第十話
ハンナ様が金属製のカップホルダーを手にとり、ガラスカップを出し入れしたり、角度を変えて眺めたりと真剣な表情で見つめている。
僕も、ソーサーを手にとり、指先で触り心地や繊細な彫刻の柄を確認した。
最後にガラスカップへカチリとホルダーを装着し、ソーサーの上にそっと乗せてみる。
東屋のテーブルを囲む僕たちの視線が集まる中、コリンとエラは、祈るような顔で、固唾を飲んで様子を伺っていた。
「……これは見事だわ!エラ……あなたのデザインセンスは本当に素晴らしいわね!」
ハンナ様がぱあっと花が咲くような、ものすごく嬉しそうな笑顔を浮かべた。その向かいで、コリンとエラが「やった!」とばかりに手を取り合って飛び跳ねて喜んでいる。
(……距離が近い。僕が学園に行っている間に、いつの間にこんなに仲良くなったんだ……?……まあ、お互いに良い影響を与え合っているなら何よりだけど)
余計なことは言うまいと気配を消して空気になりつつ、僕はそっとコリンに拍手を送った。
「ソーサーまで金属製で揃えるとは……コリン、これは君のアイデアですか?」
僕が尋ねると、コリンが誇らしげに胸を張る。
「ああ。というかもちろん描いたのはエラだけどな。カップに持ち手をつけるなら、ソーサーにも一体感があった方がエラの繊細な絵が一番生きると思ったんだ」
そう言われたエラは、耳まで真っ赤にして「コリン様ったら……」ともじもじと照れている。
(うん、僕が口を挟む隙間なんて最初からなさそうだ)
「違う金属や、色の組み合わせを変えてみても面白そうね」
ハンナ様の言葉にエラの目がキラリと輝いた。
「違…違う金属!!それならブロンズや真鍮で……あっ、紙とコンテは……!」
早くもアイデアが溢れ出したらしく、エラが慌てて鞄の中身をガサガサと漁り始める。今にもこの場でスケッチを始めそうな勢いだ。
「引き続き、二人で金属加工の工房に足を運んでちょうだい。コリン、くれぐれもエラが無理をしないようにしっかり見ておいてね」
「お任せください」
コリンが苦笑しながら、紙を取り出そうとしていたエラの小さな手をキュッと優しく包み込んで止めた。
「ほらエラ、工房に行ってから描こうな。放っておくとここで寝食忘れて没頭し始めるんだから……。あ、この焼き菓子包んでもらってもいいか?馬車で食べさせながら向かうから」
手を握られたまま「あっ……は、はいっ……!」と顔を真っ赤にして固まるエラを、コリンは手際よく誘導している。
後ろに控えていた侍女がスッと菓子箱を差し出す。さすが伯爵家の侍女、コリンの行動を読んでいる。
(……人の家の高級焼き菓子をちゃっかりおやつに持っていくあたり、相変わらず抜け目がないな……ん?『食べさせ』る…?)
ちゃっかりした先輩の姿に密かに呆れつつも、
僕は微笑ましい気持ちで二人を見送るのだった。
◇
「もう少し、深みのある茶色の糸はあるかしら?……ありがとう」
ある夜更け、ハンナはひと針ひと針、丁寧に刺繍をしていた。エラが作った二客だけの、あの琥珀色のマーガレットを模した花を角にあしらったハンカチが出来上がる。
「素晴らしい出来栄えですね。どなたかに贈られるのですか?」
侍女のクリスタが刺繍箱を横に片付け、蜂蜜を入れたホットミルクを差し出しながら尋ねた。
「ええ……えっ?よ、よくわかったわね」
ハンナは出来たばかりのハンカチを手に取って見つめる。いつも自分を助けてくれるノア様に日頃の感謝として渡そうと、一心に刺繍をして、完成させたハンカチ。琥珀色のマーガレットを指でそっとなぞると、ノア様の優しい瞳と髪色が思い浮かぶ。
(……ちょっと待って。私、なんてものを作ってしまったの!?こんな……ノア様の瞳の色の刺繍なんて渡せるわけないじゃない!恥ずかしすぎるわ!)
