第16話 学士街道
王都レグナを発って、三日目。
北西へ伸びる《学士街道》は、想像していたよりも穏やかだった。
両脇には広い草原。
遠くには低い丘陵。
街道を行き交うのは、荷馬車や旅商人、それに本を抱えた学生らしき若者たち。
魔物の姿もほとんどない。
「…………」
シルヴァは歩きながら、空を見上げた。
「平和だね」
「いいことでしょ」
隣を歩くティナが答える。
「うん」
「不満そうに言わないで」
「不満じゃないよ」
「じゃあ何よ」
「暇」
「やっぱり不満じゃない!」
後ろを歩いていたクジャが言った。
「シルヴァ、昨日も同じこと言ってた」
「昨日も暇だった」
「一昨日も言ってた」
「一昨日も暇だった」
「平和に向いてないわね、あなた……」
ティナが呆れる。
三人は王都で購入した旅用の荷物を背負っていた。
シルヴァの荷物は軽い。
クジャも軽い。
ティナだけが妙に大きい。
「ねえ」
「何?」
「何で私だけ荷物多いの?」
シルヴァが振り返る。
「食料持ってるから」
「地図も私!」
「うん」
「薬も私!」
「うん」
「財布も私!」
「大事だね」
「あなたの荷物、何が入ってるの?」
「着替え」
「他は?」
「肉」
「…………」
ティナがクジャを見る。
「クジャは?」
「カード」
「他は?」
「着替え」
「食料は?」
「ティナ」
「私を食料庫みたいに言わないで!」
シルヴァがティナの荷物を見る。
「持とうか?」
「……いい」
「重いんでしょ?」
「傷もまだ完全じゃないし」
「じゃあ持つ」
「待って」
ティナが荷物を抱え込んだ。
「何で嫌がるの?」
「自分で持てるから!」
「さっき重いって」
「重いとは言ってない!」
「言ってた」
クジャが淡々と指摘する。
「クジャ!」
「事実」
シルヴァが手を伸ばした。
「貸して」
「いいってば」
「ティナ」
「何よ」
「倒れたらもっと面倒」
「…………」
「それに」
シルヴァが荷物をひょいと持ち上げる。
「これくらい軽いし」
「ちょっ……!」
自分の荷物を背負ったまま、ティナの荷物まで肩へ掛ける。
「返して!」
「嫌」
「何でよ!」
「怪我人だから」
「もう普通に歩ける!」
「剣振っちゃ駄目なんでしょ?」
「それと荷物は――」
「ティナ」
クジャが言った。
「諦めた方がいい」
「何で!?」
「シルヴァ、こういう時だけ頑固」
「こういう時だけって何?」
「普段は適当」
「ひどい」
「合ってるわよ」
三人の声が、街道に響く。
前を行く商人が振り返り、少し笑った。
◇
昼。
三人は街道沿いの大木の下で休憩していた。
「いただきます」
シルヴァが包みを開く。
中身は王都で買った保存肉とパン。
大量。
「多くない?」
ティナが聞く。
「三人分」
「六人分くらいある」
「シルヴァの三人分」
クジャが言った。
「何それ」
「普通の人三人分と、シルヴァ三人分」
「俺そんな食べないよ」
二人が無言で見る。
「……何?」
「昨日の夕食、パン何個食べた?」
「七個」
「スープは?」
「三杯」
「肉」
「五枚」
「食べてるじゃない!」
「歩くと腹減るから」
「私たちも歩いてる!」
シルヴァは肉を一枚食べる。
「ティナ食べないの?」
「食べるわよ」
ティナもパンを取った。
その隣。
クジャは小さなカード束を取り出している。
「何してるの?」
「整理」
カードを一枚ずつ確認している。
♠。
♣。
♦。
♥。
闘技大会で傷ついたカードも混じっていた。
「それ、直るの?」
シルヴァが覗く。
「紙だから直らない」
「じゃあ買い替え?」
「基本は」
クジャは一枚のカードを持ち上げた。
端が大きく裂けた♣3。
「でもこれはまだ使える」
「破れてるよ」
「半分以上残ってればオーラは通る」
「へえ」
シルヴァが触ろうとする。
クジャがカードを引いた。
「触らないで」
「見るだけ」
「油つく」
「手綺麗だよ」
「肉食べてる」
「あ」
シルヴァが自分の指を見る。
ティナがため息をついた。
「子供……」
「ティナも見る?」
「私はあとでいい」
「そう」
