第15話 三人目
翌朝。
王都レグナの王立治療院。
「暇」
ティナが呟いた。
「暇だね」
「あなたは帰りなさいよ」
「何で?」
「元気だから」
「怪我してる」
「昨日、治療師さんに『もう好きに歩いていい』って言われてたでしょ」
「でも怪我してる」
「ここで寝転がってる理由にはならない!」
ティナの病室。
窓際のベッドには、本来の患者であるティナ。
その横。
来客用の長椅子を占領し、シルヴァが仰向けになっていた。
「病院って静かでいいね」
「宿代わりにしないで」
「無料だし」
「そこ!?」
ティナが身体を起こそうとする。
「いたっ……」
「動くなって」
シルヴァがすぐに起き上がった。
「もう……」
ティナは渋々枕へ戻る。
傷自体は順調に塞がっている。
だが、闇の剣士から受けた一撃は深かった。
治療師からも、
『少なくとも一週間は剣を振るな』
と釘を刺されている。
「今日も寝てるだけ?」
「その予定」
「つまんないね」
「患者の前で言う?」
「じゃあ何する?」
「寝る」
「昨日も寝てた」
「怪我人だからよ!」
シルヴァはしばらく考える。
「散歩する?」
「一週間安静」
「じゃあ俺が背負う」
「絶対嫌」
「前も背負ったじゃん」
「だから嫌なの!」
「何で?」
「何でも!」
ティナの頬が少し赤くなる。
シルヴァは首を傾げた。
そこへ。
「おはよう」
扉が開いた。
クジャだった。
今日も当然のように入ってくる。
片手には紙袋。
「また来た」
シルヴァが言った。
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
クジャは椅子へ座る。
袋を開けた。
甘い香り。
「それ何?」
「焼き菓子」
ティナの目がほんの少し輝いた。
シルヴァはそれを見逃さない。
「ティナ、食べたい?」
「別に」
「食べたい顔してる」
「してない!」
クジャが一つ取り出してティナへ渡した。
「はい」
「……ありがとう」
受け取る。
シルヴァも手を伸ばす。
「俺も」
「ない」
「いっぱいあるじゃん」
「これはティナの」
「全部?」
「全部」
「食べきれないでしょ」
クジャがもう一つ取り出して自分で食べた。
「私も食べる」
「じゃあ俺も」
「駄目」
「何で!?」
ティナが吹き出した。
「ふふっ」
二人が振り向く。
「何?」
「いや……」
ティナは口元を押さえる。
「なんか、平和だなって」
「病院だけど」
「そういう意味じゃないわよ」
シルヴァは分かっていない顔をしている。
クジャは黙って焼き菓子を食べていた。
王都を揺らした闘技大会の騒動。
魔族。
闇の剣士。
ティナの光。
ほんの三日前まで、生きるか死ぬかの戦いをしていた。
それなのに今は。
誰が菓子を何個食べるかで揉めている。
ティナは、それが少し嬉しかった。
「そういえば」
クジャが言った。
「昨日の問い合わせ」
「ん?」
「返事来てるらしい」
シルヴァが立ち上がる。
「ほんと?」
「資料局の人が下で待ってた」
「何で先に言わないの?」
「菓子があったから」
「そっち優先!?」
クジャは当然という顔をした。
◇
その日の昼。
王立治療院の応接室。
ティナはまだ外へ出られないため、シルヴァとクジャが話を聞くことになった。
向かいに座るのは、王立資料局の職員。
机の上には数枚の書類が置かれている。
「まず、依頼されていた人物についてです」
職員が一枚目を開く。
「ディーンという名の剣士」
シルヴァの表情が変わる。
「何かあった?」
「断定はできません」
「うん」
「ですが、特徴の一致する人物が確認されています」
黒髪。
長身。
一人旅。
剣士。
そして。
「戦闘時、全身と剣に雷を纏っていたとの証言があります」
シルヴァが息を止めた。
「いつ?」
「およそ四か月前」
「どこで?」
「学術都市エルネアです」
「…………」
クジャが横を見る。
シルヴァは書類から目を離さない。
