第十四話
「ハンナ様」
図書室で調べものをしていると、後ろから声をかけられた。
「アリシア様……?」
◇
「婚約披露パーティーで、ガラスカップを使ったおもてなしをお考えなのですね」
王都で流行りのカフェで、私はアリシア様と紅茶を飲んでいる。
「カルディナ商会が大量にガラスカップを買い付けた話を聞いたの。……ハンナ様なら良い広め方を知っているんじゃないかと、お聞きしたかったのよ。かなりの規模のパーティーになるから、カルディナにとっても悪くない話だと思うわ」
さすが王太子の元婚約者、情報も早いし、両国の親善をはかりながら商いまで考えるなんて。王家はどうしてこんな才女を逃してしまったのかしら。
ガラスカップに持ち手をつけて販売する予定であることを伝えたら、かなり関心を持っていただけた。発案者がノア様だとお伝えしたら驚かれたけれど、すぐに納得されたようだ。
「エイカー様は隣国のことを熱心に学ばれていたものね。実はあの方には、ものすごく世話になったの。あの男爵令嬢が私に数々の嫌がらせをしてきていたでしょう?ついには私のお祖母様の形見の時計を隠されたことがあったの。その時、一緒に探してくださったのがエイカー様よ。噴水の中にまで入ってくださって……時計はそこに沈められていたわ。いつか、しっかりとしたお礼ができたらと思っていたの」
ノア様……きっと親身になって、一緒に探してあげたことだろう。
あの日「お慕いしています」と言って瞳を潤ませていたノア様を思い出す。ノア様にそんな風に想われるアリシア様が、ほんの少しだけ羨ましい。
アリシア様と近いうちにノア様を含めて改めてお会いする約束をして、お別れした。
帰りの馬車に入った途端、ため息がこぼれた。
アリシア様の話の続きは、恐ろしい内容だったのだ。
『あの男爵令嬢の妃教育がうまくいっていないらしいの。それで、これはまだ極秘なんだけれども、王妃様が水面下で新たな婚約者探しをなさっているわ。婚約者がいなくて、優秀で、年の近い方を。……ハンナ様、確か今婚約者がいらっしゃらないわよね。あなた、その気がないなら急いで婚約者を立てるか、カルディナの隣国支部へでも、避難した方がいいんじゃないかしら』
アリシア様の同級生で王太子に嫁ぎたい娘なんて、あの男爵令嬢くらいのものだろう。まさか。私がだなんてあり得ない。王太子の好みは、あの子のように守ってあげたくなる『可愛げのある』女性のはずだ。男勝りに商会を仕切る私が、合うわけがない。
寒気がして腕をさすりながら、考える。カルディナの隣国支部へ……それは、考えたことはある。女性の活躍の場が多い隣国は、保守的な我が国より幾らか暮らしやすいのではと。
でも……大切な私のテオドールとアレックス。それに商会のこともある。あの子が大きくなるまで、お父様とカルディナを支えたい。
婚約……婚約者。一体、どうしたらいいのかしら。
鞄の中から、そっとお守りを取り出す。
──ノア様にいただいた、シャンパンゴールドのリボン。すがるように、ハンナはそのリボンをぎゅっと握りしめた。
◇
ノアは寮に戻ったあと、街の行きつけのパン屋で偶然コリンに会った。領地の話で盛り上がりながら、そういえばと修道院前での出来事を話す。
「実は領地に着いて早々、マールブローネ修道院の近くで『私は未来の王太子妃よ!殿下に会わせなさい!』と叫んでいる不審者を見かけまして……」
「不審者?」
「ええ。ルチアと名乗る何ともおめでたい女性だったのですが、修道院の騎士の方々に『殿下は今、反省の参籠中である!』と一蹴され、そのまま領地の警備兵に連行されていました。おかげで修道院周辺の警備が少し厳しくなっていたようです」
「修道院抜け出して夜な夜な遊……いや、殿下はさぞかし慎ましやかな修道院生活を送っていらっしゃるんだろうな……妃教育どうなってんだよ」
そう言って呆れながら、コリンはサンドイッチを多めに買い込んでいる。これからエラと出かけるらしい。
「マーガレットの花をもっとよく見たいんだってさ。これから郊外の庭園に行くんだ。今の時期マーガレットが満開で、デートスポットらしいぞ」
楽しそうに笑うコリン。エラを気にしているのは知っているが、ふと気になっていたことを口にする。
「エラとお出かけも良いですが……コリン、ハンナ様のことはどうするんですか?」
「なんでハンナが出てくるんだ?……婿入りの話?ああ、以前そんな話が出たことがあるのは事実だ。けど、俺とハンナはそんなのじゃない。兄妹みたいなもので、お互い結婚なんて考えられないよ」
「ハンナはな……おい、ちょっとこっちに来い」
コリンに促され、パン屋の隅にあるテーブル席に腰を下ろす。
「あいつは、商売の話に強いだろ?それには天性のものもあるが……理由があるんだ。テオドールは、ハンナと年が離れているだろう?伯父上のところは、ハンナの後にしばらく子どもができなかった。それで、伯爵家の後継者としてハンナは結構厳しく育てられたんだ。当然、婿入りする者が必要で、侯爵家の三男が婚約者として、たまに家に来ていた。俺も何度か会ったことがある」
「……」
「その後テオドールが生まれて……今から二年前くらいか、お披露目をして後継者がテオドールだと確定した途端に、その三男……ジュリアンとか言ったか、そいつとの婚約は解消になった」
「男に何を言われたか知らないけど、あのハンナが馬車に轢かれかけるくらいぼーっとしてな。あの頃、心を閉ざして塞ぎ込んでいたハンナは見ていられなかったよ」
コリンは苦い顔でコーヒーをすする。
「あまりに落胆しているあいつを見かねてさ。伯父上が『コリンと結婚するのはどうだ?』なんて提案したこともあったんだ。断られたけどな。俺もあいつの兄気取りだったし、ハンナも俺を男として見られなかったんだよ。……今は傷も癒えて、伯父上も『ハンナの好きなようにさせたい』って言ってて、無理に嫁がせる気はないみたいだけどな」
「……でも、縁談自体は来ているんですよね」
「ああ。伯爵家の娘で、おまけにあの美貌だろ?後継者じゃなくなったとはいえ、寄ってくる男は山ほどいる。ハンナ本人が全部断ってる状態だけど……まあ、トラウマもあるだろうし、急かしたくはないよな」
コリンの言葉に、僕の胸がぎゅっと痛む。
(ハンナ様に、そんな悲しい過去が……)
「──で?ノア、お前はどうなんだ?」
コリンがふっと意地悪く目を細め、僕を覗き込んできた。
「ハンナのこと、どう思ってるんだよ」
「僕は……。尊敬、しています」
(それ以上、望んでいいはずがない、僕のような男が)
「……ふーん。それだけか?」
「……」
コリンの追求に、僕は言葉を詰まらせる。答えられない代わりに、ポケットの中にある、マーガレットの刺繍が入ったハンカチを、服の上から強く握りしめた。