クジャは再び整理を始めた。
シルヴァは少し眺めてから言う。
「そういえば」
「何?」
「普通のトランプもできる?」
「できる」
「やろう」
「今?」
「暇だから」
「また暇って言った」
ティナが突っ込む。
「食べ終わったら」
クジャはそう言った。
「勝ったら何かある?」
「何が欲しい?」
「肉」
「それ今あるでしょ!」
◇
一時間後。
「…………」
シルヴァは地面へ手をついていた。
目の前。
クジャのカード。
そしてティナのカード。
「また負けた……」
「弱い」
クジャが言う。
「何で?」
「顔に出るから」
「出してないよ」
「いいカード引いた時だけ眉上がる」
「嘘」
「本当」
ティナが笑う。
「あと、悪いカードだと急に静かになる」
「ティナも分かってたの?」
「最初から」
「言ってよ!」
「言ったら勝てないじゃない」
「ずるい」
「勝負だから」
クジャがカードを回収する。
「もう一回」
「やめときなさい」
「次は勝つ」
「さっきから五回言ってる」
「六回目は違う」
「何が?」
「気持ち」
「絶対同じよ」
結局。
さらに三回負けた。
◇
夕方。
街道沿いに小さな宿場町が見えてきた。
「今日はここ?」
クジャが聞く。
「そうね」
ティナが地図を見る。
「《リーヴェ宿場》って書いてある。エルネアまであと四日くらい」
「宿ある?」
シルヴァが聞く。
「宿場町なんだからあるでしょ」
「飯は?」
「ある」
「風呂」
「多分」
「いい町だね」
「まだ入ってないわよ」
石造りの門を抜ける。
町と言っても大きくはない。
旅人向けの宿。
馬小屋。
食堂。
鍛冶屋。
薬屋。
街道利用者のための施設が一本の通りに集まっている。
シルヴァは辺りを見回す。
「肉の匂い」
「最初にそれ?」
「焼いてる」
視線の先。
食堂の前で大きな鳥肉が炙られていた。
「宿を先に取る!」
ティナがマントを引っ張る。
「逃げないよ」
「食べ物じゃなくてあなたが逃げるの!」
◇
「一部屋しか空いてませんね」
「…………」
宿の主人の言葉に。
ティナが固まった。
「三人で?」
「はい」
「ベッドは?」
「二つです」
「…………」
シルヴァが言った。
「じゃあ俺床で寝る」
「決めるの早いわね」
「別に慣れてるし」
クジャが主人へ聞く。
「ベッド、大きい?」
「一つは二人用だな」
「じゃあ三人寝られる」
「何でそうなるの!?」
ティナの声が宿中に響いた。
主人が目を丸くする。
「駄目?」
「駄目!」
「何で?」
「何でって……!」
クジャは本気で分かっていない。
シルヴァも分かっていない。
「俺はどっちでも」
「あなたは絶対床!」
「分かった」
「素直ね」
「別にベッドじゃなくても寝られるし」
「……それはそれで少し心配になるわね」
結局。
ティナとクジャがベッド。
シルヴァは床。
そう決まった。
◇
夕食。
「おいしい」
シルヴァは上機嫌だった。
「さっきからそれしか言ってない」
「おいしいから」
宿の食堂。
鳥肉の香草焼き。
野菜の煮込み。
焼きたてのパン。
三人の前には料理が並んでいる。
ただし。
シルヴァの前だけ皿が多い。
「本当に全部食べるの?」
ティナが聞く。
「うん」
「見てるだけでお腹いっぱい」
「ティナあんまり食べてないね」
「まだ身体が本調子じゃないだけ」
シルヴァの手が止まる。
「傷痛い?」
「痛くないわよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「ならいいけど」
ティナはそんなシルヴァを見る。
少しだけ笑う。
「何?」
「別に」
「変なの」
「あなたに言われたくない」
隣で。
クジャが煮込みの中の人参を避けている。
ティナが見る。
「クジャ」
「何?」
「人参嫌い?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ何で全部端に寄せてるの?」
「最後に食べる」
「嫌いじゃない」
「嫌いじゃない」
シルヴァが人参を一つ取った。
「じゃあもらう」