「間違いない?」
「ですから、本人だという保証は――」
「ディーンだ」
「え?」
「それ、ディーン」
シルヴァは即答した。
「雷を使う強い剣士なんて、そんなにいない」
「いるかもしれない」
クジャが言う。
「いない」
「世界広いよ」
「でもディーン」
「勘?」
「うん」
「じゃあ多分ディーン」
「納得するんですか……?」
資料局員が困惑する。
「その人物はエルネアで何してたの?」
「古代史の研究区画を訪れていたそうです」
「古代史?」
「神魔大戦について」
シルヴァが僅かに眉を寄せる。
「それから」
職員は次の資料を出した。
「魔王に関する古い記録も閲覧しています」
「…………」
「同行者はいません」
「女の人は?」
「記録にはありません」
ミルス。
シルヴァが探しているもう一人。
手掛かりはない。
それでも。
ディーンが生きている可能性は、一気に高まった。
「エルネアか……」
「王都から北西へ、徒歩で一週間ほどです」
「行く」
即答。
「早い」
クジャが言う。
「行く理由あるし」
「ティナまだ寝てる」
「治ったら」
「なら早くない」
「そう?」
「そう」
職員は咳払いした。
「まだ報告があります」
「あ、ごめん」
「五大恩寵についてですが……」
机へ別の資料が置かれる。
「王都に保管されている資料は、かなり限定的です」
「何で?」
「古すぎるんです。二百年前の神魔大戦そのものが、宗教的記録と歴史的記録の境界にありますから」
「つまり?」
クジャが聞く。
「本当の出来事なのか、後世の脚色なのか判別できない記述が多い」
「俺の風あるけど」
「そうですね」
職員はシルヴァを見る。
「だからこそ、研究者の間でも近年再評価されています」
「エルネアなら分かる?」
「王都よりは」
職員は頷く。
「アステラ大陸最大の古代史研究機関があります」
「ちょうどいい」
シルヴァが言った。
「ディーンも探せて、恩寵も調べられる」
「その後」
職員が続ける。
「さらに原典を求めるのであれば」
紙の上。
西方。
ある都市名を指差した。
「聖都アルセリアです」
シルヴァの表情が止まった。
「…………」
クジャがそれに気づく。
「知ってる?」
「……うん」
「行ったことある?」
「ある」
「どんな所?」
「嫌な所」
即答だった。
資料局員が少し困った顔をする。
「聖都ですので、人によって印象は――」
「俺、そこで生まれた」
「え?」
クジャがシルヴァを見る。
「初耳」
「言ってないから」
「何で?」
「聞かれなかった」
「そう」
クジャはそれ以上追及しなかった。
だが。
シルヴァの目は、地図上のアルセリアから離れなかった。
大聖堂。
地下。
母。
父。
そして。
レオン。
胸の奥に、古い扉が軋むような感覚がある。
「……まずはエルネア」
シルヴァが言った。
「そこから考える」
「分かった」
クジャが頷いた。
◇
「ということで」
夕方。
病室。
「エルネアに行く」
シルヴァが言った。
「説明が雑!」
ティナが怒った。
「今から話す」
「最初からそうしなさいよ!」
シルヴァは資料をベッド脇へ広げた。
「ディーンっぽい人がいた」
「ほんと!?」
ティナが思わず身体を起こす。
「痛っ!」
「だから動くなって!」
「先にそれ言いなさいよ!」
「言おうとした」
「絶対嘘!」
クジャが果物を食べながら見ている。
「仲いいね」
「よくない!」
「普通」
二人の声が重なる。
クジャが少しだけ笑った。
シルヴァは資料を説明する。
四か月前。
雷を纏う剣士。
学術都市エルネア。
神魔大戦を調べていた。
ティナの表情が徐々に真剣になる。
「ディーンさんが……」
「多分」
「会えるかもしれないのね」
「うん」
シルヴァの声が少しだけ弾んでいた。
ティナには分かった。
シルヴァは期待している。
二年間、何も分からなかった。
死んだかもしれないと思っていた仲間。
そこに初めて。
