第14話 受け継がれた光
白い天井があった。
その下で、朝日が薄いカーテンを透かしている。
王都レグナ。
王立治療院。
闘技場で起きた騒動から、三日が経っていた。
「…………」
シルヴァ・ライズは、廊下の長椅子に腰掛けていた。
背中を壁へ預け、腕を組んでいる。
目を閉じているように見えるが、眠ってはいない。
三日前から、まともに眠れていなかった。
「シルヴァ」
「ん」
呼ばれて顔を上げる。
治療室から出てきたのは、白衣姿の治療師だった。
「目を覚ましたよ」
シルヴァは立ち上がった。
「ティナ?」
「ああ。まだ動かせる状態ではないが、意識ははっきりしている」
「……よかった」
小さく息が漏れた。
「ただし」
治療師が真剣な表情になる。
「あと数分遅ければ危なかった」
シルヴァの顔から安堵が消えた。
「胸から脇腹にかけて深く斬られている。幸い重要な臓器への致命傷は避けられたが、出血量が多すぎた」
「…………」
「君たちと一緒にいた少女が使った術……あれが血流と生命力を支えていなければ、まず助からなかった」
「クジャのカード?」
「詳しい原理は私にも分からない。だが、治したわけではない」
治療師は言った。
「命が尽きないよう、繋いでいたんだろう」
シルヴァは少しだけ目を伏せた。
「……そっか」
「五分程度なら話していい。ただし興奮させるなよ」
「分かった」
「それと君も患者なんだが」
「俺は平気」
「三日前からそれしか言わないな」
治療師が呆れる。
シルヴァの右肩にも包帯が巻かれていた。
闇の剣士との戦いで負った傷だ。
肋骨にもひびが入っている。
それでもシルヴァは構わず扉を開けた。
病室。
窓際のベッド。
そこにティナがいた。
「…………」
顔色はまだ白い。
上半身を包帯で覆われ、その上から薄い患者服を着ている。
けれど、目は開いていた。
「……シルヴァ」
「起きた」
「見れば分かるわよ」
「そっか」
「…………」
「…………」
二人とも黙る。
ティナが眉を寄せた。
「何か言いなさいよ」
「何かって?」
「普通あるでしょ。心配したとか」
「ああ」
シルヴァは少し考えてから、
「心配した」
「言わせたみたいになったじゃない!」
「興奮するなって言われた」
「誰のせいよ!」
傷が響いたのか、ティナが顔をしかめる。
「いたっ……」
「ほら」
シルヴァが慌てて近づく。
「大丈夫?」
「大丈夫……」
「ならいい」
「……ほんと、そういうところよ」
「?」
ティナはため息をついた。
少しだけ。
いつもの調子が戻った。
それを見てシルヴァの表情も緩む。
だが。
その視線がティナの右手へ落ちた。
三日前。
あの手を包んだ白金の光。
忘れられるはずがなかった。
「ティナ」
「何?」
「……あの光」
ティナの表情が変わった。
「やっぱり、見えてたのね」
「うん」
「私もよく分からないの」
ティナは自分の掌を見る。
「ヴァレスに押されて……もう立てないって思って」
「うん」
「でも」
ティナは目を伏せた。
「ここで倒れたくないって思った」
白い天井へ視線を移す。
「レオンだったら、どうするんだろうって」
シルヴァの目が揺れた。
「そしたら急に……身体が軽くなって」
「…………」
「周りが全部ゆっくり見えた。剣も、盾も、相手の動きも」
「光が身体を包んでた」
「うん」
「白と金」
「……うん」
シルヴァは黙った。
ティナが横目で見る。
「シルヴァ?」
「同じだった」
「何が?」
「レオンと」
病室から音が消えた。
「……え?」
「あの光」
シルヴァが呟く。
「俺、ずっと見てたから」
レオン。
笑いながら剣を振る男。
仲間の前に立つ時。
誰かを守る時。
その身体を包んでいた白金の光。
「間違えない」
ティナが自分の手を見る。
「じゃあ……これって」
「光の恩寵」
シルヴァが答えた。
「多分」
「…………」
ティナの指が僅かに震えた。
彼女は幼い頃から勇者レオンに憧れていた。
いつか同じ戦場に立ちたいと剣を握った。
だが。
もし本当に自分へ光が移ったのなら。
それが意味することは、一つしかない。
「レオンは……」
ティナの声が止まる。
シルヴァも答えなかった。
恩寵は持ち主を選ぶ。
そして。
前の所有者が存在する間、新たな所有者を選ぶことはない。
少なくとも。
シルヴァが知っている限りでは。
「……死んだってこと?」
ティナが言った。
シルヴァは拳を握った。
二年前。
ノクティス。
崩れ落ちる大地。
魔王ゼノア。
そして。
『生きろ、シルヴァ』
白金の光。
伸ばした手。
『レオン!!』
何度考えても。
どこかで。
生きているかもしれないと思っていた。
英雄なのだから。
