうとすると、途中がない」


 シルヴァは黙ってクジャを見る。


「気にならなかったの?」


「昔のことだから」


「…………」


「それに生きてるし」


 あっさり。


 クジャらしい答えだった。


 ティナは何か言おうとして。


 やめた。


 代わりに、


「そっか」


 とだけ言った。


 クジャが子供たちへ視線を戻す。


 一人の少女がこちらに気づいた。


「お姉ちゃん!」


「?」


「トランプ好き?」


 クジャが瞬きをする。


「うん」


「一緒にやる?」


「…………」


 クジャは少し考えた。


「いいよ」


「やった!」


 子供たちが場所を空ける。


 クジャはそこへ座った。


 ティナが小さく笑う。


「行かなくていいの?」


 シルヴァが聞く。


「少しくらいいいでしょ」


「エルネアまでまだあるよ」


「誰のせいで昨日カード八回もやったと思ってるの?」


「俺」


「分かってるじゃない」


 シルヴァも地面へ座った。


「俺もやる」


 クジャが見る。


「負けるよ」


「今日は違う」


「昨日も言ってた」


「今日の俺は強い」


 十五分後。


「…………」


「弱い」


「おかしい」


「全然変わってないじゃない」


 ティナが笑った。


 村の子供たちにすら負けていた。


     ◇


 日が傾き始めた頃。


 三人は再び学士街道を歩いていた。


「六歳の子に負けた」


 クジャが言う。


「言わなくていいよ」


「しかも三回」


「言わなくていいって」


 ティナは必死に笑いを堪えている。


「ふっ……」


「笑ってる」


「笑ってない」


「今笑った」


「笑ってないって!」


「ティナは二回負けてた」


「私はいいの!」


「何で?」


「あなたより勝ってるから」


「次は勝つ」


「まだやるの?」


 そんな会話をしながら。


 三人は歩く。


 やがて。


 道の向こうに、大きな湖が見え始めた。


「……あれ?」


 シルヴァが足を止める。


 夕日に染まる水面。


 どこまでも続く青。


 その湖畔。


 白い石造りの建物が幾重にも並んでいる。


 高い塔。


 巨大な橋。


 湖へ突き出した研究施設。


 いくつもの鐘楼。


 中央には、本を開いたような形をした巨大な建造物。


「見えた」


 ティナが地図を閉じる。


「学術都市エルネアよ」


「大きいね」


「レグナとは全然違う」


 クジャが言った。


 王都レグナが人と商業の熱気に満ちた街なら。


 エルネアは静かだった。


 夕暮れでも街には多くの人がいる。


 だが聞こえてくるのは商人の怒号ではなく。


 学生同士の議論。


 本を抱えて走る研究者。


 野外で講義を行う教師。


 古代遺物を運ぶ冒険者たち。


「変な街」


 シルヴァが言った。


「あなたが言う?」


 ティナが返す。


 三人は都市の門へ向かった。


     ◇


「身分証を」


 門兵に言われ。


 ティナが自分の軍属証を出した。


「東方防衛軍……隊長?」


「はい」


 門兵の姿勢が正される。


「失礼いたしました!」


「そんなに畏まらなくても……」


「そちらのお二人は?」


「同行者です」


 シルヴァが横から言った。


「シルヴァ・ライズ」


 門兵の手が止まった。


「……シルヴァ?」


「はい」


「まさか……風葬の?」


「最近よく言われる」


 ティナが少し得意そうに横を見る。


「有名になったわね」


「嬉しくない」


「何でよ」


「目立つと面倒」


「闘技場であれだけ暴れて何言ってるの」


「俺のせいじゃないし」


 門兵はクジャへ目を向ける。


「お名前は?」


「クジャ・ローズ」


「職業は?」


「…………」


 クジャが考える。


「旅人」


「冒険者では?」


「違うと思う」


「傭兵?」


「違う」


「学生?」


「違う」


「では……」


「カード使い」


 門兵が困った顔をした。


 シルヴァが言う。


「カード使いでいいんじゃない?」


「そんな職業欄ないと思うわよ!」


 結局。


 クジャも旅人として登録された。


     ◇


 エルネアへ入ってすぐ。


 シルヴァは立ち止まった。


「…………」


「どうしたの?」


「本屋しかない」


「そんなわけないでしょ!」


 確かに。


 大通りの左右には書店が多かった。


 古書店。


 専門書店。


 地図専門店。


 オーラ研究書。


 神話集。


 魔物図鑑。


 その合間に食堂や宿屋がある。


 シルヴァが少し安心した。


「食堂あった」


「何で安心した顔したのよ」