生きている可能性を示す具体的な証拠が出た。
「じゃあ決まりね」
ティナが言う。
「治ったらエルネアへ行きましょう」
「うん」
「それまで待ちなさいよ?」
「待つよ」
「勝手に先に行ったりしない?」
「しない」
「本当に?」
「しつこい」
「あなたならやりそうだから言ってるの!」
「一人で行くより三人の方が楽だし」
ティナが瞬きをする。
「……三人?」
シルヴァはクジャを見る。
クジャも見る。
「行くでしょ?」
「どこに?」
「エルネア」
「私も?」
「行かないの?」
「…………」
クジャは少し考えた。
その問いを。
まるで今まで考えたことがなかったように。
「別に」
「どっち?」
「行ってもいい」
「じゃあ三人」
シルヴァは簡単に決めた。
「ちょっと待って!」
ティナが割って入る。
「そんな軽く決めていいの!?」
「何が?」
「旅の仲間よ!」
「嫌?」
「嫌って意味じゃなくて!」
ティナはクジャを見る。
「クジャは何か目的ないの?」
「ある」
「あるの!?」
「うん」
クジャが右目の眼帯に触れる。
「これ」
ティナが静かになる。
「あなたの眼……」
「何なのか知りたい」
「知らないの?」
「知らない」
シルヴァが言った。
「自分の眼なのに?」
「シルヴァも自分の風のこと知らない」
「確かに」
「納得しないでよ」
ティナが呆れる。
クジャは続けた。
「普通のオーラじゃないものが見える」
「恩寵も?」
「多分」
「魔族も?」
「見え方が違う」
「闇の俺は?」
「すごく変だった」
「……なるほど」
クジャは窓の外を見る。
「シルヴァの周り、変なの多いから」
「俺?」
「風」
シルヴァを指差す。
「光」
ティナを指差す。
「偽物」
外を指差す。
「魔族」
さらに適当な方向を指す。
「確かに」
「納得しない!」
ティナだけが怒る。
「だから一緒にいれば」
クジャが言った。
「何か分かりそう」
ティナはしばらく彼女を見る。
「危険よ」
「知ってる」
「死ぬかもしれない」
「闘技場で知った」
「それでも?」
「うん」
迷いはなかった。
ティナは小さく息を吐く。
「……じゃあ」
手を差し出した。
「よろしく」
クジャはその手を見る。
「握るの?」
「普通握るでしょ!」
クジャは少し迷ってから握った。
「よろしく」
「うん」
シルヴァも手を乗せる。
「俺も」
「何で乗せるのよ」
「仲間っぽい」
「まあ……」
その上に。
クジャがもう片方の手を乗せた。
「四つになった」
「それはお前の手!」
ティナが笑った。
◇
それから四日。
ティナが歩けるようになるまで、シルヴァたちは王都に滞在した。
久しぶりに。
何も起こらない日々だった。
朝。
「シルヴァ」
「ん……」
「起きなさい」
「あと少し」
「宿の朝食終わるわよ」
「起きる」
一瞬だった。
「食べ物だと早いのね……」
ティナはまだ完全には回復していないため、三人とも治療院近くの宿へ移っていた。
部屋は。
二つ。
「何で私とクジャが一緒なの?」
「女同士だから」
「じゃなくて!」
「俺一人」
「それが納得いかない」
「何で?」
「こっち狭い」
「じゃあ俺がクジャと――」
「駄目!」
「何で?」
「何でも!」
クジャがベッドから顔だけ出す。
「私はどっちでもいい」
「よくない!」
昼。
王都市場。
「これ」
シルヴァが巨大な串焼きを持っている。
「何本目?」
ティナが聞く。
「四本」
「昼食食べたわよね?」
「これは間食」
「間の量じゃない!」
クジャは隣でカード屋を見ていた。
「新しいの買うの?」
「予備」
「カードって消耗品なんだ」
「燃えたり切れたりする」
「大変だね」
「シルヴァの剣も折れる」
「折れない」
「この前欠けてた」
「ドランに怒られる」
少し落ち込んだ。
「急に元気なくなったわね」
ティナが苦笑する。
別の露店。
色鮮やかな菓子が並んでいる。
ティナが立ち止まる。
一秒。
二秒。
三秒。