あの人なら。
自分が知らないだけで。
どこかで。
「……そっか」
シルヴァが呟いた。
「シルヴァ……」
「やっぱり」
僅かに笑った。
笑えてはいなかった。
「死んだんだな」
ティナが何も言えなくなる。
シルヴァは俯く。
涙は出なかった。
ただ。
二年間ずっと胸の奥に残っていた小さな可能性が、静かに消えていく。
「……ごめん」
ティナが言った。
「何で?」
「私が……この力を」
「ティナが謝ることじゃない」
「でも」
「レオンが決めたわけでもないと思うし」
「…………」
「それに」
シルヴァはティナの手を見る。
「ティナがあの光を持ってるなら」
少し考える。
「全部なくなったわけじゃない」
ティナが目を見開く。
「……それ、私が言おうと思ってたんだけど」
「先に言った」
「何でちょっと得意そうなのよ」
「別に」
ティナは小さく笑った。
「でも……そうね」
自分の胸へ手を置く。
「もし本当にレオンから受け継いだものなら」
ゆっくり息を吸う。
「ちゃんと知りたい」
「何を?」
「この力のこと」
ティナはシルヴァを見る。
「光の恩寵が何なのか」
「…………」
「それから」
「うん」
「あなたの風も」
シルヴァが目を瞬いた。
「俺?」
「当たり前でしょ」
「俺のは昔からあるし」
「だからって何も知らないじゃない」
「まあ」
「何で持ってるの?」
「知らない」
「何ができるの?」
「風が出る」
「知ってる」
「便利」
「説明になってない!」
「興奮しちゃ駄目だよ」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
また傷が響いた。
「いたっ……」
「だから」
「うるさい……」
ティナが枕へ沈む。
その時。
病室の扉が開いた。
「騒がしい」
紫色の髪。
右目の眼帯。
クジャ・ローズ。
両手には紙袋を抱えている。
「クジャ」
「起きたんだ」
「おかげさまで」
ティナが答える。
「聞いたわ。あのカードがなかったら危なかったって」
「そう」
「……ありがとう」
「うん」
クジャは平然と椅子へ座った。
そして紙袋から赤い果物を取り出す。
かじった。
シルヴァが見る。
「それ俺のじゃない?」
「そう」
「何で食べてるの?」
「置いてあったから」
「俺のお見舞いでもらったやつ」
「患者じゃないでしょ」
「俺も患者」
「元気そう」
「それとこれとは別」
「もう食べた」
「…………」
ティナが小さく笑った。
「本当に元気ね、二人とも」
クジャは果物をもう一口食べる。
それから。
「でも」
顔を上げた。
「調べた方がいいと思う」
シルヴァとティナが見る。
「何を?」
「全部」
クジャは答えた。
「光も」
「…………」
「あの偽物も」
シルヴァの表情が変わった。
闘技場。
自分と似た剣士。
闇のシルヴァ。
「右目で見た」
クジャが眼帯に触れる。
「あれは普通の生き物じゃなかった」
「……分かるの?」
「流れが変だった」
「流れ?」
「オーラが身体を巡ってるんじゃない」
クジャは少し考える。
「最初から道を作られて、そこへ流されてた」
「…………」
「誰かに造られたものだと思う」
ティナが息を飲む。
シルヴァは、自分と同じような顔をした存在の最期を思い出す。
『……本物』
「誰が?」
「分からない」
「ギラルーンは?」
「消えた」
「……逃げた?」
「多分」
クジャはあっさり言った。
シルヴァが窓の外を見る。
王都レグナ。
巨大な街並み。
二年前の仲間。
レオン。
ディーン。
ミルス。
自分自身の風。
ティナの光。
そして。
自分を模して造られた存在。
知らないことが多すぎる。
「……調べよう」
シルヴァが言った。
ティナが見る。
「何を?」
「全部」
クジャが少し眉を上げた。
「真似した」
「分かりやすかったから」
「そう」
シルヴァは立ち上がる。
「レオンのこと」
「うん」
「恩寵のこと」
「うん」
「ディーンとミルスがどうなったのか」
ティナの表情が真剣になる。
「それに」
シルヴァは自分の剣を見る。
「あいつを作った奴」
窓から吹き込んだ風が、白いカーテンを揺らした。
「二年前からずっと、何も分からないままだ」
シルヴァは拳を握る。
「だから今度は」
青い瞳が前を向いた。
「自分で探す」
その日の午後。
王立資料局へ使いが出された。
問い合わせる内容は三つ。
二年前の勇者一行。
五大恩寵。
そして――
雷を纏う剣士の目撃情報。
翌朝。
一件の記録が見つかることになる。
王都レグナより北西。
学術都市エルネア。
数か月前。
そこを訪れた一人の剣士。
黒髪。
長身。
そして。
剣に雷を纏っていたという。