クジャがシルヴァの手を叩いた。
「食べる」
「嫌いなんでしょ?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ食べて」
「最後」
「子供みたい」
「シルヴァに言われたくない」
今度はティナが吹き出した。
◇
夜。
食事を終えた三人は、宿の部屋へ戻った。
クジャはベッドの上でカードを広げている。
ティナは窓辺。
傷口の包帯を確認していた。
シルヴァは床へ毛布を敷いている。
「よし」
「本当にそこで寝るの?」
「うん」
「身体痛くならない?」
「野宿より柔らかい」
「基準がおかしいのよ」
ティナが窓を少し開けた。
夜風が入る。
遠くから旅人たちの話し声。
馬の鳴き声。
穏やかな夜だった。
「あと四日か」
シルヴァが呟く。
「エルネア?」
「うん」
仰向けになって天井を見る。
「ディーン、本当にいるかな」
「四か月前の情報だものね」
「もういないと思う」
クジャが言った。
「即答しないでよ」
「でもいた証拠にはなる」
「……うん」
シルヴァは目を閉じる。
二年前。
レオン。
ディーン。
ミルス。
いつも一緒だった。
自分だけが帰ってきた。
「シルヴァ」
ティナの声。
「何?」
「会えたら、最初に何て言う?」
「ディーンに?」
「うん」
「…………」
少し考える。
「生きてたんだ」
「それだけ?」
「多分」
「もっとあるでしょ」
「例えば?」
「心配したとか」
「言うかな」
「言いなさいよ」
クジャが言う。
「殴る?」
「何で!?」
「二年間連絡なかった」
シルヴァは少し考える。
「……それはあり」
「なしよ!」
「でも一発くらい」
「再会していきなり殴るの!?」
「ディーンなら避ける」
「そこじゃない!」
シルヴァが笑った。
「冗談」
「本当に?」
「半分」
「半分本気じゃない!」
そんな会話が。
少しだけ続いた。
やがて。
クジャのカードを切る音も止まった。
ティナもベッドへ入る。
「おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみ」
静かになる。
数分後。
「…………」
ティナが目を開けた。
「シルヴァ?」
返事がない。
「寝た?」
「…………」
床を見る。
シルヴァはもう眠っていた。
「早……」
クジャが小さな声で言う。
「昼にあれだけ寝てたのに」
「昼寝もしてたわね」
「どこでも寝る」
「そうね」
ティナは少しだけシルヴァを見る。
黒いマントを丸めて枕にしている。
旅の途中。
初めて会った頃なら。
シルヴァは一人で夜番をしていた。
他人に背中を預けることさえ嫌がっていた。
今は。
何の警戒もなく眠っている。
ティナは小さく笑った。
「……少しは変わったのかも」
「何が?」
「こっちの話」
「そう」
クジャは追及しなかった。
◇
同じ頃。
学術都市エルネア。
巨大な湖を望む石造りの都市。
夜になっても。
研究区画だけは灯りが消えない。
その地下。
王立古代史研究院。
一人の研究員が、書庫の奥を歩いていた。
両腕には数冊の古文書。
「教授……?」
返事はない。
「こんな時間に呼び出して……」
その時。
足元。
何かを踏んだ。
「……?」
水。
ではない。
赤い。
「…………え」
顔を上げる。
書庫の奥。
一人の男が倒れていた。
「教授!?」
研究員が駆け寄る。
その直後。
背後から声がした。
「それ以上、近づかない方がいい」
振り返る。
黒い外套。
見知らぬ男。
人間に見える。
だが。
その瞳だけが。
僅かに赤い。
「誰だ……」
「質問はこちらがする」
男は一枚の紙を見せた。
そこには。
古い紋章。
円を囲う、五つの印。
「この記録はどこにある」
「……知らない」
「そうか」
男の指が僅かに動いた。
闇の中。
何かが蠢く。
人の形ではない。
「では」
赤い瞳が細くなる。
「知っている者を探すだけだ」
窓の外。
静かな湖面に。
月が映っていた。
その湖畔へ。
数日後。
何も知らない三人の旅人が辿り着く。