通り過ぎる。
「ティナ」
「何?」
「食べないの?」
「何を?」
「今見てたやつ」
「見てない」
「見てた」
「見てない」
シルヴァが露店へ戻った。
「一つください」
「ちょっと!」
渡された小さな焼き菓子を、そのままティナへ差し出す。
「はい」
「……」
「いらない?」
「……いる」
受け取った。
「ありがとう」
「うん」
シルヴァはまた串焼きを買おうとする。
「待ちなさい!」
「何?」
「あなたさっきからお金使いすぎ!」
「まだあるよ」
「いくら?」
「分かんない」
「財布貸して!」
「何で!?」
「管理する!」
「俺のお金!」
「あなたに任せたらエルネア着く前になくなる!」
「そこまで食べない」
クジャが言った。
「なくなると思う」
「クジャまで!?」
結局。
旅費の大半はティナが管理することになった。
「俺の賞金なのに……」
「全額じゃないでしょ」
「俺が戦った」
「私も戦った!」
「私も」
「……三人のお金?」
「そういうこと!」
「じゃあ肉買おう」
「話聞いてた!?」
◇
そして。
王都を発つ日の朝。
三人は北西門の前に立っていた。
シルヴァ。
黒い長マント。
腰には片手剣。
ティナ。
まだ胸元には包帯が残っているが、歩くことには問題ない。
クジャ。
右眼の眼帯。
腰にはカードケース。
三人とも。
旅装だった。
「忘れ物ない?」
ティナが聞く。
「ない」
「多分」
「クジャの『多分』怖いんだけど」
「財布」
「私」
「地図」
「私」
「食料」
「私」
ティナが止まる。
「何で全部私なの?」
「頼りになるから」
「便利」
「嬉しくない!」
シルヴァが笑う。
「じゃあ行こう」
「軽いわね……」
「どこまで?」
クジャが聞いた。
シルヴァは北西へ続く街道を見る。
王都レグナから伸びる学士街道。
その先。
学術都市エルネア。
「まずエルネア」
ディーンを探す。
恩寵を調べる。
そして。
二年前の真実へ近づく。
「その後は?」
クジャが聞いた。
シルヴァは少し考えた。
「まだ分かんない」
「適当」
「着いてから決める」
「それでいいの?」
ティナが言う。
「いいんじゃない?」
シルヴァは歩き始める。
「旅なんだから」
ティナは一瞬呆れた顔をして。
それから笑った。
「……そうね」
クジャも二人の後を追う。
三人の旅が始まった。
王都の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
その日の夜。
王都レグナから遠く離れた、アステラ大陸東部。
人の寄りつかない森の奥。
一羽の黒い鳥が、枝へ降り立った。
待っていた魔族が、その脚から小さな筒を外す。
「報告です」
薄暗い野営地。
その奥に、一人の男が座っていた。
周囲には武装した魔族たち。
さらにその背後には、首へ鉄輪を嵌められた魔物の群れが静かに息をしている。
男は差し出された紙へ目を通した。
「シルヴァ・ライズが王都を発ったそうです」
「行き先は」
「北西です」
男の視線が、机の上の地図へ落ちる。
王都レグナ。
そこから北西へ伸びる街道。
その先に記された都市名。
――学術都市エルネア。
「……エルネアか」
男が低く呟く。
「追いますか?」
「必要ない」
即答だった。
指先が地図上のエルネアへ触れる。
「我々も、そこへ用がある」
部下が頭を下げる。
「調査隊からは、古代史研究区画への潜入準備が整ったとの報告も」
「続けさせろ」
「はっ」
「王都の剣士が何を探していようと関係ない」
男は静かに立ち上がった。
「こちらはこちらの目的を果たす」
地図には。
エルネアのさらに西。
聖都アルセリアも記されている。
男の指が。
エルネアからアルセリアへ、ゆっくりとなぞられた。
「先に見つけろ」
赤い瞳が細くなる。
「神が遺したものを」
魔王軍第二軍団長。
ヴァイラ。
シルヴァたちが向かう先で。
もう一つの思惑が、動き始めていた。