顔を真っ赤にしながら、ハンナはクリスタに伝えた。
「そう思っていたのだけれど……あまり良い出来栄えじゃないから、捨ててくださる?」
「こんなに素晴らしい刺繍ですのに……。では、私にいただけませんか?お嬢様が手ずから刺繍をしてくださったハンカチです、大切にいたします」
「……そう?はい、どうぞ。遠慮なく使ってね」
ハンナがほっと胸を撫で下ろすと、クリスタは刺繍を丁寧に包みながら、静かに意味深な微笑みを浮かべたのだった。
◇
「これはシードル…果実酒ですね……ええと、『リンゴに酵母を加えて発酵させた』とありますね」
僕は今商会の倉庫で翻訳の手伝いをしている。
そういえばハンナ様が飲みすぎたと仰っていたのもリンゴ酒だったな……ほろ酔いのハンナ様…可愛いんだろうなあ。
……果実酒か。せっかく領地に帰るなら、果実についても調べてみよう。僕はポケットの手紙──領地の兄から届いた手紙にそっと手を触れた。
「ノア様、ここにいらしたのね。まあ、これ、あのリンゴのお酒」
倉庫の棚の奥から顔を出されたハンナ様が、僕の手元にある書類を見て声を弾ませた。
「ええ。以前、ハンナ様が『つい飲みすぎてしまった』と仰っていた、シードルです」
「まあ……!恥ずかしいわ……あのときはノア様が緊張なさってるのを解そうと、喋りすぎてしまったわね」
きまりが悪そうな顔をして、ぽっと頬を赤らめるハンナ様の可愛らしさに胸を打ち抜かれつつ、僕はポケットの中の手紙にそっと手を触れた。この愛らしい笑顔をしばらく見られないと思うと、急に名残惜しさが込み上げてくる。
「あの、ハンナ様。実は……実家の兄から手紙が届きまして。開墾途中の領地で珍しい土が見つかったらしく、確認のために一度実家へ戻ることになりました」
「えっ……?そうなの?」
「はい。往復と現地調査を含めると、二週間ほどカルディナ商会を空けることになります。申し訳ありません」
ハンナ様は一瞬寂しそうなお顔をされたが、すぐに気丈な笑みを浮かべた。
「学園の方もお休みされるの?」
「そうですね。もともと単位はもう取れていますし、休んでも差し支えはありません」
「そう。お仕事ですものね。気をつけて行ってらっしゃい」
◇
そして出発の日の朝。
「ノアさま!しばらく遠いところへお出かけなんだよね?」
馬車の前で見送りに来てくれたテオドール様が、僕の服の裾をキュッと引っ張った。隣にはハンナ様と、そして大きなアレックスがすり寄ってきている。
「はい。でも、二週間したらすぐに戻ってきますよ、テオドール様」
「じゃあ、これ持っていって!お守りだよ!」
テオドール様が小さな手で僕に差し出してきたのは、上質な生地のハンカチだった。
よく見ると、端の方に可憐なマーガレットの花が丁寧に手刺繍されている。
「これは……マーガレット?」
僕が息を呑むと、テオドール様が誇らしげに胸を張った。後ろに控える侍女のクリスタとうんうんと頷き合っている。
「うん!お姉さまが作ったんだよ!すっごくきれいなのに、『しっぱい作だからすてる!』って言い出したから、もったいなくて……クリスタにもらったんだ。ノアさまにさしあげます!」
「テ、テオ……っ!?な、何を勝手なことを……!クリスタ、あなたも!」
ハンナ様の顔が、一瞬で見たこともないほど真っ赤に染まった。両手で顔を覆い、狼狽えている。
「だって、お姉さま夜おそくにいっしょうけんめい……あぐっ」
「テオ!!しっ、喋りすぎです!!」
ハンナ様が慌ててテオドール様の口を手で塞ぎ、熟れたリンゴのような顔で僕から目を逸らした。
(ハンナ様が……あのマーガレットを、夜遅くまで刺繍してくださっていた……?)
繊細で美しいマーガレットの刺繍と、ハンナ様の真っ赤な横顔を見比べ、僕の胸の鼓動が大きく跳ねる。ハンナ様の想いが詰まった宝物を、キュッと握り締める。
「ありがとうございます。テオドール様、ハンナ様。大切に、肌身離さず持っていますね」
僕がハンカチを胸ポケットに仕舞い、深々と頭を下げると、横を向いたまま固まっていたハンナ様が、真っ赤な顔のまま、そろりとこちらへ視線を戻した。まだテオドール様の口元を両手で隠したまま、上目遣いで僕を捉える。
「……無事にかえ、帰ってきてくださいね……」消え入りそうな声で、懸命に言葉を紡ぐハンナ様。
あまりの可愛らしさに、息を飲む。ずっとその姿を見ていたかったけれど、強く後ろ髪をひかれながら、僕は差し出された馬車のステップへと足をかけた。
後半を少し修正しました。