 クジャは露店に並ぶ古い石片を眺めている。


「これ何?」


「遺物じゃない?」


 ティナが覗く。


 店主が身を乗り出した。


「お嬢ちゃん、目が高いね! 二百年前の神魔大戦時代の石版だよ!」


「本物?」


「もちろん!」


 クジャが石板を見る。


 眼帯の下。


 何の反応もない。


「多分偽物」


「なっ!?」


「何で分かるの?」


「新しい」


「石見ただけで?」


「傷が」


 店主の顔が引き攣る。


「さ、さあ次のお客さん!」


「当たってたみたいね」


「便利だね」


「眼使ってない」


「勘?」


「普通に見た」


「もっとすごい」


 三人は歩き続けた。


 やがて。


 街の中心部。


 巨大な白い建物の前へ出る。


 入口には、


《王立古代史研究院》


 と刻まれていた。


 シルヴァが見上げる。


「ここ?」


「ディーンらしき人物が訪れたのは、この研究院ね」


 ティナが王都でもらった書類を取り出した。


「今日はもう遅いし、明日にしましょう」


「今入れば?」


「閉館時間過ぎてる」


「でも明かりついてる」


「研究者は夜までいることもあるんじゃない?」


 クジャが建物を見る。


「…………」


「クジャ?」


 ティナが呼ぶ。


 クジャは反応しない。


 眼帯の下。


 右眼が。


 僅かに疼いた。


「……何かいる」


 シルヴァの表情が変わった。


「何?」


「分からない」


 クジャが研究院を見る。


「でも」


 眼帯へ手を添える。


「変な感じがする」


 その瞬間。


 研究院の中。


 上階の窓。


 人影が一瞬だけ通った。


「…………」


 シルヴァもそれを見る。


「今、人いた」


「研究員じゃないの?」


 ティナが言う。


「多分」


 だが。


 シルヴァの手は。


 自然と剣の柄へ近づいていた。


「……今日は宿探そう」


 意外にも、そう言った。


 ティナが見る。


「入らないの?」


「閉まってるんでしょ」


「そうだけど」


「それに」


 シルヴァは研究院から視線を外さない。


「明日ちゃんと調べればいい」


 その声は軽い。


 だが。


 二年間の旅と戦いで身につけた感覚が。


 僅かに警告していた。


 何かが。


 この街で既に動いている。


     ◇


 同時刻。


 王立古代史研究院。


 地下書庫。


「見つかりません」


 一人の魔族が膝をついていた。


 その前。


 黒い外套を纏った男――セイルは、古文書を閉じる。


「《五大恩寵》に関する原典は?」


「所蔵記録には存在します。しかし、保管場所が変更されています」


「誰が移した」


「研究院長です」


「場所は?」


「分かりません」


 セイルはしばらく黙った。


 机の上には。


 一枚の古い文書。


 そこに記された五つの印。


 風。


 炎。


 水。


 大地。


 光。


「……構わない」


 セイルが立ち上がる。


「時間はある」


「しかし」


「何だ」


「本日、シルヴァ・ライズがエルネアへ入ったとの報告が」


 セイルの目が僅かに細くなった。


「風葬のシルヴァ……」


「東方拠点でガルゼム隊を壊滅させた剣士です」


「知っている」


 セイルは窓の向こうを見る。


「同行者は?」


「東方防衛隊長ティナ・ルクス。そして、眼帯の少女が一人」


「……眼帯?」


「クジャ・ローズと名乗ったそうです」


「聞かない名だ」


 セイルは興味を失ったように背を向ける。


「放っておけ」


「よろしいのですか?」


「こちらの目的は戦闘ではない」


 静かな声。


「必要なものを奪い」


 机の上の古文書へ手を置く。


「聖都へ向かう」


 その足元。


 地下のさらに奥から。


 低い唸り声が響いた。


 鉄格子。


 その向こう。


 巨大な魔物が拘束されている。


 四足。


 黒い毛皮。


 鋭い牙。


 そして。


 その身体中には――


 黒い脈が浮かんでいた。


「グルルルル……」


 魔物が暴れる。


 鉄格子が揺れる。


 セイルがそれを一瞥する。


「静かにしていろ」


 魔物の首。


 黒い刻印が、一瞬だけ脈打った。


「――軍団長がお前に与えた力を」


 赤い瞳が暗闇で光る。


「使う時は、もう少し先だ」


 湖畔の街。


 学術都市エルネア。


 三人が探している答えと。


 魔王軍第二軍団が探しているもの。


 二つの道は。


 既に同じ場所で交わり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。